婚約のネックレスを失くしました。
かつて大陸を牛耳っていた華国の首都が、ある日突然謎の小国に陥落させられたことは2000年近く経った今でも人々の間では語り継がれている。その際の爪痕は今もなお様々な国に残っており、それらはその小国が過去における世界の覇者であったことを表している。そんな謎の小国こと東にある小さな島国、日ノ国。
今でこそ広大な大陸の土地を独立した国々に手放し、元の小さな島国として存在しているが、それでもなお過去の影響は世界中に残っており、例えば世界の公用語は日ノ国で使われている和語(リアルにおける日本語)である。
日ノ国の首都である月都、そこの貴人街は常にどこか高貴な雰囲気が漂っており、その雰囲気は凡人からしたら居心地の悪さゆえに一刻も早く帰りたくなるほどである。
そんな貴人街の一角にある綾小路家も例に外れることなく「貴人オーラ」とも言える雰囲気をその家の周りに纏っていた。
「あああ!ないっ、なんでないのっ⁉︎」
そんな雰囲気をまるで浮気をされた彼女のビンタを受けた男のごとく吹き飛ばす様な声が響いたのは、新雪が降る12月初頭の朝のことだった。
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日ノ国は自他共に認める強国である。それゆえにこの国で「貴人」と呼ばれる人物は、誰であろうと専門の分野においては世界トップレベルの実力を持っている。
その貴人の中でも国政において、あのヘルムート・コール元首相も真っ青な世界最高の政治力を持っていたと言われており、かつての日ノ国の大躍進を国家の中心で支えた綾小路隆之である。その名は現在の教科書に載っており、彼がいなかったら日ノ国の大陸統一は成し遂げられることはなかったであろうと現代の歴史家たちは皆声を揃えて言っている。
そんな綾小路家の本家の末席に現在名を連ねている者が、第125代目綾小路家当主の綾小路理樹の1人娘にして、あの初代の隆之の再来と噂されているほどの才の持ち主であり誰もが羨む美貌を持つ、綾小路真由美その人である。
そんな容姿端麗、才色兼備、文武両道を地で行く彼女が今、人生最大の危機にさらされていた。
「婚約のネックレスが、ないっ!」
日ノ国が大陸を統一するよりも昔、大陸のとある半島の国にて行われていた風習に約束を果たすための誓いとして指輪を送るというものがあった。その風習を取り入れて少し改変したものが現在の日ノ国の婚約の儀であり、その儀においての最重要アイテムこそが婚約のアクセサリーである。
義理堅く誠実な国民性が特徴の日ノ国において婚約に必要な書類などは無く、婚約のアクセサリーを購入する際に国の紋章をそれに刻むことのみを遵守することで成立する。すなわち婚約のアクセサリーは婚約者同士を結ぶ唯一の証明であり、それゆえそれを失くすという行為は誇り高い日ノ国民にとっては大きすぎる失敗であり、特に貴人と呼ばれる人々にとっては人生最大の汚点にもなる失態である。
そして、当たり前の話だが婚約のアクセサリーを失くしたカップルは親に婚約を認められることがほとんどないために、破局するかもしくは田舎に駆け落ちして慎ましく生きていくかの選択を迫られることになり、庶民は出世の道を永遠に閉ざされ、貴人の場合は、婚約を解消した後失くした側が身分を捨てて絶賛発展途上真っ盛りな大陸の国に渡り、その国に骨を埋めることが暗黙の了解となっている。
さて、このようになくした場合の代償があまりにも重いことは百も承知である彼女はというと……
(やっべこのままじゃ俺死ぬじゃん親面目丸つぶれじゃんこの国終わるんじゃねやっべwww)
冷や汗をかきながら心の中で草を生やしていた。
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日ノ国が誇る才媛である綾小路真由美には幼少の頃に巻き込まれたとある事件によって心の性別が男になるという出来事があった。ついでに潜在的な性格も軽くなった。その際の犯人たち(とその時の彼女の護衛たち)は理樹の逆鱗に触れたということで天に召されたので、彼女の変化に気づいたのは彼女の目が覚めた報告をもらった2時間後に1週間分の仕事を終わらせて有給をとった親バカ(父親)の理樹と母親の綾小路美玲と彼女のことをみた医者だけであった。
その後娘の心の性別のことを考えた親の猛反対を貴人における正論(嫁いで人脈を広げましょう)で押し切り、それなりに有力な貴人の嫡男と婚約を結び、めでたしめでたしで終わったのが今から10年前、真由美当時7歳の頃であった。普通7歳の子供がそんなことできるわけがないのだが、事件によって早熟したと医者が言っていたのでそれが事実である。決して今流行りの『憑依転生が起きて中身が20代のチャラチャラなオタク男子になっちゃった』というわけではないのだ。……ないのだ!
