二 上方の儒者(一)
父や兄と市中を歩くのは、春常にとっては楽しいことだった。
林家の「本邸」は神田にある。今朝、京から取り寄せを依頼していた書が届いたと書肆から連絡があった。登城する前にその知らせを受けた春勝は、御城での役目が終ってから、御門で落ち合って共に行こうと息子たちを誘ったのだった。
書肆吉村屋は上方が出版した書、いわゆる「下り本」を主に扱う書物問屋である。仏書や医書、儒書といった堅い本が多い。また顧客の要望に応じて輸入本の取り寄せや本の修復なども手がける。店主の吉村は上方の人間で、本店の店主の息子である。江戸で出版される書も少しずつ増えてきてはいるが、やはり未だに出版点数も流通量も、京を中心とする上方が江戸を圧倒していた。
春常には祖父に当たる羅山は京の生まれである。京伏見で神君家康に召し抱えられて以来、羅山はかれに随い諸国を転々とした。ようやく江戸に落ち着き、京に暮らす妻子を呼び寄せたのは五十二歳になってからのことで、父春勝は十六歳まで京で育った。在京の当時は本店へよく通ったのだそうだ。
「法眼さま。お待ちしておりました」
店に入ると、店主の吉村は上方なまりで言って、慇懃に頭を下げた。それから春常らに目を向け、
「お父上のお供でいらっしゃいますか」
と微笑する。
「父はいつも大量の書を抱えて帰りますので。今日は弟と荷物持ちについて参りました」
はきとした春信の答えに、吉村の笑みが深くなる。
「それは親孝行なことで」
春勝は口元に笑みを浮かべ、店先に腰を下ろす。
「手ぶらでは帰れなくなりました」
「毎度どうも、有難いことでございます」
もっとも今日店に来た目的は取り寄せた書を受け取りなので、手ぶらで帰るという事はあり得ない。それを承知した上での、兄の受け答えはいつもそつがない。
小僧が奥から布に包んだ書を出してきた。本を改めながら、春勝は吉村に新刊や仕入れた本のことなどを尋ね、吉村はそれに棚から書を持ってこさせたり、引き札を出させたりして応じた。取り寄せた書を受け取るだけなら邸に届けてもらってもいいのだが、わざわざ書肆へ足を運ぶのは、そうした情報に触れるためでもある。
春常も兄と共に春勝の傍らに座り、耳に新しい書の話を興味深く聴いた。それもまた、春勝の息子たちへの教育の一環でもあったのだろう。