第70話 マイホームのある日常
朝、目が覚めるとカヤが俺にぴったり寄り添うように寝ていた。寝ている間に近づいてきたようで、その顔は穏やかでとても気持ち良さそうに見える。寝る必要はないと言っていたが、こうしてゆったりと過ごす時間は妖精にも必要なんじゃないかと思う。
じっと見つめている俺の視線に気づいたのだろうか、カヤがゆっくりと目を開ける。きれいな黒い瞳が俺の姿を捉え、その表情が柔らかいものに変わる。
「おはよう、カヤ。よく眠れたか?」
「おはようございます、旦那様。こうしてゆっくり眠るというのは不思議な感覚です、でも凄く気持ちが晴れやかになった感じがします」
「いい気分転換になったんだよ。こうやって毎日眠って気持ちを新たにすれば、仕事もはかどると思うよ」
「はい、今まで以上に家の管理と掃除を頑張ります」
「あまり張り切りすぎないようにな」
カヤの頭を撫でながら2人で微笑み合う。
◇◆◇
朝食を食べた後は、麻衣と2人で手作りのお菓子を持って、ご近所に挨拶をする。この辺りは閑静な住宅街といった感じの場所で、家と家の間隔も広く周りに植樹をしている所も多い。屋敷というほど大きな家は無いから、商売や事業、あるいは冒険者として成功した、余裕のある人達が住む場所なのかもしれない。そのため、訪ねる軒数も少なくすぐ終わった。
あの家はずっと荒れ放題だったので、周りの住民にも幽霊屋敷として気味悪がられていたらしい。だが俺たちが住むことになって一気に綺麗になったので、かなりびっくりしたそうだ。異世界だけあって、不思議な現象に耐性があるのか、大きな騒ぎにならなくて良かった。それに、若い人族の夫婦が入居するのは良い事だと、どこでも好意的に受け取ってもらえた。
他にも同居人が居ることや動物を飼っていることを伝えたが、特に何かを言われることもなく、夫婦扱いされた麻衣が始終ごきげんだったくらいだ。
「ダイ先輩と夫婦、うふふふふ」
麻衣はずっとこんな感じでクネクネしている。成人年齢が15歳のこの世界では、17歳と16歳はもう立派な大人なので、別に家庭を持っていてもおかしくはない。
種族がバラバラのパーティーメンバー全員で行くと、説明に時間がかかりそうだから諦めた。エルフのイーシャと行くと驚かれそうだし、この世界の獣人達の立場を考えると、アイナとエリナも連れて行きづらい。精霊のウミや妖精のカヤは、その存在自体が希少すぎて受け入れてもらえないかもしれない。オーフェはまだ子供なので、変な噂になってしまいそうだ。
そんな理由で歳の近い麻衣と行ったのは正解だったが、なかなかこちらの世界に帰ってこない彼女をどうしたらいいだろうか……
◇◆◇
こちらの世界に復帰した麻衣と家に帰ってきて、イーシャにお願いしてラグビーボール型の布を何枚か用意して、縫い合わせてもらう。1ヶ所だけ縫うのを途中で止め、カヤにベッドに使ったクッションの残りを貰って、そこから詰め込んで縫い閉じる。これで布製のボールが出来上がった。
「みんな、いくぞー」
俺の前にはアイナとエリナとオーフェとシロが居る、俺の投げるボールを誰が最初に取るか競争するようだ。
「いつでもいいですよ、ご主人様」
「……絶対取る」
「ボクも負けないよー」
「あうんっ!」
みんな気合は十分のようだ。振りかぶって庭の向こう側へ投げると、全員が一斉に走り出した。身体強化を発動してスピードが上がったアイナとエリナに、マナコートで体の動きをサポートできるオーフェ、そして持ち前の瞬発力を生かして、小さい体ながら一気にトップスピードで走っていくシロ。
全員、普通の人間より遥かに俊敏だが、速さで言えばやっぱりエリナが一番か。