彼女としては、いくら綾小路家に嫡男がいるからといって自分がフラフラするわけにはいかない(by7歳児)という早熟した思考だけで無く、ただ単にお相手(太田環くん。童顔腹黒美形紳士。この時は勿論ショタ。親はナンタラ大臣)に対して女性としての身体の本能が反応して好意を抱いたということもあったので、婚約に関しては我慢の1つもしていなかった。むしろ優良物件に唾つけられてラッキー、これで行き遅れて家の評判が落ちることはないな、とも思っていた。
そんなわけで、2人は仲違いすることなく学院に身分違いの逆ハーヒロインが出てくることもなく、平穏な日常を暮らしていた。
今日、彼女がネックレスを失くすまでは……。
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(はぁい、私、綾小路真由美。今大切な婚約のネックレスを無くしちゃったの!早く見つけないとお父様たちにご迷惑がかかるし、環くんと離れ離れになっちゃう!はわわぁ〜、私、どうすればいいのぉ〜⁉︎……マジでどうしよう誰か助けて下さいなんでもしますからなんでもするとは言っていない)
そんな絶賛大混乱中の彼女だが、外から見るとその物憂げな表情は彼女の美貌と相まってただただ彼女の魅力を底上げしており、今暴走している彼女の頭の中を見て彼女だとわかる人間は存在しないであろう。10年間周りに性別を偽り続けた擬態力は伊達ではないのだ。
(いやいやふざけてる場合じゃねぇマジでどこ行きやがった。確か昨日の昼の環くんとのお昼ご飯の時にはあったよな。うん、そこで環くんがうちのメイドに勧められたコーデだとも知らずに褒めてくれたからな。環くんゴスロリが好きなんだなぁ。うちのメイドが優秀すぎた件について、どこで仕入れたんだろうなそんな情報。でもグッジョブえへへぇ……っじゃ無くて、その後だ)
側から見たら魅惑のオーラを撒き散らしている様に見せながら、昨日のことについて、時折環くんのことを考えて心の中でえへえへとヨダレを垂らしながら、思い出そうとしていた。ちなみに彼女の場合人格は男だが、恋愛対象は身体に引っ張られたのかはたまた所詮運命の相手とやらだったのか、男である環くんがストライクゾーンど真ん中にある。最初はなんだか気になる程度だったが、今ではご主人様に対する忠犬の様である。最近のブームは頭をなでなでしてもらうことらしい。完堕ちである。
(たしか家に帰ってきたのは環くんの用事に間にあわせるために17時だったな。わざわざ送ってくれて……じゃなくて!そのあとお風呂に入るためにメイドに着替えを手伝ってもらおうとしたら両親が出かけてたから付き添いに他の使用人が出払っていて新人ちゃんしか居なくて、面倒だったから1人でさっさと着替えて風呂に入ったんだっけ。あああなんでその時気がつかなかった⁉︎確かにいつもネックレスは無意識に外してるけど!疲れていたからか?くそ、たかだかショッピングぐらいで疲れるこの身体がうらめしいぞチクショウ!)
昨日は両親ともに用事でまだ今(現在朝の8時)も帰ってきていないが、この国のトップの右腕とその夫人となるとこんなことは日常茶飯事である。たまには彼女自身もつきあうが、例の事件以降過保護さが輪をかけて重くなった両親によって、彼女が参加する用事は月に1回あるかないかぐらいの頻度となっている。(普通の17歳の貴人は月4、5回は夜会やお茶会に参加している)
(よっしゃ、こうなったら親が帰ってくるまでに見つけ出してやる!)
