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「へシス・マジョレットでございます」

 シフォンはニースの方を向きながらそう答えた。

 へシスの由来は労働と日々、神統記などを書いた叙事詩人のヘシオドスかな? 

 私はそんなことをぼんやりと考えながら、へシスの顔を頭の中で浮かべた。

 ……何度か学園内で見かけたことはある。直接話したことはないが。割と中性的な見た目をしていた気がする。長いストレートの灰色の髪をいつも一つにまとめていたイメージ。女にモテる女って感じの雰囲気だった。今、目の前にいるシフォンと正反対の女の子。

「目立つ存在ではあったな」

 そう、目立つ存在だったのだ。彼女の性格は女よりも男よりで、女の子から実際に人気があった。……このことを随分と前から知っている。そうか、多分、今回の出来事はイベントなんだ! ニースとソフィアの距離が近づくイベント! 何故か代わりに私がニースと距離を詰めているのだが。

「言われてみれば、最近彼女を見かけなかったな」

 友達が昔、話していた気がする。推しがなんとかとか言っていた。彼女の推しはへシスだったのだろう。……他になんて言っていたっけ? 何か重要なことを言っていた気がするのだけど思い出せない。

 どうして私の脳は肝心なことを忘れてしまうのだろう。

「リル様、難しい顔をなさってどうかしましたの?」

「あ、ううん、ちょっと考えごとをしていて」

「何か分かったの?」

 些細な情報も全て教えて欲しい、彼女の瞳が私にそう訴えていた。へシス・マジョレットのことを余程心配しているのだろう。必死な様子がひしひしと伝わってくる。

「何か分かったら、すぐに教える」

 私はそれだけしか言えなかった。彼女の思いに応えたいが、今回の出来事が上手くいくとは限らない。

 シフォンは何も言及せずに、ただ黙って頷いた。

「私は今までリル様のことを誤解していたみたいですわ。ソフィア様に今までしてきたことにもきっと何か意味があったのね」

「……誤解じゃないよ。それが私なんだよ。ただ今回は気まぐれで助けるだけ」

「気まぐれで人助けですか?」

 にっこりと微笑みながらシフォンは私を見る。

 ……なんだか嫌だな。この雰囲気。本当に私は良い奴なんかじゃない。ただ今回はニースに巻き込まれただけだし。

「とにかく、俺達はへシスがどこにいるのか特定しないとな」

「確かにね。どこかに監禁されている可能性もあるかもしれない」

「有難う御座います。……くれぐれも気を付けて下さい。私の両親が絡んでいると非常にややこしいので……」

 言いにくそうにシフォンは言葉を発した。

「分かった」

 ニースはそう言うと、歩き始めた。私もそれと同時にその場を離れた。

 心配そうに見つめるシフォンの顔が脳裏に焼き付いた。


「絶対にシフォンの両親がへシスをどこかに閉じ込めたよね」

「運が良ければな」

「どういうこと?」

「ルミアーナ家は良い噂を聞かない。男爵から爵位を上げる為に汚い手を使ったという噂を聞いたことがある」

「成程ね~。貴族の世界って面倒くさいね」

「リルも貴族だろ」

「私は呑気な貴族だからね。親のすねかじって生きている人間だから。自分で労働してお金を稼いだこともないし……。働こうかな……」

 私の言葉にニースは目を見開きながら私を見た。驚いて声も出ないとはこういうことを言うのか。

「……働く? 公爵家の令嬢が労働するのか?」

「うん」

「世の中を舐めているのか?」

 口ぶりで怒っていることが分かる。

 まぁ、今まで散々甘やかされて育ったお嬢様がいきなり世に出て労働するなんて言えば、向こう側の世界の人間からしたら怒られるのも当たり前か。まぁ、ニースは騎士だけど。

「舐めていないよ。ニースはこの国の民と関わることが多くて、私の歳で自立している人間を沢山見ているわけでしょ? だから、私にイラつくのも分かるんだけど……、私も中途半端な気持ちで言っているわけじゃない」

 信じてもらえないだろうけど……。貴族の令嬢なんかしているよりも、研究所で新薬開発とかに携われた方がずっと良い。というか、私の魔女の力を使って、色々と役に立ちたい。勿論、ソフィアに対しての償いが終わった後でね。

 魔女の生きやすい世界に出来たらな~。

「ニースは自分一人の力で何が出来ると思う?」

「は?」

 いきなりの私の質問にニースは怪訝な表情を浮かべる。

「私達の力なんてたかが知れてるんだよ。世界を変えることなんて到底出来ない。まぁ、世界の定義がどこまでかによるんだけどね」

「何が言いたいんだ?」

「地球は太陽という恒星の周りを公転する惑星の一つ。恒星が数百憶から一兆個くらい集まった天体を銀河と呼ぶ。さらに、数十個の銀河からなる他の銀河群が存在する。で、数百個から数千個の銀河の集まりを銀河団と呼ぶ。……こんなにもひっろい世界の中の私なんていないのも同然だよ」

 ニースは何も言わず、私の言葉を黙って聞いている。私は一呼吸置いて、また口を開いた。

「けど、人間はそんな中で必死にもがいて生きて、小さなことですぐ悩んで、……変な生き物だよね。学ぶ、鍛える、そんなことに何の意味があるんだろうって思ったことない?」

 ニースは何も言葉を発さない。私は歩きながら話を進めた。

「もしこのまま自立しないまま死んでしまったら、元々ちっぽけな存在なのに、さらにちっぽけになりそうでしょ? 鶏口となるも牛後となるなかれってやつ?」

「……なんだそれ?」

「大きな集団の中の低い地位でこき使われるよりも、小さな世界でトップでいるってことかな。今言った話と若干話は違うけど、せめてもの私のあがき。こんなに小さい世界で自立しないでどうするんだって……」

「十分、大きな集団の中で高い位置にいるだろ」

「私の話聞いてた? ニースと大きいの定義が違うんだよ。私からしたら、この地球は小さい。そして、この国はもっと小さい。この国でトップになったところでまだまだだと思っている」

 私がそう言うと、ニースは一瞬きょとんと固まり、突然笑い出した。

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