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「悪かったよ」
やがて俺たちは進行を再開し、その道すがらナラベルが切り出した。どうやら先ほどまで取り乱していた気持ちのせいで、振り回してしまったことを謝罪しているようだった。
彼は続けた。
「確かに君の判断の方が正しい。妹が囚われているのはもう五年以上だ。今更、一秒を争ったって変わりはない」
「あんたの気持ちもわかるよ」
長年探し続けていた肉親がようやく見つかったのだ。早く助け出してあげたいと思うのも仕方がないことだった。
「ありがとう」
しみじみとそう告げると、彼はさらに言った。
「焦りは禁物だ。君がそう助言してくれていたのに、僕は何もわかっていなかった。わかっているつもりだったんだけど」
ナラベルは「どうしてかな」と自嘲気味に笑った。
「後悔なら明日からしたって遅くはない。今は気にするな」
そう言うと、ナラベルは首肯した。
進行は順調に進んだ。時折、見張りのものが近づいてきたりしたが、それらも何とかやり過ごせ、目的地へと近づきつつあった。
間もなくすると、目の前の曲がり角に大きな影が映り始める。松明の灯りに照らされているからか、ゆらゆらと揺れているその影は、次第に大きくなっていることから近づいているのがわかった。俺たちは息を呑み、その存在に対して身構えた。
やがて影の主が姿を現す。それは以前、忍び込んだ時にも見た猫に似た生き物だった。その生き物のもこちらの姿を認めると、一度首を傾げてから、再び歩き出す。とてとてと小さな歩幅で、こちらに向かって来ていた。
相変わらずデフォルメのきいた愛くるしい姿をしていて、この仰々しい城には似つかわしくない。吸い込まれそうな瞳でこちらを見上げてくると同時に、額の赤い宝玉のようなものが向けられる。そこ、俺たちの姿が湾曲して映っていた。
「行こう」
ナラベルがどこか焦った調子で、俺の腕を引いてくる。その様子が訝しくて、思わず尋ねた。
「どうした」
「そいつは危険だ」
「こんなに小さな生き物がか?」
「それは囮だ」
「どういうことだ?」
「とにかく行こう。追いかけてくることはないと思うから、大丈夫だよ」
彼がやたらと急かしてくるので、仕方がなく従うことにした。別のルートを辿って上の階を目指すことにする。ふと後ろを振り返ると、例の小さな生き物はやはり不思議そうに小首をかしげていた。
その背後で、影が禍々しく揺れていた。
*
小走りで進んできた俺たちだったが、例の生き物から十分に距離を取れたからか、徐々に速度を緩めていった。階段へと差しかかり、上階へと昇る。
その最中でナラベルが説明してくれた。
「あれはスーキャットっていう生き物だ。聞いたことはないかい?」
声は思いの外響いた。階段付近は吹き更けとなっており、上下に深い闇が広がっている。遮るものがないので、無闇に反響しているのだろう。
「全くだな」
そう答えると、彼は意外だとでも言わんばかりの表情を浮かべた。
「割と有名だと思っていたんだけどな」
「悪いが俺は遠くの方から来ていていてね。あまりこの辺のことには詳しくないんだ」
「遠く?」
と、彼が尋ねてくる。一から十まで説明しても構わなかったが、到底信じてもらえるような話ではなさそうなので、俺は別の質問を投げかけて話を逸らすことにした。
「それは囮だ、と言ったな。あれはどういう意味だ?」
「言葉通りの意味さ。あの可愛らしい容姿は囮で、本体じゃない」
「どういうことだ?」
「本体は影の方なんだよ。囮で油断させて、獲物を食らう。そういう生き物なんだ」
「なるほど」
文字通り、猫かぶりってことらしい。
「それにしても不思議な生き物だな。影の中からいったいどうやって襲うんだ?」
影の中から黒い何かが飛び出してきて、たちまち頭からかぶりつくのだろうか。そんな想像をしていると、彼は「別に影の中からとびだしてくるわけじゃないよ」と言う。俺の思考を読んだからというわけではなく、あくまでも冗談の一環として言っている風だった。
さらに続けた。
「食らうのはあくまでも影さ。近づいてきた獲物の影を食らうんだ。本人でも気づかないうちに喰らわれているなんてこともあるらしい」
「待て。しかし、影を食われたところでどうなる? 別に死ぬわけではないんだろう?」
いったい彼は、何をそんなに恐れたというのだろうか。
「それがそうでもないらしい。影を食われたものは、二十四時間以内に食われた通りになる」
「つまり?」
「腕を食われれば腕がなくなり、足が食われれば足がなくなる」
「頭を食われれば?」
「頭がなくなる。二十四時間以内に」
「だがいったいどうやって。時間になったら破裂するのか?」
