1936年8月10日 フランス・マルセイユ港、"竜飛"艦隊司令部にて
"八方塞がり"という言葉が脳裏をちらつき、参謀の大井はフランスで開発されたというスチール・パイプ製の簡易椅子をぎしりと鳴らし、自身の顔を両手で覆った。
既に乾きつつあった目を閉じ、瞼を指の腹で揉みほぐす。
「もう政府の意向なんざ丸っきり無視して、強行突破でも良い気がするんだが……」
それをしてしまうと国際問題になることを承知で大井が戯れに呟くと、近くの同僚たちが顔をしかめつつも若干の理解を示してくれた。
しかめっ面で壁に掛けられた赤茶けたカレンダーに目をやる。もう、8月の中旬だ。
作成した航海計画の通りに事が進んでいたのならば、今頃はスペインのカタルーニャ州に到着し、余裕を持った救出活動に従事できていたはずだった。
だが、現実には在西中のオリンピック選手団を切迫した危機下に放置し続けるという愚を犯してしまっている。
万難を排したはずの総隊の行く手を阻んだものは、予想だにできぬスペインという国そのものであった。
「……それも一つの手ではあると思いますけれども」
右隣では、先ほどまでかき集められた玉石混淆の情報をぶつぶつと呟きながら、時系列順に紙に書き起こしていた副官の吉野が疲れたようにため息をつく。
「……実際、人民政府軍、ナショナリスト反乱軍のどちらにも肩入れせず、中立を貫くならばそうするしかありません。ただ、オリンピック日本人選手団を政府軍が人質にする危険性をぬぐい去ることができないのが致命的ではありますが」
吉野が言に大井は肩を竦め、背もたれに仰け反ったまま彼を横目に問いかける。
「仮にどちらかに肩入れすることにしたなら、どうなると思う?」
「日本政府の意向を考えず独断で、ですか? だとするなら無茶です。我々総隊は元より真っ向からの戦闘能力を保持していません。万が一日本政府との協議の結果、陸海軍を派遣しての軍事介入が決定したとしても、私にはそれが意味のある介入になるとは到底思えません。正気を疑いますよ。経度にして135度も離れた場所に遠征できる余裕も無理を通す大義名分も、我が国にあるわけがないですから。損を承知で何を得るつもりですか」
全く、打てば響く聡明さだ。諸手を挙げて、大井は降参のポーズを取った。
商船学校出身の彼だが、既に歴戦の風格を身につけつつあり、現状においても海軍出身者の百武たちが「何故、彼が海軍にいなかったんだ」と舌を巻くほどの分析力を見せている。在野にも人物がいることを証明してくれた好例の一人だろう。
「……吉野君の言う通りだ!」
左隣で海軍出身の参謀たちと協議していた百武が、敷島を噛み潰しながら吉野の言葉に同調した。
「そもそもの話、奴らが約定を守っておればこんな事態には陥らなかったのだ。人民政府というやつらは、物の道理がわかっておらんのか!?」
叩きつけられた拳で机が揺れる。
彼の憤りは、プエルト・デ・バルセロナを目前にして行われた人民政府の横紙破りにあった。
当初、有事の艦隊受け入れを了承していた人民政府であったが、いざ内戦が起きるや否や「反乱軍鎮圧に協力しない場合、国内で入港の許可はできない」と突如態度を翻したのである。
総隊は有事の入港を認めてもらうために共和商事を通じて少なくない資金提供をオリンピックに投じていたため、良い面の皮であった。
さりとて、ナショナリスト反乱軍におもねれば良いのかというと、そういうわけにも行かぬ事情が自分たちにはある。
確認を兼ねて、大井は言う。
「やはり……、どうあってもフランコ将軍の申し出を受けることはできないのですよね」
「当然だ。在西邦人はバルセロナに集中しているのだぞ。そしてバルセロナは人民政府の統制下にある」
百武が忌々しげに机を指で叩いた。
現在、ナショナリスト反乱軍の指導者を名乗るフランシスコ・フランコが、北アフリカのモロッコから我々総隊にひっきりなしのラブ・コールを送ってきていた。
『自分たちを国軍と認めるように』
『北アフリカ軍の本土への大規模輸送を手伝うように』
彼らの要請を掻い摘めば、大方このような内容にまとまるだろう。
ラブ・コールの中では戦後を見据えた見返りも幾つか提示されており、人民政府よりもずっとマシな交渉能力を持っているのは間違いあるまい。
だが、彼らの要請を受け入れると人民政府の心証を損ねてしまうのだ。彼らの影響下にオリンピック開催地がある以上、日本人選手団の立場を脅かしかねない選択肢はなるべく採るべきではない。要するに人質を取られているのだ、我々総隊は。
「とにかく、本部長がうまく話を纏めてくださるのを祈るより他にありませんな……」
そう言って、今は一参謀として勤務している海軍出身の大川内が渋面を作る。
数日前に総隊本部長の谷口は地中海鉄道の急行列車で、急遽パリへと出向した。在西日本大使と連絡が取れず、また梨の礫の人民政府が相手では話にならないため、在仏スペイン大使館で友好的な第三国を交えた再交渉を行おうというのである。
ただ大川内には悪いが、この交渉は個人的に望みの薄いものだと感じていた。
人民政府が何故約定を反故にするような真似をしでかしたのか、その存念が分からないからだ。あちらの出方が分からない以上、この交渉は落としどころが見えない。
司令部に重い空気が漂いつつあった。
「予定では、本日中にご帰還なさる手筈になっておるのだが……」
ただ、落ち着かない時間が無為に過ぎていく。
時計の短針が半回転したあたりで、ようやく谷口帰還の知らせがもたらされた。
「帰ってきました!」
がたりと総員が起立する中、司令部のドアが開かれる。まず入室してきたのは疲れた顔をした谷口、そして――。
「石原さん……?」
