番外編3-4
目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。
部屋ですらなくどこかの廃工場のようで、トタン屋根の穴の開いた部分から朝日が直に差し込んでくる。私は、捨て置かれてすっかりバネが使い物にならなくなっているソファに横たえられていた。
身を起こすと少し離れた場所に下野物好がいる。これまた捨て置かれていたのであろう、クッションの部分がなくなりただの鉄枠だけのパイプ椅子に座り、ジャムも何もつけていないプレーンの食パンを齧っていた。
どうやら連れ出されたのは夢でも何でもないらしい。
彼は私が起きたことに気づいたようで、間もなくしてこちらへと視線を寄こし、それから言った。
「おはよう。……食べるか?」
と、袋に包まれた6枚切りの食パンを差し出してくる。何だか見たことあると思ったが、私の家でよく食べているメーカーのものだった。おそらく、抜け出てくるついでに持ってきたのだろう。
彼はさらに続けた。
「悪いがつけるものはない。それでもよければなんだが」
と言い、近づいてくる彼に私は言った。
「ここは?」
「ああ。どこに行けばいいのかわからなくてな。とりあえずここに身を隠してる。今後の方針については」
「駄目」
「おいおい決めて……って、え?」
「戻らなくちゃ」
私は掛かっていた布団代わりのボロ布を撥ね飛ばして、ソファを降りる。出口に向かおうとしたが、その瞬間足に力が入らなくなり頽れた。すかさず下野物好が駆け寄って、抱き止めてくる。
「疲れているんだ。もう少し休んだ方がいい」
「そういうわけにはいかない」
「なぜだ」
「妹が……妹がいるの」
「家の中は全部見て回ったが、どこにもいなかったぞ」
「違う、違うの」
焦りのあまり言葉にするのすら億劫で、彼の腕の中から一刻も早く抜け出ようともがいた。しかし、いざ解放されたはいいものの、すぐさま躓いてしまう。
下野物好が助け起こしてくれついでに言った。
「落ち着け。何があった」
「妹が捕まってるの。逆らったら殺すって」
「どこに、いるんだ」
私は首を振る。すると、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。
「悪かった。余計なことをしたようだな。少し考えれば、わかりそうなものだったのに」
「それはいいの。今はとりあえず」
「ああ。戻ろう」
「……いいの?」
「何がだ?」
「あなたには関係ないことだよ?」
「いや、あんたを連れ出したせいで身に危険が迫っているというなら、俺の責任だ」
それから彼は、「まだ夜が明けたばかりだから、今から急いで戻れば間に合うはずだ」と言いながら、私を背負った。間もなくして走り出す。
*
朝が追いかけてきていた。
それまで寝静まっていたであろう街並みが、目を覚まし出す。小鳥が鳴き出し、家々の窓に引かれていたカーテンが開いていく。やがて玄関から出て掃き掃除をする人や、朝一のジョギングに精を出す人を見かけるようになった。
焦りばかりが募り、もう駄目かと半ばまで諦めかけたちょうどその時になって、家に着いた。明かりがついておらず、しんとしている。まだ真木たちは寝ているのだろうか。
下野さんは一度私を背中から降ろし、無事に立てるほど体力が回復していることを確認すると、目を見てくる。私が頷くだけで大丈夫であることを示すと、彼も一つ頷いてそれから玄関のドアにそっと手を掛けた。開く。
土足のまま中へと入っていき、目の前の廊下をまっすぐ行く。最初に現れた左手側のドアを押し開いた。
そこに続いているのはリビングだ。かつてはソファに並んでテレビを見たり、テーブルを囲んでトランプをしたりと、家族との憩いの場になっていたが、今は見る影もない。
インスタントの空容器や潰れたビール缶がそこら中に散らばっている。母が大事に育てていた観葉植物はすっかりと枯れているだけに留まらず、暴れでもしたのか倒されて地面に土が零れていた。全体にヤニの匂いが漂い、白かった壁が僅かに黄ばんで見える。
そして当人であるところの真木たちが、私たちを出迎えるようにしていた。真木が足を組みながら父のお気に入りだった一人掛け用のソファにふんぞり返るようにして座っており、そのひじ掛けの一つに腰掛けるようにして菊池がいる。佐野は、菊池とは反対側に佇んでいた。
