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泥棒は異世界でも盗む。下着を  作者: 吉永 久
第五部【繊維遺産(オーパンツ)編1】
95/209

14-5

 かくして僕は孤立した。大きな壁一枚を隔てて取り残される。


 この壁の向こうでは今、二人はどうなっているのだろうか。呼吸のできる場所を求めて泳ぎまわっているのか、それともまだその場に留まっているのか。僕を信じて。


 僕はその信頼に答えなくてはならないだろう。だけれど、体が震えて仕方がなかった。今、自分の両肩に乗っている重責は僕が持てるだけの要領を遥かに超えていて、立っているのもやっとのことだ。


 たった十分。その間に何ができるというのだろうか、いったいこの僕に。


 とりあえずもう一度、周囲を確認してみた。何か見落としがあるんじゃないかと、先ほどと同じように可能な限り壁や床に触ってみる。それでも結果は変わらなかった。何も見つからない。


 涙が溢れて止まらない。何度拭っても垂れてくる。それが寂しさなのか、それとも悔しさなのか。はたまた自らに対しての同情なのか、まるで見当もつかない。


「無理……無理だよぉ」


 僕の弱音を聞き届けてくれるものは誰もいなかった。ただ、虚しさと自らに対する情けなさだけが残る。


 逃げ場はない。はなから見当違いでここに仕掛けなどないだとか、そもそも壁は可動式ではないだとか、そんな根本的な間違いであればあるいは僕ばかりの責任にはならないだろう。だけれど現状はただ見つけられないだけ。仕掛けの存在は可能性として残されている。


 仮にここで諦めてしまったら、僕は生涯二人を殺した罪悪感を抱えて生きることになる。それはおそらく、必死に頑張って見つけられなかったとしても同じことだ。


 いっそのこと何もしないままの方がいい気さえした。頑張ったとて報われる確証などなく、ただ悔しさをひたすら抱えて生きるくらいならば、何もしなかった後悔を抱えて生きるの方が遥かに楽だ。


 思わずへたり込む。振り返ってみると、水面には僕の悔しそうな顔が映っていた。


 思い返せば、リリシア姉ちゃんも先ほど悔しそうな顔をしていた。僕が、彼女のために自ら命を絶とうとした瞬間を思い出したのだろう。自らの無力感が許せなくなったのだ。今の僕と同じように。


 それでもリリシア姉ちゃんは、僕を信じてくれた。「君を信じている」と言ってくれた。そう言ってくれたのは他でもない僕が彼女に言ったからだ。あの時はただ安心させたくて言ったに過ぎなかったが、それが帰って来た形になった。


 僕は水路へと手を浸し、両手で水を救う。それを自らの顔にかけた。何度も何度も擦り、顔を洗う。それから両手で頬を張った。小気味のいい音が辺りに反響する。


「よし」


 やはり僕は、その信頼に答えなくてはならないのだろう。


 まずは考える。必要な情報は出揃っているはずだ。仕掛けの起動には満水になってから十分以上置かなくてはならない。そしてそれは、おそらく僕が通ってきた例の小さな穴が関係している。


 穴は天井に添えつけられていた。水が満ち、それからさらに水位が通路の位置まで達した時点でこちら側へと流れ込んでくるということだ。そして、そこからさらに一定時間かけて仕掛けの起動に至る。


 この場合、一番注目するべきなのは時間の推移だ。時間が経つにつれ変化するもの。それは流れ込んでくる水の量。


 それに伴って増加するものといえば、やはり重量と言うことになるのだろうか。しかし、それはさっき下にぃが言っていた通り、誤作動を起こしかねない。ならば別の方法はどうだろうか。


 例えば、天秤。その片側の皿に水が溜まっていくことによって釣り合いが取れる、もしくは傾きが逆転し、それにより仕掛けがの起動に至る。だがそれには、正確に受け皿へと入れる機構なければならない。その順路を作る方が大変になる。


 ならばその逆はどうだ。沈むのではなく、浮く。つまり浮力だ。


 水の増加に伴って浮いている物体の位置が変わる。それがトリガーとなって起動する仕掛けならば、時間の経過だけに絞れるため誤作動の心配はない。


 肝心なのは、それがどこにあるかだ。さっきも言った通り、この水路の先は外へと続いている。仮にここに流れ込んできたとしても、水はそのまま外に向かって出て行くことになる。そうなれば、水の増加は見込めない。