ダーラム支部長を勤めているはずの石原莞爾の姿があった。
石原は司令部の面々をぐるりと見回し、
「石原ダーラム支部長、入ります」
谷口の後に続き、脇のキャットウォークを伝って中層へと降りてくる。
内地やダーラムでは不敵な笑みを浮かべていたあの陸軍出向士官が、まるでミイラのように頬をげっそりとさせているのが気にかかった。
「石原さん、風土病ですか?」
彼の形相を見た参謀連中も大井と同様に目を丸くしている。ただ、百武のような新参の海軍出身者は、驚きよりも陸の人間が自分たちの領域に入ってくる不快感が勝っているようにも見受けられた。
大井の問いかけに石原はにこりともせずに目を落とす。
「違う。精神的なものでな。……だが問題ない。まだ小官の脳味噌は働けるようだ」
「身体を壊しては事ですから、休養なされても……」
この提案に、石原は首を横に振って答える。
「いや、お気遣いは有り難いが、恐らくこの内戦の趨勢は今後の皇国の"未来"を左右するものだろう。立ち回りをしくじっては目も当てられん……」
要するに大井たち海軍組にだけは任せておけんということらしかった。百武の目つきが怒り心頭に発する一歩手前にまで変化して、大井はとばっちりを受けぬようにと気配を消す努力に勤しむ。
石原の隣に立つ谷口、そして参謀たちの中に紛れている宮本の反応が不可解であった。セクショナリズムに端を発する反感よりも、"未来"の一言に反応したよう見えたのだ。
「石原君には持ち前の知識を活用しての状況分析をお願いすることになる。そう、わしがダーラム支部に要請したのだ」
谷口直々の取りなしに大井は内心安堵の息を吐く。
正直言って、エリートとしてのプライドよりも「助かった」という思いがより勝った。
海軍士官の自分には、陸戦が主体の状況分析は荷が勝ちすぎていたのだ。陸軍出身者ならば、内戦の勝手も分かることだろう。それに彼は関東軍司令部出身の参謀だ。満州事変という内戦を経験している彼以上のスペシャリストが我が国にいるとは思えない。
「本部長の意向は理解した。……だが、体調が悪いのならば牟田口君に代理を頼んでも良かったのではないか?」
歴戦の歩み寄りによって、既に陸への隔意を昇華させた佐藤が気遣わしげにそう言うと、石原は青白い顔の中にぎらぎらと光る眼を和らげて、丁寧にこれを否定する。
「いいえ、佐藤提督。牟田口は後方任務でこそ丁寧な仕事をしますが、戦場の分析には向いておりません。自分のできること、できぬことは把握していても、他人の思考にまでは気が回らぬからであります。本部の永見さんなら役割を十分に果たせましょうが、あの人は内地で全体の統括をしています。これは牟田口と相談して決めたことです」
「あのタ……、牟田口さんとですか!?」
折角気配を消していたのに、予想外のことを聞き知ると思わず口を挟んでしまうこの性分が恨めしい。
しまった、と周りを窺ったが、幸いなことに大井を咎める者はいないようであった。石原が続ける。
「そうだ。奴も今回の一件は深刻化するいう見方で小官と意見を一致させている。陸だの海だの、上だの下だのかかずらっている場合ではないぞ。下手をすれば"永劫に続く世界戦争"の……、"千年の怨恨"に巻き込まれかねん。今すべきは早急に邦人を回収し、至急的速やかに中立の立場を保つことだ」
百武が忌々しげに低く唸った。石原が柔軟な論を吐いたからである。頑固な陸軍にスマートな海軍という先入観を持っていた人間としては、ここで彼に反抗することは自らの誇りを傷つけることになるだろうと判断したらしい。
佐藤が谷口と見合わせた後、艦隊を代表して口を開いた。
「そういうことならば――。石原君。頼めるか?」
「お任せください」
敬礼と返礼のやりとりを終えて、石原はおぼつかない足取りで大井の向かい側に陣取った。そこではなく百武たちの手前に行ってくれと思わなくもないが、そもそもかき集められた情報の数々は吉野と大井の前の机にうず高く積まれている。
大井は石原に会釈するも、彼はこちらを見もせずに吉野の書き記した紙束を、どう見ても精読しているとは思えない速度でぱらぱらと消化していった。
「……そちらが収集した情報の全容は大体理解した。大井参謀、口頭で分析を行っていこう」
「へ、小官とですか……?」
本当に読み終わったのか、この野郎は。と石原の言葉に半信半疑になりながらも、大井は首を傾げる。
「そうだ。貴官の能力は高く評価している。まず二人で分析を行い、他の面々が要所要所で質問を飛ばしていく形式こそが理解の共有を深めるには効率も良かろう」
「そういうことならば……」
頷き、必要なメモを手繰り寄せる。とりあえずは彼が本当に事態を把握できたのか、時系列順にお浚いしていけばいいだろう。百武たちのお手並み拝見という視線が痛く突き刺さったが、気にしないようにと極力努める。
「まず、事の発端ですが――」
「7月14日、アフリカ北部のメリリャで陸軍部隊が反乱を起こしたことを皮切りに、ほぼ同時多発的にモロッコ全域、バレアレス諸島、そしてスペイン本土でも陸軍を主体とした反乱が全国に広がっていった。陸海を比べて、海の動きが目立たぬのは陸軍上層部がクーデターの首班であったからだろう。海軍の主流派は恐らくクーデターに加わっておらん。……というよりも、政府主体の粛正人事が完了していたのだろうな。陸と海での規模の違いが、粛正人事のしやすさに繋がったのかもしれん」
何だ、ちゃんと読み込んでるじゃないかと呆れ顔で石原を見ると、彼はぎらつかせた眼でこちらを睨んできた。どうやら先を急かされているようだ。
