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泥棒は異世界でも盗む。下着を  作者: 吉永 久
第一部
5/209

1-5

 部屋にないとしたら、残る可能性は洗濯機だろう。だが、この世界がそこまで化学が発展しているとは思えないので、それらしき場所を探さなくてはならない。


 主に洗濯の行われる場所。まだ手洗いが主流であるならば、おそらく外だろう。しかし、暗くなってから洗うことは考えにくいので、どこかに洗濯物を集積している場所があるはずだ。


 利便性を考えるなら、外に一番近い部屋か。そのようにあたりをつけて、俺は行動を開始した。


 もう一日も終わりかけだからか、使用人の数も少なくなっている。廊下を歩いていてもあまり人の気配を感じず、音すら聞こえてこない。それでも気を抜かず慎重に進んでいくと、やがてエントランスへと出た。


 真正面には先ほど通ってきたのと同じような廊下が続いており、左手には正面玄関、右手には二階へと続く階段がある。その階段の裏にも扉が見えた。


 順当に考えるならば、階段の裏の扉だろうか。あまり見えない階段の奥で、使用人たちが働くというのが最も想像しやすいところだろう。しかし、その理屈でいくと一階に家主の妻の部屋があるのはどうもおかしい。普通なら家主共々、二階に私室を置かないだろうか。


 だが全ては想像の上でのこと。別に富豪の家に入り慣れているわけではないので、実際のことはわからない。


 わからないことは、いくら考えてもわかりようもない。あまり悩んでばかりいてもしょうがないので、当初考えた通り階段の裏側の扉に入ることにする。


 早速、壁に沿って扉に向かっていくと、不意に扉のノブが回ったので、急いで引き返して階段を数段上がったところで様子を見た。使用人が一人出てくる。


 しずしずと歩きどこに向かうのかと思いきや、階段に向かっている様子だったので、俺は一気に駆け上がる。昇り切ったところを右に曲がり、一度冷静になって様子を窺った。どうやら気づかれてはいないらしい。


 しかし二階は、落下防止のための木製の格子があるだけで、しかも背が低いものだから身を隠すには心許ない。俺は万全を期するため、手近にあった部屋に侵入することにした。


 当然、扉には鍵が掛かっている。ので、ピッキングツールを取り出し、開錠に取り掛かった。


 いくら楽と言っても、開錠するにはそれなりに時間が掛かる。その間にも使用人は着々と階段を上っていき、次第に近づきつつあった。


「あの」


 と声が聞こえ、もう手遅れかと思いながらも身を低くして、後ろを振り返った。しかし、声を掛けられたのは階段を上り、今まさに迫り込んとする使用人の方で、階段の下の何者かと言葉を交わしていた。その隙にピッキングを終わらし、部屋へと滑り込む。


 誰の部屋か。とりあえず男の部屋であることはわかった。特に理由はないが、雰囲気で察することはできる。


 どのくらいこの部屋に留まっておくべきだろうか。最悪窓から出ることも視野に入れなくてはと思い、窓を覗き込むと、敷地外の向こう側が煌々と照っていた。人の騒ぎ声も聞こえる。


 どうやら俺が起こした焚火が、ちょっとした小火騒ぎになっているらしい。そちらに人員を取られて、屋敷内の人の数が少なかっただけみたいだ。そんな騒ぎになるなんて考えてなかったので、運がよかったと言えばよかったが、少し複雑な気分だ。


