第169話 後遺症
オーフェとクレアの2人と手をつないで、治療院に向けて足早に進んでいく。2人とも俺の手を強く握り、無言で俺の歩調に速度を合わせていた。治療院は初めて行くが、通りに面した所に建っていて、すぐにわかった。
そのまま玄関に入っていくと、かなりの人数が中に居て、一斉にこちらの方に視線が集中する。きっと研究所の職員が心配して集まっているんだと思い、その人たちに直接聞いてみることにした。
「すいません、こちらで王立ダンジョン研究所のヤチという女性が、治療を受けていると思うんですが」
そう言った瞬間に建物の奥の方から物音が聞こえ、小柄な女性が廊下の角から飛び出して俺の胸に飛び込んできた。
「ダイくぅん、怖かったよぉ」
ユリーさんは俺の体にしがみついて、胸の中でわんわんと泣き出した。あんな極限状態でいつ来るかわからない救援を待っていたんだ、こんな状態になってしまうのは無理もないと思う。
「もう大丈夫ですよユリーさん」
俺はその小柄な体をそっと抱き寄せて、頭を優しく撫でてあげる。玄関に集まっていた研究所の職員だろう人たちは、少し驚いたような顔で俺に抱きつくユリーさんを見ていたが、男性はとても複雑そうな表情に、女性は少し羨ましそうな表情に変化していったように見えた。
しばらく頭を撫でていると少し落ち着いてきたらしく、その顔を上げてくれたので、ポケットからハンカチを取り出して涙をそっと拭いてあげる。潤んだ瞳で俺の方を見上げてくるユリーさんの顔は、不安に染まった表情をしていて、まだヤチさんの容態がはっきりしない事を伺わせる。
「ヤチさんの状態はどうなっていますか?」
「まだ目が覚めないの、私を守るために無理させちゃったから……」
そう言ったユリーさんの両目から、また涙が溢れ出したので、そのまま胸に頭を抱き寄せて撫でてあげる。
「ユリーさんのせいじゃありませんよ、ヤチさんが目覚めるまで俺が付いていますから、どこかに座って待ちましょう」
「うん、ありがとう、ダイ君」
口調が少し子供っぽくなってしまったユリーさんの手を引いて、待合室にあるソファーに座る。オーフェとクレアも同じソファーに座って、ユリーさんの方を心配そうに見ている。
玄関に集まっていた人たちは、治療院の職員らしき人と話すと建物から去って行き、男性達はこちらを見ながら無言で、女性達は口々に「ユリーの事をよろしくね」と言って玄関から出ていった。
◇◆◇
ヤチさんの治療を担当してくれた治癒師の男性が近くに来てくれたので、詳しい状態を聞いてみたが、あまり良い答えは帰ってこなかった。限界を超えてマナを流し続けたため中毒症状がひどく、目が覚めてもどんな後遺症が出るかわからないと言われた。
隣りに座ったユリーさんは俺の手を両手で握ったまま、その人の話を聞いている。オーフェとクレアも寄り添うように座り、お互いの手を握って話に耳を傾けていた。
ただ、倒れてからここに運ばれるまでの時間が短かったのが救いだったみたいだ。もう少し遅かったら、命に関わっていたかもしれないと言われた。魔族の場合それは転生を意味し、もしそうなっていたらヤチさんはユリーさんの事を忘れてしまっていただろう。
俺は反対側の手を伸ばし、転移魔法でダンジョンの外に送ってくれたオーフェの頭を撫でて、その隣のクレアの頭も撫でてあげる。
「ストレアさん、マナ中毒について教えてもらえませんか?」
治癒師が席から離れていった後に、ストレアさんに詳細を教えてもらおうと質問してみた。俺の肩からローテーブルの上に降り立ったストレアさんを見て、ユリーさんが小さく反応する。
「ダイ君、この人だれ?」
「この人はストレアさんと言って、俺の左手にはめている指輪に宿っている人物です」
「初めまして、ユリーさん。私は世界の事を色々と知っている存在なのですが、この名前と姿をダイさんからいただいて、一緒に生活していく事に決めたんです。これからも宜しくお願いしますね」
