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泥棒は異世界でも盗む。下着を  作者: 吉永 久
第一部
1/209

1-1

 気が付くと、俺は何もない真っ白な空間に座っていた。


 漂白剤で入念に洗った洗濯物が、太陽光を照り返しているかのような白さで、そこにポツンと置かれている安っぽい木製の椅子に、いつの間にやら座らされている。


 縛られている様子はない。手も足も自由だ。どうやら捕まっているわけではなさそうだ。


 そもそも、俺には拉致監禁されるような筋合いはない。ならば一体全体、俺は何故ここにいるのだろうか。


 辺りを見渡してみても、第一印象とさしたる違いはなかった。右を見ても、左を見ても、見上げてみても、見下ろしてみても、ただただ真っ白いだけである。まるで奥行きの感じさせない、本当に「空間」としか言えない場所であった。


 果たして、ここはどこだろうか。こんな奇妙なところ、日本はおろか世界中のどこを探したとしても見つかりっこないだろう。


 そう考えた矢先、声が聞こえた。


「お待ちしておりました。下野(しもの) 物好(ものよし)さん」


 声のする方へ目線を向けてみると、そこにはやはり、俺と同じく安っぽい木製の椅子に腰かけている女性がいた。


 見目麗しき女性であった。体のラインが出るような白いドレスを纏い、腰の辺りから切り込まれたスリットから、彼女の素足が伸びている。肩までかかった金髪が、輝いて見えた。


「あんたは?」


 問いかけると、間もなく彼女は答えた。


「私の名前はイフ。わかりやすく言うなら、神の使いと言ったところでしょうか。ここであなたが来るのを待っていたのです」


「……そうか」


 彼女の一言は、疑問を山ほど生んだ。聞き返すにしても、いったい何から聞けばいいのやら。とりあえず、目の前の彼女のことは置いておいて、自分のことから尋ねることにする。


「あんたは、俺がここに来ることを知っていたのか?」


「はい」


「だが、残念なことに俺はここがどこなのか、それにどうしてここにいるのかもわからないんだ。もしかしてあんたが連れてきたのか?」


 問いかけると、彼女は嫌に曖昧な物言いをした。


「ええ、まぁ。そういう言い方もできるかもしれませんね」


 どうやら、話をこれ以上先に進めるには、彼女の存在に触れずにはいられにようだ。仕方がないので、彼女のことを尋ねることにした。


「あんた、確か名前はイフって言ったな。それに、神の使いとも。それは何かの比喩か?」


「いいえ、正真正銘の神の使いです」


「所謂、天使という奴か?」


「その方がわかりやすいなら、そういうことにしておきましょう。正確には違うのですが」


 またもや曖昧な物言いをされる。説明しにくいことなのか、それとも、たかが凡人の俺には理解の及ばないことなのか。


 ともあれ、彼女が自分の詳細をそこまで明らかにしないということは、俺の現状を理解するにあたって、さほど重要なことではないのだろう。とにかく、彼女は神に関係のある人物だということを認識していればいい。彼女の言う、神とやらが何者なのかは知らないが。


 あまり突き詰めて話が拗れても困るので、俺は話を先に進めることにした。


「さっき、俺を連れてきたのはあんただ、と言ったな。いったい何故だ?」


「それには深い事情がございます」


「聞こう」


 彼女は、「そうですね」と顎を撫でてから、切り出した。


「下野さん。あなたはまず、この空間が何であるかと疑問に思われたことでしょう。ここは所謂、普通の人ではまず出入りのできる場所ではないのです」


 彼女の言葉に、思わず鼻で笑ってしまう。


「俺が選ばれた人間だとでも言いたいのか?」


「正確には、選ばれてしまった、と言った方が正しいのかもしれません」


「なるほど、ルーレットか或いはダーツで決めたんだな」


「いいえ。そんな俗っぽい決め方はしません」


「神の使いだからか?」


「決め事はいつも神の仕事です」


「連れてきたのはあんたじゃないのか?」


「連れてきたのは私の同僚です。神が決め、使いの者があなたをここまで運んできたのです」


「それをあんたは待っていた」


「待っていました」


「あみだくじで決めた俺を?」


「だからそんな俗っぽい決め方しないって言ってるじゃないですか」


「お、おう」


 それまで丁寧な口調で話していた彼女が、あまりにも唐突に語調を崩したので、正直戸惑いを隠しきれなかった。非は、100:0で俺にある。彼女が仮に、神に所以のある人物だとするならば、何か神の恩恵を賜るには媚を売っておくべきなのだろうか。


 考えあぐねていると、彼女は訥々と説明を始めた。


「人には宿命というものがあります。生まれながらにして決まっている運命のことです。生まれた家庭や生きていく環境、そして死の瞬間までも。全ては初めから決まっていることで変えようもないことなのです。しかし、時には手違いも起こります」