 何にせよ、もう少し時間的な余裕は生まれたのかもしれない。そろそろ捜索に戻ろうか。


 と、その時だった。突如、扉の向こうから人の声が聞こえて来る。鍵の差し込まれる音がし、ドアノブが回された。


「おかしいな。鍵が掛かってるよ」


 その声は、ファル男爵の声だった。


「どうせ、使用人の誰かが閉め忘れたんでしょ。肝心なところが駄目なんだから」


 彼に続いて声を挙げたのは、ユフィリアであろう。


「まぁ、そう言うなよ。このくらいなんてことないさ」


「ファルやっさし~」


 間もなくして再び鍵は回され、扉が開いた。明かりを灯すことなく二人はまっすぐベッドへとやって来る。


 真上から、二人の声が聞こえる。


「ねぇ、ファル。何か小火騒ぎ合ったみたいだね」


「そうだね。誰の仕業だろうか」


「案外、庶民の奴らかもね」


 ファルは鼻で笑い飛ばす。


「そんなわけないだろ。奴らには何もできない」


「だよね。っていうか、ちょっと火を炊いたくらいで痛くも痒くもないしね」


「そうだね」


「あ、そう言えばさ。この前、ガキンチョから奪った汚いペンダント、いつまで持っておく気?」


「嫌かい?」


「嫌よ。あんな汚いもの、家にあるって考えるだけでぞっとするわ。早く処分してよ」


「そうかい? あれを見る度に、子供の泣き顔を思い出して楽しかったんだけどね」


「ファルったら悪趣味」


「でも君がそう言うならもう処分しようかな。もう飽きたし」


「そうして」


「明日にでも捨てるよ」


「あ、そう言えば捨てると言ったらさ、奥さんとはいつ別れてくれるの?」


「言っただろ? 今調停中だって。そんなにすぐには終わらないよ」


「楽しみ~。早く一緒になろうね、ファル」


「ああ。後もう少しだ」


 その後は、衣擦れの音や微かな水音。荒い吐息と肌の打ちつけ合う音ばかりになったので、割愛。


          *


 二人が十分に楽しみ、寝息が聞こえ始めたところで、俺はベッドの下から転がり出た。


 月明りが、カーテンを通して柔らかく部屋に差し込んでいる。肩を露出し、寄り添うようにして眠るファル男爵たちを照らしていた。


 先ほどの会話から察するに、ユフィリアは正妻などではなく、愛人ないしは側近といったところだろうか。現在、同居中らしい。


「やるね、男爵」


 俺はつい、寝息を立てる彼にそう言った。もちろん、熟睡しているので聞こえる心配はない。


 さっさと部屋を出ようかと扉に向かいかけたところで、ふと脱ぎ散らかされた衣類の山が気になった。男性ものの服と女性ものの服が一塊になっている。もしやと思い、その山を漁った。


 どうやら予想は的中したらしい。衣類の山から発見されたのは、俺の追い求めていた清々しい空色のパンティだった。一昨日も履いていたので、二日ものの下着ということになる。綺麗に折りたたんで、そっとポケットにしまった。


 もう用はないと思い立ち上がると、後ろから唸り声のようなものが聞こえた。目的のぶつを手に入れたことで少し気が緩んでいたのだろう。俺は思わず飛び退ってしまう。しかしなんてことはなく、ただファル男爵が寝返りを打っただけだった。


 だが問題はこれだけに留まらなかった。俺がつい飛び退いたその先には、箪笥が置いてあり、そこにしたたかに背中を打ってしまう。その衝撃で、箪笥の上に置かれていた空の花瓶がバランスを崩し、やがて落ち始めた。


 俺はその花瓶を、床に落ちるすんでのところでキャッチした。一度ファル男爵たちの方に目を向け、依然として眠りこけていることを確認してから、花瓶を元に位置に戻す。


 箪笥に置かれているものは何も花瓶だけではなかった。色々と雑多に物が置いてあり、その中に貴族の家には似つかわしくない、みすぼらしいペンダントがある。


 手に取りよくよく眺めてみるも、作りは安っぽく、どう見てもファル男爵のものには見えない。売ったところで二束三文にしかならなそうな、そんな代物だった。


          *


「アルク」


 玄関先で、お父さんが僕に声を掛けてきた。


「何?」


 問いかけると、お父さんは何でもないというふうに首を振る。


「いや、今日はお父さん休みだからさ、どこか遊びに行かないか? こんないい天気なんだから」


 そういうお父さんの目にはクマが出来ている。連日の無理がたたっているのは、一目瞭然だ。


「ごめん、お父さん。今日は約束があるんだ」


 そう言うとお父さんは、少し残念そうに眉を伏せた。


「そうか」


「ごめんね」


 僕はそう言い残して家を出る。戸を開けると、眩しいくらいの陽光が僕の目を突いた。


 もちろん、僕に約束なんかない。とても誰かと遊ぶ気持ちにはなれないからだ。


 お父さんのために嘘を吐いた、と言えば聞こえはいいかもしれない。せっかくの休みなんだからお父さんにはしっかり休んでほしいという気持ちも、決して嘘じゃない。それを正直に言ってしまえば、お父さんは余計無理するに決まっているから、こうするしかないというのも確かだ。


