24
ヘンゼルとグレーテルの本はよく使いこまれている。手あかで紙の色が変色しているぐらいに。つまり、レイチェルの一番のお気に入りの本だったのだろう。
「レイチェルがこれをしたんだよ」
リルは本に視線を移した。
大好きな物語なのに全く違う結末になった。そのことへの怒りで本を傷つけたのか。魔女を殺すつもりが、殺されたのは自分の大切な家族。
……確か、ヘンゼルとグレーテルに出てくる父親は優しかったよな?
レイチェルの父親……、彼は名乗りもしなかったし一言も話さなかった。違和感を別に感じたわけじゃなかった。無口な男性だなと思っただけだ。なのに、リルの話を聞いてから一気に違和感を感じる。
「声をとられた?」
「その可能性が高い。何か話されるとマズいからね。流石にマリアも旦那を殺そうとは思わなかった……。ヘンゼルとグレーテルの本の中でグレーテルが魔女をかまどに押し込む時に、魔女が母親の顔に見えるって描写されているんだよ」
やりきれない思いがこみ上げてくる。この家は見る限りそこまで貧しいわけではない。
「マリアはどうして子供を捨てたんだ?」
「それは私にも分からない」
「……レイチェルという魔女の存在が私達に知れ渡っているということは、ここを離れたところでは結構有名だということだ」
「ずっと隠すことも出来たのに、マリアはあえてレイチェルの存在を広めた」
そうだ、それが一番謎だ。人を呼べば自分が魔女だということがバレる可能性も高まる。……それとも自分は隠し通せる自信があったのか?
リルは軋んだ床のところまで歩き、急にしゃがみ込んだ。じっと床を見つめている。リルの瞳が大きく見開いたのが分かった。固まったまましばらく床を凝視している。
「……嘘でしょ。まさか」
そう言った後に、その場で軽くジャンプした。あまりにも奇怪な行動に俺はただ黙って見つめていることしか出来なかった。彼女が次々と謎を解決する顔はあまりにも生き生きとしていて目が離せない。
「やっぱりこの下だ」
床の下に何かあるのか……?
リルは俺の方を見てニッと笑った。もう全ての謎を解いたという顔をしていた。
「ここで問題。雨で腐ったこの軋んだ床、どうして取り替えなかったと思う?」
「そこにぴったりと当てはまる床が他になかったとか?」
この床の下に何かを隠しているのなら、修理しに来た時に誰かに見られてしまう。……魔女なら魔法で直せるような気もするが。
「マリアはさっき足音を鳴らして何をしていたと思う?」
リルは俺の返答に正解か不正解か言わずに質問を続けた。
「彼女はずっとその場で足踏みしていたんだよ」
リルはさっき俺達がいた場所の近くを指しながらそう言った。
ずっとその場で足踏みしていた? だからあんなに近くでずっと足音がしていたのに、俺達の方へは来なかったのか。
「あの床から彼女が足踏みしていた所までが地下室だと思う。そして、あの足踏みしていた場所にレイチェルの双子の片割れの死体があるはず。軋む床は死んだ子供の形見だよ」
さっきまであんなに焦らしていたのに……。急に大量の情報を与えないでくれ。俺の頭がついていかない。
「ごめん、私が勘違いしてた。マリアは悪い奴だけどそんなに悪い奴でもない」
「もうちょっと分かりやすく説明してくれないか?」
「マンホールは何故丸いか。本当に単純で分かりやすい理由なのに複雑に考えたから分からなくなるような問題だよ。もっと簡単に考えていいんだよ」
「マンホール?」
俺の言葉に、リルはしまったという表情を浮かべた。そのあと開き直ったように口を開いた。
「マンホールはとっても合理的なんだよ。円形だったら何があっても下に落ちることがない。それと同じ、マリアは私達があそこにいたと分かっていたはず。それなのにどうしてずっと同じ場所で足踏みをしていたのか。この床を新調することなんて魔女の彼女には楽勝。けど、ずっと残っている。わざわざ自分の娘を使って私達を呼び出した。……とっても単純で簡単な理由だよ」
そこまで計算しての彼女の行動だったとしたら、もしかして……。
「そろそろ自分の罪を誰かに見つけて欲しかった?」
「レイチェルの父親はマリアの行動に賛成したから何も言わなかった。まさかここに来て全ての考察を覆されるとは思わなかったな。ねぇ、マリア、今の私の説明で合ってる?」
まさか……。俺は廊下の方を目を凝らして見た。人影が揺れるのが分かった。
いつからいたんだ? というか、リルはそこにマリアがいるといつから気付いていたんだ?
「正解ですわ」
にこやかに笑うマリアが姿を現した。なんて不気味なんだ。
「もう一人の子、名前なんていうの?」
「レイナです」
「さっき、足踏みしていた下には死んだレイナと睡眠薬を飲ませたレイチェルがいます」
「どういうことだ?」
俺の言葉にふっとマリアは笑った。目にはもう光がない。生きる希望を失った人の目だ。
「貴方達に分からないでしょう? 魔女の気持ちもまた魔女を産んでしまった母親の気持ちも」
「……分からないよ」
リルは真顔でそう答えた。
魔女の気持ちに対して「分からない」と答えたのか、魔女を産んでしまった母親の気持ちに「分からない」と答えたのか分からなかった。ただ後者であることを俺は無意識のうちに願っていた。




