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泥棒は異世界でも盗む。下着を  作者: 吉永 久
第四部
69/209

11-2

 それから俺たちの関係は少しだけ変わった。お互いに何も知らないままでいられた心地よい距離は既に崩壊し、勝彦は俺でさえも恐れるように見つめてきて、俺は俺で彼に気遣いつつ、心のどこかでは少し警戒していた。


 それでも歩み寄る心は捨てておらず、何度か打ち明け話をしてみようと思ったこともある。


 だけれど彼の経験してきたことに比べれば、俺の悩みなどちっぽけなもので、しかし個人的にはとても重要なことでもあるので、笑われることや憐れまれること、何かしらの感情を彼から向けられるのが耐えきれなかった。とてもではないが、素直に受け取る気にはなれないからだ。


 そんなある日のことだった。その日は雨で、各々本を読んで時間を潰していたのだが、不意に勝彦は立ち上がってこう言った。


「外に行こう」


 まず初めに思ったのは、「わざわざこんな雨の日に?」という半ば苦情に近い疑問だった。しかし彼が真っ直ぐと見つめてくるので、すぐに考えを改める。


 彼のことはやはりまだわからない。果たしてどういう心境で、あれほど怖がっていた外に出ようという気になれたのかはわからないが、ともあれ彼がそうしたいというのはいい傾向のように思われ、俺は承諾することにした。


 傘を持って出ると、雨は本格的に強くなってきていた。外に出れば瞬く間に足元はびしょぬれになり、もうそれだけで家に戻りたい気分だったが、勝彦は気にする様子もなく進むので大人しく付き従った。


「どこに行くつもりだ?」


 問いかけるも、その声は雨によって掻き消されたのか、彼は一向に答える素振りもなかった。


 間もなくすると二等地を抜けて、三等地に向かっているのがわかった。その辺りで何となく彼の行こうとしている先がどこであるか、わかったような気がした。案の定、彼は三等地の外れの、俺たちの出会った木陰に向かっていたのだった。


「そういや、出会ったのもこんな雨の日だったな」


 俺がそう言うと、彼は僅かに頷いた。


「ここに何かあるのか?」


 勝彦が言い出す気配がなかったので、堪りかねてこちらから尋ねることにした。


 今度は首を振る。その後はちょうど自分が座り込んでいた辺りを、じっと見つめていた。俺もそれに習い、しばらくじっと見つめることにする。やがて、彼はおもむろに口を開いた。


「俺はそろそろ行かなくてはならない」


「行かなくてはって、どこに?」


「仕事だ」


 その四文字は重たく響いた。降りしきる雨の音すら一瞬で掻き消すくらい、その言葉がはっきりと聞こえて来る。


 辺りの湿度は高いはずなのに、俺の喉は異常なまで渇いていて、次の言葉を出すのにしばらくかかった。


「仕事って」


 だが結局出てきたのは、わざわざ聞かなくてもわかるような間抜けな質問だった。勝彦は殺し屋だ。その彼が仕事と言うのだから、やることは一つに違いない。


「何で……」


 彼が何も言ってこないことをいいことに、俺はさらに質問を重ねた。しかし、これも見ようによっては実に間抜けだったろう。


「どうしようもできない。俺の手ではもう」


 勝彦は、淡々とそう告げた。相変わらずその視線は、自分が傷だらけだった時の場所に固定されている。まるで俺との時間は全てなかったことにして、もう一度ここから人生を再開しようとするかのように。


「やりたくないなら、やらなきゃいい。それでじゃないか」


 我ながら子供みたいな理屈だと思う。だけど、それが今の俺に言えるせいぜいだ。


 勝彦は言う。


「そういうわけにはいかない。今頃きっと仲間が俺を探してる」


 聞かなきゃいいのに、自然と「何のために?」と口を衝いていた。ちょっと考えれば、その答えはわかりそうなものだ。


 案の定、彼は「殺すためだ」と告げた。さらに「俺たちの間では裏切りは許されない。怪我を言い訳にできるのも、そろそろ限界の頃合いなんだ」と続ける。


 そして、こちらへと視線を向けてこう言って来る。


「無論、あんたにも危害が及ぶだろう」


 その視線は刃物のように鋭く俺に突き刺さり、言葉に詰まらせる。


 彼は俺を守るために出て行こうとしているのだ。だがそれで、はいそうですかとあっさり見捨てるわけにはいかない。何としてでも彼を守る必要がある。だけど万が一大勢の殺し屋がつけ狙ってきたら、俺には成す術はない