 ここ以外のどこかに水を溜める場所があるのだ。


 と、ここでふと気づいた。今どのくらい経っただろうか。二人の心配をしたわけではない。正確に言うならばそれも決してなくはないが、何よりも気になったのは未だに水が流れ込んできていないことだった。


 既に壁の外は水に満ち、なおも増水を続けているのならば、そろそろこちら側へ流れ込んできていてもおかしくない。なのにまだということは、僕の通ってきた通路に、僕の見落とした別のルートがあるということだ。そしてそこが、貯水槽の役割を果たしている。


 天井の通路は、僕の数メートル頭上にある。ジャンプして届くような高さではない。方法はただ一つ、壁をよじ登るという無茶なやり方。だけれど、やるしかない。


 幸いにして壁と壁には僅かな隙間がある。指先程度だが掛けられなくもない。その数センチの隙間だけを頼りによじ登るしかなかった。


 指先をかけ、力を籠める。力の加減がわからず手が震える。慎重に体を持ち上げた。靴を蹴り飛ばすようにして脱ぎ、裸足になって隙間に指をかける。たちまち汗が噴き出るものの、何とか登って行った。


 しかし、数メートル登った辺りで滑り落ちてしまう。ついでに人差し指の爪が剥がれかける。思わず苦痛に顔を歪めた。再び登るにも、剥がれかけた爪は集中力を途切れさせる。僕は手を水の中に突っ込んでから、一息に自らの爪を剥がした。


 叫び出しそうになるのを何とか持ちこたえて、再度壁に向き直った。歯を噛み締めて、痛みを堪えつつ壁をよじ登る。焦らず、着実に。


 やがて天井付近にまで到達すると、可能な限り腕を伸ばし穴の縁に片手を掛けた。ゆっくりともう一方の手も放して、すぐさま縁を掴む。何とかぶら下がることに成功した。


 体を引き上げて、通路へと転がりこんだ。休む間もなく、這いつくばって来た道を引き返す。入り組んだ通路を戻って行くと、やがて振り出し付近まで戻った。


 僕が最初入ってきた穴があり、そこから水が溢れるようにして流れ込んできている。それは真っすぐと進んでいき、向かい側の壁の下部にある狭い隙間へと流れていた。


 すぐさまその隙間へと手を突っ込む。水の感触が感じると、しばらく掻きまわした。すると何かが指先に触れる。とても軽い感触。水にならば浮きそうな何かだ。


 何度目のかのトライでその浮遊物を掴み、持ち上げた。浮遊物は紐らしきもので括りつけられているようで、それを限界まで引っ張ると「カチッ」と物音がするのが聞こえる。間もなくして辺りが振動を始めた。


 仕掛けが起動したのだと悟った僕は手を引っ込め、入口とした穴へと這って行った。そして、満水となっている部屋へと飛び込む。


 何度も瞬きをし、目が開けられるようなると二人の姿を探した。すぐに見つかる。底の方にいた。潜水し、近づいていくと下にぃと目が合う。


 どうやら彼は無事だったことにまずは安堵するも、その傍らに倒れているリリシア姉ちゃんの姿に愕然とした。目を閉じ、眠るようにしているからだ。


 間に合わなかったのだ。結局。


 思わず叫びたくなりそうになったところ、すかさず下にぃに口元を抑えられる。初めは息が続かなくなるからだと思ったのだが、どうやら違うらしい。彼は手を離すと、まず僕の口元を指差して、それからリリシア姉ちゃんの唇を指差した。


 どういうことかわからないままでいると、彼は僕の指先を取り、それからリリシア姉ちゃんの首の根元に当てた。脈拍を感じる。つまり、まだ生きているということだ。


 下にぃの意図を理解した僕は、リリシア姉ちゃんの眼前まで迫る。それから意を決すると彼女の鼻を摘んでから、口づけをした。空気を送り込む。


 そうしている間にも、壁は徐々にせり上がって来ていた。部屋の水が一気になだれ込み始める。下にぃが、僕たちをまとめて抱え込むようにするとその流れに身を任せた。


 水にもみくちゃにされながらも流されて行き、気づけば外へと放り出されていた。続く先は滝のようになっていたようで、僕ははじき出されるように中空に飛び出ると、間もなく自由落下へと移る。やがて滝壺に着水する。


