第165話 実験
今回は別視点の話になります。
ユリーとヤチは朝から疲れた顔をしていた。今日は王都の近くにある小さなダンジョンを貸し切って、ある実験を行うのためにこの場所まで来ている。
去年は火の月の青の時期から虹の架け橋のメンバーと、新しく発見されたダンジョン調査に向かったが、あの旅と冒険の日々はとても楽しくて有意義だった。思う存分調査もできたし、休養日も様々な場所に連れて行ってもらい、ゆっくりと羽根を伸ばす事が出来た。あれほど充実した毎日を送れたのは、今までにない経験だった。
他の冒険者が来ないダンジョンだったので、魔物溜まりも発生しやすく、そこをくまなく調査できたので、ある一つの仮説を立てることが出来た。先日まで別の部署に所属している職員と合同調査をやって、魔物溜まりが発生する原因と、地質のわずかな変化に因果関係が認められるという結論が出た。
その発生を人為的に抑えるため、ダンジョン内に試作した薬液を散布するのが、今日の実験の目的だ。
「今日の実験の護衛に研究所が雇った冒険者は、ちゃんとした人だといいわね」
「そうですね教授、先日までの調査で護衛を務めていたような人とは、もう仕事をしたくありません」
「ダイ君たちみたいな冒険者って、なかなか居ないのよね」
「ギルドランクが上がるにつれ、慢心してしまう冒険者が多いですから、虹の架け橋の皆さんのような人はとても貴重です」
「マイちゃんのお弁当が恋しいわ」
「この実験が終わったら、また家に行ってみましょう」
「そうね、そうしましょうか」
2人はそう言って軽くため息をつく。
先日までの合同調査で雇っていた冒険者は最悪だった、言葉遣いも乱暴でダンジョン内での行動も大雑把だったので、魔物の見落としが何度も発生した。幸い実力だけはあったので対処はできていたが、いつ現れるかわからない魔物に緊張して、ゆっくり食事も出来ないのは正直勘弁して欲しい。
そしてそんな私を見て、その冒険者たちは怖がり過ぎだと笑っていた。隣りにいるヤチが不機嫌な気配を漂わせていたが、別に笑われるのはどうだって構わない。彼らだって実力に見合わないダンジョンの護衛任務で、気が緩んでいた部分もあっただろう。でも、アイナちゃんやシロが居てくれたら、絶対こんな事にはならないと何度も思った。
○○○
そうやって少しどんよりとした雰囲気を漂わせている2人の近くに、中年で気難しそうな男と若い女性の二人組と、人族の男性5人で構成された冒険者がやってきた。
男の方は王立ダンジョン研究所の一部門を統括している人物で、職員には“博士”と呼ばれている。普段は研究室にこもりっぱなしだが、現在取り組んでいる実験は画期的な成果を残す好機だと、自らダンジョンに向かう事にした。
博士の助手をしている女性の方は、ユリーと変わらない年齢でノリが軽く、思った事はつい言葉に出してしまう性格だった。ユリーとヤチが身につけ始めた首飾りの事をしつこく聞いてきた人物で、2人とも少し苦手にしている。
5人の冒険者は身の軽い斥候が1人と前衛の2人、そしてマナ耐性が高めの後衛が2人という標準的なパーティーだ。今日護衛をするダンジョンは初級の魔物しか出ないが、小規模な魔物溜まりが発生しやすいという特徴がある。
先日も博士と助手の2人を護衛してこのダンジョンに潜ったが、思った成果が挙げられなかったらしく、再度実験をするための護衛依頼が舞い込んできた。中級冒険者が腕試しで挑戦するダンジョンなので、ゴールドランクのパーティーには難易度が低すぎる依頼という事もあり、護衛対象が倍になっても全員が余裕の表情をしている。
「おはようございます、博士」
「おはようございます」
「ユリー君、ヤチ君、今日はよろしく頼むよ」
「ユリー、ヤチ、おはよー」
博士の方はそっけない態度で挨拶を返し、助手の方は手を振りながらニコニコとしている。ユリーとヤチの2人は、その後に来た護衛の冒険者とも挨拶を交わしたが、つい先日もここで同じ任務を達成しているから心配するなと笑うだけだった。
○○○
「博士、前回の実験結果は出ているんですよね」
「前回はダンジョン全体に薬液を撒いたのだがね、わずかに魔物溜まりの発生が抑えられただけだったのだよ」
「今度の薬液は貴重な材料を使ってるから量が少ないのよ、だからユリーに協力してもらって、魔物溜まりが発生しそうな場所にだけ撒く事にしたの」
「危険はないのでしょうか?」
「それを確かめるのも私の仕事なんだ、君は黙ってユリー君の手伝いをしていたまえ」
「わかりました、申し訳ありません」
ヤチは安全性の確認をしただけだったが、不機嫌そうな顔になった博士にそう言われて引き下がる。どうも自分のやっている事にケチをつけていると思われたみたいだ。ユリーはヤチの手に軽く触れて、自分の身の安全を心配してくれた彼女に感謝の気持ちを伝えた。
「このダンジョンで出る魔物ならどれだけ数が居ても俺たちの敵じゃないから、安心して付いて来てくれ」
5人を先頭にしてダンジョンに入っていくが、確かにゴールドランクの実力があるだけあって、現れる魔物にも余裕を持って対処していく。研究所に勤める4人も護身用の短剣を腰に付けているが、それが活躍する機会は無さそうでホッとした。