真木が言う。
「よぉ、待ってたぜ」
私を庇うようにして立つ下野物好が言った。
「目的はなんだ」
「それはこっちのセリフだな。何のためにそのガキを助ける」
「助けたつもりなんかないさ」
真木が鼻で笑い飛ばす。
「気障な野郎だ。だが、その通りだ」
「何?」
「あんたは助けてない。せっかく連れ出したのに、こうして戻ってきたんだからな」
「彼女の妹を返してもらおう」
「断る、と言ったらどうする?」
「力づくでも奪い返す」
「そうだな。俺もお前も所詮は犯罪者。それが一番手っ取り早い」
そう告げる彼の言葉を耳にして、「違う」と私の口がひとりでに動いた。その勢いのままに言い切ってしまう。
「彼は違う。あなたたちとは、全然違う」
「ほう?」
真木が嗜虐的な笑みを浮かべながら、そう言った。すかさず菊池が、「まさかその下着泥棒に惚れたのか?」と笑い交じりに言ってくる。
さらに言い返そうとした私を、今度は下野さんが手だけで制してきた。見ると、彼は小さく首を振っている。
私を助けてくれた彼のことを貶されるのは悔しくてたまらないが、確かに今の論点はそこではない。これ以上口出ししない方がいいと思い身を引きかけたが、真木が「いったいどこが違う?」と言ってきたので、これを最後にと私は答えた。
「彼は……下野さんはあなたたちみたいに理不尽じゃない」
そう言い切ると、真木は唐突に笑い出した。まるで芝居がかったような大袈裟な笑い声で、しばらくはそんな調子のままだったが、不意に真顔に戻る。そして先ほどよりも低い声でこう告げた。
「理不尽というのなら、家族の方がよっぽど理不尽だ」
「……どういうこと?」
「わからんか。わからんだろうな、ただのうのうと生きているようなガキには」
唐突に何を言い出すのだろうか。身構えていると、彼は語り出した。
「環境が人を変えると言うが、ガキの頃は生まれた環境に隷従せざるを得ない。どんな仕打ちを受けようが、その全て言動を身一つで受け止めるしか術がない。大人になった頃にはもう手遅れだ。ガキの頃に身に沁みついたことは、もう二度と消せやしない。これを理不尽と呼ばずして、何と呼ぶ?」
「そんなの、極論だよ」
「そうか? あんたの連れはそうは思ってないみたいだぜ?」
「え?」
そう言われて、下野さんの顔を見た。彼は目を合わせようとはせず、ただまっすぐ真木たちのことを見据えていた。話を聞いていなかっただけのようにも思われたが、無言の肯定をしているようにも見える。結局、どちらともつかなかった。
次に、ふと佐野が言っていたことを思い出す。彼は、親の都合で中学を出て早々に働きに出たと言っていた。そこにどんな意味が含まれているのかはわからないが、真木の言い分を聞くからにおそらく家計を助けるため渋々とか、そういったニュアンスではないのだろう。
私は思わず閉口してしまうと、間を継ぐようにして下野さんが口を開く。
「それが、あんたらの目的か?」
「ああ、そうだ。これはいわば家族という体系への復讐だ。さもいいもののように語り継がれている、家族という絶対神話に対してのな」
「それで、なぜこの家だったんだ」
「誰だってよかったさ。だが、そのガキが幸せそうな顔を見たら堪らなくなってね。だからターゲットにした」
「まるで妬みだな」
「何とでも言え。もう俺たちの復讐は完了した」
「何だと?」
そう問われると、真木はにやりと嗜虐的な笑みを浮かべた。挑発でもするかのように、両肘を両膝に乗せて、前のめりの姿勢を取る。そうしてから、言った。
「安心しろ、妹は殺さない」
「……どういうこと?」
聞きたくもないような気がしたが、私の口が自然とそう尋ねていた。今更取り消すには遅く、また彼らもどうしても言いたいかのようだったので、結局聞くしかなくなった。
「お前の妹は、お前のやってきたことを全部見ていたよ」
「全部」
その言葉の意味がわかりかねて思わずオウム返しをする。しかし、次第にわかり始めてきた辺りで、考えるのを止めにした。それでも彼らは続ける。
「お前が父親とやっていたこと、そして最後には突き飛ばして見殺しにしたこと。全部だ」
「止めて……」
「あの歳じゃまだその意味は分からないだろうな。だけど、いずれ知る」
「止めてよ」
「そうなったら、いったいどういう感情を抱くか。どんな人間になるか。楽しみだな」