日ノ国が誇る才媛(笑)の綾小路真由美嬢は、親が帰ってくるまでにネックレスを見つけて今回の失態を闇に葬ることを決めたのであった。
(全てはご主人さm……環くんのために!あ、あとお父様とお母様のために)
どこかで猫の鳴く声が聞こえた。
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「さて、先ずは浴室かしら」
部屋の中で物憂げな表情をうかべることをやめて建設的なことを考え始めた彼女がまず始めに探しに行ったのは、真っ先に候補に上がった浴室だった。
陽暦2050年現在、世界の街並みは現実の物と大まかには変わらない。それは日ノ国も例外では無く、細かい違いはあれども首都には某空の塔の如き電波塔があり、西の歴史的建造物が目立つ街には見た目金ピカな建造物が建っている。
そんな中の唯一の例外が貴人街である。
首都である月都の一角を占めており、街の出入り口はゲートが、周りには外壁があるそこには数多くの豪邸が立ち並んでおり、これこそ貴人街の高貴な雰囲気を醸し出している要因の1つである。そんな街にある綾小路家も街の例に漏れず豪邸である。 そんな豪邸の浴室は当たり前だが広く、小さめの町の銭湯ぐらいの大きさがあるために、ひ弱な令嬢ひとりが隅々まで探すには時間がかかる。
「というわけだから、くれぐれも内密にお願いね?」
「は、はい、頑張ります!」
よって彼女は、ドジっ子というメイドにあるまじき属性を持ちながらも基本的には優秀な新人ちゃん(命名:母美玲。本名:八木優子)をお供に連れて、ネックレス探しRTAに挑むのだった。
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新人ちゃんことメイドの八木ちゃんは優秀である。その優秀さはとある欠点さえなければ主人である理樹が側近にしたいと言い出すほどであり、とある出来事をきっかけに屋敷の人間全員が彼女の致命的な欠点を知ることとなるまでは、次期メイド長は彼女だと言われていたほどである。
そんな彼女とともに浴室を隈なく探したのだが
「ないですねぇ」
「ないわねぇ」
なかった。
更衣用スペースやシャワー台、浴槽の中から排水溝まで探した結果、分かったのは家の使用人の掃除の腕が業者並みだということだけだった。広大な浴室に髪の毛一本なかったというとその凄さが分かるだろうか。
というか、
「今髪の毛一本ないということは、もう掃除されているということではないかしら?」
「あ、そういえばわたし昨日お嬢様が入った後にお掃除しましたよ」
「」
新人ちゃんは新人ちゃんなのであった。
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え、ちょっと、お嬢様顔が、顔が怖いですよあちょっとまってごめんなさいごめんなさいその手にあるもの持ってこっちこないでください嫌あああぁぁぁ……。
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後ろですすり泣く新人ちゃんの声をBGMに次に向かうのは食堂である。いくら疲れで記憶が曖昧だからといっても、自分が昨日何処へ行ったのかくらいは覚えているため、行き先に迷いはないのだ。ちなみに移動は歩いている。RTAとは一体なんだったのか。
「気分よ気分。早く見つけないといけないのは事実だし」
「……(お嬢様の気が狂った!)」
謎の電波を拾った主人の娘に対してかなり失礼なことを考える従者を引き連れて二人が食堂に着いたのは午前11時過ぎ。なので二人は少し早いがお昼にすることにした。
失くしたことが公になれば大事になるにもかかわらず悠長ではないか、と思われるが、よく考えれば昨日今日と屋敷にいたのは真由美とメイドの二人であるため、
「あなた、昨日の夜に食堂を掃除したかしら?」
「はい、勿論!」
という会話のもと、先ほどの様な時間をドブに捨てる行為を避けることに成功した。
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ミスディレクションとは、心理学における「不注意による見落とし」というものであり、『マジシャンが右手を出したら左手に注目しなさい』という言葉はこのミスディレクションに注目している言葉である。例えば、目の先の大きな問題が解決するとその影に隠れる様な小さな問題を見落としてしまう、という状態が挙げられる。
さて、優雅な昼食(新人ちゃん作。まともな食事だった)を終えた彼女たちだったが、1つ重大なことに気がついた。
「……ねえ、もしあなたが昨日私が使ったあとの空間をちゃんと掃除していたら、その時に見つかっているんじゃ……」
「あっ」
