11-4
何もそのポーチに入っているのは下着だけではなかった。簡単な化粧道具など、下着と一緒にいれておくだろうかと疑問に思えるものもまとめて入っており、その中にはこんなものまで入っていた。
『月夜の園に...』
と、一言だけ書かれた紙片だ。それ以外には何もない。
「何だかいかがわしい感じだね。そういうお店の名刺かな」
真実はともあれ、ナラベルの発想はそう的外れでもなさそうだ。ここは非合法に運営された売春宿か何かなのかもしれない。逃げ出した理由についても、乗り込んできた俺たちを捜査官か何かと誤認したからという説明ができる。
しかし、それにしては警備が薄いような気もする。
「だとしたら、ここではないどこかってところだろうな。あるいは暗号か何かか」
「そうだね。少なくとも、人の名前ではないだろうね」
結局、収穫という収穫はこれくらいだった。そもそもこれも、きちんと勝彦に近づいているのかどうかすら怪しい。だけど今はこれくらいしか手掛かりがないので、この線を辿っていくことにしよう。
*
情報収集には酒場が最適というのが世の常だ。俺たちは早速、三等地の酒場へと向かったのだが、店を目前して反対側から見慣れた影が見えた。
白いシャツに赤黒いコルセット。真っ赤なロングスカートを切り裂かんばかりに黒いブーツを突き出して歩く彼女も、俺たちの存在に気づいたようで、それまで不機嫌そうに寄せていた眉間のシワをさらに深めた。
「下野物好……と、そのお付きの男」
「別に僕はお付きではないよ」
ナラベルがすかさず突っ込む。
結局、どいつもこいつも考えることは同じということだ。そもそも裏社会の情報源は、酒で口の滑りやすくなった奴と相場が決まっている。
「マリーネ。あんたもか」
「ふん。そういうあんたもみたいだな。だが、あたしの方が早かった。失せろ」
「そんなことないだろ。ほぼ同時だ」
「いや、そんなことあるね。見ろ、あたしの方が一センチ店に近い」
「海賊のくせに言ってることがせこくないか?」
そう言い返すと、彼女は悔しそうに顔を歪めた。ここであっさり折れるってことは、我ながらそう思い始めていたところなのだろう。
「とにかく! あたしの邪魔だけはするなよ」
「はいはい」
という俺の返事を聞き終える前に、彼女は肩を怒らせてずんずんと店に入って行った。俺たちはそんなマリーネの姿を見届けてから、顔を見合わせる。
ナラベルが言う。
「パウロ様も言ってたことだし、もう少し仲良くしたら?」
「ほざけ」
俺も彼を置いて入店することにした。
中へ入ると、既に揉め事が起きていた。
「てめぇ、このアマ! 今なんつった!」
「聞こえなかったのか木偶が。ごちゃごちゃ言わずにさっさと情報を吐けと言ったんだよ」
「それが人にものを頼む態度か!」
「随分と小さいことに拘るんだな。でかいのは図体だけか?」
マリーネが早速、酔漢の一人に絡んだようで、二人は睨み合っている。男の方が、「いいぜ。俺が果たして本当に図体だけの奴か、見せてやる」と構えを取る。
マリーネもにやりと笑みを浮かべて、それに応じる。「来な」と首を挑発的に動かした。
勝負は一瞬だった。男が掴みかかろうと走り出し懐まで飛び込んだところで、マリーネがアッパーカットを決める。巨漢の男を軽々と吹っ飛ばし、カウンターに半ばまでめり込ませた。
「あたしはマリーネ! この世でただ一人のレギレス海賊団だ!」
猛々しくそう宣言すると、店内からパチパチとまばらな拍手が巻き起こった。だがマリーネはそれが喝采であるかのように、決め顔で片手を突き上げていた。まるで世界チャンピオンであるかのようだ。
「え、どういう状況?」
いつのまにやらナラベルも入店してきたようで、隣に並んでいた。そして早々に目にした光景にそう呟く。
俺はこう答えといた。
「日常茶飯事だ」
少なくとも、彼女にとっては。
*
「さて、吐いてもらおうか」
マリーネはすっかり気絶してしまった巨漢に水をぶっかけて、叩き起こす。そうして、目を覚ましたところをすかさず胸倉を掴んでは引き寄せて、そう尋ねた。
男は目を白黒させる。
「わ、わかった。俺は何を話せばいい」
「ダグール一味の残党の居場所だよ」