「それはその時によって違うよ。大概は何かの事故としてなくなることが多いらしいけどね」
「どうしてそんな危険な生き物があんな所にいるんだ」
「見た目がああだからね。ペットとして飼う人もいるのさ」
「酔狂な奴だな」
「全くだ。自分なら大丈夫だという確信があるのだろうけど、正直傲慢だよね」
間もなくして階段は終わりを告げ、上階へと着いた。果たしてこの先、どのくらい階層を上がっていかなければならないのだろうか。上を見上げても、依然として見えるのは奈落を思わせる闇ばかりだった。
疲れからか、それともスーキャットという不思議な生き物に触れて、未知の世界に思いを馳せてしまっていたからか。俺たちには少し油断が出来ていた。
だから後ろから近づいてくる兵士の影に一向に気づくことなく、接近を許してしまっていた。階段付近でもみ合うと落下して取り返しのつかないことになると判断したからか、上り切るまで待っていたらしい。
俺たちはそんな彼らの存在を、声を掛けられて初めて知る。
「君たち、いったいどこから入ってきたの?」
かくして、逃走劇が始まった。
*
「どうする?」
並走してくるナラベルが尋ねてくる。不幸中の幸いと言うべきか、俺たちは後ろから追いかけられているだけで、前に進めなくなったわけではない。
「ここは目的地まで一気に行こう」
「え、でも」
そういう彼が指差した先には、通りがかりに警備の兵士がいた。「待てー!」と言いながら追いかけてきていた兵士たちが、「侵入者だ! 捕まえろ!」と声を掛けると、その警備の兵士たちはたちまち追跡の兵士へと役割を転じた。
この調子でいくと、大事になるのも時間の問題だ。しかし、ここで諦めてしまうと再び挑戦するのは困難になる。どうしたものか。
俺たちはとりあえず、十字路にて前後から迫りくる追手を撒くことにした。初めに右手に曲がろうとしたが、運悪くそちらにも騒ぎを聞きつけてきた兵士がいたので、百八十度振り返り、駆け出す。
やがて丁字路に差しかかり、左右どちらかの選択肢を迫られた。左手には追手が迫って来ていたので、必然的に右折することになる。しばらく行くと、前方に四角く切り取られた夜の景色が見えた。
「突っ込むぞ」
そう言うと、言葉の意味を理解したナラベルが悔しそうに言ってきた。
「脱出するのか」
「さてね。とりあえずこの場をやり過ごすことが先決だ。その後のことは、それから考える」
せっかくここまで上って来たのにもったいないが、この状況からの脱却しないことにはどうしようもない。ナラベルも、不承不承と言った調子で頷いてきた。
彼の了承を得て、俺は速度を上げた。先行して窓を突き破ろうと、肩からぶつかる。
しかし、それは窓なんかではなく、精巧に書かれた絵画だった。俺はただ額をぶち破り、壁に激突した形となる。
「大丈夫かい?」
駆け寄ってきたナラベルが、そう声を掛けてくる。俺は羞恥と痛みとで頽れたままでいると、一連の騒ぎの様子を見るためだろうか、近くのドアから男が顔を出してきた。ナラベルがすかさずその男のもとへと近づいた。
「悪いけど、通してくれるかな」
男はまだ事態を完全には把握しておらず、理解には至っていないようだった。その動揺に付け入るように交渉したナラベルは、あっさりと中に入ることを許される。俺も早々に復帰して、便乗した。
彼の考えはすぐに読めた。部屋を真っ直ぐ突っ切ると、突き当りに窓がある。そこから離脱を計るようだった。
今度はナラベルが先だって窓に突っ込む。俺も続いて割れた窓から身を乗り出し、未だ割れたガラス片が舞う宙へと飛び降りた。ぐんぐんと落下していき、やがて小屋らしきものの屋根が見えてくる。俺は身を丸くしてその屋根を突き破り、干し草の山に受け止められる。
口から干し草を吐き出しながら、山の中から這い出る。どうやらそこは馬小屋のようで、いくつかの馬が囲いの中で繋がれていた。馬たちは、突如として現れた闖入者に特に反応することなく、ぼんやりと宙を見ていた。
さて、ナラベルはどこだろうか。その姿を探し辺りを見回すと、間もなくして後方から水から這い上がる音がする。振り返ると、そこにはドラム缶から茶色い液体を滴らせたナラベルの姿があった。
彼は荒く息継ぎすると、こう言った。
「悪いけど、手を貸してくれないかな」
どうやら自分で這い上がれないらしい。確かにドラム缶の背は高く、完全に出るのは一人では困難だろう。俺は当初、そんな彼に手を貸すために近づいていったが、やがて悪臭が漂って来ると距離を保って立ち止まった。
「おい、それはもしかして」
「いいから、手を貸してくれないかな」
