第一話 胸は大きい。
今朝のニュースで入梅が宣言された。
気が滅入る。唯でさえ灰色の空の街に生きることが憂鬱だというのに。
高校二年生は中弛みの時期だ、気を引き締めるように、なんて担任の言葉を思い出す。とはいえ、実感は湧かなかった。
授業も難しくなり、部活も後輩が出来た。新鮮な毎日で何が弛むと言うのか。
「燐、聞いてる……?」
聞き覚えのある声が聞こえた気がする。目の前には机に乗り出してきた幼馴染の胸。さらには教室に漂う食べ物の匂いが食欲を刺激してくる。今は昼休みだったか。
…………目の前に胸!?
「近いわ! 忍びか!」
人が思い耽ってる時に声をかけるとは何事か。ブレザー越しでもはっきりとわかる発育を見せられるのは、男として嬉しいが驚きはそれ以上だ。
「聞いてない燐が悪い。お弁当が減ってないから心配してたんだよ」
視線は胸部に落としたままだが、俺が反応を示したことに満足したのか幼馴染、春奈は椅子に座った。同時に浪漫の丘も遠ざかる。
「あぁ、ごめん。帰ったら積みゲー何から消化しようか考えてた」
全くの嘘ではない。部屋には何本も新作が溜まっている。習慣で好きなゲームは予約してしまうがどうにも時間が取れないのが現実だ。
単に思考の世界に行っていただけで体調はいい。気分はもっといい。成長を続ける丘を間近で見られたからな。
「またゲーム? 私が作ったご飯を優先してほしいな。今日はカツだよ。喜ぶがいい、遠慮はいらないよ」
弁当は春奈が毎日作ってくれている。ただし、俺の家は親がいないとかそういうことではない。
春奈の家は定食屋。余る食材を融通してもらっていて、弁当の中身は大半がそれらで構成されていた。
去年の秋から春奈が練習だといい俺の分まで用意してくれるのだ。親も楽ができると快諾しているし、春奈の作る弁当のほうが美味しいから文句はない。むしろ助かる。
「珍しいな。朝から揚げるのは大変だろ?」
苦労を案じつつ弁当を開けると、先程までのアンニュイなど問題にならないボリュームがこんにちはした。
二色で構成された弁当。白と茶の陣取り合戦は茶が圧勝していた。もはや白陣営に残されたのは茶が詰まりきっていない隙間のみ。
「いや、本当に大変そうな量だな」
弁当ならぬカツの詰め合わせを眺める俺に春奈は乾いた笑いを送る。
「今朝は家族総出で作ったから手間はそうでもないんだよね。ただ、親父の発注ミスで保存しきれない量の豚肉が文字通り山のようにあるんだ」
春奈は呆れたように肩を竦め、すぐに力を抜く。栗色の髪が揺れた。高校生離れした胸部も揺れた。
「そりゃ難儀だな。そういうことなら協力するよう親に言っておくよ」
世間は持ちつ持たれつ、うちは豚肉派が多いから簡単に承諾してくれるだろう。春奈にはもちろん、本宮家にもお世話になっている。
「ありがとう。何かお礼をしたいところだけど、山の処理をしてからにさせて」
「全然気にすることないって。むしろ安価で食料調達させてもらうんだからうちが感謝するよ。それより、食べようぜ」
「うん。私もお腹が減った。ちゃんとお礼はするからね」
そう言って春奈も弁当箱を取り出す。律儀なやつだ。やはり性格のよさが人気の秘訣なんだろうか。男女問わず春奈を好いている者は多い。
賑やかな教室の中では箸を取り出す音など気にもならない。当然春奈が蓋を開けた時も気にならなーー
「なにぃ!?」
――春奈の弁当箱の中には野菜や魚、肉に梅干しなど実に健康的な食材が詰まっていた。
音を気にするとかそんな次元の話ではない。話からして春奈の弁当箱にも茶色の景色が広がっているとばかり思っていた。
これぞ幕の内弁当と言わんばかりの完成度と予想外の理不尽に春奈の弁当から目を離せない。
豊かな胸に鮮やかな弁当、悔しいが視界は満たされていた。
そんな俺を気にすることなく、当の春奈は平然とした様子で手を合わせた。
「いただきます」
相変わらずのマイペース。俺も若くして胃もたれを覚悟しつつ箸を取る。
こうして俺の意思とは関係なく、昼休みは去っていった。
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