「止めてって言ってるでしょ!」
「もう遅い。言っただろ? 復讐は完了した」
なぜ……なぜこんなことになるのだろうか。私たちは何もしていない。ただ普通に過ごしてきただけだ。確か真木達は不幸で、私たちの家族が妬ましく見えたのかもしれない。だけど、それは決して復讐される理由にはならない。
許せない。そう思うと、もう他のことは何も考えられなくなった。私を制止する腕を振り払い、無我夢中で真木たちに駆けこんでいった。とにかく、無茶苦茶にしてやりたかった。私や妹の人生を無茶苦茶にしたのと同じくらい、いやその倍以上、彼らを伸してやりたかった。
だけど、次の瞬間には私の方が伸されていた。考えもなしに突っ込んだ私は、一発殴られただけで動けなくなってしまった。当然だ。三人の成人男性を相手に、女子高生一人で何ができる。
ただの一発でたちまち冷静になってしまった私に、彼らはこう言い放った。
「後は、お前らを始末して撤収する。それで計画は完了だ」
私は真木に胸倉を掴まれて、引き起こされる。そのまま釣り上げらえれるまで持ち上がり、私の眉間に拳銃を突きつけた。足は宙に浮いており、身動ぎするのがせいぜいできる抵抗だ。だけど、そんなことしても絶望的だろう。
せめてここまで付き合ってくれた下野さんだけは助けなくてはと、一度彼の様子を見た。すると、彼は菊池と佐野の二人がかりで床に押し付けられている。そんな状態でもまだ私を助けてくれようとしているのか、必死に起き上がろうと抵抗していた。
目が合うと、まるで求めるように腕を伸ばしてくれる。私は首を振った。
「ごめんなさい」
最後まで言い切るまでに撃たれた。
天井を仰ぎ見るように視界が揺れる。それから床まで落ちた。ゴツンという鈍い音がまるで他人事のように響くと、自分の意思とは関係なく頭が振れる。偶然、下野さんの顔を見ることができた。
彼は今にも泣き出してしまいそうなほど、顔を歪めている。
ああ、ごめんなさい。巻き込んでしまってごめんなさい。せっかく助けてくれたのに、私の身勝手な行動で台無しにしてしまってごめんなさい。赤の他人である私のせいで、そんな顔をさせてしまってごめんなさい。
そして、ありがとう。
*
ガキの瞳が虚ろになり、死んだのがわかった。
中々しぶといガキだった。初めの頃は順調に人間味を失っていたが、それも徐々に取り戻していっていた。それもこれも、あの下着泥棒を名乗る男のせいか。
「真木。こっちもさくっとやってくれ」
菊池にそう言われ、死体から視線を外す。
何にせよ、もう終わりだ。何だか言葉以上にまだ裏があるような気がしてしばらく生かしておいた下着泥棒だが、どうやら全てはハッタリだったらしい。
男を捕まえた後、家中を確認してみたが誰かが潜んでいたような形勢は見受けられなかった。ついでに言うなら派手な侵入をしたというのも嘘のようだ。おそらく浴室の状況だけを見ておおよそのことを察し、咄嗟に考え付いたのだろう。ただの下着泥棒にしては、機転が利きすぎる気もした。
だがもうそんなことはどうでもいい。後は撤収するのみで、しばらくしたら次のターゲットを探す。第一の幕を下ろし、第二幕を始める。そうしていずれ名を馳せた俺たちの主張が、未来永劫残り続けるようにしなくてはならない。
「しっかしなぁ」
いつのまにやら隣にしゃがみこみ、死んだガキの顔を覗き込むようにしていた菊池が言い出した。
「中々、綺麗な嬢ちゃんだったから勿体ない気もするなぁ」
「まだ間に合うぞ」
「止してよ。気色悪い」
俺は満を持して振り返り、例の下着泥棒を殺そうと拳銃を構える。しかし、そこには佐野がただ一人、呆然とした顔で尻餅をついているだけだった。
「おい、例の男は」
「大丈夫だよ。なんか嬢ちゃんが死んだら意気消沈したみたいで、動かなくなっちゃったから」
菊池も、ねぇ、と佐野の方へ振り返り、下着泥棒の姿がどこにもないことにようやく気づく。「あれ?」と状況に似つかわしくなく、呑気な声をあげた。
「どこにやったのさ」
問われた佐野は、焦った様子で首を振った。その動作が、全てを物語っていた。
「探せ」
「え?」
「さっさと探せ!」
そう一喝すると、菊池は「はい!」と威勢よく立ち上がる。それから慌ただしく駆け出した。佐野も、その勢いに続く。
最後まで俺たちを愚弄する気だろうが、そうはいかない。




