第170話 魔法回路
「ダイさん、そこまで今の状況がわかっているのでしたら、魔法回路を作ってみませんか?」
「魔法回路で人の心や感情に働きかけるって事は可能なんですか?」
「魔法回路は高度な製造技術を必要とするマナ変換触媒を使わないというだけで、基本的な仕組みは古代の人たちが使っていた道具と変わらないのです」
「つまり誰かの意識に働きかけて存在や状況を誤認させたり、幻を生み出すような“術”と同じ事も可能だと」
「人の体という巨大な触媒を使って、瞬間的にマナを利用するという目的で魔法回路は発展してきましたので、それに適した魔法が主に開発されてきましたが、技術的にはどんな物でも作れます」
「でも、いきなり魔法回路を作れと言われても、一体どこをどうしたらいいのか見当もつきません」
「ダイさんは“エレクトロニクス”や“コンピュータ”という言葉に聞き覚えはありませんか?」
「それは俺たちの世界で使われていた技術ですが、まさか……」
「そうです、マスターパーツを作った、あなたとよく似たスキルを持つ人物が残した言葉です」
日本語だと電子工学や電子計算機を表す言葉、今ならスマホやゲーム機や家電製品にまで使われているその技術をベースにして、異世界から来た“プロフェッサー”という人物は、マスターパーツの作成や新たな魔法回路を作っていたという事か。
俺が魔法回路の改造をする時にも、パソコンや電子工作の知識が大きく寄与している。俺とその人の知識の根っこが同じならば、似たような事が出来てもおかしくない。
「ダイ君、さっきからよくわからない話をしているけど、あなたが魔法回路を作ってヤチを助けてくれるの?」
「はい、ヤチさんの心を呼び戻せるように、俺が新しい魔法回路を作ってみようと思います」
「ここにはクレアさんも居ます、全てを魔法回路で作ろうとしなくても、彼女にヤチさんの心を届けてあげれば上手くいくはずです」
「わかりました、ストレアさん。クレア、お願いしてもいいか?」
「もちろんだよお兄ちゃん、私のこの力が初めて人の役に立つんだもん、何だってやるよ」
マスターパーツを作った人物が、どれだけ深い知識を持っていたかはわからないが、電気・電子・無線・半導体など全てを網羅していたとは考えづらい。呪文を使った時に感じた想像力やイメージ力が、成功の鍵になるはずだ。
パソコンや電子部品の知識、それに簡単なプログラミングの知識も使えるかもしれない。スマホや携帯ゲーム機も持っていたし、家にはデジタル家電だってあった、それらの知識を総動員してやってみよう。
◇◆◇
精霊のカバンから今は使っていない杖を取り出して、魔法回路の全消去をする。中型魔法回路用の杖だが、微細化で縮小した回路を刻めれば、多少規模が大きくなっても大丈夫だろう。いざとなれば、広域スタン魔法の様にジグザグに刻めば長さも稼げる。
「クレア、この杖を持ってくれないか」
「わかったよ、お兄ちゃん。でも、ちょっと不安だから、前みんながやってたような格好でして欲しい」
全く未知の回路を作るという行為に不安を覚えたクレアがそう言ってきたので、椅子に座った俺の膝の上に乗せて、杖を持ったクレアの手の後ろから握る。
「それじゃぁ、始めるよ」
「うん、お願いします」
俺に背中を預けてくれたクレアの温もりのお陰で、俺の緊張も少しほぐれてきた。あまり力が入りすぎてしまうと失敗するかもしれないので、この状態でやったのは正解だったかもしれない。
そして、まずは発動部分から作っていく。構築部分の規模がどれだけになるかわからないから、充填部分は最後にするためだ。
発動はこれまで様々な道具で見た、握ると発動するタイプが良いだろう。手や体が触れると反応するんだから、タッチセンサーだな。スマホの画面もそうだし、Blueberry Tarteで使えるタッチセンサーモジュールなんてものもあった。
攻撃魔法と同じ様に、使う相手を意識して発動させる方が波も捉えやすくなるはずだから、視線入力の機能もついている方が有利だ。対象を視認して強く握ると発動するように思い浮かべながら、俺は呪文を唱える。
この世界では“発動”と名前が付いているが、俺には決められた動作やプログラムを実行しているイメージが強いので、それを言葉にしてみよう。
『Execute Circuit Create』
