第168話 発見
ユリーは両目に涙を浮かべて、ヤチにしがみついていた。彼女の顔からは血の気が失せ唇も真っ白に変色し、全身から汗が出ている。
「ヤチ、お願い障壁を解いて、もう十分よ」
「まだ……まだ、大丈夫です………はぁはぁ……心配…しないで下さい」
荒くなった息の合間に返事を返して笑顔を向けようとしたが、その体には力が入らず顔を動かすことすら出来なかった。しかしその手に持った杖は決して離さず、限界を超えてマナを流し続けている。
魔族の肉体強度があるためここまでの無茶が出来ているが、普通の人族なら命を落としていてもおかしくない、そんな状態になってまでユリーの身を守ろうとしていた。
そうやって無理を重ねて何とかここまで持ちこたえたが、ヤチの反応はどんどん希薄になってきた。荒い息を吐きながら、手にした杖をじっと見つめるだけで、その目も半分閉じかかっている。
「あなたと出会ってからは毎日が楽しかったわ、あなたが近くに居てくれるだけで安心できたし、あなたの作ってくれる料理も好きだった」
ユリーは彼女の意識を繋ぎ止めようと必死に話を続ける、出会ってからの事、失敗して落ち込んだ時の事、大きな成果をあげて嬉しかった事、その思い出を次々と聞かせていく。しかしヤチはもう返事をする気力も残っていないのか反応が返って来ない、それでもユリーは話を続けていった。
「あなたは私のだらしない所に文句を言ってたけど、それはあなたが居てくれたからつい甘えてしまっていたの」
ユリーは杖を握りしめて真っ白になったヤチの手に、そっと自分の手を重ねたが、そこは冷たく冷え切っていて、生きている人間の温もりを感じられなかった。
「いつも迷惑かけてごめんね……でも、あなたに出会えて幸せだった。
今までありがとう、転生しても私の事を憶えていてくれると嬉しいな……」
ユリーはヤチの手から、魔法の杖をそっと引き抜いていく。握力を失ってもまだ離そうとしなかったそれが、徐々に彼女の手から離れていった。
「またあなたと一緒に、マイちゃんの手料理が食べたかったなぁ――」
ヤチの手から杖が完全に離れて障壁の魔法が消える直前、部屋の外に見える通路を白と黒の光の玉が通り過ぎ、いま一番聞きたかった声が部屋の中に届いた。
―――*―――*―――
「わんっ! わんわん!」
「ご主人様、この通路の先、右側の部屋に2人の気配です!」
最下層に降りてきて一気に奥を目指して進んでいた救助隊に、シロの鳴き声とアイナの声が響く。
「邪魔しないでっ!」
「やっとここまで来られたんだ、どいてもらうよ!」
キリエとメイニアさんが竜の息吹を通路に放ち、部屋までの進路が確保できる。
「ダイ、ここは、任せろ」
「お前は、仲間、助ける」
「行って、こい」
「ありがとうございます、リクさん、カイさん、クウさん」
リザードマンの3人が先の方に見える魔物を討伐しに行き、近衛隊長の部隊は後方の魔物を抑えていてくれる、俺たちは通路の途中にあった小部屋へと駆け込んだ。
「ユリーさん、ヤチさん、無事ですかっ!」
そこには床に寝かされた中年の男性と20代くらいの女性、それから壁に背中を預けてぐったりとなっているヤチさんと、涙を流しながら彼女にすがり付いているユリーさんが居た。
「ユリーさんもう大丈夫です、怪我はありませんか?」
「うぅっ、ダイくぅん」
ユリーさんは涙でグシャグシャになった顔でこちらを見上げているが、見た感じは怪我もないみたいだ。それよりもヤチさんの状態が危険だ、顔は蒼白で全身から血の気が失せ、汗も大量にかいている。
「ねぇダイ兄さん、ヤチ姉さんはだいじょうぶなの」
「あまり良い状態でないのは確かだが、ウミには何かわかるか?」