 まずは僕が顔を出した。次に下にぃ。


「リリシア姉ちゃんは!?」


 真っ先にそう尋ねるとすぐ側で気泡が立ち上る。その後に続くようにして、彼女は顔を出した。


「姉ちゃん!」


 すぐさま抱き着く。「よかったよぉ」と泣き出しそうになる僕の背中を、彼女はそっと撫でてくれた。


「ありがとう。助かったよ」


 そっと離れると、彼女と目が合う。穏やかな顔つきで、「本当にありがとう」と繰り返してきた。


 僕はこう言った。


「こちらこそありがとう」


「なぜ君が感謝する」


「僕を信じてくれたから」


 彼女は合点が言ったように、「ああ」と言った。それから僕の爪の剥がれた指先に気づいたようで、そっと手を重ねてくる。


「痛々しいな」


「これくらい安いもんだよ」


「頼もしいな」


 そう言われ、僕は大きく頷いて見せた。そしてこう言う。


「これからはリリシア姉ちゃんのことも守るよ」


 すると、彼女は苦笑してこう言った。


「……マセガキだな」


          *


 僕らはゆっくりと泳ぎ、岸へと辿り着く。水を吸ってすっかり重たくなった服から、水を滴らせながら這い上がると、僕らの周りに人の集まる気配があった。


 何も僕らを助けに来たわけではなさそうだ。まるで遠巻きにするようにしており、その目はまるで僕らを忌み嫌うかのように殺気を放っていたからだ。


 そんな彼らは皆一様に弓矢を手にしている。僕らは互いが互いを守るようにして身を寄せ合うと、間もなくして人垣が割れてその奥から男の人が一人現れた。


 それは、僕とリリシア姉ちゃんに遺跡に入るのを止めようとしていた村長さんだった。


「愚か者どもよ。何度言ったらわかるのだ」


 僕らと会った時とはまるで雰囲気が異なり、その変わりようにたじろぐ。二の句が継げないでいると、彼は言った。


「大いなる災いが降る。そう言ったはずだ」


「それで、あんたらが最後の災いってわけだ」


 下にぃが皮肉交じりにそう言う。村長さんは眉根を寄せたものの、まるで取り合わずにこう告げる。


「貴様らには生贄になってもらう」


「神様への貢ぎ物ってわけか」


「その通りだ」


「だが、神様だっていきなり人間差し出されても困るんじゃないか?」


「そんなことはない。必ずやお怒りを鎮めてくれることだろう」


「神様がそう言ったのか?」


「それが慣例だ」


「神様のか?」


「我々のだ」


「あんたらと、神様の」


 そう告げると、村長は語調を強めて「違う!」と言った。さらにこう続ける。


「神様は関係ない!」


 すると、下にぃはさぞ驚いたとでも言わんばかりの顔でこう言った。


「あんたらが言い出したことじゃないか」


「御託はもういい!」


 しびれを切らせた村長さんは、その言葉の後に「構えー!」と号令を掛けた。


 いっせいに矢尻が向けられる。弓は限界まで引き絞られているようで、ギリギリという音がこっちにまで聞こえてきた。いつ放たれてもおかしくない。


「最後通告だ。大人しく投降するんだ」


 村長さんがそう告げる。今ここで命を奪われるくらいならば、ここは一旦その提案に従って隙を見て逃げた方がいいのではないかと思ったが、下にぃは意見は違うようだった。


 彼は言う。


「盲従はあまりお勧めしないがな」


「言い残したことはそれが最後か」


 村長さんはつまらなそうに鼻を鳴らす。高く手を掲げ、それを今にも振り下ろそうとしたその時、遥か頭上からこう聞こえた。


「撃てー!」


 次の瞬間には辺り一帯は粉塵に見舞われた。そして誰かがその中へと上空から降りてきたかと思うと、その土煙を舶刀で薙ぎ払うようにして一人の女性が現れた。


「だ、誰だ!」


 さしもの村長さんもこれには動揺を隠しきれないようでそう尋ねると、彼女は高らかにこう答えた。


「あたしはマリーネ。この世でたった一人のレギレス海賊団だ」


 その後に、下にぃがぼそりとこう言った。


「猛獣の登場だな」

このエピソードは後もう一話だけ続きます。

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