クレアの握った杖に、小さな魔法回路が刻まれた。アプリケーションの実行ファイルから呪文を連想したが、しっかりイメージできたからか一発で成功した。少し自信が出てきたが、次が一番肝心な部分なので気を引き締めていこう。
次は構築部分だが、まずは波を受信するアンテナだ。弱い電波を集める指向性を持った、パラボラアンテナを想像する。
波の周波数に合わせる部分は、DSPチューナーを思い浮かべた。受信する周波数の変更は、ボタンの数値入力やダイヤル調整が出来ないので、杖の傾きで変更するのが良いだろう。そうなると角度を検知するためのジャイロセンサーが必要だ、これはスマホやゲーム機でお馴染みなので想像するのは簡単だ。
受信した波を増幅するアンプを作るが、大きすぎる波でクレアに悪影響を出さないために、安全装置になるリミッターも付けよう。そういえば、この世界に飛ばされる前に作っていたのが、自作のアンプだったな。あの時に買ったパーツで、どんな音に変わるのか結局確かめられなかった。
そんな懐かしい思い出に浸るのは後にして、次は増幅した波をクレアに伝える方法だ。ここは波を刺激として伝えられるように、スマホのバイブ機能みたいに振動として与える感じをイメージしよう。
ここも“構築”と呼ばれているが、俺にはコンピュータにデバイスドライバーやハードを組み込んで、必要な機能を実現する部分と同じ感覚がする。
『Implementation Circuit Create』
さっき作った発動部分の回路が上に持ち上がり、下から新たな回路が出来上がっていく。ここは色々と思い受かべたせいか、かなり規模が大きくなってしまった。
次はこれに見合うだけの充填部分を作らないといけないが、魔法回路を刻める余白にはまだ余裕があるので、大丈夫だろう。これも微細化後と同じ大きさの回路が作られていっているからだが、それはこうして作った魔法回路も並列化できる事を意味している。
ここは“充填”だが、魔法回路に触れた時からずっと電源部分だと理解している、ワット数が足らなくて動作が不安定になったりする所なんかもそっくりだ。
『Supply Circuit Create』
ここはバッファの役目もあるので、思い浮かべたのはコンデンサやバッテリーだが、俺の回路魔法で作るとクレアのマナ変換特性に合わせて、最適化した状態で回路が作られるみたいだ。充填部分の細かな部品も、全て明るく光っている事から、そう判断できる。
「完成したよ」
「これが新しい魔法回路の杖?」
クレアは握っていた杖をじっと見つめ、軽く振ったりして確認している。相手を意識して強く握らないと発動しないはずなので、魔法回路は動いていないようだが、ちゃんと成功しているだろうか。
「それはクレアにしか使えない、この世界に1本しか無い全く新しい魔法の杖だよ」
「私だけの杖で、私専用の魔法……」
「凄いねクーちゃん」
「うん、これでヤチさんの心を呼び戻してみせる!」
使う相手を意識して強く握ると魔法が発動する事や、杖の傾きを変えると合わせられる波長が変化する事などをクレアに説明していく。安全装置は付けているが、万一増幅した波が強すぎて体調に変化を感じたら、即座に杖を手放すように注意もする。
「それじゃぁ、始めるね」
「ヤチの事お願い、クレアちゃん」
「クーちゃん、頑張ってね」
みんなの声に頷いたクレアが、杖を強く握って集中し始める。その角度をゆっくり変えていっているが、なかなかヤチさんの心の周波数に合わせられないみたいだ。
「ダイくぅん……」
「俺の作った魔法回路が想定どおりに機能しさえすれば、クレアの力がきっと届くはずです」
小声で俺の名前を呼んで、服を掴んで不安そうに見上げてくるユリーさんを抱き寄せて、頭を優しく撫でてあげる。実現したい機能は具体的に思い受かべられたはずだし、回路魔法もそれに応えて杖に魔法回路を刻んでくれた。たとえ今回は失敗したとしても、何度でも挑戦してみるつもりだが、今はクレアの頑張りに期待して見守ろう。
○○○
お兄ちゃんが私のために作ってくれた、私だけの魔法。今まで誰かの心に影響を与える自分の力は、ずっと邪魔だと思っていた。でも竜族のへストアさんやお兄ちゃんのおかげで固有魔法の正体もわかり、自分の力を受け入れることが出来た。そして、その力が初めて人の役に立とうとしている、何としても目の前に座るこの人の心を呼び戻してみせる。