これこそミスディレクション。新人ちゃんが昨日真面目に業務を果たしていたという事実に気がつき、目の前の部屋を片付けなくていいということに気を取られて、そもそも、もしネックレスが落ちている場所を掃除をしていたら昨日の時点で見つかっているということに気がつかなかったのだ。日ノ国が誇る才媛(笑)はやっぱり才媛(笑)だった。
まぁ、そもそも新人ちゃんが新人ちゃんじゃなかったら起きなかったであろうことなので、やっぱり新人ちゃんは新人ちゃんだった、ということがよくわかる事例だった。
「……」
「お、お嬢様、どうしましょう!このままじゃ……」
「……ええ」
「このままじゃただでさえひどい旦那様の心労がマッハになってしまいます!」
「……(そっちかよこのわんこメイドが)」
ちなみに八木ちゃんは、とある理由で理樹と美玲(とついでに真由美)に忠犬のごとく懐いている。特にこの屋敷で働くきっかけを与えてくれた理樹には某渋谷駅の待ち合わせスポットのごとく尽くしている。ドジっ子属性さえなければ愛人枠にさえ手が届いたのに、世界はいつだってこんなはずじゃなかったことばかりなのだ。
(しっかしマジでどうしようか。コイツはドジだけど、ドジだけど流石に婚約のアクセを見逃すほどの無能じゃあない。でも、万が一外で何かの拍子に落としたとしても、エスコートしてくれた環くんが気づかないわけがないよな。だって環くんだし。……え、待ってこれもう俺環くんと会えないんじゃね?婚約のアクセ失くしたとか知られて、もしも冷たい目で「君とは婚約を解消するよ。さようなら」なんて言われたら……あ、やべ意識ががががが)
「うぅん……」
「お、お嬢様ー⁉︎」
どうやら環くんに嫌われる想像をしたら、予想以上のダメージが入ったらしく、真由美が倒れてしまった。その際に、名女優による演技かと疑われてもおかしくないほど綺麗に、そして自分をより一層美しく見せる倒れ方を、意図的ではないにしろした真由美と、それを咄嗟に姫抱きの体勢で支える新人ちゃんは、まるで某映画の聖地で作られた映画のワンシーンの様だった。
☆★☆★☆★☆
真由美が目を覚ました頃には、部屋の外は薄明の空となっていた。
「んんん、えっと、私は……」
(ええと、確か俺はネックレスを探している途中にとても重大なことに気がついてしまって……んん?なんだっけ?)
「あ、目が覚めましたか」
(⁉︎)
真由美はプロボクサーの渾身のストレートを受け止めたが如く衝撃を受けた。
仰向けに寝ている真由美の目の前、つまり顔の上にあったその顔は、遠い昔の大陸の西の方の血がわずかに混ざっていると言われている、美しく整った優しげな顔をさらに安堵のためか緩ましていた。
つまり、彼女の目の前には、世間一般からして天使と呼ばれるにふさわしい顔をした愛しの人がいた。
「ごふぅっ…」
「え、ちょ、真由美さんっ⁉︎」
そりゃあ死にますわ。
☆★☆★☆★☆
「お見苦しいところをお見せ致しまして申し訳ございません……」
「いえいえ、こちらこそとんだ失礼を。顔、近過ぎましたね」
(あ、もうだめ尊死しそう)
知らずに人一人を天国へ送ろうとしている環くんにそれでもいいかなと一人の少女が人生を終らし始めたころ、ふと、なぜ彼がここにいるのか真由美は気になった。
(え、でも俺なんもしてない……訳ではないし、今現在進行形でやらかしている訳だけど、まだバレてないはず。なんでいるんだ?あ、まさか俺に会いに来てくれたのかえへへ環くんめ愛い奴だなまぁ別に良いんだけどというか俺から行きたかったぐらいだしえっへっへ)
「実は、婚約のネックレスについてなんですけど」
(あ、おわた)
「……あの、なんで果物ナイフを手にとっているんですか?というか、どこから取り出しました?」
「先立つ不孝をお許しください、お父様、お母様……」
「え、ちょ、ま、待ってください!話を!話を聞いてください!そしてナイフから手を離してください!」
☆★☆★☆★☆(少々お待ち下さい)
「重ねてお見苦しいところをお見せしました……」
「い、いえ……、僕は、ゲホッ、平気、なので……ゴホッ」
錯乱して脳のリミッターが外れた真由美をなんとか拘束して耳元で命令することで難を逃れた環くんは疲労困憊だったが、息を整え終えた後、何事もなかったかの様に話を始めた。つおい。
「あのですね、あのデートの後に車を僕が降りようとした際に、このネックレスが座席の隙間に挟まっていたことに気がつきまして、そのあとすぐに用事があったので爺に御電話させようとしたのですが、電話にどなたも出なかったようなので、あのあと随分とお疲れの様でしたので、その日じゃなくて次の日にお家に伺って手渡ししようと思っていたのですが……。まさか錯乱して自殺しそうになるまで追い込まれていたなんて思っていなくて。その日中にお届けしたらよかったですよね。すみません」
(え、何この人、天使かな?)
