6-7
妹の救出もままならず、脱出することも叶わない。ここまでやってきたことの全てが無駄で、何もかもが終わりだった。
城内での一波乱の末にまんまと捕まってしまった僕たちは、現在両手足を縛られ、仲良く同じ牢屋に叩き込まれた。陽の届かない地下牢獄で、黒くじめじめとした岩に囲まれていると、ここが人生の末路のような気さえしてくる。
皮肉なもんだ。別に裕福に暮らしたいと望んだわけでもなければ、偉くなりたいと望んだわけでもない。ただ僕は、家族との幸せな日々が送りたかっただけだ。時間に追われるような日々の中で、ふとした瞬間に「ああ、いい人生だった」とそう思えるだけでよかった。
だというのに僕は大きく道を違い、人としての道も外れ、今はこんなところにいる。過去を振り返れば、何一つ誇れるところはない。家族はとうに離散し、ようやく見つけた妹も目前にして手が届かない。
あの日、奴隷市で見つけた妹を見つけた日から何一つ進歩していない。僕は相変わらず無力で、惨めなままだった。
「クソ」
思わずその言葉が口を衝いた。
「クソッ。クソッ!」
一度言い出せば、たちまち繰り返してしまう。何度言っても同じどころか、言う度に悔しさが募り、感情が溢れ出す。どうしようもない現実を目の前にして、心が引き裂かれそうだった。
その時、隣にいる彼が言った。
「どうせ漏らすなら、隅の方に行ってくれ」
「何の話だい」
込みあげる怒りをやっとの思いで抑え込みながら問い返すと、彼はこの場に似つかわしくないほどの悠然とした態度で言った。
「さっきからクソクソ言っていたからな。てっきりトイレに行きたいものだと思ったんだが。違ったか」
「随分と悠長に構えているね。君は今のこの状況をわかっているのかい?」
わかっている。こんなこと彼に言ったとしてもしようがない。今のこの状況を引き起こしたのは決して彼のせいだけではない。それでも言わずにいられなかった。
すると、彼はこう返してきた。
「案ずるな、策はある」
「策? なんの策だい? まさかとは思うが、如何にここでうまく生涯を送れるかの策じゃないだろうね」
「まさか」
事もなげに言い返してくる彼に、増々怒りが募る。いったい何を考えているのか。さらに問い詰めようとしたその時、見張りの兵士が現れた。
「静かにしろ! いいか、お前らなんか本来ならすぐに殺してやるところなんだからな」
「じゃあ、なんで生かす?」
下野くんが尋ねると、男は言った。
「ネギル様が聞きたいんだとよ。どうやって忍び込んだのか」
「聞いてどうする」
「今後の警備体制の改善に当てるそうだ」
「涙ぐましい努力だな」
見張りの兵士は、下野くんの減らず口に嫌気が差した様子で、最後に舌打ちを一つだけ残してその場を去って行った。たちまち辺りは静寂に満たされた。
彼と兵士とのやり取りの間にすっかりと冷静さを取り戻していた僕は、「ごめん」と一言呟く。下野くんは僕の謝罪に対しては何も言わず、代わりにこう言った。
「リベンジマッチだ」
「え?」
いったい何の話かと耳を傾けていると、彼はこう言い出した。
「幸いにして、俺たちはまだ城内にいる」
「もしかして」
「ああ。まだチャンスはある」
彼は諦めてなかったのだ。この状況下においてもなお、妹奪還の術を考え続けていた。
「でも、どうやって……」
「後ろを向け」
「え、なんでさ」
「縄を噛み千切る」
そう言うので、彼の言う通り僕は後ろを向き、噛み千切りやすいように両手を可能な限り持ち上げた。間もなくして両手を縛る縄に圧力がかかる。
思い返せば、彼には牢屋に閉じ込められた経験があった。それも全て僕の正体を暴くためという名目のもとにだったが、それでも犯罪者としてのレッテルを貼られ、半ば無自覚でいられた罪の意識を如実に感じただろう。
僕が今にも押しつぶされてしまいそうなほど感じているものを、彼は既に経験済みだったのだ。だからこそ、こうして冷静でいることができた。
経験の差か。だがこうした逆境の中で、抗い、勝機を見出そうとするのは、彼の特質のようにも思える。
やはりどうあがいたとしても、僕は彼には敵わないようだ。あの夜、リリシアの部屋の中でまんまと出し抜かれたのも、必然と言えた。
