2-3
かくして姫の救出を請け負うこととなった俺は、善は急げという言葉に従い、早々に使用人の案内を受けることにした。
案内をしてくれた使用人は赤い髪をポニーテールに結った女性で、名前はリリシアというらしい。挨拶もそこそこに、彼女の後ろについて街を歩いていた。スカートの丈の長いメイド服は、元の世界であれば目立つ格好であっただろうがこの世界では正常なことらしく、さほど目立つことはなかった。
目の前に揺れる一房の赤い髪を眺めながら、俺は話しかけた。
「王様の説明じゃいまいちピンとこなかったが、例のダグール一味? 奴らは具体的に何をしているんだ?」
「わかりません」
「有名人なんだろ?」
「色んなことに手を出している、との噂ですが、その実態を把握している人は多くありません」
「そういうもんかね」
今ところ、ものすごい悪い人という漠然とした情報しかない。
「何だって、そんな奴らが誘拐なんて行うんだ? しかも、一国の姫を」
「わかりません」
「心当たりは何も?」
「ありません」
何だか、さっきから彼女の態度がそっけない。一度もこちらを振り返ることなく、淡々と歩き続けているし、返ってくる声もどこか冷たい。ふと、イフも初め会ったときはこんな感じだったことを思い出した。
「そういや、大体なんで姫が平然と街を歩いていたんだ? おかしいだろ」
そう言うも、彼女は返答しなかった。ただただ無言というのも気まずいので、さらに続ける。
「一緒についていたのは、あんただけなのか? 他に護衛は?」
「いませんでした」
「どうしてだ?」
「……いろいろあるんです」
彼女のその返答に、これ以上追及してもろくな返答はなさそうだったので、「そ。いろいろね」と納得するそぶりを見せるだけにした。
会話を続ける。
「そう言えば俺、いまだに姫の名前を聞いてなかったな。いったい何ていう名前なんだ?」
別に何気ない質問のつもりだった。これから助けに行くのだから名前を知る権利くらいはあるだろうし、それに一国の姫なのだから公になっているはずだ。名前くらい大したことないだろうと思ったのだが、彼女の反応は違った。
「何でそんなこと聞くんですか?」
どことなく、声質に変化が感じ取れる。
「何でって……まずいか?」
「知らなくてもいいではありませんか」
「知っていた方が何かと便利だろ?」
「それは無事に助け出してからでも問題ありません」
「何をそんなに嫌がってる」
「嫌がっていませんよ」
「嫌がってるだろ」
そう言うと、彼女は急に足を止めて俺へと振り返った。その瞳は、この世で最も底辺の人間を見るように冷たい。
「嫌に決まっています。あなた、ご自分の立場を理解されてますか?」
「わかってる。協力者だろ?」
平然とそう言ってのけると、彼女は呆れたように首を振った。「何でパウロ様はこんな奴を……」と、呟くのが聞こえる。
「まぁそう言うな」
俺の言葉は、むしろ火に油を注ぐ様なものだったらしい。彼女は詰め寄り、堰を切ったように言った。
「あなたは幸運です。本来ならあなたみたいな変態はアウロラ様の目に入ることすら許されないんです。指一本でも触れたら許しませんからね」
「アウロラってのが、姫の名前か?」
尋ねると、彼女はしまったとでも言うように口を押えた。自身の失態を隠しがてら、俺の態度を軽蔑するように睨んでくる。
そんな彼女の態度を意にも介さず、俺は続けた。
「あまり立ち止まってると注目を浴びるぞ」
事実俺たちは、街行く人々の視線を集め始めている。さらにそこに、彼女が先ほど切った啖呵が拍車をかけていた。
「目的地はまだまだ先か?」
先を促そうと問いかけると、彼女は「もう少しです」と悔しそうに言った。踵を返し、肩を怒らせて歩き始める。
それっきり俺たちには会話はなく、街を歩き続けた。
*
目的地へと辿り着いたことで、リリシアの案内人としての役割は終わった。
「ここです」
立ち止まったところで彼女はそう言った。街の中心地からは外れ、どちらかというと殺風景な場所だ。辺りには店よりかは住宅地の方が多く、店に関してはちらほらと怪しげなものがあるのみだ。
「本当にこんなところに来たのか?」
「はい」
「何用で」
そう問いかけると、彼女は黙した。よほど言えないことなのだろうか。
ともあれ、それは本題には関係ないので無視することとする。
「誘拐犯はどっちに逃げた」
「あっちです」