「今回の冒険者はちゃんと実力があるわね」
「博士も同行していますから、しっかりとしたパーティーに依頼を出しているのでしょう」
「でもたった5人で私たち全員を護衛できるのかしら」
「いざという時は、私が教授だけでもお守りします」
「私も危ない時は魔法を使うわよ」
後ろの方を付いて来ている2人が、小声でそんな話をしている。リュックの横には、ダイに作ってもらった魔法の杖が取り付けられていた。ユリーの杖は16個の風の刃を発生させる3並列魔法回路が、ヤチの杖には強度を上げて流れるマナを抑えた4並列魔法回路の障壁が刻まれている。
試しに使ってみたが、それは信じられない性能だった。16個の魔法を一度に発生しているが、その一つ一つの威力が中型魔法回路を越えている。同様にヤチの障壁魔法も流れるマナは減っているのに、強度は低下していない。限界は試せないが、性能が向上しているのは確実だろう。
しかも、魔法適性が高いヤチはともかく、平均値のマナ耐性と変換速度しか無いユリーが、魔法職をやっている冒険者より速い速度で魔法を発動できる。本人は“回路魔法”と呼んでいたが、彼はとんでもないスキルを身につけてしまったようだ。
◇◆◇
持ち込んだ地質の標本と、慎重に見比べたり手触りを確認しながら、部屋をいくつも回っていく。見て触るだけで、ある程度地質の見極めができるのがユリーの特技だ。研究所に同じ様な才能を持ったものはおらず、今回の実験に2人が同行した理由がこれだった。
そうして何か所も薬液を撒きながら下層へと降りていったが、途中の広場で休憩と食事を摂ることになった。かさ張らないおかずとパンだけの食事はやはり味気なく、2人の気持ちは更に沈んでいく。
「学者先生ってのは、結構儲かるのかい?」
ユリーとヤチが腰に挿している短剣を見つめながら、冒険者の1人がそんな話をしてきた。それはヴェルンダーの街で虹の架け橋のみんなを見送りに行った時に、この大陸で一番有名な工房の鍛冶職人に直接もらったもので、鞘と柄頭には特徴のある印が刻まれている。
「この短剣はいただき物だから、私たちが買ったんじゃないのよ」
「ねぇねぇユリー、それってもしかして首飾りをくれた彼なの?」
「それは違うけど、彼のおかげで知り合えた人ね」
「年下の男の子って言ってたけど、どんな子なの?」
「どんなって言われても、笑うと年齢より幼く見えるくらいの、普通の男の子よ」
「顔は? もしかしてすごく格好良かったりする?」
「うーん、取り立てて特徴はないわね」
「でも、不思議な魅力を持った男性なのは間違いありません」
「へー、ヤチもそんな事を言うなんて興味あるわ、今度会わせてよ」
「機会があればね」
ユリーはそう言って、この話題を打ち切った。この子はかなり口が軽いから、もし彼らの秘密を知ってしまった時に、それが広まってしまうかもしれない。そんな事は絶対に避けないといけないし、なるべくなら有耶無耶にしてしまいたいと考えていた。
でもヤチの言う通り、不思議な魅力を持った人物には違いない。ユリーは大人の男性が苦手だが、彼に対しては気を張らずに接する事が出来る。小さな子供は大丈夫だけど、大人の男性に触ろうとしたり触られたりすると、とても緊張して固くなってしまう彼女が、自分から手を握りに行ったり、なでなでをねだるのがその証拠だ。
同時にヤチも似たようなことを考えていた。人見知りがあるために、初めて会う人や普段交流のない人には、どうしても堅苦しい対応になってしまうが、彼の周りに集まってくる人に対しては、緊張せずに話すことが出来る。そのおかげで様々な種族とも触れ合えて、この大陸に来てから一番充実した時を過ごしている。
◇◆◇
昼食と休憩の後、最下層に降りてきて薬液を撒いているが、先程から微かに地鳴りの音が聞こえている。ダンジョン内でこの様な音がする事は通常ありえないので、ユリーとヤチに緊張が走る。
冒険者たちも違和感を感じたのか、広い部屋に入った後に斥候の男性が偵察に向かっていった。
「何かおかしいぞ! さっき薬をまいた部屋から、このダンジョンに居ないはずの魔物が出てきている!」
「何だって!? 数は!」
「わからんが、次々と部屋の外に溢れ出してた、このまま増えると対処できなくなる」
「先生方、何があったのかわからんが、このままだとまずそうだ、撤退するぞ!」
「ふむ……薬液を撒いた場所から、このダンジョンに居ないはずの魔物か………一体どの成分が原因だったんだろうな。それを調べて応用すれば、魔物の構成を変化させることも……」
「博士! そんな事は後で考えましょう、今は逃げる方が優先です!」
その場で原因を考え始めた博士を、ユリーが叱咤する。助手の女性が手を掴んで連れて行こうとした時、入り口の一つから鳥型の魔物が部屋に入ってきて、こちらの方を凝視する。こんな狭いダンジョンで鳥の魔物が発生するはずがない、それにあれは恐らく突然変異種だ。
冒険者の5人が武器を構えてその魔物と対峙しようとした時、大きく開けられた嘴からその音は発せられた。
――――ピギャァーーーーーッ!!