その杖を持ってヤチさんの前に立ち、意識を集中する。構える角度を少しづつ変化させながら、自分の固有魔法と共鳴する場所を探す。
しばらくそうしていると、杖を持った手から痺れるような感覚が伝わってきた。それに意識を合わせると、頭の中に今まで見たことの無い光景が広がる。これは魔法回路を通して感じているからだろうか、何もない空間に細い糸のようなものが一本伸びていた。
それを掴んで手繰り寄せていくと、目の前に壁のようなものが見え、小さな隙間からその糸は伸びている。この奥にヤチさんの心が閉じ込められてるのだろう、こんな邪魔なものは早く壊してしまおう。
壁は大きくて厚みもあるみたいなので、お兄ちゃんのなでなでが届かなかったのも、これに阻まれていたからに違いない。
掴んだ糸に自分の魔法を乗せて、大きく揺らすように話しかける。すると振動する糸が壁に当たり、そこから少しずつ崩れていく。隙間が開いていくに従って奥が明るくなって、やがて私の立っている場所が光りに包まれた。
○○○
杖を持つクレアの手が一瞬、震えたような感じがした。そのまま手を動かさずにしばらく止まっていたが、ヤチさんに向かってゆっくりと話しかけ始めた。
「ヤチさん、そんな所に居ないで出てきて下さい」
クレアにはヤチさんの心の風景でも見えているんだろうか、魔族は自分の固有魔法と魔法回路の同時発動が出来るが、心に作用するという似た魔法を同時に使っているから、何らかの相乗効果を生み出しているのかもしれない。
「この厚い壁は2人で一緒に壊しましょう!」
その時ヤチさんの指がわずかに動いた、クレアの声は確実に届いているはずだ。俺にしがみついたまま、その様子を見ているユリーさんの腕にも力が入る。
「みんなも心配してますから、早く帰ってきて下さい。それに、ユリーさんにこのまま悲しい思いをさせているのは、ヤチさんだって嫌なはずです!」
その言葉を発した瞬間に、杖を持っていたクレアの腕がすっと下る。そして無表情だったヤチさんの顔に、感情の色が戻ってきた。
「ヤチッ!」
ヤチさんはいきなり自分の胸に飛び込んで来たユリーさんに少し驚いていたようだったが、すぐに手を伸ばして優しく頭を撫ではじめた。
「教授はダンジョンの中でもずっと泣いてましたね」
「だってヤチが、ヤチがぁ……」
胸の中でわんわん泣き出したユリーさんを、ヤチさんはそっと抱きしめてあやしている。転生もしていないようだし、記憶もはっきりしているみたいだからもう大丈夫だろう。
「お兄ちゃん、やったよ、私できた」
「あぁ、やっぱりクレアのその力は素晴らしいよ」
「クーちゃん、ありがとう、本当にありがとう」
クレアに抱きついて涙を流すオーフェを、俺は2人まとめて抱きしめて頭を撫でてあげる。部屋の空気も軽くなって、頭の上に戻ってきたウミのまろやかさを感じながら、ユリーさんが落ち着くのをみんなで待った。
◇◆◇
「皆さんにはご迷惑をおかけしました」
「いえ、今回は非常事態だったので、とにかく誰も犠牲にならずに間に合って良かったです」
メイニアさんが治療院の職員を呼びに行ってくれている間に、簡単に経緯を説明した。詳しい話は家に帰ってからじっくりするとして、今日中に退院できるんだろうか。
「すぐに退院できたとして今日はどうされますか?」
「ダイ君の家に行く」
「教授もこんな状態ですし、研究所に快気の報告だけして、ご迷惑でなければお邪魔してもよろしいでしょうか」
「もちろんだよヤチ姉さん」
自分にしがみついて離れないユリーさんの姿を見ながら、ヤチさんが申し訳なさそうにそう言ってくるが、俺たちとしては大歓迎だ。例えこうやって回復したように見えていても、あれだけ深刻な状態だったんだから、どんな変調が起こるかもしれない。みんなが居る王都の拠点なら不測の事態にも対処しやすいから、しばらく泊まっていって欲しい。
メイニアさんと一緒に部屋に入ってきた治癒師にヤチさんの状態を診てもらったが、特に問題が無いので帰っても良いとの事だった。ただ、少しでも不調があれば、すぐ訪ねてくるように念を押された。
そして研究所に簡単な報告をした後に、オーフェの転移魔法で拠点へと戻ってきた。
魔法回路とマナで動く道具の大きな違いに、集積度の差があります。
同じ大きさでも魔法回路が数千万トランジスタのPentium IIIクラスに対して、古代の道具は数十億トランジスタのCore iみたいな違い。
古代の道具が小さくて高性能なのはそれが理由です。