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泥棒は異世界でも盗む。下着を  作者: 吉永 久
第一部
6/209

2-1

 うららかな午後。柔らかな陽光を全身に浴び、賑やかしい人々の声を聞きながら私は歩いていました。


 クレプトマニアに関する資料を読み、下野さんをどのように治療したものかと頭を悩ませた後のことです。そろそろ下野さんの様子を見に行こうと、宿屋に向かっている最中、黄色い歓声を上げる子供たちの声が響いてきました。


 何事だろうと目を向けてみると、路地裏の暗がりでこそこそと隠れるようにして子供たちが寄り集まっています。私はついつい気になり様子を窺うことにしました。


 そっと近づいていくと、徐々に子供たちの声が鮮明になっていきます。


「すげぇよ、アルク。何だこの気持ち?」


 一人の男の子が言いました。


「これが恋なんだって」


 と、アルクと呼ばれた少年が答えます。


 すると、今度は先ほどとはまた別の男の子が言います。


「俺にも貸してよ」


 そう言っていた彼の手に渡ったものは、青色の布状のものでした。レースなどが施されており、随分と可愛らしいものです。ハンカチにしても、とても男の子の持つような物には見えませんでした。


「ねぇ、僕たち」


 私は気になってしまい、思わず声を掛けてしまいました。男の子たちは、私の姿を見るや否やどこか脅えたような顔を浮かべます。


 目線の高さを合わせ、なるべく刺激しないよう優しい声音で尋ねました。


「僕たち、いったい何をしていたんですか?」


「な、何って……」


 それでも尚、男の子たちは警戒の色を見せました。お互いがお互い助けを求めるよう、目を配り合っています。


 子供たちの間だけで流行っているものなのでしょうか。しかし、こう見えても私も童心は忘れていないつもりです。もし彼らと何かしら共有できる楽しみがあるのなら、一緒に楽しみたいものです。


「何をしてたのかとても気になります。私も是非混ぜてください」


 ダメ押しに続けてみますが、それでも子供たちはあまりいい反応を示しません。こうも隠されると、是が非でも聞き出したくなってしまいます。


「もしかして、いけないことでもしていたのかなぁ?」


 などと多少、意地悪めいたことを言ってみると、期待通り「そんなことないよ」と返事が返ってきました。


アルクと呼ばれた少年がおずおずと続けます。


「その、お姉さんは秘密にしてくれる?」


「しますします。私たちだけの秘密です」


 秘密。なんと甘美な響きでしょう。隠し事をするのは本来いけないことなのでしょうが、どうしても抗いがたい魅力があるものです。


 それに、大人たちの目を逃れて徒党を組む子供たちは、思わず応援したくなるのが人情というものでしょう。友達同士だけで知恵を絞り合って行われる努力は、彼らの一生涯で何よりも大切な思い出となること間違いなしです。


 それに引き換え、下野さんには困ったものです。彼は子供の純真さとはおよそ対極に位置するような人で、関係を続けていくにはかなり骨がいります。せめて、もう少し素直になってくれればいいのですが。


 そんなことを思っている間に、子供たちはそっと手を差し出してきます。その中に先ほどまで彼らの間で回され、楽しまれていたものがあるのでしょう。


 私は彼らによくよくお礼を言って、アルク君の手を開いてあげます。何が出るのかと期待を満ちた気持ちで、掌に収められていたものを手に取りました。


 それは下着でした。しかも女性ものの。


「ねぇ、これ」


 無意識的に声色が冷たくなります。その態度に、子供たちは皆揃って目線を逸らしました。


 私はなるべく彼らを怖がらせないよう、できる限り笑顔を取り繕って彼らに尋ねました。どれほど笑えていたかはわかりません。


「これ、どこで手に入れたんですか?」


 アルク君はしばらくもじもじと体をくねらせていましたが、やがて答えてくれました。


「貰ったの……」


「誰に?」


「……泥棒さん」


 もうそれ以上の言葉はいりませんでした。


          *


 窓の外から聞こえ来る賑やかな喧噪が、俺の今いる部屋の中の静寂をより一層引き立てた。柔らかな日差しが窓から差し込み、足元に温もりを与えている。


 今日も今日とて昼頃に起きた俺は、あまり昼食を摂る気分にはならず、ベッドに寝そべりながら本を読み耽っていた。少しでもこの世界の文化を取り込もうと思ってのことだったが、父親のパンツを履き性転換してしまったヒロインが、徴兵された先で敵国の将校に恋をするとかいう訳の分からない内容の小説だったため、些か辟易していた。