 だけど本当は、今の僕ではお父さんといても心から楽しめないというのが一番の原因かもしれない。


 お母さんの形見であるペンダントを取られたことは、未だにお父さんには言えていない。ペンダントは僕にとっても大事なものであるけれど、同時にお父さんにとっても大事なものだった。


 お母さんがすっかり寝たきりの生活になってしまった頃、何を思ったのか僕にペンダントをくれた。「もう少しでよくなるからね。そうしたら一緒にどこか出かけようね」という言葉と共に。


 だけど僕はその言葉が信じられなくて、でもどうしても信じたくて、無理をして喜んで見せた。はしゃぎまわっていると転んでしまって、するとお母さんが笑い、お父さんも笑ってくれた。


 それがお母さんとの最後の思い出だった。その翌日にはお母さんは意識を失い、間もなく亡くなった。


 真相を打ち明けることは、その思い出を壊すことのように思われ、お父さんには未だに秘密にしている。その後ろめたさが、お父さんとの関係を余計に歪なものとしていることはわかっている。だけど、どうしても勇気が出せないままでいた。


 いっそのこと、何かの拍子にペンダントが返ってこないかな。そんなありもしない希望まで抱く始末だった。


 トボトボと行く当てもなく街を彷徨っていると、いつの間にか広場まで来ていたようだ。街の人の憩いの場となっているここは、恋人や家族連れ、もしくは友達同士が仲睦まじそうに寄り添っている。


 そんな空間にいることが居た堪れなくなって、若干早足でそこを駆け抜けようとすると、ふと目の前に影が落ちた。


「よっ。少年」


 顔を上げると、一昨日会ったお兄ちゃんが立っていた。唯一僕が、ペンダントを取られてしまったことを打ち明けた相手でもある。お兄ちゃんの何事にも無関心そうなその態度が、むしろ気安く話せた要因だと思う。