「……あるじ様、取った」
エリナが俺にボールを渡してきたので、頭を撫でながら受け取る。しっぽがピンと伸びで、とても嬉しそうだ。
「エリナちゃんは速いなー」
「次は負けませんよ」
「あうーん!」
オーフェとアイナとシロも戻ってきて悔しそうにしている、少しハンデを付けてやらないとエリナの一人勝ちになってしまいそうだ。
「エリナはもう少し向こうの方から走ろうか」
「……わかった」
「今度は取りますよ」
「次こそボクが取るからね」
「あうっ!」
エリナに少し離れた場所へ行ってもらってボールを投げる、今度はアイナが優勢みたいだ。エリナもハンデを物ともせずに追いすがるが、少しだけアイナのほうが早かった。
「ご主人様、やりました!」
ボールを持って嬉しそうに走ってきたアイナの頭を撫でる。しっぽがブンブン揺れていて、むちゃくちゃ喜んでいる。
「……もうちょっとだった」
「2人とも速すぎだよー」
「あうーーん」
年齢や体格のハンデがあるし、獣人の身体強化は反則級の強さになるな。
その後は身体強化無しで競争したり、オーフェとシロが競い合ったり、ボールを使って思いっきり遊んだ。今はそれぞれキャッチボールのように投げて走り回ったり、シロにボールを追いかけさせたりして遊んでいる。
「みんな楽しそうね」
「ボールを作ってくれてありがとう、イーシャ。庭が手に入ったらやってみたかったんだ」
「あんなに楽しそうに遊んでくれたら、作った甲斐があるわ」
「精霊魔法禁止なのが残念なのです」
最初、ウミは精霊魔法を使って参加すると言ったが、流石にそれは勝負にならないので禁止した。下手すると庭が水浸しになりかねないしな。
「みんなー、ご飯ができましたよー」
麻衣がお昼ご飯が出来たと呼びに来てくれる。全員で手を洗って食堂に行く、カヤも一緒のテーブルについてお昼ご飯を食べた。
◇◆◇
「カヤ、少し相談があるんだけど構わないか?」
「何でしょうか旦那様」
俺は以前考えていた、軽量の木造ハウスのことを話してみた。ヴェルンダーでは大工のような職業の人とは知り合えなかったが、あんな立派なベッドを作ることが出来るカヤなら、何とかしてくれそうな気がする。
6人が並んで眠れる程度のサイズで、天井の高さはあまり要らないが、高床にして寝る面は少しだけクッションを入れて欲しい等、希望を伝えていった。
「それでしたら、天井の高さは左右で変わりますが、屋根を片方向だけにして窓を2箇所と入口を付けるような感じでいかがでしょうか」
多分、最近日本でも見かける太陽光パネルを付けるために、屋根が片側にしか付いていない感じの家だな。低い方の天井は人が立ち上がれる高さが無くてもいいし、その分軽量化につながるだろうから、それでお願いしよう。
「それでいいよ、必要な材料とか買いに行こうか」
「それでは着替えてまいりますので、少しお待ち下さい」
例のワンピースに着替えてくれるのか、あれはよく似合ってたから楽しみだ。他のメンバーはどうするかと思って聞いてみたが、麻衣は石窯焼きの食堂に挨拶に行きたいらしい、午前中走り回ったシロと3人はお昼寝中だ。イーシャとウミは寝ているメンバーを見てると言うので、カヤと2人だけで出かけることにする。
今日は特に急ぐ用事もないので、カヤと手をつないでゆっくりと歩いていくことにした。
「歩く速さは大丈夫か? 付いてくるのが辛かったら言ってくれ」
「気を使っていただいてありがとうございます旦那様、これくらいなら大丈夫です」