「手違い?」


「そうです。本来ならば死ぬはずだった人間が生き残り、生き残るはずだった人間が死ぬ。そういったミスが起こりえるのです」


「何故だ?」


「もちろん、ヒューマンエラーです」


「無責任なバイトでも雇っているのか?」


「これまで、アルバイトの募集はしたことがありません。全ては神様の手による、厳正な書類審査のうえで決定されています」


「なるほど。無責任なのは神様の方か」


 俗っぽくないとよく言えたものだ。


「つまりは、本来ならば生き残るはずだった俺は、間違いで殺されて、そしてここに連れて来られた、というわけだな?」


「まさしくその通りです。謹んでお詫び申し上げます」


「だが、わからないな。まさか、俺に謝る為だけにここに呼び出したわけじゃないだろ?」


「そうですね。謝って済むことではないことも重々承知しております。ですから今後の再発防止に努めるとともに、下野さんにはちょっとしたお詫びをしようかと」


「お詫び? タオルでもくれるのか?」


「いえ、それよりはいいものを差し上げたいと思います」


「と、言うと?」


「あなたには、もう一度生を与えましょう」


 彼女の言葉に一瞬、思考が停止する。もう一度、生を与えましょう。何度もその言葉を反芻して、ようやく理解した。


「つまりそれは、生き返らせてくれるってことだよな? だけどいいのか、そんな勝手なことして。死人が生き返ったら混乱が起きるぞ」


「仰る通りです。ですから、元の世界には返せません。あなたには、今までとは別の世界で生きてもらいます」


「随分と勝手だな」


「そう思われるのも無理はありません。しかし、これが私共にできる精一杯なのです」


「精一杯、ね。まぁ、誠意のほどはわかったよ。それだけで十分だ」


「十分? それはいったいどういう……」


「神様なら俺がどういう人間なのか把握してるんじゃないのか? 生き返らせるに値する人間ではないことぐらい、承知しているだろ」


 彼女はしばらく言葉を詰まらせていたが、やがて口を開いた。


「確かにあなたの言う通り、神はあなたが決して褒められるような人間ではないことも承知しているようです。ですが、こちらのミスで殺してしまったことも、また事実。悪人だからといって、そのまま見てみぬふりをするわけにはまいりません」


「融通が利かないな。そんなに後腐れを残すのが嫌なのか?」


「どうなのでしょう。ただ、慈悲を与えたいだけなのかもしれません。神として」


「慈悲ね。都合の悪い時ばかりに与えたがるものなんだな」


まぁ、人間も都合の悪い時ばかり神様に頼るからおあいこか。


「何にせよ。これは決定事項なので、もはや覆すわけにはいきません」


 そう言う彼女の俯きがちな目を、俺は見た。彼女は先ほどから、一度も俺と目を合わそうとしない。どうも彼女のシャイな性質がそうさせているわけでもなさそうだ。ミスにより殺してしまったことを気に病んでいるのか、或いは、俺を直視するに値しない、汚物かなのかだと思っているのか。


 ともあれ、彼女の心に迷いがあるように感じられた。


「じゃあ、あんた個人に聞こう。あんたは、俺を生き返らせることに賛成か?」


 問いかけると彼女は、口を開きかけて、閉じた。口にするのも憚れると言ったような様子だ。しかしやがて、震えた声で「賛成です」と答えた。


 そんな彼女に俺は畳みかける。


「例えば、俺が別の世界で生き返ったとして、その先で俺が再び悪事に手を染めたらどうする? それで被害者が出たとすれば、俺を生き返らせたことがまた、そっちのミスになるんじゃないのか」


