第89話 お父さんとお母さん
朝、胸の辺りでゴソゴソと動く気配にゆっくりと意識が覚醒してくる。きっと今日もキリエが俺の上に登ってきてしまったんだろう。心地よい重さを感じながら微睡んでいたが、いつもと違い足の方にも何かが当たってちょっとくすぐったい。
ゆっくり目を開けると、黒いものがゴソゴソと動いているのが見える。やっぱりキリエのようだが、俺の足に尻尾が届くくらい一晩で成長してしまったんだろうか。次第に意識が覚醒してくると、目の前で動いていた黒いものがはっきり認識できるようになってくるが、キリエの黒い皮膚でなく綺麗な髪の毛のようだ。
パーティーメンバーで黒髪は俺だけだし、濃紺の髪色をしているカヤは隣で気持ちよさそうに寝ている。誰かが入ってきたのかとも考えたが、他のパーティーメンバーや寝ていても気配に敏感なシロに気づかれずにベッドに潜り込むのは不可能だろう。
そうなると可能性はキリエしか無いか。卵を渡してくれた女性もきれいな黒髪だったし、黒竜特有の姿なのかもしれない。そう結論づけて眼の前にある頭を優しく撫でてあげると、それがゆっくりと動き出して俺の方に顔を向けてきた。プラチナ色のきれいな瞳がこちらを見て、しばらく見つめた後にニッコリと微笑んでくれた。
「おとーさん、おはよー」
「えっと、キリエなのか?」
「そーだよ、海でみんなが楽しそうにしているのを見て、キリエももっと一緒に遊びたいって思ったら、この姿になれたの」
お父さんと呼ばれて少し驚いたが、やはりキリエで間違いないようだ。海で遊んだのは彼女にとってもいい刺激になったみたいで、人化の能力が開花したんだろう。
「そうか、その姿になったらもっと遊べるな。でも、その前に服を着ようか」
「わかったー」
竜から人の姿になったばかりなので、キリエは何も身に着けていなかった。見た感じ小学校に上がったくらいの容姿だが、さすがにこのままでは色々とまずい。
みんなを起こして、ひとまず身長の近いオーフェの服を借りたが、頭半分くらいキリエのほうが背が低いので、サイズが合わず肩の辺りも少しずれてしまっているが、それが逆に可愛い。
◇◆◇
「ご主人様、この娘はキリエちゃんなんですよね?」
「そーだよ、アイナおかーさん」
「お、お母さんですか、なんか照れますね」
キリエにお母さんと呼ばれてアイナが照れまくっている。
「私の名前はわかるかしら」
「うん、わかるよ、イーシャおかーさんなの」
「こんな可愛い娘からお母さんと言われると、胸の辺りがキュってなるわね」
イーシャも胸元を押さえて悶ている。
「ウミのこともわかるです?」
「うん、ウミおかーさん。いっしょにお空を飛んだり、海に浮かんだり楽しかった」
「精霊は子供を産んだりしないですが、この娘は間違いなくウミの子供なのです」
ウミも嬉しそうにキリエの頭の上を飛んでいる。
「キリエちゃん、私も呼んで下さい」
「マイおかーさん、いつも果物を食べさせてくれてありがとう」
「私もとうとう念願のお母さんに、うふふふふ」
麻衣はいつものようにクネクネしてどこかに旅立ってしまった。
「……私も呼んで欲しい」
「エリナおかーさんに抱っこされるのが一番気持ちいいの」
「……いつでも抱っこしてあげる、遠慮なく来ていい」
両手を広げてウエルカムの姿勢をとったエリナの胸に、キリエが飛び込んでいった。
「ボクはまだ子供だけど、お母さんなのかな?」
「そうだよ、キリエはオーフェおかーさんの子供だよ。ここまで連れてきてくれてありがとう」
「お母さんって呼ばれると、なんか凄く胸の奥が暖かくなるよ」
エリナの胸から離れたキリエがそう言うと、オーフェは堪らなくなったのかキリエに抱きついている。
「キリエ様、私もお母さんなのでしょうか」
「もちろんなの、カヤおかーさん。でもキリエは子供だから、様はやめてほしいの」
「わ、わかりました。でっ、では……、キリエちゃん」