そう言う彼女の指先は三等地の方へと向いている。おそらく王様も管理の行き届いていないところだろうから、余所者が潜伏するにはちょうどいいのだろう。帰結としては順当なところだ。
「わかった。もう帰っていいぞ」
そう言うと、彼女は意外そうな顔をした。
「いいのですか?」
「あんたの役割は案内だけだ。もう果たしたろ?」
「しかし……」
まるで引き下がろうとしないのは姫を思う心故か、それとも自身の責務故か。おそらくその両方だろう。彼女の献身ぶりは、およそ称賛されるべきものだ。
しかし、そんな彼女には悪いがここは引き下がってもらう。
「それとも、俺と一緒にいたいのか?」
そう言ってやると、彼女はあっさりと態度を覆した。案の定「いいえ」と即答する。「では失礼します」と最低限の礼儀をもって挨拶し、俺へ背を向ける。そのまま街の方へと消えていった。
彼女の背中が見えなくなるまで待ってから、俺は捜索を開始した。
俺はさらに先へと進んでいき、それまで普通と言えた街並みは、次第に最低限保たれている景観に変わり、やがてすっかりと寂れたものとなる。
空気感の違う三等地は、まるで人の気配は感じないのに、いつもどこかから誰かに監視されているようだ。それは警戒の色なのか、それとも隙あらば追い剥ぎをしてやろうという精神なのか。何にしても薄気味悪い。
俺は場末のバーを見つけると入店した。薄暗く、どこからかカビの臭いが香り立つ店内には、男臭い連中がひしめき合っている。入ると早々、その連中たちから一斉に視線の集中砲火を浴びるも、それだけで何もされることはない。
「何にします?」
マスターの立つカウンターまで近づくと、手短に注文を訪ねられる。この世界にどんな酒があるかわからなかったので、俺は近くにいた客の持つグラスを指差した。
「あれと同じものを」
間もなくしてグラスが運ばれてくる。匂いを嗅いでみると、柑橘系の匂いがした。俺は酒には口をつけず、一旦置く。
「そう言えば、この辺りにダグール一味が来ていると聞いたんだが、心当たりはないか?」
なるべく大きくなるよう質問を投げかけたものだから、俺の声は店中に響き渡る。店内が一気に静寂に包まれた。この場に集まる、多くの荒くれものたちの視線を感じる。
マスターは目を伏せたまま、首を傾げた。
「さぁ」
「ダグール一味のことは知ってるよな?」
「噂程度には」
「あんたは見たことないのか? 例えば、この店に来たとか」
ややあって、マスターは答えた。
「見覚えがないですね。彼らに、何か用ですか?」
「ああ、まぁな。ちょっとした野暮用なんだがな」
「見かけたら伝えておきましょうか?」
「いや、いいんだ。本当に大したことじゃない。本当にな」
「そうですか」
それっきり、俺たちは会話を打ち切った。店内は相変わらず沈黙に包まれたままだ。
俺はグラスを一気に煽り、中身を飲み干す。それから、「邪魔したな」とだけ告げて店を後にした。出る間際まで、男たちの視線を浴び続けた。彼らの視線は何も、唐突に大きな声を出した珍奇な客を見ているだけではないだろう。
*
それから俺は宿屋へとまっすぐ帰った。
というのは嘘で、実はまっすぐ帰っていない。フラフラと覚束ない足取りで歩き、やっとの思いで宿屋まで引き返した。
帰ってくるとすぐに、イフが顔を出した。壁に手をつきながら歩く俺を目にし、問いかけてくる。
「どうしたんですか!」
駆け寄り、心配そうに覗き込んでくる。
「いや、何。大したことじゃない」
「大したことじゃないって……フラフラじゃないですか。何があったんですか」
心配を続ける彼女の後ろから、ネモ店長が歩み寄ってくる。俺の様子を見るや、眉を潜めた。
「どうしたんだ、兄弟」
俺はふらつく足取りでネモ店長まで寄って、縋りついた。
「頼みがある」
「何だ。何でも言ってくれ」
「おそらく、もう少ししたら誰か来る。何人来ていようと構わない。出来るだけ、引き止めてくれ」
俺の言っていることがいやに曖昧だったせいか、彼を少し戸惑わせた。しかし、内容は伝わったみたいで承諾はしてくれる。
「わかったよ。それよりも大丈夫か?」
「ああ、問題ない」
「引き止めて置いて、どうする?」
「それだけでいい」
「それだけって。君はどうするつもりだ?」
本来ならば、協力してくれるものにはキチンと説明をするべきなのだろうが、今の俺はそこまでの余力は残っていない。薄れゆく意識の中で、俺は何とかこう答えた。
「とりあえず、寝る」
そうして、完全に意識を手放した。
*
