第141話 それぞれの想い4
玄関ホールに誰かが転移した気配に気づき、カヤはリビングの外に向かう。キリエもきっとヨークが来たのだと思い、後ろをついて行った。
「ヨーク様、ご足労頂きありがとうございます」
「カヤさん……じゃな? ずいぶんと雰囲気が変わったようじゃが」
「先程も同じ様に言われたのですが、私にはどこが変わったの判らないのです」
ヨークもカヤの変化に気づき、確かめるようにその名前を呼んだが、挨拶する姿や喋り方は以前の彼女と変わっていない。大きく変化したのはその印象だ、初めて出会った時から人と変わらない存在感に驚いたが、今の姿はより上位の種になったとさえ思える輝きを放っている。
「大きなおじーちゃん、おとーさんが目を覚まさないの」
「そうじゃったな、儂らの使う薬を持ってきたんじゃ、ダイ君の所に案内してもらえるかの」
ひとまずカヤのことは棚上げして、ダイの元へ薬を届けるために移動する。部屋に入ると、クレアがダイの手を胸元に抱き、祈るように看病していた。
「クレアちゃん、ダイ君に薬の飲ませたいのじゃが、少し構わんかな」
「はい、お兄ちゃんのことを、よろしくお願いします」
クレアから席を譲ってもらったヨークが、ダイの上半身を支えてもらいながら、エルフの霊薬を口の中にゆっくり流し込んでいく。
「イーシャおかーさん、あのお薬はなに?」
「あれはエルフの里に伝わる霊薬という、色々な症状に効くお薬よ」
「本当は里の外に持ち出したらダメみたいなんだけど、ダイ兄さんために持ってきてくれたんだ」
「そんな貴重なものを、お兄ちゃんのために」
「ヨーク様、ありがとうございます」
「お主達にはずいぶん世話になっておるんじゃ、これくらい大したことではないよ」
薬を飲ませ終えたヨークは、ダイの体をゆっくりとベッドに寝かせ、部屋の中に居るメンバーに向き直る。
「この薬はしばらくすれば効き目が現れるはずじゃ」
「これで良くなってねダイ、お願いよ」
「汗で少し服が湿っているようじゃから着替えさせた方がいいじゃろう」
「着替えはすぐ準備いたします」
「儂が着替えさせるから、お主たちはリビングで休んでおれ」
「大きなおじーちゃん、キリエも手伝う」
替えの服をカヤから受け取り、ヨークとキリエを残して全員が退室する。服を脱がせ、全身を手ぬぐいで拭いた後に、新しいものに着替えさせ、そっとベッドに横たわらせた。
「大きなおじーちゃん、おとーさんの病気は治る?」
「エルフの里で一番良く効く薬を持ってきたからの、きっと効果があるはずじゃ」
「おとーさん、みんな待ってるから、早く目を開けて」
ヨークの膝の上に座ったキリエは、いつも彼がそうしてくれているようにダイの頭を優しく撫でる。その姿は慈愛に満ちていて、この外見の子供が出せる雰囲気とは一線を画していた。ダイの居た世界の人間が見ると、聖母を思い浮かべる者も居るだろう、そんなオーラを放っている。
それはヨークですら見惚れるほどの神々しさがあり、小さくてもやはり竜族なのだと再認識させるには十分だった。
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キリエが幼い割に落ち着いていられるのは、やはりダイの持つ“気”を感じられるからだ。メイニアのように具体的に感じ取るにはまだ幼く経験値が足りないが、彼のそばに居るだけで安らげる気持ちになる事は、ちゃんと気づいている。
最初に見た時は驚いた、アイナとエリナに抱えられてぐったりした状態のダイを見て、目の前の光景を受け止めきれず、麻衣に答えを求めた。目を覚まさない姿を見るのは不安もあり心配だが、またいつもの笑顔で頭を撫でて、抱っこしてくれると信じている。
様々な種族の愛情と優しさを受けて孵化したキリエは、普通の竜族よりも誰かを好きになる気持ちが遥かに強い。その気持を一番多く向けているのは、やはりダイに対してだ。
もちろん家族の事は全員好きだが、一番頼りにできて優しくて大きくて甘えられる人、そうやって与えられたものを全て返すように、ダイに自分の気持をぶつけている。まだ幼いため愛情にまでは至っていないが、それでも先ほど見せた聖母のような姿を感じさせるだけの想いがある。