誰にでも様づけするカヤも、キリエに言われて呼び方を変えてしまった。凄いな、もう全員メロメロにしてしまったぞ。もちろん俺も、この可愛いやり取りに頬が緩んでいるが。
「シロちゃんもよろしく」
「わうん!」
キリエはシロに近づいて挨拶して、そのまま抱きしめている。しばらくシロを撫でていたが、離れてこちらの方にトコトコと歩いてきた。
「おとーさん、あのね」
「どうかしたかキリエ」
「キリエお腹がすいたの」
その言葉に全員が我に返り、食堂へ移動する。キリエは俺の手を握ってニコニコしながら歩いている、人の姿になってみんなと話すことが出来て嬉しかったんだろう。
◇◆◇
「キリエちゃんは何か食べたいものはある?」
「キリエもみんなと同じものが食べてみたい」
「それじゃぁ、果物は食後に切ってあげるね」
「うん、ありがとうマイおかーさん」
麻衣は危うくトリップしかけていたが、すぐ立ち直って食事の準備を開始した。アイナとカヤも手伝って、あっという間に朝食がテーブルに並べられていく。
キリエの分の背の高い椅子を用意していないので、今は俺の膝の上に座っているが、目の前に並べられていく食事に目を輝かせている。今まで果物しか食べなかったから、どんな味か興味があるみたいだ。
「おとーさんやおかーさんたちが、いつも美味しそうな顔をしてるから食べてみたかったの」
「麻衣たちの作る料理はどれも美味しいから、きっと気に入るぞ」
パンやスープ、薄く切られたお肉に、特製ドレッシングのかかった野菜を、キリエは少し危ない手付きで食べていく。まだ人の姿になったばかりなので、スプーンやフォークの使い方に慣れていないからだろうが、ちゃんとこぼさずに食べられているのは偉い。
「おとーさん、すごく美味しい!」
「そうか、良かったな。慌てなくていいからゆっくり食べるんだぞ」
こちらに振り返ってキラキラとした笑顔を向けてくるキリエの口元にドレッシングが付いていたので、布巾で軽く拭いてあげる。
「ありがとう」
お礼を言ってふたたび食事に手を付け始めたキリエの姿を見ていると、他のメンバーの視線を感じる。顔を上げてみると、全員が俺とキリエのやり取りに注目していたみたいだ。
「どうかしたのか?」
「いえ、ダイ先輩ってすごくいいお父さんしてますね」
「ほんとね、もしかして子供を育てたことがあるのかしら」
「ご主人様って出会った時からすごく面倒見がいいですよ」
「……あるじ様は大きくて優しい」
「ダイ兄さんの近くって安心できるよね」
「旦那様には安心して寄りかかれます」
「これはきっとダイくんの新しい能力なのです」
なでなでやブラッシングのスキルに加えて、父性スキルでも目覚めていたんだろうか。それがキリエのおかげで、一気に成長しているとかではないだろうな。まぁ、キリエが可愛いのはゆるぎのない事実だし、みんなに頼りにされて悪い気はしないので、このままでも問題はない。まだ結婚すらしたことがないとか、考えたら負けだろう。
◇◆◇
カヤが自宅から離れられるタイムリミットもあるので、その日は別荘の掃除を済ませて鍵を返却後、王都に帰ってきた。お昼を食べてからカヤを家に残して街に出る、キリエの服を買いに行くためだ。カヤは家に残って妖精の力の補充と、キリエ用の家具を作ってくれるみたいだ。
「おとーさん、だっこ」
「わかったよ、おいで」
キリエがこちらを見上げて両手を広げてお願いしてくるので、そのまま抱き上げる。あの姿を見せられて拒絶するには、かなりの精神力を必要とするだろう。もちろんそんな事、俺には無理だ。
そうして街を歩いているが、目にするものすべてが新鮮なのか、キリエは気になるものがあると次々質問してくる。全員でそれに答えながらのんびりと歩いているが、黒髪の俺が同じ色をしたキリエを抱いているから、完全に父娘と思われていようだ。
すれ違った親子連れが、隣を歩いている父親に抱っこをねだっている姿も見かけたので、間違いない。