「そんなの……」


 やっとの思いでそう言ったが、何の意味もなさなかった。


 結局、黙り込んでしまった俺をどう思ったのか。勝彦はさらにこう告げてくる。


「それに俺は、殺し以外の生き方がもうわからないんだ」


 一瞬、笑ったような気がした。初めて見た笑顔だったが、まるで全てを諦めているかのようで、こちらまで悲しくなってしまう。


 それから彼は、もう俺のことなど忘れてしまったかのように歩き出した。傘を捨て、雨に打たれながら歩み去って行く


 追いかけなくちゃいけないのはわかっているのに、俺の足はその場に釘づけにされたかのように動こうとしてくれない。ただ雨のけぶる景色の中に消えていく彼の背中を、見送ることしかできなかった。


 とことん自分の無力さを痛感した。彼には今、時間が必要だ。それもただの時間じゃない。勝彦の心は今、とてもまともな状態にはない。それを癒せるだけの環境と時間を与えなくてはならない。


 だが俺一人では、彼を守り切ることは到底不可能だろう。


 残された選択肢は一つだった。


          *


 俺は、恥を忍んで城へと帰った。そして、心配してつきまとう使用人たちを振り切って、父親の執務室へと駆けこんだ。


 親父はまるで誰が来たのか知っていたかのように動じる気配もなく、机に向かったままこう言った。


「もう癇癪は収まったのか? バカ息子」


 その威圧的な言い方に、つい二の句が継げなくなる。その隙に父は続けた。


「もう二度とあんたの手は借りない、だったか? あんな大見得を切ったのに、戻ってくるのは早かったな」


 そう言って、ようやく父は俺を振り返った。その目は嗜虐的で、今にも食って掛かりそうな雰囲気がある。


 だが怯んでいる場合ではない。何としてでも勝彦の保護を申し出なくてはならない。俺は汗にまみれた手をズボンで拭い、それから唾を飲みこんで動機を無理矢理抑え込むようにして、口を開いた。


「頼みがある」


 自分でも、声が震えているのがわかった。父もそれを如実に感じ取ったようで、「ほう?」と面白いものでも見つけたかのように笑う。


「どういう風の吹き回しだ?」


「止むに、止まれぬ事情があるんだ」


「随分と大袈裟だな。お前のような放蕩息子に、そんな事情ができるとは思えないが」


「俺は、俺なりに一生懸命に生きている」


「笑わせるなよ。誰だって生きることに一生懸命な世の中だ。それとも、そんなことしか誇れないのか?」


 止そう。今日は言い合いをしに来たわけではない。


 俺は、親父の言葉を無視して頭を下げた。


「頼む」


 そう告げた。果たして父はどんな顔を浮かべているか。それを見るのが怖くて、俺はそのまま頭を下げ続けた。


 間もなくして、父はこう言う。


「断る」


 顔を上げると、彼は無表情を浮かべていた。そして、腕を伸ばし始めた。拳を作っているのかと思われたその手は、宙に制止すると人差し指だけを伸ばした。その切っ先は、床を向いている。


 土下座をしろ、ということだ。


 俺は彼の意向に従うことにした。今は己のプライドを重んじている場合ではない。勝彦の生命に関わることなのだ。


 膝を折り、両手を床に着く。ゆっくりと頭を下げた。目の前に赤色のカーペットが広がっており、視界の端で明かりに照らされてキラキラと輝く毛並みの一つひとつでさえ見える。自分が落としている影との明暗もまた、はっきり窺えた。


 父が近づいてくるのがわかった。見下してくる視線さえも、如実に感じられる。冷たい声で親父は言った。


「無様だな」


「頼む」


「これが次期王だと思うと、この国の未来が案じられるな」


「頼むよ」


「やはりお前は王の器ではないよ。世襲制なんてくそくらえだ」


「お願い、します」


 そう言い変えると、それまで無視を続けていた父はようやく答えた。


「断る」


 俺は、それまで床についていた両手を思わず握り込んだ。しかし、そこまでで抑える。


 確かに父は何も言っていない。土下座をしろとも、土下座をすれば願いを叶えてくれるとも。全てはただ、俺が勝手したことに過ぎない。


 それでも諦めず、俺は話すことにした。勝彦との出会い、そして彼の境遇。彼をどうすればいいのかなどを言い募って、これを説得に変えた。


 その間、父は黙って聞いていた。そして聞き終わった彼はどう思ったのか、俺の傍を離れ、再び自分の机に向かう。既に興味をなくしてしまったかのように、執務に集中しているようで、もう話を掛けてもうんともすんとも言わなかった。