 どうなっているんだ、この世界の娯楽。


 ともあれ、他にすることもなかったのでダラダラと文字を追っていると、部屋の外から静かに、だが力強く階段を上がる音が聞こえてきた。やがて近づいてきて、俺の部屋の扉が勢いよく開かれる。


 そこには、まるで怒りを隠しきれていない笑みを浮かべたイフが立っていた。


「おはようございます。下野さん」


 彼女の痙攣を起こしたかのような口がそう言う。


「もう昼だが、おはよう」


 時刻を重んじる彼女にしては妙な間違いだったので、すかさずいつもの調子で切り込んでやったが、イフはまるで取り合ってはくれなかった。ズカズカと歩み寄って来たかと思うと、何かを突きつけてきた。


「これが何かわかりますか? 下野さん」


 体を起こしながら、彼女の手にぶら下げているものを見る。


「パンツだな。どこからどう見ても」


「見覚えは?」


 そう問われて、少し思案した。そして思い出した。


「おい、それは少年にあげたものだぞ。なぜあんたが持っている」


「取り上げたんです」


「取り上げた? あんな無垢な少年から?」


「その無垢な少年に変なものを与えないでください」


「変なものとは何だ、変なものとは。あんただって身に着けているだろ?」


 そういうと、彼女は急に自身の恰好が恥ずかしくなったのか、身に着けているドレスのスリットを気にした。顔を赤らめながら、上目遣いにこちらを睨んでくる。


 それから続けた。


「とにかく! この下着は返してきてください!」


「断る」


「断らないでください。この前のどこからともなく大量に奪ってきたのも、まだ返してませんよね?」


「そうできるものならば、そうしたいがな」


「じゃあ、なぜしないんですか」


「事情というのがあるんだ。いろいろとな」


「またそうやって煙に巻こうとする。いいから下着は返してきてください。取られた人も困っているはずです」


「大丈夫だ。おそらくそれどころじゃない」


「そんなわけないじゃないですか。言っておきますが、いくら病気だからと言ってももう許しませんからね」


 俺は彼女の手からパンツを颯爽と奪い取ると、ベッドから舞い降りた。


「案ずるな。いつまでも病気を言い訳にするほど俺は弱くはない」


 堂々とそう言い切ると、イフは「下野さんはいつもいつも……」と頭を抱え始める。俺はその隙に窓際へとより、開け放した。その音に気づき、彼女は顔を上げる。


「下野さん!」


 叫ぶ彼女を尻目に、俺は「じゃあな」と告げて飛び降りる。二階から飛び降りたところで大したことはないとは言えど、さすがに着地の衝撃は痛い。しばらく足の回復を待ち、それから何事もないふうを装って歩き出す。それでも周囲からは注目を浴びた。


 頭上からイフの声が聞こえてくる。


「飛び降りるなんて危ないですよ! 怪我したらどうするんですか!」


 気にするのはそこなのか。


          *


 何とかしてイフを巻いた俺は、行く当てどもなく街を彷徨って、結局いつもの噴水の広場にやってきた。


 広場の一画のベンチに腰掛けて、読書の続きにでも更け込もうかと思ったが、そもそも本を置いてきてしまっていることに気が付く。あるのはこの前盗み出して、そして少年へと受け継がれたはずの空色のパンツだけだ。


 イフは、この前盗み出した数々の下着の所在について全く知らないままでいる。俺が最大限はぐらかしにはぐらかして、結局呆れさせるという手法を持って事なきを得た。それでも俺を見限る気配を見せないのが彼女の凄いところなのだが、それはそれとして、何も先ほど言ったこと全てが口から出任せというわけではない。