「怪我とかはしていないみたいなのです、でもこんな状態はウミの精霊魔法で治療はできないのです」
「ダイさん、この症状はマナ中毒でしょう」
ヤチさんの近くに落ちていた俺が作った障壁の杖を見ながら、ストレアさんがそう教えてくれる。自分の耐性を超えるマナを流しすぎると、マナ酔いになって目眩や頭痛に吐き気なんかの症状が出るが、中毒というくらいだから更に深刻な状態なんだろう。
「どんな治療法がいいんですか?」
「治療院で適切な処置をしてくれるはずです」
「わかりました、ともかくダンジョンの外に運んで、治療をしてもらおう」
ヤチさんを見て俺にすがり付いてきたオーフェを撫でて落ち着くのを待ち、王立ダンジョン研究所への転移門を開いてもらう。
「ヤチさんは私が運ぶよ、そこで寝ている2人は誰かに運んでもらえないかな」
メイニアさんがヤチさんを抱き上げ、泣くばかりで受け答えのままならないユリーさんを連れて、ダンジョンの外に移動した。残りの2人は近衛隊長に相談し、騎士団員に運んでもらう事になった。
「オーフェは行かなくてもいいのか?」
「リザードマンの人たちも送らないとダメだし、危なくなった時にボクの転移魔法で逃げられなくなるから、ここに残るよ」
「わかった、ありがとう、オーフェ」
俺はオーフェを抱きしめて、その頭を優しく撫でてあげる。ヤチさんの事が心配で、一緒に付いていきたいだろうけど、そんな気持ちを抑えてここに残ってくれた。みんなも心配そうな顔をしているし、全力で片付けてこの異常事態にケリを付けよう。
「急いで魔物を殲滅して、ヤチさんのお見舞いに行こう!」
少しだけ表情が柔らかくなったオーフェを連れて全員で部屋を出て、再び魔物の討伐に向かった。
◇◆◇
ダンジョン内をくまなく回って、片っ端から魔物を倒していき、アイナとシロの索敵範囲にその存在が感じられなくなった時点で、地上へと戻ってきた。あまり広くないダンジョンだったので、行きの行程でかなりの数が殲滅できていたのが幸いし、時間はあまりかからなかった。
「今回は本当に助かった、ありがとう。また国王様から何か話があると思うが、よろしく頼む」
「美味しい食事とお菓子を用意していますと、お伝え下さい」
「それにリザードマンの方々にもお世話になった、心から感謝したい」
「オレたち、ダイの、助けになった、それで、十分」
隊長たちは魔物が異常発生しないか、しばらくこのダンジョンを監視するそうだ。俺とストレアさんとオーフェでリザードマンの3人を住処まで送り届けて、残りのメンバーは徒歩で拠点に戻る事にした。
「長老様、今回はありがとうございました」
「取り残された人はどうだったかね」
「1人は無事で、2人は気を失った状態で救出されました、もう1人は魔法の使いすぎで現在治療中です」
「ダイ、仲間の所、行ってやれ」
「また、ここに、来い」
「お前の、助けに、なれた、オレ、満足」
「リクさん、カイさん、クウさん、本当にありがとうございました」
「ダイ殿、早く行ってあげなさい。またここを訪ねてきた時に、その肩の上にいる女性も紹介してくだされ」
「わかりました、長老様。いま治療を受けている人が元気になったら、全員で来たいと思います」
3人で頭を下げて、王都の拠点まで転移してきた。そこには全員が帰ってきていて、ヤチさんを運んだメイニアさんの姿も見える。
「メイニアちゃん、ヤチ姉さんの様子はどうなの?」
「いま治療院で処置をしているところだよ」
「意識は戻りそうですか?」
「限界を超えてマナを流し続けていたみたいでね、もう少し治療を続けないとわからないそうだよ」
「お見舞いに行ってもいいのかな?」
「あまり広くない場所だから全員では行けないけど、ユリーさんがダイ君に会いたがっていたから、行ってもらえるかな」