 彼女はしばらく大人しくしていたかと思うと、膝の上で握り拳を作り、我慢できないとばかりに声を荒げた。


「仕方ないじゃないですか! 決定事項なんですから!」


「怖いな。そこまで怒るってことは、あんた自身は納得していないってことだろう?」


「当たり前です! だって最低じゃないですか、下着泥棒なんて!」


 それから彼女はそれまでの言葉遣いも忘れて、堰を切ったように話し始めた。


「大体、神様たちは何もわかっていません。女性の気持ちをこれっぽっちも理解していません」


「大変だな。同情するよ」


「あなたにだけは言われたくありません」


「いいや、わかっているさ。神様なんてろくなもんじゃない。現在進行形で身を持って感じているからな」


 彼女は、「そっちのことではありませんよ」と言ったが、すぐに「いえ、それもあるのですが」と訂正した。


 さらに続ける。


「とにかく! 女性の下着を盗むなんて最低なことです」


「わかっているさ」


「わかっているなら、どうしてそんなことしたんですか?」


「どうして、か……。まぁ、強いて言うならさっきあんたが語ったことだ。宿命という奴だな。生まれながらにして下着を盗むことを運命づけられているんだ」


「それは宿命とは呼びません」


「もしくは、日本の政治が悪かったのかもしれん」


「非常に他責的ですね。とことん最低です」


「最低……。まぁ、そうだな。俺は最低な男だ」


 そう言うと、彼女の表情は幾分かやわらぎ、どこか同情するような顔つきになった。


「自分のしたことを悔いているのですか?」


「どうかな。だが、俺がやってきたことは悪いことだってことは自覚している。ずっとな」


「じゃあ、どうしてこれまでの十年間、下着泥棒一筋で生きてきたのですか?」


 俺はしばらく思案し、それから言った。


「クレプトマニアって知っているか? 窃盗症とも言うんだが、字面から察せられる通り、窃盗がやめられない病気のことだ」


「どうしてやめられないのですか?」


「曰く、盗む前の緊張感や盗んだ後の達成感が忘れられないんだとか」


「それは本当に病気なんですか?」


「もちろんだ。れっきとした精神疾患の一つでな、悪いことだとは思っていながらも盗みを働いてしまう。そういった悩みを抱えている人たちが、世の中にはいるんだ」


「そう、何ですか……」


 そこまで話すと、彼女は悲し気に眉を下げた。自分の無知を恥じている一方で、他人には理解されない病気で苦しんでいる人々に同情しているようでもあった。


 彼女はしばらく、慈悲深いような瞳で俺のことを見つめていたかと思うと、意を決したように「よし」と言った。


「私が何とかします」


「何の話だ?」


「その、クレプトマニア、とやらのことです。必ずや私が直して見せましょう」


「そんなこと神でも頼めばいいだろ。杖の一振りや二振りで、病気そのものの概念が消えるんじゃないか?」


「いえ、そんなことは非人道的です。人の心を無理矢理捻じ曲げて、それで直ったとは言えません。私は正々堂々病気と向き合って、治療したいのです」


「そうか。壮大な目標だな。何にせよ、夢を持つことはいいことだ。応援する」


「はい」


 彼女は、威勢のいい返事をしたかと思うと、椅子から立ち上がり、つかつかと歩み寄ってくる。間もなくして俺の手を、両手で包むように優しく取った。


「一緒に頑張りましょう」


「え? 俺も?」


「もちろんですよ。あなたの病気なんですから、患者本人が頑張らないでどうするんですか」


 初めは彼女言っていることがわからないでいたが、次第に彼女の真意に気づき始める。あまりにも都合の悪い展開に、俺は思わず「待った」の声を掛けるが、時既に遅し。彼女は次の行動に移っていた。


「私も下野さんに同行し、あなたの異世界生活をサポートいたします」


 そう高らかに宣言したかと思うと、彼女は腕を頭上に掲げる。その掌に一筋の光が降り注いでいたかと思うと、やがて光の帯は広がり、俺たちを包んだ。


 まさかこのような展開になるとは思いもよらなかった。そもそも、クレプトマニアの話を持ち出したのは、それっぽい話で煙に巻こうという算段があったからであって、俺自身はクレプトマニアのつもりはない。


 しかしそんなを弁明する暇もなく、視界がホワイトアウトする。


          *


 しばらくすると目を突き刺すような光が止んだので、そっと目を開いた。


 切り開かれていく視界の先に映っていたものは、ダイヤモンドを散りばめたかのように煌めく湖畔だった。陽光を目いっぱいに反射させており、穏やかな風の気配を感じさせるほどに、静かに波打っている。


 目線を下げると、水面に俺の姿が映し出されている。その隣には例の女、イフの姿がある。


 彼女へと視線を向けると、俺の視線に気づいた彼女が「どうしたの?」とでも問いかけるように首を傾げてきた。重力に従い、金色の髪がさらりと流れる。髪は動く度に、陽光の反射具合が変わり、輝き方を変える。


「ここは?」


 問いかけると、彼女は答える代わりにそっと頭上を指差した。つられて、見上げる。


 その刹那、突如として旋風が巻き起こった。反射的に顔を背けて、叩きつけるかのような強い突風を、足を踏ん張らせてやり過ごす。


 難が去った頃合いを見計らって、そろりと顔を上げる。遥か彼方には、大空に飛び去って行く大きな鳥の背中が見えた。自身の身体の、倍ほどでかい羽を広げている。


「随分とでかかったな」


 率直な感想が口を衝いた。


 すると、イフは「あれでも小さい方ですよ」と、水を差してくる。


 俺は、彼女の言葉の意味するところを、薄々ではあるが察し始めていた。そもそも、いくらでかいとはいえ、たかが鳥に飛び去るだけで突風が起こせるわけがない。


 もう既に飛び去っていて姿は見えないが、その容姿は明確に網膜に焼き付いている。もたげるかのような長い首を持ち、長い尻尾をしならせて方向転換していた。被爆して巨大化したハゲタカでもなければ、残る選択肢は少ない。


「『一対の巨大な羽を広げて、鋭い爪で襲い掛かる。口から放たれる火は、町一つを瞬く間に焦土と変える』」


「それは?」


「この世界の、ドラゴンに関する記述です。つい今しがた頭上を飛び去って行ったのは、まだ幼体に過ぎません」


「この世界には、あんなのがうじゃうじゃいるってことか?」


「或いはもっとすごいのが」


 からかうように言う彼女に対して、俺は行き場のない感情を抱える。唐突にドラゴンなどと言われて、笑えばいいのか、喜べばいいのか。それとも、怒ればいいのか、泣けばいいのか。


 不意に、数分ほど前に彼女が口にした言葉を思い出す。それが、この世界を言い表すのに、最も適した言葉であった。


「なるほど。異世界か」


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