「遺跡の調査でこんなものを見つけたのね」
ここは建物の端の方なので、気をつけていれば誰かに見られたり聞かれたりする事はないが、いま詳しい説明をするのも何だし、それは家に来たときにでもして、まずはマナ中毒の情報を集めよう。
「魔法回路にマナを流し続けると、体内のマナ濃度が上昇していくんです、それが耐性限界を超えると体に変調をきたします」
「お酒を飲みすぎた時と同じ感じですか」
「その通りです、それが軽いうちはマナ酔いと言われ、少し休めば自然に回復します」
以前アイナに魔法回路を刻んだ武器を初めて渡した時も、使いすぎて気分が悪くなっていたが、少し休んだら元に戻っていたな。本人はもう二度とあの感覚は味わいたくないと言っていたが。
「更に進行するとマナ中毒になり、その場合は体内のマナを中和する処置を行わないと命に関わります」
「中和が完了するとどうなるんですか?」
「その後は普通のマナ酔いと同じです、少し休めば回復しますよ」
「ヤチは中和が間に合ってるのに、なぜ目を覚ましてくれないの?」
「処置は問題なく出来ているはずですが、体内のマナ濃度が異常に高すぎたんでしょう」
人によってマナ耐性に違いがあるので、具体的な量で症状の度合いを量れないと思うが、治癒師の男性が後遺症の心配をしていたくらいなので、かなり高い数値だったんだろう。
「過去に同じ様な症例は無いんですか?」
「重い中毒症は手遅れになる場合が多く、中和が間に合った事例は存在しません、ヤチさんが一命をとりとめたのは、処置の早さとその種族特性ゆえですね」
今回のケースがこの世界でも初めてというのは、少し痛いな。何かが起きた場合は、手探りで解決法を探さなければいけない。ストレアさんの本体に聞けば、指輪が持っていない情報を聞けるかもしれないが、そんな無い物ねだりはやめよう。
「ダイ君、どうしよう」
「適切な処置は終わっているので、あとは目を覚ますのを信じて待ちましょう。それに、ここにはストレアさんが居てくれます、何が起こっても解決の糸口が見つかるはずです」
「ダイ兄さんとストレアちゃんがついてるから大丈夫だよ」
「私たちもヤチさんの目が覚めるまでここに居ますから、一緒に待ちましょう」
「うん、ありがとう、みんな」
みんなで声をかけながら、俺の服を握って不安そうに見上げてくるユリーさんの頭を撫でてあげる。ずっと泣きそうな顔をして俺から離れようとしないユリーさんの姿を見るのは辛い、またいつもの明るい笑顔や楽しそうな声を取り戻せるように、出来るだけの事をしよう。
◇◆◇
しばらくするとウミとメイニアさんが治療院に来てくれた、なかなか帰ってこない俺たちを心配して様子を見に来てくれたみたいだ。
「ダイくん、ヤチちゃんの様子はどうなのです?」
「いま治癒師の人が診察をしてくれているけど、まだ目を覚まさないんだ」
「マナ中毒というのはもう大丈夫なんだよね?」
「マナの中和処置は適切に行ってくれているので、その点は心配いりません」
ダンジョンから戻って着替えもせずにここまで来た俺たちやユリーさんを、ウミが洗浄魔法で綺麗にしてくれたりしていると、病室のドアが開いて治癒師の人が出てきた。
「……患者さんの意識が戻りました」
それを聞いたユリーさんが俺から離れて、病室へと駆け込んでいく。治療が成功した割に治癒師の人が浮かない顔をしているのが気になったが、俺たちも全員で部屋の中へと入っていった。
「ヤチ! 目が覚めたのね」
「・・・・・」
「ねえ、どうしたの? 私よ、忘れちゃったの?」
「・・・・・」
「まさか転生しちゃったの!? そんなの嫌よ、お願い返事をして」
「・・・・・」
ユリーさんがすがり付いて話しかけているが、ヤチさんは正面の壁をぼーっと見るだけで、何の反応も示さない。