男は、ダグール一味の名前を聞いた瞬間、竦み上がった。「また、この国に来ているのか?」と怯えながら訪ねる。
マリーネは答えた。
「あ? それを聞いてんだよ」
「え、ちょっと待ってよ」
困惑する巨漢を他所に、ナラベルが割り込んだ。
「マリーネちゃんは、なんでここにダグール一味の残党が来ているって思ってるの?」
「は? 誰がマリーネちゃんだ」
「え? 名前合ってるよね?」
「違う! あたしはマリーネだ! ちゃんづけなんてするな!」
さすがのナラベルも、いきなり激昂する彼女にはたじたじだった。埒が明かないので、俺が助け船を出す。
「どこからの情報なんだよ」
すると、彼女はこう答えた。
「あたしの推理さ」
それはつまりあてずっぽうと言うことだ。
「この男が、ダグール一味とどういう関係なの?」
と尋ねるナラベルに、マリーネは「知るか」と答える。さらにこう言った。
「それらしい奴を順番に絞めていったら、そのうち行き当たるだろ」
随分と乱暴なやり方だった。
思わず絶句してしまうも、ナラベルは気持ちの切り替えが早かったようで、未だ状況を呑み込めないままだった巨漢に対して、こう尋ねた。
「この名刺、見たことないかい?」
それはおそらく俺たちが先ほど見つけた名刺だろう。男はそれをしげしげと眺めた後、間もなくして答えるかと思われたちょうどその時に、マリーネが割って入った。
「おい、あたしの情報源だぞ!」
「まぁまぁ、いいじゃない。ここは協力しようよ」
そうウインクをかますも、マリーネは全く動じなかった。例の名刺を奪い取ると、目にした名前を口にする。
「『月夜の園に...』だぁ?」
それから顔を顰めて、軽蔑したような眼差しを俺たちに送ってくる。
「男ってのは、どいつもこいつも……」
その後も口内でぶつぶつと呟いているようだったが、そんな彼女をさておいて、未だにカウンターにめり込んだまま起き上がれていない男からの答えがあった。
「知らないな、そんな名前」
「どうやらそのようだね」
ナラベルがあっさりと認める。するともう興味をなくしたかのように男の傍を離れて、俺に耳打ちをしてくる。
「例の彼女」
そう言う彼の視線を追うと店の隅の席に一人、場末の酒場では珍しい女性客がいた。果たして彼女が何だと言うのか。その続きを待った。
「何か知ってるみたいだ」
「根拠は?」
「さっきマリーネちゃんが名前を読み上げた時、こっちを見たんだ」
「なるほど」
誰もがこの騒ぎに注目しているだろうが、興味を持った視線と反応を示す視線とは明確に違う。おそらく当たりだろう。
「ナラベル。行けるか?」
「任せてよ」
自信満々に答えると彼は早速、彼女の元へと向かった。すれ違いざまに、マリーネから名刺を颯爽と奪い去り、そのまま歩き去って行く。
そんな彼に掴み掛かりそうになるマリーネをすんでのところで俺が抑えた。「何だよ」と抗議の声をあげて来るので、「ここは彼に任せよう」と返す。何はともあれ、今彼女に邪魔されるわけにはいかなかったからだ。
それから待つこと数十分。俺たちはカウンターに並んで座っていたわけだが、その間特に会話はなかった。俺は別に気にしない質だが、マリーネはそうではなく、また堪え性のまるでない彼女はそわそわと落ち着きがない。今にでもナラベルの元へと向かうんじゃないかと、気が気ではなかった。
おそらくそれも時間の問題だろうと、こっそり彼の方へと目をやると、なんだか二人は盛り上がっている様子で仲睦まじそうに笑いあっている。それから恋人だけがするような、こそこそとした会話を交わし、またもや笑い合う。
何でもいいから、なるべく早くしてほしかった。
さらに待つこと数時間。もはや我慢の限界だった。マリーネが。
彼女は椅子を倒す勢いで立ち上がり、そのままずんずんとナラベルたちの座る席へと歩き始める。むしろマリーネにしてはよくもった方だと感心した。かくいう俺もそろそろ我慢の限界で、彼女を引き止めるどころか加勢したい気分だった。
というか、気づけば俺も彼女の後に続いていていたので、半ばそうしていたと言っても過言ではない。
マリーネはナラベルの席まで来ると、言い訳をする隙すら与えず彼に胸倉を掴み上げる。頭突きをするのではないかと思われるくらい顔を近づけて、こう言った。