マジでその通りである。
ちなみに、電話が通じなかったのはその日は両親ともにいないということで電話線の点検を丸々一日かけて行っていたためである。決して新人ちゃんがこけた際に電話線が切れたわけではないのだ。過去に実際にあったが、今回は違うのだ。
また、いうまでもないが彼女が錯乱した原因の7割近くが、環くんに婚約のアクセサリーをなくしたことがバレたと思い込んだことにある。彼女は環くん関連以外は図太いのだ。
「い、いえ、そんな!私こそ不注意で環くんにご迷惑をおかけしてしまい……」
「いえ、僕の方が……」
「いえいえ、私の方が……」
「「ふふっ」」
爆発しねぇかな、このバカップル。
「じゃあ、お互い様ということで」
「ですね」
はいはい、めでたしめでたし。
☆★☆★☆★☆
《真由美降車後。環くん視点》
「……爺」
「ええ。分かっておりますよ、坊っちゃま」
真由美さんにはただの用事だと言ったけど、本当はそうじゃない。もしも本当に大したことのない用事なら、こんなことするはずもないのだから。
僕はポケットの中の真由美さんの婚約のネックレスを手で弄びながら、そんなことを思った。
☆★☆★☆★☆
僕と彼女が初めて出会ったのは、僕が8歳で彼女が5歳の時。彼女にとっての初めてのお茶会らしかったその会で、僕は同時に初めて恋というものと一目惚れというものを体感した。
その時は年も性別も違ったので接点がなく、挨拶程度しかできなかったが、僕が初めて聞いた彼女の声は今もなお耳の奥に残っている。
『はじめまして。あやのこうじまゆみ、ともうしましゅ……っ!』
何度も練習したのであろうカーティシーと共にこの世に発されたその挨拶は、社交界における僕の仮面を吹き飛ばすのには、少々どころか多大なるオーバーキルだった。
その天使の歌声の様な声に、天に祝福されたかのような絹色の髪に、そして、噛んでしまったことへの羞恥心で顔を赤くしながらも表情を崩さずにいるその心に、僕は魅了された。
今まで灰色に見えていた景色に色がついたのは、その時だった。
それから僕は、彼女が出てくる会には全部出る様になった。幸いにも彼女の実家はあの綾小路家なので、貴人間のコミュニティーを通じてどの会に出るのかは全て把握できた。
それまでは逃げてばかりいた勉強も、彼女の隣に立つにふさわしくなるために頑張る様になった。そのことで家中の人から驚かれた。前までならそんな反応をされたら反抗してただろうけれど、そんなことは気にならなくなった。彼女は婚約者がまだいなかったので、候補に入れる様にする努力は欠かさなかった。
そんな中、あの事件が起こった。
☆★☆★☆★☆
「坊っちゃま、着きましたよ」
「……ああ。ご苦労様」
気がついたら目的地に着いていた。ここに今日話し合うあの人たちがいると思うと、いやでも緊張してしまう。
それでも、僕は彼女の婚約者として、知らなければならないのだ。いや、知っておかないと気が済まないのだ。
あの事件の、真相を。
☆★☆★☆★☆
僕が部屋に通されて15分後、忙しい身でありながらも待ち合わせの時間ぴったりにくるのはあの人たちの意識が高い証拠なのだろう。もしくは娘の婚約者である僕に少なからず気を使ってくれたのか。
「やあやあ環くん、久しぶりだなぁ!元気にしていたかね」
「お久しぶりです、理樹さん、美玲さん。ええ、おかげさまで親子共々健康に暮らさせていただいています」
綾小路理樹さん。僕の婚約者である真由美さんのお父様であり、この国、いや、この世界の大黒柱ともいえる世界の重要人物である。
「あらあら、環さん。私たちのことはお義父さん、お義母さんと呼んでくださいといつも言っているではありませんか」
「いえ、そんな、まだ婚約の段階ですから。ケジメはつけないといけないと、日頃から父より言われていますので」
綾小路美玲さん。若い頃は今では想像のつかないほどの暴れ馬だったらしい理樹さんの手綱を、今でも握っているらしい。いつも顔に浮かべいる柔らかい微笑からは考えられないが、理樹さんの手綱を握っているということは、今の世界は彼女の掌の上、ということも考えられるのか。……我ながら馬鹿らしい妄想だ。そんな雑談を交わしている間に、1品目の料理が運ばれてきた。
食事が、始まった。