「とはいえ一応、海軍の少数派もクーデターに参加した形跡があります。反乱の起きた直後から、駆逐艦数隻とスループが政府の統制をはずれました。それに今も行動不能に陥っている艦隊がいくつもあります」
「前後の混同があるな。その"行動不能"は、少なくともクーデター側の意図したものではない」
「へっ?」
目の前の男の言っていることが良く分からずに、大井は目を白黒させた。
「石原君、説明を頼む」
佐藤の要請に、石原は頷く。
「実のところ、海軍内でもクーデター側に靡いた者は少なくないと思われます」
「その根拠は?」
百武の問いに、石原は間髪入れずに答えてみせた。
「北アフリカ反乱軍の内地への進出を防ぐべく、ジブラルタル海峡へ急行させた艦隊の動きが悪すぎるのです。うちの総隊や、海軍さんならば二日か三日で急行して海峡を封鎖できるところを五日も六日もかけている。ここに練度の低さよりも、指揮系統の混乱が窺えます。このタイムロスは、恐らく艦内の統制に費やされたと見る方が自然でしょう」
百武が唸った。石原は続ける。
「特に問題がないようならば続けましょう。現場士官の奮闘により混乱の収束した各艦を、次なるアクシデントが襲いました。マドリードから発せられたラジオ放送であります」
「ああ……。あの首都詰めの海軍士官が発した、『民主主義は、決してナショナリストに屈しない。我々海軍も同様、圧制には屈しない』といった宣言ですか?」
吉野が思いだしたように言う。
このマドリードから発せられたラジオ放送は、大井たち艦隊参謀の中では、どう位置づけたものか決めかねていた事例であった。
石原が問う。
「何故、一介の士官がラジオ放送で海軍各員に呼びかけたのか? マドリード周辺でも北アフリカに呼応した反乱軍が暴れ回っているとはいえ、未だ人民政府の統制下にある以上は、海軍連中には海軍大臣が呼びかけるのが筋というものだ」
参謀連中が押し黙る。そう、彼の言うとおり筋が通らないのだ。恐らく、かの士官の行動は独断に基づくものであろう。であるならば、何故そのような行動に走ったのか? これが分からない。
「……考えられる線としては、そもそもの上層部が麻痺しているということじゃろうな」
谷口の見解に、石原が頷いた。
「人民政府は、社会主義系の複数政党と、各州の独立派が寄り合う連立政権であります。彼らは王党派やナショナリストへの敵愾心でこそ一致してはいるものの、心の底から団結できているわけではない。故に迅速な意志決定ができないのです。となれば、人民政府の掌握が既に済んでいた海軍上層部は、政府から命令がもたらされない以上動ける訳がない」
「……つまり、件の士官は上の愚鈍に見切りをつけて、義挙に及んだわけですか」
「断じて義挙などではない。これは愚挙である」
吉野の言葉を猛然と否定する石原。
「自らの言葉の重みが理解できておらんのだ。だから、混乱の収束しつつあった各艦を殊更に揺さぶるような行動に平気で走る。現在の"行動不能"は、間違いなく青年士官の愚挙に因るものだ」
「というと?」
「"革命"が起きた」
石原は拳を手のひらに叩きつけて言った。
「ラジオ放送に触発された水兵たちが、各艦で暴動を起こしたのだろう。下手をすれば、艦隊の頭脳を担うべき士官たちが物理的に"粛正"されている可能性すらある。ラジオ放送以降の動きの悪さも頭脳の不在に理由を求めれば、全ての説明がつく」
大井は絶句した。
「士官が、皆殺しにされたということですか……?」
「そんな馬鹿なことが……」
ありえないとは言い切れなかった。水兵主導の反乱はロシア革命時のクロンシュタットに前例がある。
海軍戦力とは士官という頭脳のもとに一致団結してこそ機能する、巨大な精密機械のようなものだ。それを排除すればどうなるか……、成る程"行動不能"の説明としては、忌々しいほどに納得のいくものであった。
石原は続ける。
「頭脳を失った海軍など、群狼と化した反乱軍にすりつぶされるだけだ。エル・フェロルのようないくつかの軍港が反乱軍別動隊の襲撃を受けているようだが、満足のいく抵抗はできまい。早晩の失陥は確実と見るべきと考える」
大井を含めた参謀連中が、ごくりと唾を飲み込んだ。話を聞くに海上においては反乱軍の優勢が揺るぎないように思える。
「だが、陸はどうなのだ」
百武が言った。未だ内地の反乱軍は北アフリカの主力と比べて小規模であり突発的であり、政府軍に分があるとの情報を入手している。情報を素直に信じるならば、決着がすぐにつくということはないだろう。
「泥沼化すると思われます」
「それは、ジブラルタル海峡が盾になるという理解で良いのか?」
百武が続けて質疑を挟む。彼の想定は実に海軍出身を思わせるものであった。海は四方に開かれた港であると同時に、金城鉄壁の長城でもある。イベリア半島の南端を守備隊を配置するだけでも北アフリカに陣取る反乱軍主力の足を止めることは十分可能であろう。
石原は頷き、百武に答える。
「副司令の仰るとおりだと小官も思います。ですが、仮に南端の防衛を突破されたとしても早期の決着はあり得ません。これはスペインという国家の積み重ねた問題によるものなのです」
「問題……?」
一瞬眉を顰めた百武であったが、すぐに石原の言わんとするところに思い当たる。
「……民意か」
「その通り」
石原が諸手を広げ、説明を続ける。
「不正選挙も疑われるとはいえ、人民政府が少なくとも選挙を経て政権を担っている以上、反乱軍の支持者が比較的少数派であることに違いはありません。この内戦は少数派である既得権益層と、それ以外の多数派が引き起こした政治対立そのものなのです。となると、両軍は致命的な欠陥を抱えることになる。例えば、政府軍は戦略・戦術を練ることのできる軍事的頭脳の不在。そして――」