「お兄ちゃん……」


「時間あるか? ちょっと話せないか?」


 いったいどうしたというのだろう。考えてみたけれどわからず、だけど断る理由もなかったので頷いた。


 するとお兄ちゃんは、半ば強引に僕を広場の隅のベンチへと連れてきた。僕を腰掛けさせると、間もなくお兄ちゃんが隣に座る。


「どうしたの?」


 早速、本題を尋ねてみたけれど、お兄ちゃんは全く関係のない話を振ってきた。


「この広場いつもこんな感じなのか?」


「えっと……」


「和やかだよな。ここにいると、心が落ち着くよ」


 そう言うお兄ちゃんの横顔は、この前会ったときは全く違う印象を受けた。不愛想な人に見えていたものが、今は心温かい人のように見える。


 その変わりようが僕に口を開かせた。


「お兄ちゃんは、この辺の人じゃないの?」


「ああ、そうだ。遠くから来たんだ。ずっと遠くからな」


 そう意味深げに口にするお兄ちゃんは、本当に遠いところから来た人のように思われた。それこそ、僕の及びもつかないほどの別世界から来たかのようだ。


 ぼんやりとその横顔を眺めていると、お兄ちゃんはこちら見て言ってきた。


「最近、調子どうだ?」


 そう尋ねられて答えに窮した。いいとは言い難く、かと言ってあれ以来悪くもなっていない。


「まぁ、変わりなく」


「お父さんとは?」


「相変わらず」


「そうか」


 そう言うとお兄ちゃんは「そうだ」と言って、自分のポケットを探り始めた。


「渡そうと思っていたものがあるんだ」


「え? 僕に?」


「そうだ」


 お兄ちゃんはしばらくすると、僕の手に何かを握らせてきた。青い、ふわふわとした何かだ。


「何? これ?」


「パンツだ」


「……え?」


「女性もののな」


「いや、何でそんなものを僕に? ばっちいよ」


「まぁ、そう言うなって」


 そう言ってお兄ちゃんは、パンツを手放し掛けた僕の手を上から抑えつける。


「そいつを胸に抱いてみろ」


「何で?」


「いいから」


 僕は言葉の通りパンツを両手で覆い、胸の前に持ってくる。すると、トクンと胸が高鳴った。何だか、体全体が温かくなる気がする。


「何、これ? すごい胸がドキドキする」


 僕が全く身に覚えない感情に必死に言葉を紡いでいると、お兄ちゃんはこう答えた。


「少年よ。それが恋だ」


「これが……恋?」


「そうだ」


 噂には聞いていたが、これが恋というものらしい。


「胸が苦しいよ、お兄ちゃん。それにムズムズする」


「初めそんなもんさ。だが、そのうち病みつきになる」


「大丈夫なの?」


「問題ない。身を委ねろ」


 もう一度胸に抱いてみた。やはり鼓動が高鳴ってしょうがない。


「それだけだ。じゃあな」


 お兄ちゃんはそう言って、僕の頭を一撫ですると立ち上がる。すぐさま背を向けて歩き出した。


 お兄ちゃんはお兄ちゃんなりに、僕のことを心配し、元気づけてくれたのかもしれない。気恥ずかしいのか、どこか足早に去ろうとするその背中に「ありがとう」と感謝の言葉を述べようとした矢先、パンツの中に何か硬いものがあるのに気づいた。両手を広げ、確認してみる。


 そこにはお母さんの形見のペンダントがあった。僕が求めていて止まなかった、大事なものだ。


「お兄ちゃん!」


 僕はどうしたらいいかわからず、気づけば無我夢中でお兄ちゃんを呼び止めていた。お兄ちゃんは振り返ることはなかったが、足を止めてくれる。


 このペンダントをどうしてお兄ちゃんが持っていたかはわからない。もしかしたら僕のために取り返してくれたのかもしれない。


 だとしたら、僕は真っ先にお兄ちゃんにお礼を言うべきなのに、なぜか僕はお兄ちゃんのことが気になって仕方がなかった。


「ねぇ、お兄ちゃんは何者なの!」


「俺か?」


 すると、お兄ちゃんは振り返ってこう答えてきた。


「俺は下野 物好。泥棒さ。下着専門のな」


 太陽を背にそう言うお兄ちゃんは、どこまでもカッコよく見えた。


          *


 広場からまっすぐ宿にまで帰ると、真っ先にイフの歓待を受けた。


「おかえりなさい、下野さん」


 その声は弾んでおり、どこか嬉しそうに見える。


「何かいいことでもあったのか?」


 問いかけると彼女は、にへらとだらしない笑みを浮かべた。


「全部ネモ店長に聞きました。おめでとうございます」


「何の話だ?」


「隠さなくたっていいですよ。もうわかっていますから」


「はぁ」


 何のことやらさっぱりわからない。俺が何をしたというのか。


 そう思っていると、彼女は耳打ちするように顔を近づけて言った。


「就職先、決まったんですよね?」


「……は?」


「ネモさんが仰ってました。次の仕事先の目星がついているって。今朝、部屋に行ったら下野さんもういなかったので、もう職を決めてしまったんだなって思ったんです。……もしかして、まだ面接段階でしたか?」


「……なるほど」


 どうやら俺がこの前にネモ店長に勘違いさせたまま放置していたことを、そのまま聞きつけたらしい。誤解をあえて解かなかった俺の責任だろう。


「いや、その件なんだがな」


 真実を告げようとしたが、その前にイフが言葉を重ねてくる。


「実はもう就職できたものと思って、パーティの準備をしてしまったんですよ。でも下野さんなら絶対大丈夫ですから、前祝だと思って楽しみましょう」


「ちょっと待て」


「はい? 何でしょう」


「もう準備できてるのか?」


「はい、ネモ店長もスタンバイしてます。入口は行ったらクラッカー鳴らしますからね。腰抜かさないでください」


「それ、先に言うことではないよな」


「あ、そうでした。嬉しくてつい」


 そう言って頬を赤らめる彼女を見るにつけ、俺は増々本当のことを言い出しづらくなってしまった。


「とにかく今は、パーッと盛り上がりましょう。ね?」


 そう言われながら、彼女に手を引かれる。扉が開かれると予告通りクラッカーが鳴らされた。火薬がはじけ、色とりどりのテープが宙を舞う。真正面にある「下野さん、就職おめでとうございます」という垂れ幕を見ながら、俺は思った。


 さてはて、この難局をどう切り抜けたものかやら。


これにて、1エピソード終わりです。およそ5話構成で進めていきたいと思います。

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[一言] 子供に女ものパンツをやるのか…
2023/07/24 11:03 じゃがいも
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