彼の落ちた先は、どう考えても肥溜めだった。彼自身そのことには気づいているだろうが、認めたくはないのだろう、とにかく必死な様子で助力を求め続ける。しかし、俺は到底そんな気にはなれなかった。
「悪いが手は貸さない。代わりに足を貸す」
そう言って、俺はドラム缶を蹴り倒す。汚物と共に流れ出てくるナラベルが、覚えていろと言わんばかりに睨みつけてきた。
「今は気にするな」
ナラベルは歯噛みこそしたが、それだけで何も言わなかった。それよりも目先に迫る問題の方が、重要だったからだ。馬小屋は随分と年季が入っており、外からの声も筒抜けだ。徐々に、外が騒がしくなってきているのを聞いて、俺たちが包囲されつつあるのを悟った。
今出て行っても捕まりに行くようなものだ。かといって、立て込めるほどこの建物は頑丈ではない。ならば包囲網を突破するしか、俺たちに道はない。
「ナラベル」
干し草で自身の身体を拭いていた彼に声を掛ける。
「何だい?」
「馬、乗れるか?」
「多少の心得はあるよ。こう見えても数々の貴婦人を相手にしてきたからね」
そう言いつつ両手を広げて見せるも、今の汚物に塗れた彼では些か説得力に欠けた。
ともあれ俺たちは馬に乗り、この場を切り抜けることにする。まずはナラベルが馬へと近づき、上に乗る。初めは振り落とそうとするかのように身を揺すっていた馬も、ナラベルの手綱さばきにより間もなくして落ち着いた。
「さぁ、手を貸そう」
そう言って彼は手を差し出した。この場で馬を操れるのは彼だけで、俺はその後ろに同乗することしかできない。とはいうものの今の彼は糞尿塗れだ。いくら干し草で体を拭いたからと言ったって、そんなものは申し訳程度で、とてもではないが近づき難い。
悩んだ末、彼の手は借りず自らの力で馬に乗ると、彼と僅かに隙間を開けて座った。そうした俺の一連の行動に対し、ナラベルは言う。
「しっかりと僕に捕まって。振り落とされるよ」
「いや、ここで大丈夫だ」
「そう言わずに」
彼の意思は強かった。それは俺のためを思ってというよりかは、先ほど俺にドラム缶ごと蹴り飛ばされた恨みを今晴らさんとするかのようだった。俺は渋々、彼の背中にしがみつく。耐えきれないほどの悪臭が鼻を突くが、今は我慢するよりほかない。
しかし、反対に考えれば、どの道このような結果になっていたのだから、あの時先んじて一糸報いていたという考え方もできる。なので、これでイーブンだ。
俺がしっかりと捕まったのを確認すると、ナラベルは「行くよ!」と一声あげて綱を振るった。馬はたちまち前進し、やがて小屋の壁を突き破って外へと躍り出る。
飛び出してきた馬へと驚いて、集まっていた兵士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げまどう。俺たちは易々と包囲網を突破し、城内の庭を駆け抜けた。
「どうする!」
ナラベルが声を張り上げながら言う。俺はしばらく考えたが、結論は一つしか出なかった。
「脱出しよう」
それはナラベルにとっては苦渋の決断だった。しかし、今はそれしかないと思ったのだろう、黙って従うことにしたようだ。
真っ直ぐと門へと向かう。やがて兵士たちも、馬を持ち出してきて対抗し、追いかけてくるようになった。加えて、敷地外にも兵士がいるようで、今まさに向かっていた門が閉じられていく。追いかけるだけに飽き足らず、どうやら俺たちを閉じ込めてしまう算段らしい。
ナラベルはさらに手綱を振るってスピードを上げる。しかし、それでも間に合う気配はなく、八割がた閉められたところで諦め、彼は約四十五度のカーブを描き、別の門へと向かう。
当然、そちらの門も閉められ始めていた。再び速度を上げて突破を試みるも、今度も間に合う様子はない。やはり彼は方向転換して別の門を目指すことにした。
今度のカーブは鋭角だった。十五度近いターンをし、今向かっていた門とは間反対の門を向かっていく。直線距離が長い方が、加速がつけやすいからという判断なのかもしれない。
「振り落とされるなよ!」
今更ながらにそう告げた彼は、体勢を立て直すや否や、すぐさま加速を始める。みるみるちと馬を駆る彼の背中が遠ざかって行った。
しばらくして彼の背中が大分遠くに見えたところで、彼が何かを言いたかったのか振り返り、俺が後ろに乗っていないことに気づく。そのまま目線を上げて、随分と距離の離れたところで振り落とされ、地面に倒れ伏している俺と目が合った。
馬を止め、唖然とした様子でナラベルが眺めてくる。間もなくすると頭上から「立て」という声が降ってきて、俺は降参を示すよう諸手をあげて立ち上がった。ほぼ同時に、ナラベルの周りに兵士が集まってくる。
かくして、俺たちは捕まることとなった。
想定より長くなっています。まだまだ続きそうです。