「わかりました、オーフェも行こうか」
「うん、一緒に行くよダイ兄さん」
「お兄ちゃん、私も連れて行って」
「わかった、クレアも行こう」
やはり同じ魔族として心配なんだろう、クレアも一緒に行きたいと言うので、ストレアさんを含めた4人で治療院に向かう。
○○○
治療院にある病室の前は、重い空気に包まれている。魔物溜まりの発生を抑える実験中にダンジョン内に異常事態が発生し、国の兵士が救出に向かった事は研究所にも伝わっていた。
そこに泣きながら戻ってきたユリーと、背の高い女性に抱えられたヤチ、それに兵士に背負われた博士とその助手が戻ってきた。慌てて治療院に連絡をし、そこで処置を受けているが、博士と助手はただの状態異常で、しばらくすれば目が覚めるだろうという事だ。
問題がヤチの症状だった、障壁魔法で他の3人を守るために限界を超えてマナを流し続けたらしく、重度のマナ中毒で予断を許さない状態になっていた。運が悪ければ命を落としていたかもしれないとまで言われ、このまま目が覚めてもどんな後遺症が残るかわからないそうだ。
治療院にはヤチの心配をした職員が何人も駆けつけていて、病室の前に座るユリーを励ましたり慰めたりしているが、生返事が返ってくるだけで俯いた顔を上げようともしない。
そこに若い男性の声が聞こえてきた。
「すいません、こちらで王立ダンジョン研究所のヤチという女性が、治療を受けていると思うんですが」
その声を聞いた瞬間、今まで誰の言葉にもろくに反応しなかったユリーが顔を上げ、一目散に走り出して男性の胸に飛び込んだ。それを見た研究所の職員は、全員が驚いた顔をする。
所内でも人気のあったユリーは色々な男性から声をかけられていたが、誰に対しても素気無い態度で誘いを断ったり、話をはぐらかしていた。そんな彼女は男性嫌いで、助手のヤチと恋仲なのではないかという噂が囁かれていたくらいだ。
大人の男性が苦手という部分に於いてそれは当たっていたのだが、そんな事情を知らない職員たちには、いま目の前で繰り広げられている光景がとても信じられなかった。
「ダイくぅん、怖かったよぉ」
「もう大丈夫ですよユリーさん」
その若い男性は、泣きながら胸に飛び込んできたユリーを抱き寄せ、その頭を優しく撫でている。そうしてしばらくすると落ち着いてきたようで、男性の取り出した手ぬぐいで涙を拭いてもらいながら、泣きはらした目でじっとその顔を見つめている。
確か最近になって付け始めた新しい首飾りを、年下の冒険者にもらったという話が所内に流れてきた。きっとこの若い男性が、その人物なんだろう。黒い髪の毛は珍しいが、どこにでも居そうな顔つきに、特別なものは感じない。気になる点と言えば、肩に薄桃色の髪の毛をした小さな人形のようなものを乗せている事くらいだ。
○○○
さっきまでユリーを励まそうと熱心に声をかけていた男性職員たちは、目の前の男と自分の顔を思い浮かべながら、何ともいい難い気持ちが沸き起こっている。
何故あんな平凡そうな男に、というのが全員の一致した気持ちだが、子供のように泣きじゃくりながら男に胸に顔を埋めているユリーの姿を見ると、何も言えなくなる。
○○○
一方、女性職員たちは少し違う目で2人の様子を見ていた。働いている時のユリーは常に気を張っている感じがした、しかし時々ふっと無防備な姿を見せることがあり、その姿が同性ながらすごく可愛いのだ。
男性職員がそんな姿に惹かれているのは確実で、彼女の人気は所内でも断トツに高いのだが、治療院に現れた若い男性の前では、それが全面に出てきている。それを見ている女性職員たちは、年下の甘えられる男性ってちょっといいかも、という意見で一致していた。
いまいちシリアスになりきれませんね、この作品。