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二 上方の儒者(二)

「河内守さまがお見えのようでしたが、よく来られるのですか」

 井上は硬骨と同時に、大名有数の好学でも知られている。話のついでに、春勝はふと思いついた様子で尋ねた。確かにこの店に入っていったのに、店内に井上の姿はない。家中の者らしい若い武士が二人、手持ち無沙汰の様子で棚の書を眺めて待機しているだけだ。本人は奥にいるにせよ、その場合は店主である吉村がその応対に当たるはずだが、その気配もない。

 吉村は苦笑する。

「ご来駕もないことではございませんが、今回は少々別のお話でございまして」

「別―――」

 そこへ先ほどの小僧が近づいてきて、

「お帰りでございます」

と言った。吉村が立ち上がるよりも早く、井上が奥から出てきた。若い武士二人は素早く近づいてくる。

 井上の傍らに、黒羽織をまとった武士の姿がある。井上は五十四歳だが、男はそれよりは少し若く、春勝と同じ四十歳ほどに見えた。厳しい顔つきは、どこか荒行に挑む修験者のようだ。譜代大名で奏者番という井上の傍らで、少しも控えめに振る舞う様子もない。

 井上は吉村を見て、取り次ぎも通さず、気安い調子で直接に声を掛けた。

「急なことで、世話をかけたの」

「いえいえ、わざわざお運び頂くとは、もう何と申して良ろしいやら」

 下手をすると土下座しそうな程、腰も膝も折って恐縮する吉村に、井上は笑う。

「先生には明日、我が邸にお移り頂ける運びとなった。人を寄越すゆえ、それまでくれぐれもご無礼のないようにの。先生がお望みの書があれば、お持ち頂けばよい。代は当家で払う」

 はい、それはもう、と吉村は頭を下げる。そこで井上は春常らを見た。

「おや、これは奇遇だの」

 春勝は深く頭を下げる。幕閣の諮問に預かる春勝は、井上とも知らぬ間柄ではない。

 ただ先代の羅山の頃から、林家が最も懇意にしている大名家は、井上が「下手三味線」とあだ名される元凶、酒井雅楽(うた)家である。

「そなたの息子か」

「はい」

 井上は成り行きといった様子で尋ねたが、特にそれ以上話をする気はないらしく、吉村に目を向ける。

「長話も店に迷惑であろうな。伴の者も待っておるゆえ今日は失礼しよう」

 そこで傍らの武士に向き直り、丁重に言った。

「それでは明日、我が邸にてお待ちしております」

 譜代大名が「先生」といい師礼をとる、この武士は一体何者なのだろう。春常はついしげしげと見てしまう。春信がそっと袖を引き、つね、と小声で囁き、じろじろ見るなと目線で嗜めた。

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