どのくらいの時間が経っただろう。僕の両手が自由になる。振り返ると、彼は顎が痛そうにあぐあぐと口を動かしていた。
「ありがとう」
そう告げると彼は、「礼はいいから、早く解放してくれ」とだけ言う。僕はまず、自分の両足の縄を解き、それから彼のものに取り掛かった。
かくして見事自由を手にすることのできた僕たちは、下野くんのピッキング術により、牢屋からさえも出ることが叶う。軋む出入口をそっと閉めて、辺りの様子を窺った。中にいる時は自分のことばかりで気づかなかったが、どこからか女性のものらしきすすり泣きが響いてくる。
「誰かいるのかな?」
そう声を掛けると、下野くんは言った。
「ただの個人の館に罪人の収容所があるとは思えない。おそらくここは奴隷を入れておくための地下房なんだろう」
「なるほど」
ならここにいるのは主に、攫われてきた人か、本人の望む望まないに関わらず身売りされた人たちばかりなのだろう。
「まさかとは思うが、あんたの妹はここにいないよな」
下野くんから、僕が妹にあげた青い花のブローチは上階の部屋で拾ったと聞いている。それならばここにはいないだろう。そもそも、ここにいるのはネギルが奴隷商として集めた人たちばかりで、僕の妹はそれとは別に彼個人で買い入れたもののはずだ。立場が違うのだから、ここにいるわけがない。
とはいうものの、一応見て回った。理由はともかくとして、ネギルが妹を手放そうとした際には、売り飛ばす方が僅かながらとはいえ元手が帰ってくるはずだろうし、可能性としてはなくはないように思われる。
目を凝らし、一つひとつの牢屋を見て行く。どれも数人の男女がまとめて入れられ、ボロ布を纏っているだけの裸同然の恰好でいた。誰もが期待など微塵も抱いていないようで、虚ろな目で地面を見ている。中には現実逃避気味に、薄ら笑いを浮かべているものもいた。
いくつかの牢屋を過ぎると、閉じ込められた人たちの目にも生気が宿ってくる。もしかしたらまだ捕まってそこまで日数が経っていないのかもしれない。そういったものたちは、通り抜ける僕たちを妬ましそうな目で見てくる。
と、その時、腕が何者かに掴まれた。その手は牢屋の隙間から伸びており、手の主は僕たちに血走った瞳を向けてこう叫んだ。
「ねぇ、ここから出して! お願いだから!」
その腕の力は強く、半ば捻じり上げられるようだった。一介の女性の腕力とは思えない、。それほど、今この状況に切迫しているということだろう。
「私は何もしてないの! だから出してお願い!」
彼女の後ろに控えていた人たちも、同調するよう「私も」「僕も」と声にする。やがてそれは他の牢屋にまで広がり、「出せ! 出せ!」という大きな一塊の声となる。
このままでは見張りの兵士が来るのも時間の問題だ。
「お願いだから放してくれ」
そう言うと、彼女はこう返した。
「嫌! 放さない! あなたたちだけ助かるなんて許さない! 助けてくれないなら、あなたたちも道連れよ!」
どうしたものか。その時、下野くんが僕を蹴り飛ばした。いったい何をと思ったが、彼女の腕が牢屋の鉄格子にぶつかり僕の腕を解放するのを見て、合点がいく。しかし、できればもう少し穏便な方法はなかったのだろうか。
「一旦退くぞ」
彼はそう言って、尻餅をついた僕を助け起こす。文句を言う暇もなく、来た道を引き返した。
「お願い助けて! 何でもするから!」
という声が後ろから追いかけてくる。その女性は一転し、僕たちが元いた牢屋に辿り着く頃には、「男二人が脱走しようとしているの!」とやってきた見張りの兵士に告げ口していた。
僕は中に入るや否や、正座をし、両手を後ろに回して未だに縛られている然とした。間もなくして兵士が牢屋の前に来ると、しばらく様子を見て、こう言う。
「おい、もう一人の男はどうした」
確かに下野君の姿は見えない。僕は「あれ? さっきまでいたんですけどね」と言うと、兵士は鍵を開けて、中にまで入ってくる。僕のもとまで近づいてきたので、すぐさま両手を挙げて降参するようなポーズを取って見せると、彼は驚きでしばらく口がきけないようだった。
「おい縄は」
ようやくにしてそう言いかけたところで、彼の後ろから下野君が現れ、「ここにあるぞ」と告げる。そうして瞬く間に兵士を縛り上げた。
「おい! こいつを解け!」