 俺がこの前忍び込んだグアム家は、どうやらこの数日のうちに謎の失踪を遂げていた。めっきり姿を見なくなったという町民の噂を聞きつけ、気になって再び一等地に赴いたところ、何とあの家はもぬけの殻となっていたのだ。


 たった数日のうちに何が起こったのか。俺の家宅侵入が起因しているような気がしないでもないが、たかが下着を盗んだくらいで姿を消すだろうか。それも四日のうちに、である。


 そこでふと俺は、今日が異世界に来て七日目であることに気が付いた。それはつまり、宿泊期間が延長されるかどうかの境目であるということでもある。


 ただまぁ、この調子ではまず間違いなく無理だろう。今後の方針を打ち立てなくてはいけないところだ。


 と、その時、いつぞやと同じように肩を落として歩く少年の姿を認める。また面倒事に巻き込まれたのかと気になり、俺は声を掛けることにした。


「よっ。少年」


「あ、お兄ちゃん」


 彼は反応したはいいものの、俺を見た途端に一層浮かない顔をした。何かを気に病んでいるようでもある。


「また何かあったのか?」


 いやに曖昧な物言いになってしまったが、それでも少年は応じてくれた。


「それが……」


 しかし、どこか言いづらそうでもあったので、俺は隅のベンチへと連れて行くことにする。今ではすっかり密談の場となっている。


 少年は腰を落ち着かせると、そっと口を開いた。


「その、お兄ちゃんに謝らなきゃいけないことがあるんだ」


「俺にか?」


「うん。そのね、この前お兄ちゃんがくれたものがあるじゃん」


「これのことか?」


 俺はすかさず懐から下着を引っ張り出す。少年の前でひらつかせると、彼は目を一気に輝かせた。


「どうして! また取り返してきてくれたの?」


「そうだ……と言いたいが今回ばかりは違う。預かったんだ」


「あの、金髪のお姉ちゃんから?」


「ああ、そうだ。返しておいてくれってな」


「そうなんだ」


 そう言って少年は嬉しそうにパンツを手に取った。


 イフは「返してこい」とは言ったが、肝心の主語が抜けていた。よって、彼に返しても何も間違いはない。


「もう取られないようにするね」


「ああ。もう外に持ち出すのは止しておけ。家の中でこっそりと楽しむんだ」


「友達と一緒でもいい?」


「それは歓迎だな。一緒に楽しめ。だが父親には内緒だ」


 そう言うと、彼は「えへへ」と無邪気な笑みを浮かべた。俺にもこのような少年時代があったなと、少し懐かしい気分になる。


「どうだ? そいつを着けては見たか?」


 俺が尋ねると、少年はきょとんとした顔を浮かべた。


「着ける?」


「ああ、そうだ。下着だからな」


「履くの?」


「それも一興だが、もっといい方法もある」


「どうするの?」


「被るんだ」


「被る? 頭に」


「そうだ。頭に被ってみるんだ。すると今までとは違う世界が見えてくる」


 そう言うと少年は、早速下着を被ろうとするので、俺はそれを急いで止めた。


「止せ止せ。こんなところでするんじゃない。言っただろ? 家の中で楽しむんだ」


 少年は後の楽しみができたからか、期待に胸を膨らませ、目を輝かせる。そして、元気よく頷いた。


「うん!」


「さ、もうお帰り」


 そう言って彼の背中を優しく促すと、少年はベンチを飛び降り、一気に数歩駆け出した。そこで、ふと挨拶していないことに気づいたようで、振り返り「じゃあね」と手を振ってくる。


 俺は彼に手を振り返して見送った。何とも礼儀正しく、活発で、何より見込みのある少年だ。今後に期待できる。


 そろそろ俺も帰ろうかと立ち上がりかけたところで、目の前に数人の男たちがやって来る。皆一様に頑強そうな鎧を身に纏い、厳めしい顔をしていた。


「何か用か?」


 問いかけると、一人の男が代表するかのように歩み出た。


「あなたが下野さんですね」


「そうだが、あんたは?」


「国王の使いのものです。あなたを窃盗の容疑で連行します」


 彼のその断定的な口調に対し、俺はこう答えるしかなかった。


「……何かの冗談だろ?」


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