「ひっ……!」
至近距離から聞こえてきた鳴き声に、助手の女性は短い悲鳴を上げて、その場で昏倒してしまった。博士も同じように倒れてしまい、口から泡を吹いている。冒険者たちは耐性があったのか、失神までには至らなかったが、顔を恐怖で歪めてその場から一目散に逃げ出した。
「ちょっとあなた達、護衛対象を放置して逃げ出すなんてどういうつもりなの!」
ユリーがそう叫ぶが、冒険者の5人は悲鳴を上げながら遠ざかっていくだけだ。
「教授、あれは状態異常を引き起こす鳴き声です、今の彼らに何を言っても無駄です」
「私たちは何とも無いわよ」
「私と教授には結びの宝珠がありますから」
「マイちゃんの耐性スキルが防いでくれたのね」
「ですがこのままでは私一人で教授を守りきれません、出口に向かう通路は魔物があふれてきていますし、どこか狭い部屋で籠城するしか無いでしょう」
「わかったわ、この2人はどうする?」
「ひとまず私が運びます、教授には魔物の対処をお願いします」
ユリーがダイの作ってくれた杖を握りしめ、ヤチが魔族の身体能力を使い、失神した2人を両脇に抱えて走り出した。出口から遠ざかってしまうが、魔物があふれていない場所はその方向しか無いので仕方がない。
通路上にいる魔物に16個の風の刃が命中して、次々と青い光になって消えていく。そこにもここでは見ない魔物が居たので、ダンジョン全体がおかしくなってしまったのだろう。原因は今回撒いた薬液か、前回の実験でダンジョン全体に撒いた方かわからないが、ともかく今は立ちふさがる魔物を倒すしか無い。
この杖じゃなかったら、もっと手こずっていたはずだ。博士と助手の2人を見捨てて、ヤチと協力しながらだと以前の杖でも対処できそうだが、それだとあまりにも後味が悪い。ユリーはダイの顔を思い浮かべながら、手にした杖を振り続けた。
◇◆◇
この部屋に来てどれ位の時間が経っただろう、ヤチはここに来てからずっと障壁の魔法を使い続けている。部屋から見える通路には魔物があふれていて、障壁に阻まれてここに入って来られないのが気に入らないのか、威嚇してくるものも居た。
時々聞こえてくる鳴き声か叫び声かわからない音にも状態異常を引き起こす効果があるらしく、博士と助手の2人は時々体を痙攣させて、一向に起きてくる気配がない。
「ヤチ、大丈夫?」
「はい、まだまだ平気ですよ教授、ダイさんが作ってくれたこの杖のおかげですね」
「お願いだから無理しないでね、私はあなたと一緒なら悔いはないわ」
「そんなに弱気にならないで下さい、きっと助けは来ます」
ヤチはそう言って笑ってくれるが、その顔色は悪く汗が滲んでいる。2人だけで逃げる事も考えたが、ヤチの固有魔法はあまり連続して使えないし、ユリーのマナ耐性も高くないので出口まで保つとは思えない。今の状況では、ここでこうして助けを待つしか方法は無くなってしまった。
ダイと一緒ならこんな事態には絶対にならなかった、あのメンバーなら出口に向けて強行突破すら可能だっただろう。それに、隠伏の道具で一時的に避難することも出来たし、オーフェリアの転移魔法で脱出だって出来た。こんな非常事態に彼らほど頼りになる人たちは居ない、ユリーは自分の杖を握りしめながら、もう彼ら以外とはダンジョンに行かないようにしようと考えていた。
「お願いよダイ君、助けに来て……」
――ユリーの呟く声が、小さな部屋の中にこぼれ落ちた。