「民意に沿わぬ反乱軍には継戦能力がない。国から補給を受けられぬから――」
百武の目に理解の色が宿りつつあった。
「そうか。合点がいったぞ。要するにこの内乱が起きた時点で、両軍とも単独では成り立たぬまでに弱りきってしまっているのだ。だから、フランコ某は我々に支援を要求してきている。現実というものが見えているからか」
「ちょっと待ってください! それなら人民政府は何故我々との約束を反故にしたのですか?」
吉野が肯んぜられないといった声色で言う。
確かに石原と百武の論に則るのならば、単独で立ちゆかぬはずの人民政府の態度に疑問符がつくかもしれない。だが、これについて大井はおぼろげながら答えが見えていた。
「……単純に現実が見えていないんじゃないか?」
「そんな、まさか」
先述したように吉野は聡明そのものであり、「まさか一国の政府がそんな先を見据えぬ愚行をしでかさないだろう」という肯定的な想定を行っている。
だが、大井の脳裏には二つの事例が浮かび上がっていた。一つは先の中東遠征で知り合ったル・グランという航空士から聞いた、フランスという国の迷走。そして、もう一つは"玉音放送"以前の我が国が陥っていた"捻れ国会"の混乱である。
「人民政府は連立政権なのだろう。脆弱な基盤しかもっていない政権に、先を見据えた決定など下せないよ」
「大井参謀の言うとおりだと小官も思う」
石原が大井の言に賛意を示す。
「急な内戦を受けて、現政権は恐らく仲間割れを始めているのだ。元々『ナショナリスト憎し』以外に共通点のない連中が寄り集まっているのだから、これを機に自派閥の伸張を図ってもおかしくはない。大方、反ファシスト強硬派がリーダーシップを発揮しようと突っ張っているのだろう。強気でいることだけが外交であると、考え違いを起こしているのだ」
「しかし、そうなると人民政府の説得は難しいということになる」
現状、人民政府と交渉を続けても色好い返事は得られそうにない――。
それが理解できた参謀たちが沈痛そうにうなだれる。暗中に迷い込む彼らに蜘蛛の糸を垂らしたのは、軍政家として政府中枢にも見識の深い谷口であった。
「石原君、助かった。そこまで分析できておれば、話は早い」
石原は黙礼して、谷口に向き直った。
「初めからバルセロナで直談判を行えば良かったな。吉野君、"秋津"と大発の用意を」
「人民政府が素直に話を聞くとは思えませんが……」
「うんにゃ、話を持っていくのは人民政府にじゃあない」
谷口は大きく頭を振り、
「"カタルーニャ"そのものに、じゃよ」
そう言って、その目を静かに南西へと向けた。
1937年1月9日 プエルト・デ・バルセロナにて
ここ半年間、大井は過去を振り返ってばかりいる。
世が何処も押し並べて、目まぐるしい転変の真っ直中にあり、個々の事例を頭に入れるだけでは全く理解が追いつかないのだ。
であるからこそ、混乱をきたした時には精神安定剤の代わりとしてまず個人用の日記を紐解く。
『スペイン滞在記録1936~』と銘打たれたそれには、大井たち総隊員の活動記録だけではなく、世界各国の情勢もまた気がつく限り、書き留められていた。
滞在記録の表紙をめくる。
まず、1ページ目は1936年8月11日。谷口のバルセロナ入りから始まる。これは夜間に大発を用いての密入国であったが、バルセロナ自治政府の多数派を閉める左翼共和主義者から嫌な顔をされることはなく、むしろ諸手を挙げて歓迎されたらしい。
夜の白むまで続けられた谷口と自治政府の腹を割った話し合いの果てに、自治政府の治めているカタルーニャ州は内戦に対し中立の立場を取ることと、護民総隊のバルセロナ受け入れを独断で決定した。
要するに総隊の政治介入によって人民政府からカタルーニャ州を"引き剥がした"のである。
スペイン内外を問わず相応の紛糾が予想されたが、意外にも周辺各国の反応は概ね好意的なもので占められた。
カタルーニャ中立化宣言の行われたその日の夜。プエルト・デ・バルセロナに入港中の"竜飛"は、世界各国の外交官や非戦闘員の訪問を受ける。
その内容は、いずれもがスペイン国内に取り残された自国民の救出要請だ。総隊がバルセロナにある時、未だ周辺の各国はスペインに対する姿勢を決めかねていたのである。
ただ腰の重い各国政府の中にあって、唯一合衆国だけは例外的に内戦に対して迅速な対応を見せていた。
今回の内戦を「在西中の自国民に重大な危機が迫っている」と判断し、現大統領の指示の下、大西洋偵察艦隊をスペインに向けて出航させたのである。あくまでもモンロー主義を遵守した中立の立場を貫くとのことだが、このスペインを下に置く居丈高な態度は他国には真似のできぬ圧倒的な国力の成せる技だろう。
偵察艦隊の到着は早くとも9月の中旬になるようで、その間の自国民保護を求めるべく、合衆国の外交官も"竜飛"の応接室へと姿を見せていた。
好感触の各国とは対照的に、烈火の如く怒り狂ったのは顔を潰された人民政府だ。人民政府は総隊の介入を『分離独立を装った侵略以外の何者でもない』とカタルーニャの中立宣言を一切認めようとせず、当てつけで在西日本大使館の閉鎖と日本以外の中立国家への港湾解放を宣言した。
些か感情的すぎる判断だと思われるが、これも情勢を考えれば仕方のないことなのかもしれない。
カタルーニャという情報提供者が総隊の背後についたおかげで、彼らの状況がつぶさに分析できるようになったのは、総隊にとって大きな収穫であった。
有り体に言えば、今の人民政府は手綱を失った暴れ馬なのである。暴れ馬は人の話など聞きはしない。ただ、衝動の赴くままに走り回るのみだ。
――では、何故彼ら人民政府はかような制御不能の暴走に至ったのか?
