第55話 ヴェルンダーの街
第6章の開始になります、この章では今までと違う話の書き方もありますので、お楽しみ下さい。
オーフェリアを加えて7人になった俺たちの旅は順調に進んでいて、かなり北部の方まで移動した。まだ凍えるような寒さと言うほどではないが、エリナは寒いのが苦手らしく俺にべったりとくっついている時間が増えた。逆にアイナは元気だ、時々馬車から降りて並走したり楽しそうにしている。これが庭を駆け回る方と、こたつで丸くなる方の違いかもしれない。
「……あるじ様、寒い、暖めて」
「エリナは俺たちと出会う前もずっと南の方に居たのか?」
俺の足の間に座ってきたエリナを座席から落ちないように支えながら、出会う前の話ってあまり聞いた事がなかったと思い出す。エリナは冒険者ギルドに登録していなかったので、どうやって生計を立てていたのか聞いたことはあるが、素材やアイテムを直接お店に買ってもらっていたそうだ。ギルドを通さないので言い値で買われることも多かったようだが、それで何とか生活はしていけたらしい。本人はその頃の事はもう過去のものとして、今の生活を楽しんでいると言っていたので、ことさら聞く必要はないと思ってる。
「……ずっと南の方の街を転々としてた」
「じゃぁ、この寒さはちょっと辛いかもな」
「……うん、こんなに寒いとは思わなかった、早く温泉に入りたい」
「ボクも温泉は初めてだから楽しみだよ」
オーフェもすっかり俺たちのパーティーに馴染んで、毎日楽しそうに笑ったり美味しそうにご飯を食べている。馬ともすっかり仲良くなったみたいで、御者もやってくれるようになった。魔族の象徴でもある角が無い事をイーシャに聞かれていたが、実は隠しておくことができるそうだ。本人は恥ずかしがっていたが、一度見せてもらったらクルリと小さく巻いた可愛らしい角だった。角を隠せるということは、もしかしたらこの大陸にも、魔族であることを隠して生活している人が居るかもしれない。
「魔族界にはそんな所は無いのか?」
「魔族にはお風呂に入るって文化が無かったからね、火山があるからもしかしたら温泉も存在するかも知れないけど、誰も行ったこと無いだろうね」
「温泉はいいわよ、特に寒い時に入るのが最高よ、オーフェちゃんもきっと気にいると思うわ」
俺たちのパーティーで、この世界にある温泉経験者のイーシャが御者台から話しかけてきた。もうじきヴェルンダーに着くようなので、土地勘のあるイーシャが馬車を動かしている。この街ではミスリルの武器も作る予定なので、そちらも楽しみにしている。
「私はご主人様と一緒に温泉に入りたいです」
「多分この世界の温泉も、男と女の入る場所は別だと思うぞ」
「……私もあるじ様と一緒に入りたかったのに残念」
アイナはセカンダーの街で初めてお風呂を経験した時も俺と入りたがっていたが、それ以降も時々一緒に入りたいと言ってきている。エリナも俺と入りたがるし、イーシャや麻衣やウミまで一緒でも良いとか言い出すのが困りものだ。今まではお風呂が狭いからと断わっていたが、この世界に混浴の温泉があったりしたら、俺の自制心に最大の試練の時が訪れそうだ。
「ダイ兄さんやみんなと一緒に入るお風呂は面白そうだね、ボクも楽しみだよ」
――これ以上俺を試すようなことは止めて欲しい。
「ダイ先輩、街が見えてきましたよ」
この試練をどう乗り切ろうか考えに耽っていが、外を見ていた麻衣の声で我に返る。俺も外を見ると街のすぐ後ろには山があって、湯気のような煙があちこちから上がっている。あれは温泉の湯気だろうか、それとも鍛冶の煙だろうか、近づくに連れて期待が膨らんでくる。
◇◆◇
ヴェルンダーの街の入場手続きを終えて、まずは馬車の返却に向かう。オーフェは身分証がないので入場料が必要になったが、俺たちやアイナとエリナの入場は問題なかった。もちろんウミもギルドカードがあるので堂々と入場できる、門番の衛兵がびっくりしていたが、普通の人が精霊を見た時のいつもの反応なのでスルーした。
