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第三話 存在が大きい。

 今夜は月が明るいらしい。

 キッチンの小窓からでもわかるほどの澄んだ白が外を照らしている。

 視線を少し左にずらすと木枠の時計が掛けてある。針は横一線になっていた。


「なんでまたキッチンなんだ?」


 塩豚ラインを冷蔵庫へと出荷した後、俺たちは春奈作の夕食をとり、順番に風呂に入った。残念ながら少年漫画に期待されるアレなシーンはなかった。


 本宮家のキッチンは使い込まれた厨房とは別に、最新のシステムキッチンが導入されている。

 春奈いわく、厨房で我侭を言った父に対して母が要求した結果らしい。料理への拘りが伝わってくるエピソードだ。しかし、夕食を終えている今、用はないはずだが。


「風呂に入ったから後は寛ぐだけでしょ? 久しぶりに燐とゆっくり話す時間が出来たから、紅茶でも入れようかと思って」


「春奈、紅茶なんて飲むのか」


 定食屋の娘のイメージから、紅茶があることすら意外と言える。先入観が強すぎるだろうか。いや、『本宮流カツ定食』が看板商品の家からはやはり想像できない。

 そして寛ぐというのも難しい話である。先の入浴中、色々な思考が巡り、必要以上に春奈を意識してしまっているのである。


 この家は両親の寝室と春奈の部屋くらいしか部屋がない。店に面積の大半を取られているからだ。


 昔、異性というものを意識し出した頃に居間のソファで、と提案したのだが、春奈は断固として受け入れなかった。記憶の限り最後の泊りまでも数回やり取りを繰り返した記憶があるが、居間で寝た記憶はない。故に今日も同じ結果になるだろう。


 昔に比べてさらに成長した春奈と同じ部屋で寝ることを考えると寛ぐ余裕などないに等しい。妙に嬉しそうな春奈を見ていると今更帰るとも言い難い。


「……というわけで、私も…………」


 俺は部活の予備に持っていたジャージ姿だが、春奈はいつも通りなのかパジャマを着ている。それがまた俺の余裕をなくす。


 春奈のパジャマは薄手の生地で、橙と白の水玉が描かれている。普段のきっちりとした着こなしとは別にパジャマは大きめのものらしく、元々いいだろう身体のラインは一部を除いて殆どわからなかった。

 ただし、魅惑の丘だけは昼間見たときよりも横への主張が激しくなっている。心なしか位置がいつものポジションよりも下にある気がするが、ボリューム感は変わっていない。ゆとりのある服だとこんな感じになるのだろうか。


 直視しないように春奈の後ろになるように立ち回っているものの、アップにした髪と普段は見ることのない艶やかなうなじが劣情を呼び起こす。いかんぞ俺、鎮まるんだ。


「……る? …………てる?」


 もしも男子高校生でこれほどの魅力を有す女子と一晩を過ごして何もしない自信がある者がいたら連絡していただきたい。

 予めお伝えしておくが、一晩を過ごすのは同じベッドの上である。本宮家はベッド派で布団は一組も置いていない。ソファですら許さない春奈が床で寝ることを許容することもないだろう。床で寝るといえば間違いなく私も床で寝ると言う、そういう奴だ。

 春奈の上気した肌に触れてみたいという本能と、男の欲で春奈を傷付けたくない理性が鬩ぎあっている。恐らく、いや確実に、現場では歯止めは利かない。自信がある。


「……ね? 聞いてないね、よし」


 ――スパーン!


 頭部に衝撃を感じる。勢いに反して痛みはない。目の前には胸が。


「うぉ」


 人が必死に理性を保とうとしているときに爆弾を投下するんじゃない。それにしても大きい。いやいや、不可抗力だ。目の前にはだけた胸元がくれば嫌でも視界に入る。嫌ではないんだが、決して。


「私は何度も確かめたよ。昼だってそう。燐は時折自分の世界に行っちゃうんだから」


 俺は自分の世界に行っていたらしい。言われてみれば、微かに春奈の声が聞こえていた気がしなくもない。


「そ、そうか。ごめん、何の話だっけ」


 春奈は呆れるでもなく踵を返し、食器棚を開けた。


「私が紅茶を入れるから、燐は片付けと菓子を運ぶのを手伝って」


「わかった。菓子を運んだら、見てればいいのか?」


 見るとはまた欲望丸出しだが、紅茶を入れる様を、ということにしておこう。

 考えてみれば、春奈の部屋で待つよりも手伝いがあるほうがいい。変に意識する時間は少ないほうが健全でいられる。


「ん、見てて。綺麗な色が出るの。香りもいいんだよ」


 そう言って春奈は入れるのに使うのだろうものを台に広げる。いつの間にかやかんは既に火にかけられていた。火といっても電磁調理器だから実際にはやかんが沸騰しかかっているからわかっただけである。


