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「……忘れないよ、絶対に。レイチェルもレイナもマリアもマリアの旦那さんも、絶対に忘れない」
静かな澄んだ声でリルがそう言った。その言葉にマリアは穏やかに笑った。今までの不気味な笑みとは違う。
心からの笑みとはこういうことをいうのか。
「色々と怖がらせてごめんなさい。……来て下さり本当に有難う御座いました」
マリアは深々と頭を下げた。マリアの夫も軽く頭を下げる。
このやりきれない思いをどうすればいいのだろうか。この家族を助けられない自分の無力さが身に染みる。もし俺が王子を守る騎士でなければ法を破っていたのだろうか。
「行くよ」
リルはマリアに背を向けて階段を上り始めた。彼女がもう一度マリアの方を見ることはなかった。俺は最後にマリア達の方を見た。すでにマリア達の場所は燃え始めていた。彼女は声を出さずに口を開いた。
『大切な人を放さないで』
そう言っていた。俺は彼女の瞳を見つめながら強く頷き、その場を離れた。
家の外に出ると、皆が心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?」
「気付けば俺達外にいてて」
「僕達、なにがどうなっているのか分からなくて」
「お前たち二人がいなくて皆心配していたんだ」
「何があったの?」
「レイチェル達はどこにいるんだ?」
次々と質問を投げかけらえる。リルは隣で俯いていた。彼女の顔に陰がかかっておりどんな表情をしているのかよく分からない。
「リル? 大丈夫か?」
俺は皆の質問に答える前に彼女に聞いた。勝手に口が動いていた。
すると、リルはいきなり顔を上げた。さっきまでの切羽詰まった様子は一切なかった。全く何が起こったか分からない様子で笑っている。この状況でこんなにも自然な笑顔を作れるのか。……もし彼女が魔女でも、リルなら生き残れるかもしれない。俺はそんなことを思った。
「何がぁ~!? リルねぇ、気付けば燃えててびっくりしたよぉ」
目を見開いて、驚くふり。明るい口調でことの重大さが分かっていない馬鹿だと思われる。皆、彼女の今の態度に軽く苛立っている。
「ニースがいてくれなきゃ死んでたって思うとぉ、怖かったよぉ~~~」
泣きそうな表情を作り、わざと声を上げて、ソフィアに抱きついた。周りは冷ややかな目で彼女を見つめているが、ソフィアはそうではない。彼女は優しい。
「もう大丈夫。安心して。怖かったね。大丈夫だよ」
リルの頭を撫でながら穏やかな口調でそう言っている。皆、彼女の優しさに癒されている。
「レイチェル達はどこにいるの?」
ソフィアがハッとした表情を浮かべ、俺の方を見た。
「彼女たちは……」
「どこにいるのか分からなかったのぉ」
ソフィアに抱きついていた手をバッとはなして、リルは眉を下げながら彼女の顔を見ながらそう言った。
「リル達もねッ、いっぱいいっぱい探したんだよ。だけどね、見つからなかったんだぁ」
「……そうなの」
「もしかしたらあの火の中に」
「そんな」
グラントの言葉にソフィアが目を見開いた。その瞳には猛々しく燃える火の家が映っている。
「大丈夫だよぉ。裏口が開いていたから、そこから出たのかもしれないよっ! 大丈夫! 皆助かってるはずだよぉ! 無事に逃げたんだよぉ」
……一人で背負うのか。リルはソフィアを傷つけないために真実を隠そうとしているんだ。
「もし魔女なら逃げた後でも追跡して殺さなければならない」
「レイチェルは魔女なんかじゃない! ただの女の子よ!」
ウィクリフの言葉にソフィアは声を上げた。
「どうして魔女だったら生きていけないの? どうしてあんな女の子を殺そうなんて思うの?」
「ソフィア、俺はただ……」
「彼女は魔女なんかじゃない! 誰も傷つけたりしない!」
ソフィアが怒りにまかせてその場を離れた。ウィクリフが焦った様子でソフィアの跡を追う。皆ソフィアの言い分は理解できる。そんな世界になったらいいと思う。だが、今はウィクリフの判断が正しい。
……あれ? リルは?
気付けば隣にリルがいなかった。さっきまでいたはずなのに……。どこに行ったんだ?
俺はあたりを見渡した。暗闇の中で光る金髪が見えた。
彼女は家の近くの木の陰でじっと燃えている様子を見つめている。俺はリルの方へ向かった。
「何を考えているんだ」
「何も」
さっきとは人が変わったようにそっけない返事だった。
「ソフィアに嘘をつくのか? 生きているって希望を持たせるのか?」
「もう会うことないでしょ。仮に彼女達が魔女じゃなくて生きていたとしても、別れたら彼女達に会うことはもう二度となかった」
「……それは分からないけどな」
「私の嘘は酷い嘘?」
自嘲気味に笑う彼女を見て思った。ソフィアを守るために真実を言うのか、嘘を言うのか、迷っていたということを。
もしこのままレイチェルがソフィアの前で本当に魔女だと分かってしまったら、俺達は彼女の目の前でレイチェルを殺さなければならなかった。
優しい嘘だ、声に出しては言わなかったが心の底からそう思った。
「マリアも馬鹿だね。子どもを守るために虐待するなんてさ」
あっさりした口調でそう言った。
俺はただ何も言い返さずに燃えている家を見つめていた。
「結局、自ら死を選んで一家心中なんて賢くないよね」
「案外冷たいんだな」
俺はリルの方を見た。その瞬間、胸を締め付けられた。ギュッと何かに思い切り縛られたみたいだった。今回の件で一番傷ついたのは彼女だ。
気付けば彼女を抱きしめていた。
月光に照らされた瞳の中から静かに流れる大粒の涙に心をえぐられた。口では冷酷なことを言っていても、今回ばかりは顔に出ていた。誰よりも傷ついた表情をするリルを抱きしめられずにはいられなかった。
「どうして私はあの家族を助けられなかったんだろう」
リルの震えた声がどんどん俺の心を締め付けた。
その理由を俺達は一番よく知っている。リルはもっと分かっていると思う。頭で分かっているが、心の中では納得できていないのだろう。
「法を前にしたらこんなにも無力なんだね、私達」
彼女は自分を責めるような口調でそう言った。俺は無意識の内に彼女を抱きしめる力を強くしていた。
腕の中で小さく震えながら泣く彼女を守りたい。放したくない。
炎で崩れ落ちていく家を見つめながら自覚した。俺はまたリルに心を奪われてしまったのだ。