そしてアーキンドからサードウを経由して、ヴェルンダーまで俺たちを運んでくれた馬ともいよいよお別れだ。みんなも別れを惜しんでいたが、この街までと決めていたので寂しいのを我慢している。
お店に行って返却手続きをして、馬の状態を見てもらう。ここでもかなり驚かれたし、これだけ馬を大切に扱ってくれるならウチで働かないかとも言われた。
「アーキンドからここまで、ありがとうな」
そう言って馬の首を撫でると、頭を擦り寄せてきて甘えてくるので、軽く抱きしめてやる。みんなも首をなでたり頭を抱きしめたりして、お別れの挨拶を済ませた。
◇◆◇
その後はギルドに行き、オーフェの冒険者登録とパーティー加入を済ませる。冒険者登録は10歳から可能なので、オーフェはギリギリの年齢だ。
そして宿の情報を聞くと、雑魚寝部屋しかないが、温泉付きの宿があることがわかったのでそこに決めた。
選んだ宿【真昼の草原】に行くと、そこには横に長い建物が立っていた、奥の方から湯煙が上がっているので、温泉があることは間違いない。建物の中央から中に入ると、横長の廊下のようになっていて番台のようなカウンターがある。廊下には番号の書いた扉があるので、そこがそれぞれの部屋になっているようだ。
「いらっしゃい、何人で泊まるんだい?」
カウンターに居た人の良さそうな中年男性が声をかけてくる。流石にここでは休憩プランは聞いてこない、まぁ雑魚寝部屋だからみんな一緒に寝ることにはなるんだが。
「7人でお願いします」
「6人しか居ないみたいだけど、後から来るのかい?」
「いえ、もう一人はここに」
ウミが俺の頭からカウンターの上に飛んでくると、男性は固まってしまった、いつもの光景だ。
「水の中級精霊のウミなのです」
「あ、あぁ、精霊さんかい。ウチの宿は4人まで泊まれる小部屋、8人まで泊まれる中部屋、16人まで泊まれる大部屋があるんだ」
ウミに話しかけられて硬直から復帰した男性が、慌てて宿の説明をしてくれた。お風呂はいつでも入れること、食堂があるので厨房は自由に使っていいが、順番を守って使うこと、食材や調理道具や燃料は自分たちで用意すること。
「それじゃぁ、中部屋でお願いします」
「全員一緒でいいのかい?」
「えぇ、いつも一緒ですので」
受け付けの男性が全員同じ部屋で良いのか聞いてきたが、いまさら別々に寝るなんて無理だしな。そう考えると、俺もこの状況がすっかり当たり前になってしまった、習慣って恐ろしい。
部屋の鍵を受け取って中に入ると、横幅も奥行きも結構ある部屋になっている。部屋には一段高くなった場所があって、厚手の敷物が敷いてあるようだ。入り口のスペースで靴を脱いで部屋に上がる所なんかは、何となく日本ぽくて落ち着く。部屋の奥にも扉があるが、あそこから温泉に行けるのだろうか。宿の男性もお風呂の場所とか特に言っていなかったのは、わかり易い場所に出入り口があるからか。
「……靴を脱いで部屋に上がるの新鮮」
「俺たちの居た国ではこれが当たり前だったから、逆に落ち着くな」
「こっちの世界では寝る時くらいしか脱ぎませんでしたから、やっぱりいいですね」
エリナは靴のない事に違和感を感じてるみたいだが、俺と麻衣はやはりこっちの方がしっくりくる。アイナとイーシャは船の旅でも経験があるので落ち着いてるし、オーフェは違う文化に触れるのが楽しいのか、ニコニコしながら部屋の中を見渡していた。
「ねぇダイ兄さん、この扉の向こうも部屋になってるよ」
部屋の中を探索していたオーフェが奥にある扉を開けて俺を呼んでいる、その部屋は両脇に棚があって荷物が置けるようになっていた。装備品や自分たちの持ち物を置いておく部屋かと思ったが、更に奥にも扉がある。一緒に入ってきたアイナが奥の扉を開け放つと、湯けむりと共に暖かい空気が部屋に入ってきた。
「ご主人様凄いです、大きなお風呂になってます」
その声で全員が扉の向こうに行くと、そこには8人位なら十分入れる広さのお風呂があった。湯船のふちからお湯が少しずつ流れ出しているので、かけ流しの温泉のようだ。そして、隣の部屋とは壁で仕切られて完全な個室になっている、いわゆる家族風呂って感じだ。