いくら将来的には家族になるとはいえ、一言で世界が変わる人たち、それも今からとても重大な話をする相手とともにする食事の味は無いに等しかった。
「さて……」
一通りの食事が終わり、食後のお茶もそろそろ飲み終わるかというところに理樹さんの声が座敷の中で響いた。
「まずは祝いの言葉を。君は今日で20歳だったな。おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「うむ……。ところで、だ」
突然、先ほどの食事中の会話の雰囲気とは全く違う、長年日ノ国の宰相として勤めてきた雰囲気が冷気を纏って僕の肌に襲いかかってくるように感じた。
「君はなぜ今日、多忙な私たちをここに呼んだのかね?」
その時の美玲さんは、一見先ほどと変わらない微笑を顔に浮かべているが、理樹さんの1歩後ろに下がり、そして理樹さんと同じような雰囲気を僕に向けている。
そんな彼らの想いを正面から受け止め、僕は唇の震えを抑えつけながら、ゆっくりと口を開いた。
「あの時の約束を果たしていただくために、お呼びしました」
10年前の、あの約束を。
☆★☆★☆★☆
我らが日ノ国は実質世界の覇者である。なので、すでに大陸の国営からは手を引いているとはいえ、ほとんどの国が我が国の反感を買わない様に下手に出ていた。
そんな体制に不満を持つ者達が何年もかけて準備し、実行まで漕ぎ着けた計画があった。
〈ラグナロク計画〉
この計画は、庶民を扇動して暴動を起こしてその間に貴人の子供を誘拐するという、なんともシンプルな計画だったが、これを実行するために何年も何年も準備をし、その結果大半の貴人の屋敷に1人は働いており、月都の市街には計画における実行役が100人を超えるという恐ろしい状況になっていた。
また、もしこの計画が成功していたら、日ノ国に対して良い感情を抱いていないものたちが日ノ国への負の感情を爆発させるきっかけになり、最悪世界情勢が狂いに狂って文明が一部消えていただろうと、今の歴史家達は震えながら述べている。
そんな計画に巻き込まれた貴人の家は、十家。その時の国の貴人の家が全部で五十家だったことから、それがどれほどの被害だったのかは、当時まだ10歳だった僕にも分かった。
そして、その十家の中には綾小路家も含まれており、当時7歳だった真由美も巻き込まれていた。
☆★☆★☆★☆
「当時10歳だった僕には、その時は何か凄い大変なことが起きているということしかわかりませんでした。そして、その後真由美さんによって婚約者に選ばれた際に、無神経にもあなたに何があったか聞きました。この国の宰相なら、被害にあった家の人ならば何か知っている。そう思っていたのです」
そう、あの時の僕は馬鹿だった。最低だった。相手の気持ちを考えるということを軽く見て、自らの好奇心を優先した。
「そんな失礼な僕に、貴方は殴ることも怒鳴ることもせず、こう言いました。
『君が真由美の婚約者として20歳を迎えたら、教えてあげるよ』
と」
あの時の理樹さんはどういう心境だったのか、どれだけの苦しみを心の中に押し込めて公務に勤しんでいたのか、僕にはわかることが出来ない。
それでも、
「だから、教えて下さい。真由美さんの婚約者として、なんていうつもりはありません。ただ彼女のことを、僕が知りたいんです」
彼女の隣に立つために、彼女の支えとなるために。
「お願いします。あの時のことを、僕に教えてください」
僕は、正座しているから手を離して、頭を下げた。
☆★☆★☆★☆
「……頭を上げなさい」
僕が頭を下げてから、何秒たった頃だろうか。僕には体感として一瞬にも一生にも感じたが、とにかく少し経ったあとに、その理樹さんの声が僕の頭の上に降ってきた。
僕が頭を上げると、目の前には少し目を潤ませた理樹さんと、僕の方を温かい目でみる美玲さんがいた。
「……君のことは、君が生まれた時から知っていたんだ。だから、君のことはもう一人の子供のように勝手に思っていたんだよ。そんな君が私たちの娘の婚約者になり、そして今、相応の覚悟を持って、小さい時の約束を果たそうとしてくれている。私はね、環くん。そんな君の成長が、嬉しくて嬉しくてたまらないんだよ」
目尻から一粒の涙を流しながらそう言った理樹さんは、ゆっくりと、当時のことについて話し出した。