次に目が覚めると、窓の外はすっかり暗くなっていた。月明りを背負うようにして、イフが俺を見下ろしている。月光が、彼女の金色の髪をキラキラと照らし出していた。
「目覚めましたか?」
目を開けていく俺を見るにつけ、彼女は言った。その表情は淡く微笑みながらも、憂慮に富んでいるように見える。
「心配かけたか」
そう言うと、彼女は静かに頷いた。
「ええ、まぁ。急に倒れてしまったので」
「悪いな」
「いえ」
彼女はそれっきり口を閉ざす。しばらくは、外から聞こえる虫の声だけが辺りを支配した。
やがて、彼女は口を開く。
「とりあえず、また一週間ほど宿は取っておきました」
「そうか。面倒掛けるな」
「いえ。私の言いだしたことですから」
それからまた彼女は沈黙する。そのまま静かな時間に身を委ねていると、彼女は意を決したように言い出した。
「その、ごめんなさい」
「なぜ謝る?」
「知らなかったとはいえ、下野さんを危険な目に合わせてしまいました。ダグール一味は非道な方々だそうで、きっと人を傷つけることなど平気でやるでしょう」
そう言って、彼女は目を伏せた。
姫を救出する、それすなわちダグール一味と関わりを持つということでもある。多少でも命の危険が伴う状況に押しやってしまった。そのことに気を病んでいるのだろう。相変わらず、杞憂の絶えない女だ。
「俺が、そいつらに襲われたとでも思ったのか?」
そう言うと彼女は顔を上げた。目を二度ほど、瞬かせる。
「違うんですか?」
「残念ながら、まだ奴らには接触できていない」
「そう、だったんですか」
イフは、そこで安堵の息を一つ吐いた。
そうやって心配する彼女の姿が出会った当初とは大分違い、つい笑ってしまう。
「初め会ったときは、俺が死んだって構わないと言っていたがな」
彼女は焦ったように言う。
「それは、まだ下野さんのことを知らなかったからです」
「今ならわかるのか?」
特に深い意味はなかった。ただ何気なく、多少は意地悪のつもりで言ったことだったのだが、彼女はまっすぐ俺を見つめて言ってきた。
「はい。下野さんは、決して悪い人ではありません」
彼女の直視に耐えられず、つい視線をそらしてしまう。
「買い被りだ。俺はただの下着泥棒だよ」
「そうやってすぐに悪ぶりますが、根は優しい人です」
「……どうだかね」
「あれ? 顔が赤くなっていませんか?」
「なってない」
「なってますよ」
「なっていたとしたら、あれだ。アルコールが残ってるんだろ」
「え? 下野さんお酒飲んだんですか?」
「まぁ」
正直、失言だったかもしれない。しかし時既に遅し。
「もしかして、倒れたのもお酒が原因ですか?」
「……まぁな」
「倒れるほど飲んだんですか? いったい何杯?」
言いたくはない。決して言いたくはないのだが、心配を掛けた手前あまり無碍に出来ない。それに、働いているかと思えば飲んだくれて帰って来たなんて心証が悪い上に情けない。真実を打ち明けた時の情けなさと天秤に掛けて、俺は結局言うことにした。
「……一杯だけだ」
「え? 一杯だけで倒れたんですか?」
それ以上は答えたくなかった。
*
酒が弱いことや、イフが「意外に可愛いところあるんですね」と小馬鹿にしてきたことはさておき、体調の戻った俺は逃げるようにして階下へと降りた。階段を降りるとすぐに右へ曲がり、店長が一人で切り盛りしている酒場兼待合室へと向かう。
「おお、目が覚めたか兄弟」
入るや否や、ネモ店長は明るく出迎えてくれた。そして、カウンター突っ伏している客を指差してこう言った。
「約束通り、引き止めて置いたぜ」
その男はどうやら眠っているようだ。おそらく酔い潰させたのだろう。
「一人だけか?」
「ああ、他には来なかったぜ」
思ったよりは釣れなかったようだ。
「それでこの男、どうする?」
問いかける店長に、俺は答えた。
「何か縛るものはあるか?」
「何でもいいのか?」
「ああ。人を縛れるくらいに長いものならな」
「……あまり加担したくないな」
「大丈夫だ。迷惑はかけない」
そう言うと、ネモ店長はカウンター奥へと消えていった。間もなくしてロープを持ってくる。
「これでいいか?」
「ああ、問題ない」
俺はロープを受け取ると早速、客をグルグル巻きにし、椅子へ固定する。目隠しのために女性ものの下着を被せてやると、彼を叩き起こした。
「ここは……どこだ?」
視界のない中で辺りを見渡し、必死に自分の状況を探ろうとする彼に、俺は単刀直入に切り出した。
「さて、教えてもらおうか。ダグール一味の居場所を」