そう言いつつ地に落ちた虫のようにのたくる兵士から、下野君が鍵を取ると、僕たちは牢屋を出て錠を掛けた。
牢屋に戻ってきて早々、下野くんは牢屋の隅に隠れた。初めは何をしているのか気になった僕だが、間もなくして外から見ると死角になっている場所なのだと気づいた。そして、彼の作戦に乗っかることにした。
何とかして兵士を中に入れ、僕が隙を作る。その隙に、下野くんが僕たちを縛り上げていた縄で、今度は逆に彼らを縛り上げることに成功した、というわけだ。
「おい、お前たち! こんなことしてただで済むと思うなよ!」
そんな捨て台詞にも似た言葉を吐く彼を尻目に、下野君は鍵を僕に渡してくる。
「ここにいる人たちを解放しろ」
「助けるんだね」
「ああ。捨て置くことはできない」
「それは親切心からかい」
「冗談はよせ。さっきのを見ただろ。このままにしておけばきっとまた邪魔される。ならいっそ解放してしまった方が早い」
「なるほど、それは確かだね。それで君はどうするつもりだい」
「あんたの妹を助けに行く」
「それなら僕が行くよ。君がここの人たちを解放して」
「悪いがそれはできない。ざっと数えてみただけでも、ここには二、三十人はいる。それだけの人員がいれば物量の差で押し切れるだろうが、それを指揮するのは俺にはできない」
「でも」
「あんたにしかできないことなんだ。妹のことは俺に任せてほしい」
下野君は、まっすぐと僕の目を見据えてくる。さらにこう言った。
「俺を信じてくれ」
*
奴隷たちの大脱走は、一つの恩恵があった。それは騒動を収めるのに人員が割かれ、その分だけ城内の警備が手薄になることだ。
初めよりも遥かに容易く上階へと駆け上がった俺は、瞬く間に目的の部屋へと辿り着く。そこには以前ここに来た時から時間が止まってしまったかのように、項垂れ気味な姿勢で天蓋付きベッドのヘッドボードにもたれる女の姿があった。
「あんたがリリーか」
当然、反応もない。
「ナラベルの頼みでな。あんたを迎えに来た」
それでも声を掛け、とりあえず彼女を連れ帰ることにした。もしかしたら彼女は、実はナラベルの妹ではない可能性が頭を過ぎらなくもなかった。しかし、現状では彼女以上に有力な候補はいない。
彼女を背負い、窓の方を見やる。以前、そこの窓から脱走された経緯があるからか、窓には鉄格子が張られ、人が通り抜けられなくなっている。仕方がないので、別のルートを探すことにした。
部屋から顔を出し、周囲に誰もいないことを確かめる。そっとドアを閉めると、どちらに向かうべきかを考えた。
来た道を引き返し、出入り口から脱出する。人を背負っているこの状況では、それが最も安全な方法だろう。しかし、万が一今行われているナラベルの大脱走とかち合ってしまったら、あるいは脱出どころではなくなってしまうかもしれない。
人混みに紛れて出て行くことも可能だろうが、それよりかはむしろ混乱に乗じて別のところから出て行く方が確実だ。俺は、正規のルートからの脱出を諦め、一番手っ取り早い窓から飛び降りる方法で行くことにした。
だが、人一人を背負っているので、単純計算で体重は二倍。飛び降りる場所は慎重に選ばなければならない。とりあえず、まっすぐ行った突き当りに窓が見えたので、そこへ向かうことにする。
窓を開け放つと、半円状のバルコニーが広がっていた。縁まで行くと、眼下には前庭が見える。どうやらここは、この館の正面部分にあたるらしい。下を覗き込んでみれば、小さな花壇があるだけでとても二人分の体重を支えられるとは思えなかった。
どうやらここは外れのようだ。そう思い引き返そうと振り返れば、出入り口に人影があった。その影は老人のものらしく、杖を突き、ゆったりとした足取りで、徐々にその姿を露わにしていった。
姿こそ老人そのもので、背は曲がり、歩くのさえやっといった様子だが、顔つきは険しく、眼光は深淵よりも深い闇を見てきたようだった。間違いない。彼こそ、ネギルだ。
「足腰の悪い中、お越しいただいて申し訳ないが、あんたと話している時間はないんだ。どいてくれ」
「まぁ、そう言うな。老い先短いこの老人の話し相手になってくれ」
「時間稼ぎか」