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キリエを膝の上に座らせたヨークは少し難しい顔をした、そろそろ薬の効果が現れだしても良い頃である。しかし、目の前で眠るダイの熱は下がらず、その様子に変化は感じられない。
この人族の青年はとても面白い男だ、自分が長い年月をかけて経験してきた様々な事を、簡単に飛び越えていってしまった。多種多様な種族と交流を持ち、頼りにされたり慕われている。そのお陰で、今まで知られていなかった知識や情報が次々と明らかになった。
それは自分の好奇心を十分満足させる程で、里の外に出るより彼らが遊びに来るのを待つ方が楽しみになったくらいだ。同じ様に好奇心の強い孫娘が、彼のそばから離れたがらない理由も良くわかる。
そんな男の冒険が、この様な所で終わってしまうのは、何があっても防がなければならない。いざとなれば国にも助力を乞おう、そう心に決めた。
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「キリエちゃん、すまんが皆をここに連れてきてもらえるかの」
「うん、わかった」
全員が客室に集まるのを待って、ヨークが語り始める。
「霊薬の効果が現れてもいい頃じゃが、ダイ君の様子に変化は見られん」
それを聞いたアイナとエリナが、その場に崩れ落ちてしまった。獣人族の2人にとって、ダイという存在はそこまで大きいのだ。シロが気遣うように隣に寄り添い、キリエは走り寄って2人の頭を抱きしめた。
「アイナおかーさん、エリナおかーさん、おとーさんは必ず目を覚ますから大丈夫なの」
「キリエちゃんの言う通り、ダイ君は目が覚めないだけで、熱が高い以外の異常は無いと思うよ。彼から感じる“気”の力も、多少の乱れがあるだけで落ち着いている」
「2人の言う通り、今すぐ容態が急変する事は無いはずじゃ」
その言葉を聞いて、場の空気が少し軽くなった。しかし、このまま眠った状態で、目が覚めないのではないかという不安は、みんなの心に大きくのしかかって来る。
「ダイ君に刺さったという、トゲのある実は誰か持っとるかの」
「はい、私が持っています」
麻衣がコップごと森で採取してきた実を渡すと、ヨークはそれをじっくりと眺める。
「この辺りには無い実じゃが、毒があったり状態異常を起こすような効果は無かったはずじゃ」
「もしかしてなんですが、この世界の人には影響が無いけど、私やダイ先輩のように異世界から来た人にだけ影響がある、毒とか病気なんじゃないでしょうか」
麻衣は抗体や免疫のことを思い出し、それをヨークに告げる。この世界に人なら触っても何も起こらないが、異世界から来た自分たちには抵抗力が無くて発症してしまう、そんな病気や状態異常ではないのかと。
「なる程の、それなら我々が使う薬で回復しないのも説明が付くの」
「それじゃぁ、ダイはこのまま目が覚めないの?」
「明日の朝まで目が覚めぬようなら、国王に相談してみようと思うのじゃが、皆それで構わんな」
国王に相談すると聞いて、みんなは納得したように頷く。この家にも時々来るようになった国王なら、きっとダイの力になってくれるだろう、そう思って全員が賛成した。
「今夜はウミにダイくんの看病をさせてほしいのです。ダイくんはウミを守ろうとして、こんな状態になってしまったのです。それにウミならダイくんが汗をかいても綺麗にしてあげられるし、冷たい手ぬぐいも用意してあげられるです。任せて欲しいのです」
「今夜はウミさんに任せて、儂らは別の部屋に寝るのが良いじゃろう。無理をして倒れてしまっては、ダイ君に怒られてしまうからの」
ウミのお願いとヨークの言葉で、みんなは一旦部屋を後にする。そのあと食事にしたが、全員がほとんど食べられなかった。アイナとエリナはスープを少し飲んだだけで顔を伏せてしまい、ウミも果物を少し食べただけでダイの居る部屋に飛んでいってしまった。