こちらを見上げて微笑むカヤは、薄い水色のワンピースが似合っていて、いつもより天真爛漫な感じに見える。普段よりゆっくり流れる町並みを見ながら歩いていると、人影に紛れるようにして移動している小さな女性を見つけた。あれは宿屋の女将さんじゃないだろうか、何か買うものがあるのか行き先は同じ雑貨屋のようだ。
「旦那様、誰かお知り合いの方でも居ましたか?」
「この街でずっとお世話になっていた宿屋の女将さんが居るみたいだ、行き先は同じ雑貨屋みたいだし挨拶してみようか」
カヤが了承してくれたので、雑貨屋に入って辺りを見ていると、店の奥の方に小さな頭が見え隠れしていた。その人物に近づいて声を掛ける。
「女将さん、こんにちは」
「お客様、こんな所で会うとは奇遇だよ」
「俺たちは買い物があってきたんですが、女将さんもですか?」
「私も宿で使う備品を買いに来たよ、ところで隣の方は誰です?」
カヤの頭半分くらい小さい女将さんが、じっと彼女の事を見つめている。ハーフリングと妖精と種族は違うが、こうして並んでいると姉妹みたいで可愛いな。
「始めまして、私は旦那様の家を管理している妖精のカヤと申します」
「お客様、妖精さんの居る家を買われたのです!?」
「えぇ、実は偶然手に入りまして」
「お客様凄いよ、妖精さんが居るなんて、家を持つ人みんなの憧れよ」
「そうだったんですか、珍しいとは思ってましたが、そこまでとは」
「人族さんはあまり関心ないみたいよ、でも他の種族の人は憧れるよ」
そう言えばカヤに初めて会った時に、イーシャがやたら反応してたな。それに不動産屋の店員さんや、家の改築をしようとした人達は、妖精の存在に思い当たらなかったようだし、種族によって反応が違うのか。
「そうか、それはいい家に住まわせてもらうことが出来たな」
「私も旦那様に住んでいただけてとても嬉しいです」
カヤの頭を撫でると嬉しそうな笑みを返してくれる、その姿を女将さんは驚いた顔で見ている。もしかして妖精の頭を撫でる行為も、この世界だと変に映るんだろうか。
「お客様、引っ越して間もないはずですけど、何故そこまで妖精さんと信頼関係が出来てるのです? 普通はもっと時間をかけて築いていくものよ」
「旦那様は消えていくはずだった私を救ってくださった素晴らしい方です、この方にお仕えできるのが私の幸せです」
そういう驚きだったのか。でもカヤとは出会った時からこんな感じだったし、そういうステップがあるとは知らなかった。もしかして、これがなでなで効果なんだろうか。
「精霊さんが居るだけでも凄いのに、その上こんなに絆の深い妖精さんまで、お客様はとても凄いよ」
俺の方を憧れるような目で見始めた女将さんと少し話をして、宿屋の備品を運んであげることにした。女将さんは案外力はあるみたいだが、あのちっちゃな体で荷物を持つのは大変そうだし、自分の分は精霊のカバンに入れてしまえるので、持つものが増えたところで問題はない。
「お客様、お世話になりましたよ、とても助かったよ」
「いえ、女将さんには色々とお世話になりましたから、これくらい気にしないでください」
宿屋を後にして、またカヤと手を繋いでゆっくりと街を歩く。さすが妖精の居る家に憧れているだけあって、詳しいことを知っていた女将さんのお陰で、今日は意外な事がわかった。人族は妖精にあまり関心がないことや、信頼関係を築く時間のことなど知らない事ばかりだった。
「やはり旦那様はどんな種族の方にも分け隔てなく優しいですね」
「昨日も言ったけど、やっぱりみんな大切だからだろうな」
「ずっとそのままの旦那様で居てください」
そう言ってカヤは俺の手を少し強く握ってきた。その手のぬくもりを感じながら、俺たちは家に帰っていく。出会ってすぐなのに俺のことをこんなに信頼してくれるカヤを、二度と悲しませないようにしよう。