その経緯を詳かにするためには、内戦前夜にまで状況を遡らねばならぬ。この国が抱える深刻な政治的対立構造を理解せねば、暴走の原因を理解することは難しいだろう。
各派閥のキーマンは多いが、既得権益者層と労働者の労使対立に端を発しているという構造自体は単純だ。
そして、情勢を左右し得るキーマンの中でも人民政府内に焦点をしぼると、おおよそ次のように挙げられる。
まず、共和国大統領のマヌエル・アサーニャ。彼はこの国の中にあって、最も理性的な判断のできる"現実的左派理想主義者"の一人である。
元々この国は、既得権益者層と下層労働者の間に深刻な貧富の差が生じており、経済破綻も間近に迫っていた。
アサーニャが政治的左派に身を置いているのは、この国を立て直すためには既得権益者層を切り崩さなければ、この国に未来はないと理性をもって判断したが故である。同じ左派に属しているとはいえ、対立が激しい各派閥を苦労して大同団結させたのも、選挙における獲得票を伸ばすための現実路線と捉えれば、彼の志向が良く分かる。
将来的には右派との和解も視野に入れていたことだろう。要するに人間の善性を信じているのだ、彼は。
そして、内戦前夜の情勢変化に踊らされたカサレス・キロガ前々首相と、ディエゴ・バリオ前首相は正しくアサーニャの手足であった。
内戦の兆候を感じ取るや否や、アサーニャとキロガ、そしてバリオは右派代表のエミリオ・モラ将軍らと連絡を取る。右派の不満を和らげ、内戦を未然に防ぐためであった。
だが、この右派との融和路線が左派強硬派と大衆の逆鱗に触れる。
積年の労資対立構造は既に両者和解の芽を摘み取っていたのだ。強硬派代表のホセ・ヒラルはバリオらの融和路線を大衆の前であげつらう。
左翼共和党に籍を置くヒラルは、常々武力革命のために一般大衆の民兵化を主張していた一人であり、旧支配者層を皆殺しにすべき対象として強く憎悪していた。右派の重要人物暗殺や、右派におもねる教会関係施設の打ち壊し扇動など、とにかく黒い噂の絶えない人物でもある。
そんな彼にとって、右派との融和路線は耐え難いものであったに違いあるまい。彼はバリオらを「アサーニャを唆した、血祭りにあげるべき裏切り者ども」と罵った。
この主張に、鬱憤をためていた大衆が一斉に同調する。
左傾化した大衆は分かりやすさと過激さ、そして即物的な物の見方を好む傾向にあった。ヒラルの発言は大衆にとって小気味良いものとして映ったようだ。
結果としてバリオは退陣し、ヒラル首相のもとで全人民に革命のための武器が供与される。
岡目八目の視点から見れば、この全人民の民兵化という選択には、功罪の双方を問うことができるだろう。
内戦勃発の引き金は、間違いなく国民の民兵化を押し進めたヒラルが引いたと考えて良い。ファシストや右翼活動家を標的にしたリンチ殺人、そして国内のカトリック教会の打ち壊しが、保守勢力の団結と強硬派への態度転向を促したのである。
だが、クーデターによる王政復古政権の樹立を防いだのもまた彼であった。内地に広がったクーデターの波がたったの一ヶ月で下火になったのは、民兵がいち早く国内の治安維持に努めたからだ。
かくして民主主義の貴きは保たれて、同族が相争う血みどろの内戦が始まった。アサーニャの"現実的理想主義"路線はここに潰えたわけである。
今のヒラル政権は、差し詰め"夢想的理想主義"志向とでも言い表すべきであろうか。どう考えてもろくな未来が訪れそうにないが、改革を否定して破綻から目を背けるだけの保守勢力と並べると、似たり寄ったりの愚鈍さに思える。
さて、ここでカタルーニャ自治政府に目を向けてみると、彼らの人民政府に向ける目は実に冷ややかなものであった。
そもそも自治政府の意志決定はカタルーニャ共和党という中道左派に委ねられており、彼らの悲願はカタルーニャの独立だ。彼らが今まで人民政府に従っていたのは、あくまでもアサーニャ個人の"現実的理想主義"に賛同を示していたからであり、ヒラル政権の近視眼と暴力性は軽蔑されてしかるべきものであった。
だからこそ、独立のチャンスが訪れれば独立へと踏み切ることに何ら戸惑いはない。
谷口と会談を行った自治政府首班のリュイス・クンパニィスは、州内の防衛体制が整うまでバルセロナの治安維持負担を総隊に委託することを条件に、こちらの要求を全て受け入れた。
「カタルーニャには自ら物を考える頭があるのですよ」
とはクンパニィスのコメントであったが、つまるところ総隊の申し出はまさに渡りに船だったということだろう。
8月12日は殺到する各国外交官の勢いに忙殺される一日であった。
ようやくの休憩に、接待任務から外れていた石原を冷やかしにいくと、彼はダーラム支部へ当てた報告書を書いている最中であり、大井は邪険な扱いで士官室を追い出されてしまう。
追い出される際、石原は先日の交渉に関して次のような見解を残した。
「本部長の千里眼は、一体何処まで見渡せるのだろうな。先のパリ行きは国際協調路線を崩しておらぬというアリバイ作りに過ぎなかったのかもしれん。バルセロナ行きのお膳立てを見るに、かなり前からカタルーニャ中立化の計画を立てていたことは間違いあるまい。現に満州事変の時にはあった政府の反発が全くやってこないのだ。これは明らかに政府ぐるみで仕組んでいた目論見と見るべきだろう」
ただし、と石原は憂鬱そうに続ける。