彼は、俺の言葉を笑い飛ばした。何がそんなにおかしかったのかわからないが、最悪力づくでも通り抜けることを視野に入れながら身構える。
「まぁ、そう警戒するな若者よ。所詮、老いぼれだ。どうとでもできる。違うか?」
「どうだか」
本当に彼一人なのかどうか確証がない。護衛の一人や二人ついて来ている方がむしろ自然というものだろう。
そんな俺の警戒心を他所に、彼は話し出した。
「君は、信じていたものに裏切られたらどうする?」
「何の話だ」
「私はずっと手を掛けているつもりだったんだがね。向こうはそうは思ってくれなかったようだ」
「そうかい。最近、俺の周りにも裏切られたやつがいたよ」
「その人はどうした?」
「飼い殺しにするみたいだ」
「そうか。あるいはそれが賢い選択なのかもしれないな」
雲の切れ間から月明りが差し込んできた。俺を照らし、やがてネギルをも照らし出す。すると彼の足元に影が浮かんだ。
その影は歪な形をしていた。およそ人の形をしていない。例えるなら、人体から頭を取ったような形だった。
「私が甘かったのかもしれないな」
彼はそう言って、自身の影に視線を落とした。ようやく彼の言いたいことがわかった。彼は自身の飼っていたスーキャットに、頭を食べられてしまったようだ。
スーキャットに影を食われたものは、二十四時間以内に影と同じ形になる。彼は今、自分自身の死期を悟り、何を思っているのだろうか。
「当然の報いだと思うかね」
おもむろにそう尋ねられる。俺は「さてね」と返すと間もなくして、彼の奥から兵士が一人現れた。
「報告します。奴隷たちの鎮圧に時間が掛かっております。つきましては更なる増員を……」
それまではきはきと告げられてきた報告だったが、途中で俺の存在に気づいたようで、代わりに「お下がりください」とネギルの前に出ようとしたとした。しかし、ネギルは「彼のことは放っておけ」と返す。
自身の耳を疑うかのように言葉を詰まらせた兵士は、数度の瞬きの後、「いいのですか」と尋ね返してきた。そんな彼の困惑に追い打ちを掛けるように、ネギルは続けた。
「奴隷たちのことも放っておけ。全ての警備を解除する」
「は?」
「二度は言わん」
そう言って会話を打ち切るようにすると、兵士は取り残されたように、ぽつんと立っていた。「早くしろ」とネギルに急かされて、ようやく「畏まりました」と下がる。背を向け走り去るも、納得がいかないとでも言いたげにしきりに首を傾げていた。
「自棄だな」
俺がそう告げると、ネギルは首を振った。
「いや、自棄だったのは今までさ。今は何だかつきものが落ちた気分だ」
彼にもう捕まえる意思がない以上、俺に焦る理由はない。ただ彼の満足のいくまで話に付き合えばいいだけだ。
「勝手なもんだな」
そう言うと、彼は笑い交じりに「そう言われたら返す言葉もないがね」と言い返してくる。さらに続けた。
「私は元々画家志望でね、この町に訪れたんだ。しかし、度重なる努力を続けたが一向に実ることはなかったよ」
「それで、悪事に手を染めたと」
「まぁ、そうだな。夢を失ってどうすればいいのかもわからなかったし、それに私の才能を認めない世間に復讐したかったのもある。今にして思えば、傲慢な話だがね」
「全くだな」
「気づけば画家とはかけ離れたところに立っていたよ。だがもうその時には手遅れだった。引き返せないほど事業が巨大になっていた」
仕事において、辞めたいから途中で投げ出すなんてことはまず許されないことだろう。裏社会になると、それがさらに顕著になる。露見してはいけないことなのだから、下手に抜けられて密告されるリスクを背負うくらいなら、いつまでも共犯関係にある方がいい。そのためならば、どんな手段も辞さないことだろう。
彼はさらに続ける。
「昔は、画家として美しい風景を残すことに全力を掛けてきたよ。それが私なりの芸術だったからね。だが、今になって気づいた。それは間違いだと」
「そうか」
「美しいだけの風景なんて、何の価値もないんだ。そんなものは誰もが心の中に持っているからね。それよりも、君のように暗闇の中でも輝き続ける光の方が、遥かに美しいのだと気づいた。君はどう思う?」
そう問われ、俺は答えた。
「さぁね。生憎、詩には疎いんだ」
次回、ようやく第二部完結です。……多分。