          *


「結局、父が私の願いを聞き入れたかどうか、その時はわかりませんでした」


 パウロはそう告げる。


「ですが、当時の私にはそれ以上のことは何もできませんでした」


 それまで俯き加減に話していた彼だったが、ふと顔を上げて「お恥ずかしい話ですが」と照れ臭そうに微笑んだ。さらに続ける。


「次に勝彦さんにあったのは、私が王位を継承してからです。記録を調べてみると、どうやら彼が投獄されていることがわかったのです。そして会いに行きました」


 しかし、と彼は言う。


「言葉は交わせませんでした。まるでもう目の前のことは何も認識できないかのようで、どんなに呼びかけても反応はありませんでした。元々、精神的に異常をきたしていた彼です。きっと限界を迎えてしまったのでしょう」


「もう手の施しようはなかったのか」


「ええ。一応、手を尽くそうとしました。そのために一度牢屋を開けたことがあったのですが、目にも止まらない速さで脱走されかけました。幸いにして、兵を多めに集めていたので何とか捉えることもできましたが、その多くは犠牲となりました」


「そうか」


「そんな出来事があってからはもう無闇に牢を開けるわけにはいかなくなりまして、柵越しとなれば出来ることは限られてしまいます。結果としては、遺憾ながら匙を投げることとなってしまいました」


「原因すらもわからないのか」


 そう尋ねると、彼は首を振る。彼の答えはそれだけでは終わらなかった。「おそらくですが」と続けてくる。


「多分、父が使ったのだと思います」


「使った?」


「殺しの道具として。父は、国を統治するためならそういうことを厭わない人でした」


 そう告げる彼の声は、どこかに冷淡さを秘めていた。次に自嘲的に笑みを零す。


「私が、不用意に彼のことを話してしまったからかもしれません。結果的に、父は勝彦さんを見つけたわけですが、私の願い通り保護してくれたわけではなかったようです」


「だから、今度こそ俺に助けてほしい、と」


 そう問いかけるも彼は思いの外、首を振った。


「いえ。そこまでは望みません。できることならばそうしたいところですが、きっとできないでしょう。ですが私たちの国で捕まえていた手前、その脱走兵が他国に迷惑をかけることも看過できません」


「つまり?」


「最悪、殺しても構いません」


「……俺はただの泥棒だ。下着専門のな」


「仰りたいことはわかります。頼む相手を間違えている、そう言いたいのでしょう?」


「ああ」


「ですが、決して可能性がないわけではありません。マリーネさんと共同戦線を張りさえすれば」


 唐突にマリーネの名が出てきたものだから、俺は思わず瞬きを数度繰り返した。


「……ちょっと待て」


「何でしょう?」


「あんた、もしかしてあの街にマリーネがいることを知っていたのか?」


 そう問いかけると、彼は至って平然と「ええ」と答える。俺はついこめかみを抑えた。


「じゃあ何か? 俺が初めからマリーネと出会って、行動を共にすることを想定していたというわけか?」


「はい。彼女ならそう提案するかなと」


「彼女がダグール一味の残党を追いかけることも知っていたのか?」


「ええ」


「じゃあ彼女が、俺とダグール一味の関係を知って、この国に戻ってくることもか?」


「おそらくそうなるだろう、と」


「……さすがに希望的観測が過ぎるんじゃないか?」


「そうかもしれませんね。ですが、事実そうなったでしょう?」


 こ、こいつ。


「一応、彼女にも働きかけていたんですよ? でもあまり言うことを聞きませんね、彼女」


 その余計な一言がさらに癇に障った。それではつまり、俺ならば容易に言うことを聞かせられるということになる。


 言いたいことが山ほどある。しかし浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返して、何も言葉にならない。


 そんな俺をどう見たのか、彼はいつもの人好きしそうな笑みを浮かべてこう言った。


「それではよろしくお願いしますね」

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