「……政府の思惑に振り回される、人の心までは読めなかったらしい」
ここで石原の言う人の心とは、内戦に参加していった日本人義勇兵を指し示していた。
確かに総隊の艦がバルセロナ入りしたことで、救出対象の速やかな脱出が可能にはなったが、脱出はあくまでも"救出される本人が救出を望むこと"が前提条件にある。
非戦闘員のほとんどはスペインの出国に二つ返事で頷いた。
だが、彼らの中には総隊の出国指示を拒否する者も少なからずいたのである。
その代表格が馬術障害飛び越え競技のオリンピック選手、西竹一であった。
日記の3、4ページ目を開く。1936年8月15日と18日の記述が多い。
7月にマドリードから発せられた海軍士官のラジオ放送は、オリンピックに参加していた民主主義者の心を強く揺さぶった。
民主主義は守らねばならぬ。圧制は打倒せねばならぬ。
熱狂は実行に移され、8月15日の午前9時。バルセロナでとある義勇兵団が誕生する。
誕生のきっかけは、クーデター派の鎮圧を行っていた数少ない共和派陸軍士官の演説にあった。
彼はカタルーニャの中立化宣言を受けて州外へと追い出されることになり、何時の間にやら知己になったオリンピック選手団に向けて、こう呼びかけたそうだ。
「民主主義は死にません、絶対に。私たちはこれから死して理想の礎になります。皆さんには私たちの生きざまを後世に伝えてもらいたいのです」
この言葉に、彼を送らんと街の外縁に駆けつけた選手団から涙ながらの声が挙がった。
「この戦いはあなた方だけの戦いではない。我々に無関係でいろとは、残酷がすぎる」
そして、中にはその身を義勇兵に投じんと歩み出る者すら現れてしまう。
「他国のことです。あなた方が犠牲になる必要はありません」
「民主主義に、国が関係あるか? 理想に国境があるか? 私も武器を取って戦おう。我々の未来を守るために――」
こうして義勇兵団を編成した彼らは、その国籍こそばらばらながらも、共にオリンピックに参加するはずであった間柄から、俗にオリンピック義勇兵団と名付けられた。
静かに手を振るバルセロナ市民に背を向けた彼らは、まず反乱軍が姿を現したというカタルーニャ西方の州境へと小銃と轡を並べて旅立ったのである。
本来、民兵を中心とする義勇兵団は組織だった訓練を受けていないわけで、士気も練度も低いのが常と言えよう。
しかし、このオリンピック義勇兵団は各国の軍経験者が多数所属していることに特徴があった。ともすれば頭脳を失い動きの鈍った政府軍よりも動きが良いほどで、これには死地に向かうつもりであった共和派の士官も飛び上がるほどに喜んだという。
大井は8月16日の記事に目をやる。この日はプエルト・デ・バルセロナに赤十字社の独立人道支援部隊なる集団が入港してきた。
エチオピアの戦争からこの方、どうにも赤十字社のフットワークが軽くなっているようで、彼らは戦火に巻き込まれた市民を治療せんとこの国にやってきたようだ。
医師団が"能登"の軍医と情報交換を行っている中、航空支援部隊に所属している青年航空士が、
「ミヤモトというパイロットに会いたい」
と突然言い出したことが記憶に残っている。
確か、ユーティライネンという航空士だった。彼は宮本に「ソ連機と戦う時には何を気をつけたら良いのだろうか」とか「PZL社の航空機は良いものが多い。雑誌に載っていた"海猫"はどんな航空機なのか」などと思いつく限りの質問を浴びせかけ、宮本を辟易させていた。
恐らくはどこぞの国軍出身者なのだろう。あまり赤十字社のすべき会話だとは思えないため、端で見物していた大井の印象にも強く残った。
また同日。スペインの海上に目を向けると、政府軍の艦隊と反乱軍の艦隊がジブラルタル海峡でついに戦端を開いたことが地元漁民の情報網からもたらされる。
政府軍の艦隊は戦艦"ハイメ1世"を旗艦とする軽巡2隻、駆逐艦4隻の計7隻で編成されていたが、対する反乱軍は軽巡"セルベラ"を旗艦とする小型艦4隻のみ。戦力の差は歴然であったが、この戦いは反乱軍の善戦によって、政府軍の軽巡1隻が大破、反乱軍のスループ1隻が中破という、まさかの痛み分けに終わってしまう。
粛正による頭脳の喪失が、満足な艦隊運用を許さなかったのである。政府軍の艦隊は、自治政府の情報によると戦前後方任務に従事していた佐官が率いていたという。
8月18日にはカタルーニャ西方州境の稜線で、ナショナリスト反乱軍と共和派が戦闘を開始する。
反乱軍、共和派共に神速を貴んだ行軍を強いてきたためだろうか。この戦闘は欧州大戦以前に良く見られた小銃歩兵主体の戦闘が展開され、その中にあってオリンピック義勇兵団の騎兵中隊が獅子奮迅に働いた。
特に深夜に行われた騎兵突撃の戦術的効果は凄まじく、塹壕もなく、防御陣地もなく、休息を取ることもできなかった反乱軍を文字通り一撃のもとに打ち砕いたらしい。
士気をごっそり刈り取られた反乱軍は、這う這うの体で州境から敗走を開始したという。
所変わって同日、地元紙夕刊の一面に、国連の臨時総会開催の布告が大々的に報じられた。
議題は当然ながらスペイン内戦に関わるもので、予定日は20日か21日とされる。この日の大井は、バルセロナ市内では珍しい、外食をするならばここしか選択肢が無いというレストランで外国人観光客と世間話をしながら、「さっさと内戦よ。酒を飲み明かす内に終われ」と笑いあった。