「ずっとお家の中ばっかりだったから、お外に出るの楽しい。それにおとーさんに抱っこされると、遠くもよく見えるから好き」
「ダイくんの頭の上は見晴らしが良くてウミも好きなのです、キリエちゃんと同じなのです」
「ウミおかーさんと一緒でキリエも嬉しい」
同じ高さに顔があるウミとキリエも楽しそうに話をしている。2人とも飛べるんだから俺の頭の高さはあまり関係ないと思うが、何かに掴まったり抱き上げたりされて見る景色は違うのかもしれないな。
「キリエはその姿のまま飛べたりしないのか?」
「この姿だと無理みたい、でも少し体を軽くすることは出来るみたいなの」
それでキリエの体がすごく軽いのか、竜の姿の時もそうだったが、抱いていても全く負担にならない。
「キリエちゃんもウミちゃんみたいに飛べるようになるかもしれないわね」
「その時はウミおかーさんと一緒にお空をお散歩する」
「飛び方はウミが教えてあげるのです」
同じ飛行スキルを持っている2人は特に話が合うようだ。そうやって歩いていると雑貨屋が見えてくる、シロは店の入口で待っているみたいなので、俺も付き合って買い物は女性陣に任せる。キリエを一度下ろすと、手を引かれながら店の中に入っていった。可愛い服を着ておとーさんを驚かせると言っていたので楽しみだ。もちろん今のままでも十分可愛いんだが。
お座りしているシロの横にしゃがんで、頭を撫でながら街を歩く人を眺めながら考える。話が出来るようになって改めて実感したが、キリエは本当に素直で良い子に生まれてきてくれた。お礼もちゃんと言えるし、別荘の掃除の時に間違ってシロに水をかけてしまった時も、ちゃんと謝ることの出来る娘だ。
「シロもちゃんと謝ってもらえたし、キリエはいい娘だよな」
「わうっ」
シロもキリエのことは好きのようで、掃除の時も近くに寄り添って危なくならないように見守ってくれていた。そのせいで水がかかってしまったのだが、全く気にしていない様子だった。体も十分大きくなってきているので、シロもキリエのお母さんとして自覚があるのかもしれない。
◇◆◇
「ダイ兄さん、買い物終わったよ」
オーフェに声をかけられて後ろを見ると、店の中からみんなで出てくるところだった。キリエは後ろの方にいるのでまだ見えない。
「……とても可愛くなった」
「キリエちゃんもこっちに来てご主人様に見てもらいましょう」
「ダイ先輩、どうですか?」
麻衣に手を引かれてキリエが出てきたが、所々にリボンをあしらった薄いピンク色のワンピースに、花のついた髪留めを付けていて、この年齢の子供らしいとても可愛い格好になっている。
「服の色も素敵だしよく似合ってるよ、それに花の髪留めを付けている姿がとても可憐だ」
「おとーさんほんと?」
「あぁ、王都でも一番可愛いと思うよ」
そう言った瞬間にこちらに走ってきて抱きついてきたので、そのまま抱き上げて頬ずりする。喜んではしゃいでいるキリエはとても可愛い、うちの娘が一番可愛いという気持ちは本当に湧いてくるものなんだな。
「ダイってかなり子煩悩よね」
「でもキリエちゃんなら仕方がないと思うのです」
「確かにキリエちゃんの姿や仕草を見ると、ダイ先輩じゃなくても可愛がってしまいますね」
「お店のおばさんも少しおまけしてくれたよね」
「……買い物をしていたお姉さんにも撫でられてた」
「背の高いおじさんが、上の方にあった商品を取ってくれたりもしましたね」
お店の中でもそんな事があったのか、しかしキリエなら仕方がないな。そんな言葉で全て片付いてしまいそうなくらい、他の人を惹きつける可愛さがキリエにはある。まさかそれがこの世界最強の種族だと気づいた人は誰も居ないに違いない。
買い物を終えた俺たちは、中央広場で露天を覗いたり大道芸を見たり音楽の演奏を聞いて家に帰った。キリエも初めて体験する大道芸や音楽にとても喜んでいた。
うちの子かわいい!
主人公の子煩悩ぶりや親バカぶりを感じていただけると幸いです。
そして次回はあの家族がキリエの犠牲者に(笑)