 台の上にあるものは丸型のポットと口の広いカップと、茶漉しと呼ばれるものだろうか。それらが置いてあった。春奈はやかんを手早く持ちポットとカップにお湯を注ぐと再びやかんを加熱した。


 少し間があってポットに茶葉を入れ、沸騰したお湯を随分と高い位置から注ぎ、カップに入れていたポットの蓋をつける。やかんはシンクへと置き、茶葉を片す。ポットの中には鮮やかな水色が見てとれる。


 二分もしないうちにカップのお湯を捨て、滑らかな手つきでポットからカップへと最後の一滴まで注ぐ。同時に鼻腔を擽る心地いい香りが広がった。

 一連の動作すら見事なものだったが、入れられた紅茶もまた美しかった。澄んだ赤褐色の水色はありふれた言葉ではあるが、綺麗、というのが適しているだろう。思わず見蕩れてしまう。


「すごいな」


 我ながら語彙力がないと思う。しかし、素直に感動しているのだ。紅茶は入れる様すら優雅なものであった。


「ふふん、そうでしょう」


 春奈は満更でもなさそうな声色で答える。

 普段の様子とパジャマのギャップで十分破壊力があったのに、緩い格好から繰り出される優雅さはまた俺の理性を揺さぶった。


「いい香りだな。菓子は何を持っていけばいいんだ?」


「片付けはすぐに済むから、そこの棚から無地の白い箱を出して」


 言われたとおりに箱を取り出す。紅茶と言えばクッキーくらいの認識だが、片手で持てるこの箱の重さはクッキーのそれではない。妙に安定感のある重みを感じる。


「これを持っていけばいいんだな」


「うん。私もすぐにいくから」


 箱を手に春奈の部屋に入る。春奈の入浴中にざっと見渡してしまったから緊張感も多少は薄らいでいた。相変わらず目を引くのは机の上に飾られた一枚の写真。


 写真にはベッドの上で肩を組み、笑っている二人の男女がいた。

 あどけなさの残る顔はまさしく俺たちの最後のお泊まり会で撮ったものだった。俺は気恥ずかしさが込み上げ、まともに見ることもなく目を逸らした。

 何度も角度を変えて撮った記憶が蘇る。この角度は映ってないかもしれない、今のは目を瞑ったなどと言い、使い捨てカメラ一個まるまる使い切ったのだった。


「懐かしいでしょ。私の宝物だよ」


 気付けば春奈がカップを両手に部屋に入ってきていた。


「あぁ、あれから四年か。あの頃からなんとなく高校も同じになる気はしてたんだよな」


 一瞬、心臓が跳ねるような感覚があったのを隠しつつ、話す。


 春奈がカップを丸く足の短いテーブルに置き座り、俺もそれに倣う。


「それなりの進学校で家から近い。私は店の手伝いがあるし、燐は面倒臭がり屋なところがあるからね。私もそんな気はしてた」


 春奈の笑い声が耳にくすぐったい。いつもより色っぽく聞こえてしまうのは俺が意識してしまっているからだろうか。


「これ、開けていいか?」


 箱を指して一応確認する。


「いいよ」


 見た目のまま、凝った作りでもなく箱は開いた。中には予想外のものが入っていた。


「大福……?」


 大福だった。妙な重さに納得すると同時に首を傾げる。春奈はくすくすと笑った。


「意外だった? 美味しい苺大福だよ。この紅茶はディンブラって言ってね、和菓子も合うの」


 紅茶はダージリンとアールグレイしか知らない一般的な男子高校生の俺には聞きなれない。

 何より和菓子と合うというのが意外だった。海の青に夕日の赤が混ざると荘厳な景色を生むのと同じだろうか。違う気もするが。


「本当に意外だ。美味いのか、これ」


「うん。騙されたと思ってどうぞ。旬にとれた茶葉だから、期待していいよ」


 茶葉にも旬があることも始めて知った。世界は広いようだ。


 兎にも角にも紅茶を一口飲んでみる。


 カップを口につけたときのフルーティな香りと爽やかな飲み心地が身体に染み渡った。花と果物の香りが混ざり合ったような甘い匂いが残る。

 続いていちご大福を一齧り。大福のもちもち感がたまらない。紅茶をもう一口飲むと、粉っぽさがなくなり、しっとりとした状態になる。

 和と洋が絡み合い、身体を通して絶妙な旋律を生んでいた。


「すごいな」


 今日で何回目だろうか。


「お気に召したようで何より。好きなんだよね、紅茶。燐も好きになってくれると嬉しいな」


「あぁ、これはいいな。またお願いしたいな」


「あは、いつでもいいよ」


 なんとも穏やかな時間だろうか。緊張は解れ、ただ和やかな雰囲気に身を任せていられる。

 紅茶を口にしつつ、他愛もないことを話す時間が暫く続く。


 この調子で明日になってくれれば、最高だな。

お読みいただきありがとうございます。

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Twitter @yoiyamirean

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