8月19日には総隊の陸戦隊に緊急出動がかけられる。
カタルーニャの州境に人民政府軍の民兵が多数現れたのだ。ラジオではカタルーニャの西方アラゴン州が人民政府によって掌握されたと報じられ、バルセロナの役人が人民政府に恫喝されたと駆け込んできた。
幸いなことに、人民政府はカタルーニャをすぐにどうこうする余裕はないようで、州境の睨み合いはすぐに終わる。
ほっとしたのもつかの間のことで、一昨年から革命に伴う内戦の続いていたユーゴスラビア王国がついに崩壊したとのニュースを耳にした。
これによって社会主義政党による共和制が敷かれることになり、ユーゴスラビア社会主義共和国が誕生したそうだ。
彼らのリーダーシップを取っているのは、国軍を相手に獅子奮迅の働きを示したブルガリア人革命家ゲオルギ・ディトロフ率いる"ディトロフ"大隊に所属していたチトーなる人物で、彼は強権的な姿勢を取って、国内の民族不和問題に立ち向かうと宣言する。と同時に、ワルシャワ・ドナウ経済連携協定への参加を表明し、これによってW・D諸国は地中海への表玄関を手に入れた。
オーストリアを中心とする"社会主義構造帝国"の拡張はとどまるところを知らない。
ユーゴスラビアと国境を接するブルガリアも警戒態勢に入り、バルカン半島は未だ導火線に火のついた火薬庫を思わせる切迫した情勢下にあった。
8月20日にはスペイン北部のバスク地方で自治政府による反乱軍の完全駆逐が宣言された。現地人に聞いたところによれば、バスク地方は山間部にあり、バスク人山岳兵団の精強さは国内屈指を誇っているらしい。
ここで特筆すべきは山岳兵団の所属であろうか。彼らはあくまでもバスク自治政府に忠誠を誓ったバスク軍であり、人民政府の所属では無かったのである。
つまり彼らは人民政府の力を借りずに独力で地域防衛を果たしたわけであり、バルセロナではカタルーニャに続く中立化宣言が行われるのではないかと市民の間で期待が高まった。
自分たちだけ戦闘に参加していないという負い目が彼らの罪悪感を駆り立てているのかもしれない。
8月21日。バスク自治政府をとりまとめるホセ・アントニオ・アギーレ自治政府首班が、人民政府の支持と共和派への参加、そして「永久に侵されることのないバスク人の権利」をゲルニカという都市で宣誓した。
アギーレは良心的な左派であったが、カタルーニャの左派ほど独立志向が強いわけではなく、共和国大統領アサーニャと近しい関係にある。
もしかすると彼は再びアサーニャが政権の舵取りを行えるようになることを期待しているのかもしれない。早々にスペインという国に見切りをつけたカタルーニャ自治政府とは大違いであるが、どちらが正しい選択をしたのかはこの時点ではわからなかった。
8月22日。20日にスイスのジュネーブで開催されたという、国連「スペイン内戦に関する安全保障会議」の詳細がようやくバルセロナにまで伝わってくる。
大井は期待に胸を膨らませてこのニュースを読み始め、やがて失望のあまりに新聞を屑篭に投げ入れた。
この会議を言い表すのならば、"不毛"の一言につきるだろう。
本来、内戦の鎮圧を目指して解決策を講じなければならないところを、ドイツとイタリアによる人民政府への罵倒とワルシャワ・ドナウ経済連携協定加盟国による反乱軍への罵倒がぶつかり合い、全く話にならなかったのである。
詳細をかいつまんでまとめてみると、まず全会一致で反乱軍と人民政府の武力衝突は国連の憂慮する"内戦"状態にあると認定された。
ここでW・Dのポーランドが多国籍軍の派遣による早期鎮圧を提言する。内戦を国連主導で鎮圧するという事例は、ポーランド南西部シレジア地方の民族紛争に先例があったため、多国籍軍の派遣については問題とならない。問題となったのは共和派とナショナリスト、どちらに肩入れするかを論じる段になってからだ。
ドイツ・イタリアはナショナリストを当然ながら支持した。また、人民政府の横暴を聞き知っていたカトリック信者を多く抱える小国も挙って独伊陣営応援の立場に立つ。
これに対し、W・D諸国も共和派を強く支持して譲らない。そもそも反乱軍を国連が支持するなどという前例が許されてしまえば、小国は大国の内政干渉を防ぐ手立てがなくなってしまう。民主的社会正義と国際協調を論拠とするW・D諸国の主張は、中米のメキシコや非キリスト教圏の中立国に支持されることになった。
かくして両論の激突は、互いの信条を貶めあう口論にまで発展する。
総会参加国は内戦解決の糸口を一切見つけ出すことができず、両論の支持国双方から「話にならぬ」と匙を投げられ、会議そのものが打ち切られた。
一応、戦火の拡大を防ぐため議長国によって体裁だけの"内戦不干渉"要請が通達されたが、その通達を馬鹿正直に守る国はない。
最早国連という安全保障機構は形骸化してしまったのである。
8月23日。ドイツ・イタリアの支援を取り付けた北アフリカ反乱軍が、航空輸送機による兵員の夜間輸送を行い、イベリア半島南端部からセビーリャまでの電撃的確保に成功した。これに北西、エル・フェロルの失陥も重なり、ナショナリスト反乱軍はスペイン北西部と南端を掌中に収めたことになる。
この知らせを受けた石原の見解によると、独伊の動きが早すぎるらしい。