☆★☆★☆★☆
それから、たくさんのことを聞いた。事件の真実や犯人たちの処遇、当時の理樹さん達の心境、そして、彼女の人格についても。
それら全てを話してもらったのち、ふと思い出したかのように理樹さんが僕に問いかけた。
「そういえば、なんでわざわざ娘のネックレスを持ってきたんだい?君のことだから何か意味はあるんだろう?」
「そうですね……」
そんなこと、簡単な話だ。
「……もしもあなたたちが話してくれなかった時に、彼女が外に追い出されるようにするためですよ」
婚約のアクセサリーをなくした貴人は、日ノ国から追い出される。
そして、僕は彼女のことを教えてくれなかった彼らと仲良く交流する自信はない。
だったら、合法的に2人きりになるようにすれば良い。
「え、なんだって?」
「いえ、なんでもありませんよ。そうですね・・・」
……なんて、小声でしか言えないよな。
☆★☆★☆★☆
目の前で彼女が寝ている。どうやらネックレスを探している時にいきなり倒れたらしい。それを聞いて僕は咄嗟に護身用のナイフが首に向かったが、なんとか踏みとどまった。
それにしても、やはり彼女は愛おしい。このまま眠ったままでも愛し続ける自信がある。
「んんん、えっと、私は……」
あぁ、愛してる。愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる。
「あ、目が覚めましたか」
もう、離さない。
〈人物紹介〉
綾小路真由美
本作の主人公その1。
作者が女の子を書こうとすると非常に都合の良い女しか書けないことに絶望した際に「あ、なら中身は男にしたらいいじゃん」というトチ狂った考えにより生まれた被害者。
擬態は身内以外には完璧に通用するが、彼女が身内判定した人の前では通用しないという不思議仕様。
作者は結局彼女が都合の良い女枠から抜け出せないことからは目をそらしている。
決して事件の拍子にオタク男子が憑依したわけではないのだ。
太田環
本作の主人公その2。
作者が苗字を出すタイミングを取れずに、結局1回しか本編で苗字が出なかった可愛そうな子。
本人は無自覚で周りも気づいていないが、ヤンデレの気質がある。
ちなみにヤンデレ属性は完全に作者の趣味である。ヤンデレってイイよね!
八木優子
ドジっ子属性持ちのある意味パーフェクトメイド。ちなみにこの名前の名付け親は美玲。
元々大陸で裏稼業として暗殺者をしていたが訳あって追われる身となり、追っ手を皆殺しにした後死の偽装とどこかへ流れ着く奇跡を信じて海に飛び込み、そして日ノ国のとあるプライベートビーチに奇跡的に流れ着いた。その際に一人で散歩をしていた理樹によって拾われ、なんやかんやで屋敷で働くことになり、現在に至る。ちなみにドジっ子属性が発症したのは理樹に拾われた後であり、裏稼業から手を引いた反動だと思われる。
作者がドジっ娘メイドを推しているが出し方に迷った挙句裏設定が多くなってしまい無駄にめんどくさい子。
綾小路理樹、美玲
現綾小路家当主とその夫人。重度の娘バカであり、ラグナロク事件の際には2人の手によって犯人たちの8割近くを再起不能にしたヤベー奴ら。ちなみにその際、そうやったかは不明だが仕事には一切の支障をきたさなかったようだ。彼らを人間としてカウントしているのは、世界中探しても娘の真由美とメイドの新人ちゃんの2人だけである。
爺
太田家嫡男の専属執事。御年55歳。体術と銃の扱いと坊っちゃまの身の回りのお世話をマスターしているSI☆TU☆ZIである。若い頃やんちゃをしていたが、今の太田家当主(名前未定)によって日ノ国の自衛隊の指導員として雇われた。(太田家は主に軍部を担当している)
最近の趣味は婚約者である真由美の話をしている坊っちゃまの姿を見て、感慨に耽ること。
ラグナロク事件の犯人たち
日ノ国に何かしらの悪感情を持っていた大陸人。今では全員大陸の小国で臣官をしているらしい。ちなみに厨二感漂うこの作戦名は彼らが所持していた作戦資料にのっていたため、彼らの中の少なくとも1人は厨二病を患っていたということが、事件について詳しく調べていた専門家によって証明されている。事件から5年後にこのことを含めた内容が国の教科書に載ることになったことを、彼らは知らない。