「ヤチ姉さん、ボクだよ、オーフェだよ」
「・・・・・」
「ヤチさん、私の事も思い出せない?」
「・・・・・」
オーフェとクレアがヤチさんの隣に行って話しかけても、そちらの方に視線すら動かそうとしない。話しかけられても、抱きしめられても反応しないなんてちょっと異常だ、俺は隣りにいる治癒師に声をかけた。
「これは一体どんな症状なんでしょうか」
「診察した限りでは体には何の異常も残っていませんが、恐らくマナ中毒の後遺症だと思います。心や感情が消えてしまったのか、意識を取り戻してから何をしても反応がありません」
「治療法はないんですか?」
「我々では手の施しようがなく、親しい人に呼びかけてもらって刺激を受ければ、元に戻るかもしれないと思ったのですが……」
せっかく目が覚めたのに、心が戻ってこないなんてあんまり過ぎる。
「しばらく俺たちで呼びかけ続けてみようと思うのですが、この部屋を貸してもらっても構わないですか?」
「はい、問題ありません。何か様子に変化が見られたら、我々の誰でも構わないので声をかけて下さい」
「ありがとうございます、しばらくここをお借りします」
治癒師の人が部屋を出ていったのを確認して、俺もヤチさんの近くに移動する。ユリーさんとオーフェとクレアが、俺に抱きついて泣きそうな顔でこちらを見上げてきた。
「ダイくぅん、ヤチが……ヤチがぁ」
「ダイ兄さん、何とかならない?」
「お兄ちゃん、ヤチさんを元に戻してあげて」
「まずは今の状態を確認しよう」
俺はヤチさんの顔の前で手を振ったり、肩を軽く叩いたりしてみるが、やはり何の反応も示さない。そのままヤチさんの頭を撫でてみたけど、しばらく続けても全く変化が訪れなかった。
「ダイくんのなでなでにも反応しないのです」
「メイニアさん、ヤチさんの“気”はどうなっていますか?」
「今の彼女から“気”はほとんど感じられないよ、心がとても深い眠りについてしまっているのか、ここから見えないほど奥に沈んでいるんじゃないかと思う」
「クレアの固有魔法でヤチさんの心を呼び戻せないか試してもらえないか?」
「お兄ちゃん、わかった、やってみるね」
ヤチさんから結びの宝珠のペンダントを外し、メイニアさんにベッドに腰掛けるような姿勢に変えてもらうが、それだけ体を動かしても全く反応が無い。その前にクレアが立ち、ヤチさんの手を握って目を見つめながら、ゆっくりとした口調で話しかける。
「ヤチさん、聞こえますか? 聞こえたら私の手を握って下さい」
そうやってクレアは何度もユリーさんの心に自分の魔法を届けようとしてくれたが、やはり何の変化も見られなかった。
「クレアから見てヤチさんの今の状態をどう感じたか教えてもらえないか」
「私の固有魔法で誰かの心と共鳴する時は、何かが引っ掛かる感じがするんだけど、ヤチさんはそれがすり抜けてしまうの」
「それは手応えが無いってことなのか?」
「えっとね、掴む所がなくて滑っちゃう感じかな」
「へストアさんが気持ちは波のような物だと言ってたけど、それが弱くなって平坦に近い形になってると考えてもいいのかな」
「私にもほとんど感じられないくらい弱いから、ダイ君のその表現が的を得てるかもしれないね」
「そうなると、平坦に近くなってしまった波を増幅してクレアに掴んでもらう事が出来れば、ヤチさんの心に魔法を届けられるかもしれないが、それをどう実現するかが問題だな」
クレアやメイニアさんのおかげで、ヤチさんの今の状態が把握出来てきた気がするが、弱くなった波を受信して増幅ってラジオみたいな感じだ。
「ダイさん、そこまで今の状況がわかっているのでしたら、魔法回路を作ってみませんか?」
俺たちのやっている事をじっと見ていたストレアさんが、そう提案をしてきた。
次回はいよいよ魔法回路の創造に挑戦しますが、ある事実も判明します。