「てめぇ……いい加減にしろよ」
今まで聞いたことのないくらい怒気の孕んだ声音だった。対するナラベルもさすがに危機を察したようで、慌てた様子で言い募る。
「ちょ、ちょっと待ってよマリーネちゃん。そんな怒っちゃ可愛い顔が台無しだよ?」
彼にしては珍しく狼狽えていたのだろう。そんなことを言えば逆上すること請け合いなことくらい誰だってわかりそうなものだ。
「ただ女といちゃこらしてぇだけなら勝手にやってろ!」
案の定、激昂した彼女にてんてこ舞いのナラベルは、近づきつつある俺に気づくと「あ、下野くん」と口を開く。
「ちょうどよかった。マリーネちゃんをなんとかしてくれると助かるんだけど」
俺は肩を持つつもりでこう答えた。
「マリーネ、やれ」
「あたしに指図すんな!」
そう言いつつも怒りの矛先は依然としてナラベルに向いており、拳を振りあげ今まさに暴力に訴えんとしたその時、ナラベルは慌てて「ちょっと待った!」と口早に言う。
「ちゃ、ちゃんと情報手に入れたから!」
マリーネの拳は、彼の眼前にあった。後僅かのところで、誰もが羨むような彼の顔が醜く歪んでいたところだろう。
「本当だな?」
拳越しに彼女は確認すると、ナラベルは赤べこのように繰り返し頷く。ここで、それまで状況を呑み込めず唖然としているままだった例の女が立ちあがる。
「ナラベル様の言うことは本当です。私が保証します」
「ほら、彼女もそう言ってることだし。ね?」
二人に言われるとさすがに分が悪いのか、マリーネは一つ舌打ちを漏らすと彼を解放した。突き飛ばすように離す。ナラベルは尻餅をつくことなく、すんでのところで椅子に凭れ掛かることに成功した。
「わ、わかってくれて嬉しいよ」
「これで掴まされた、だなんて言いやがったら承知しねぇからな?」
「だ、大丈夫だから。とりあえず話を聞いて」
それから彼は一つ咳ばらいをし、居住まいを正してから話し始める。
「どうやら女性限定のクラブのようなものがあるらしくて」
と、ここで彼は例の名刺を見せて「これはそこに入るために必要な物らしい」と言った。要するに会員カードのようなものなのだろう。
それから彼は、例の女を手で指し示してこう言う。
「で、彼女はそこの会員なんだそうだよ」
女が頷いた。
「ええ。ちょうど一週間前に入ったばかりですが」
「何のためにそんなクラブがあるんだ?」
俺が尋ねると彼女は答えた。
「何でも、女性による女性のためだけのクラブだとか」
「活動目的は?」
そう問いかけると、彼女は「さぁ」と首を傾げた。
今度はマリーネが質問する。
「あんたは何のために、そんなところ入ったんだよ」
「その理念に共感して、ですかね」
それから彼女はさっと視線を落として、「男のなんてどいつもこいつもクズばかりですから」と呟いた。しかしそのすぐ後、「あ、ナラベル様は別ですよ」と猫撫で声を出す。忙しい変わりようだった。
ナラベルは「ありがとう」と爽やかに返し、それからさらに言った。
「その会長さんに合わせてくれるんだよね?」
「はい。会長もナラベル様ならきっと気に入ってくれます」
よろしくね、と彼女に言ってから、俺たちの方へと向き直る。
「そう言うわけだから、詳しいことは直接会長さんに尋ねた方がいいんじゃないかと思うんだけど、どう?」
そう問われて、俺とマリーネは顔を見合わせる。彼女の顔には、「本当に大丈夫なのかよ」という懸念が如実に表れていた。その意見には概ね同意だが、せっかくの機会を逃すのも惜しい。
結論を出しあぐねていると、ふと思いついたようにマリーネが口を開く。
「というか、そんなことしなくてもあたしはそのクラブに普通に入れるんじゃねぇか? 名刺はそこにあるわけだし」
今度俺は、ナラベルとアイコンタクトを交わした。そしてほぼ同時にひしゃげたカウンターへと目を向ける。
「いや、彼女に取り次いでもらおう」
「そうだね」
さきほど打って変わってすぐに結論を出すと、マリーネが「おい! 何でだよ!」と抗議してきた。だが、俺たちはこれを無視する。
彼女ではどうせまた、揉め事に発展するのがオチだからだ。