ベッドの上でもアイナとエリナは抱き合うように眠り、オーフェリアとクレアも手を繋いだまま眠っている。キリエとメイニア、麻衣とカヤ、イーシャとヨークも同じ様に寄り添って眠っていて、シロはいつもダイの寝ている場所で、匂いを確かめるように頭を枕の上に乗せて丸くなっていた。
ダイの居ない初めての夜は、こうして更けていった。
◇◆◇
月明かりだけが差し込む客室に横たわるダイの顔の上に、ウミが浮かんでじっと見つめている。精霊魔法で汗の滲んだ体を綺麗にしたり、頭に置いた手ぬぐいを冷やしたり甲斐甲斐しく世話をしている。精霊は本来眠る必要はないので、今夜はずっと起きているつもりだ。
「最初は美味しいお菓子が目当てだったのです」
ウミは眠っているダイに静かに語りかける。月明かりに照らされるウミの小さな体は幻想的で、映画や絵本のワンシーンのように見えた。
甘いものが大好きだったウミは、精霊界にあるものだけでは満足できずに、時々こちらの世界に遊びに来ていた。その日も精霊界にある門を通って森の中を探索していると、とても美味しそうな蜂蜜を見つけた。それを食べようとすると、クマの魔物の物だったらしく怒られて追いかけられ、逃げた先で出会ったのがダイの居るパーティーだった。
「そして、あの時食べたお菓子の味は忘れられないのです」
ダイの差し出してくれた、蜂蜜と果物の匂いがするカップケーキを一口食べると、ふわふわで甘くておいしい今まで食べた事の無いお菓子だった。街にはこんな美味しいものが売っているのかと興味が湧いて聞いてみたが、パーティーメンバーの手作りで、街では買えないと聞いて落ち込んだ。
少しだけ悩んだが、一緒に冒険者活動をしていけば、お菓子を食べさせてもらえると思って相談してみると、精霊魔法の使えるエルフ族の女の子の勧めもあって、仲間にしてもらえる事になった。
「でも、最初はもっと精霊魔法を利用されるかもしれないと思ってたのです」
精霊魔法の使えるエルフ族が、他の種族に利用されるのを嫌って、あまり一緒に行動しないというのは知っていた。でも、彼のパーティーには風の精霊魔法が使えるエルフがいたし、きっと大丈夫だろうと思って仲間に入った。
しかし思った以上に彼は自分の事を気遣ってくれて、とても驚いた。何かして欲しい時はその都度お願いしてくれるし、自分達で用意できる水はウミの負担にならないようにと準備してくれる。攻撃魔法は苦手なので、それ以外の部分でもっと頼ってくれてもいいと思ったけど、彼の気遣いはすごく心に響いた。
「それにウミの事を、みんなと同じ存在として扱ってくれるのも嬉しかったのです」
食べること、眠ること、遊ぶこと、それにちゃんと女の子として接してくれる。人族とは異なる存在だけど、彼は全く気にせず一緒に笑って一緒に楽しんでくれた。そして、ウミと出会った日を記念日にして、お祝いまでしてくれた。
「そんなダイくんだから、ウミはマイちゃんのお菓子が無くても、一緒に居たいと思うようになったのです」
見晴らしが良さそうなので頭の上に登ってみたけど、驚くくらい居心地が良くて、この場所は最初から自分のために用意されていたのではないかと思ったくらいだ。そして、今ではほとんどの時間を彼の頭の上で過ごしている。
「ウミのお気に入りの場所が無くなってしまうのは嫌なのです」
ウミの目から涙がこぼれ落ち、熱で少し乾いたダイの唇を濡らしていく。
「またウミの頭を撫でて欲しいのです」
彼に撫でてもらうと、とても穏やかな気持になれる。まるで自然の中にいるみたいで、精霊にとって一番居心地のいい場所にいるのと同じ気分を味わえる。
「ウミを1人にしないで欲しいのです」
ウミの中にあるダイに対する想いがどんどん膨らんでいって、自分でも制御できなくなってくる。
「ウミの力を全部使ってもいいから目を覚まして欲しいのです。
……ウミはあなたの事が大好きなのです」
ウミがダイの唇に自分の唇を重ねると、その小さな体がまばゆい光を放ち、部屋の中を白く染めた。
その光が収まると、部屋にはベッドで眠るダイの姿だけになっていた。