受け付けの男性に同じ部屋でいいのか聞かれたのは、そういう事だったのか、まさか一緒に寝る以外の罠が待ち構えていたとは。
「あら、これなら全員で入れるわ、良かったわねみんな」
イーシャが煽る。
「ご主人様と一緒に入れます!」
「……あるじ様と一緒、嬉しい」
アイナとエリナは喜ぶ。
「ダイ先輩とお風呂、背中を流してあげたり、私も洗ってもらったり……」
麻衣は何処か遠くにトリップしている。
「お風呂でも水の精霊の凄さをダイくんに教えてあげるのです」
ウミは俺に一体何をするつもりなんだ。
「確かこういうのを“裸のつきあい”って言うんだよね!」
オーフェはどこでそんな言葉を覚えたんだ、確かあれはもっと精神的な意味で、実際に裸になる事じゃなかったはずだ。
「今日は早速お風呂に入りましょう」
「「「「「おー」」」」」
イーシャの号令で、俺が言葉を発する前にお風呂に入ることが決まってしまった。
◇◆◇
「あー、久しぶりのお風呂はやっぱりいいなぁ」
「体が溶けそうですご主人様ぁ」
「広いお風呂は手も足も思いっきり伸ばせるからいいわね」
「後で背中を流してあげますね、ダイ先輩」
「温かいお湯に浮かぶのはとても気持ちいいのです」
「……あるじ様、後で頭洗って」
「ボクはお風呂に入るのも初めてだけど、これはいいね癖になりそうだよ」
アイナは俺の横で目をトロンとさせて湯船に浸かっている。イーシャは両手両足を大きく伸ばして気持ちよさそうだ。麻衣は俺の方を見てガッツポーズをして気合を入れている。ウミは海水浴の時と同じように水面に浮かんで漂っている。エリナはうつ伏せになって湯船の縁にもたれかかっていて、水を吸って少し重そうなしっぽがゆらゆら揺れている。オーフェは最初は温かいお湯に慣れなかったみたいだが、今は肩まで浸かって気持ち良さそうだ。
結局、みんなで一緒に入るという意見は覆らなかったが、なんとか水着を着て入ってもらうように説得した。アーキンドで購入していて良かった。なんとオーフェも水着を持っていた、魔族界でも泳ぐ文化はあったみたいで、ビキニタイプの可愛い水着を空間魔法で取り出していた。
お風呂の天井は大きく開いているので空がよく見える、これなら月明かりの下で入るのも風情があって良さそうだ。雑魚寝部屋なので料金はそれほど高くないが、こんな贅沢なお風呂が付いているとは思わなかった。後で相談してこの宿に長期逗留したいと言ってみよう、きっと反対意見は出ないだろう。
◇◆◇
「ダイ先輩、流しますね」
そう言って麻衣が俺の頭からお湯をかけてくれる、重要な機密部分は断固として拒否させてもらったが、背中や腕や足をみんなで洗われた。髪の毛もしっかり洗われてお湯で流してもらっている。他人に体を洗われるというのは何か不思議な感覚だ、少しくすぐったいような気持ちいいような、今まで体験したことのない気持ちになった。
「次はエリナの番だな、覚悟しろよ」
「……あるじ様、手加減して欲しい」
ロイさんから貰った石鹸を泡立てて、エリナの頭を洗う。商会にあった在庫をほとんど俺たちに渡してくれので、まだ大量に石鹸は残っている。いい香りがするし髪の毛もさらさらになるし、かなり上等な石鹸なんだろう。
「どこか痒いところとか無いか?」
「……大丈夫」
エリナの白くてきれいな髪がどんどん泡に覆われていく、頭皮を指の腹で優しくマッサージするように丁寧に洗っていき、お湯をかけて終了だ。
「……とても気持ちよかった、また洗って」
「こんなので良ければいつでもやってやるぞ」
エリナがとても気持ちよさそうにしていたので、その後は全員の髪の毛を洗う羽目になった。しかし体を洗うのは謹んで辞退させてもらった、流石にワンピースの水着を着たまま体は洗えないのが理由だ。湯船で少し温まってから先にお風呂を出た。
お風呂で見る水着は、海水浴の時とは違ったイメージになるのが不思議だ。お湯で温まって上気した肌になるからだろうか、みんな魅力的に見えた。この街で俺の自制心は更に強靭さを増すかもしれない。