「事前に兵器の輸送を終えていなければ理解のできぬ侵攻速度だ。端から国連総会の参加はみせかけだけだったということだろうな」
また、英仏の動きが悪いことに関しては、英国の在西大使自ら「欧州大戦のトラウマは、あなた方アジア人には想像もできぬほど大きいのです」とのコメントをもらっている。
"不干渉"の無視といえば、ローマ教皇庁もそうだ。
先日、教皇庁はスペイン国内でまかり通っている教会関係施設の打ち壊しを憂慮する声明を出し、反乱軍――、ここでは正式にファランヘ党と呼ばれていたが、党幹部であるフランシスコ・フランコを"信仰の保護者"と認定した。
マドリードから避難してきたアルファンという在西フランス大使の話を聞く限りでは、この背景にローマカトリックの苦境が見え隠れしているという。
「実は、ここ数年ほど教皇庁は混乱の真っ直中にあるのでございますよ」
混乱は今から遡ること7年前。つまり1929年から始まったらしい。
当時、ローマ教皇庁はイタリア政府との間にラテラノ条約という独立保障条約を締結した。が、これはローマ市内サン・ピエトロ大寺院の周辺一帯のみをバチカン市国として独立させるといったもので、それ以外の伝統的に主張していたイタリア各地の教皇領放棄をもまた意味するものであったのである。
「こうしてローマカトリックは名目上の永世中立扱いを勝ち取った代償に、以前は政権担当者と言うだけで破門認定を行っていたイタリア政府への実質的な従属を強いられることになりました。まあ……、そもそも教皇庁の支持基盤を完全に破壊したのは我が国のナポレオン3世でございますから、我々が英国人のような皮肉を叩く筋合いはないのですけれどね」
このアルファン大使はかなりの事情通であるらしく、大井が疑問に思った他の点についても納得のいく答えを提示してくれた。
「何故、フランコ将軍なのでしょう? 党の代表者はモラ将軍なのでは?」
「それは、党内のパワーバランスが変化しつつあるのでしょう」
元々、モラ将軍は国内右派の調整役も専らにしており、対外的な交渉役についてはフランコ将軍に一任していた。
内戦が単なる国内問題のままに収まっていたのならば、今もモラ将軍が代表の座に留まっていたことだろう。
しかし、勝利の鍵を他国の支援が握るようになると、にわかに交渉役の価値が高まっていく。
フランコ将軍の台頭はすなわち、右派が独力ではこの内戦を収めることはできないという判断に至った諦観の発露であった。
8月24日には、マドリードを巡る反乱軍と政府軍の戦闘が政府軍優位に収束する。
マドリード周辺の反乱軍は南端の主力と合流すべく南進を開始。政府軍の執拗な追撃により、多くの死者を出すことになった。
また、痛ましい事件も耳にする。
政府軍による追撃の最中、反乱軍に協力した自治体が政府軍による略奪を受けたというのだ。
この醜聞について人民政府は事実無根と主張したが、「少なからぬ人数の市民がなぶり殺しにされ、役所や教会には火がつけられた」との生き残りによる証言が反乱軍びいきの新聞社によって報道され、スペイン国内の世論は人民政府への反感に傾いた。
8月25日にはプエルト・デ・バルセロナにW・D諸国より大量の支援物資が届けられる。
中には戦車や航空機のような最新兵器、そして義勇軍も混ざっており、W・D諸国がこの内戦に本格介入を行う腹積もりであることを一見して窺わせた。
当時の大井としては、人民政府が港湾の開放を行っているというのにわざわざ中立宣言中のバルセロナを経由して入国してきている魂胆が気になったが、そう難しい問題というわけではなく、兵学校時代に左翼思想にかぶれて関連書物を読み漁った同僚の参謀曰く、「左翼にも色々あるんだぞ」とのことだった。
例えばスペインの現首相がレーニン主義をとっているとするならば、カタルーニャ自治政府はブルジョワ進歩主義になるという。前者はソ連と親和性が高く、後者はW・D諸国と親和性が高い。我が国の現政権もどちらかといえば後者に属するのだという。
「W・D諸国はこの機にソ連式社会主義者の力を弱めようと謀っておるのかもしれん」
大量の支援物資は無償というわけではなく、人民政府の購入という形式をとったようであった。
W・Dにも彼らなりの思惑があるのだろう。世の中は善意のみでは動いていないということが良く分かる。
日記をぱらぱらとめくっていく。
大井の意識は過去に飛び、過去に、今に抱いた感情を呼び覚ます。
8月26日。W・D諸国と違い人民政府に応援を遣さなかったソ連が、フィンランドのカレリア地方で起きた共産革命を支持すべく、フィンランドとの国境線へ軍を進めたらしい。
何故このタイミングなのだろうと全く意味が分からなかった。大井はこの日の全てを北欧に関する情報をかき集める作業に費やす羽目になる。
8月27日。中国東北部、満州地域において清国の旧臣たちが大規模な独立運動を引き起こしたようだ。これに対し、大東亜連合のシオン共和国とロシア連邦、大韓共和国が一早い支援を表明し、満州国境へと軍を進める。何が起きているのか、ひどく混乱したことを記憶している。
総隊は事態の把握を努めるべく、総員で情報の分析にかかった。
8月28日。夜を徹しての分析と亜号機関なる内地の諜報組織からの情報提供により、この日になってようやく状況が呑み込めてきた。
ソ連は元よりフィンランドへの侵略を計画していたようだ。今まで動けなかったのは、周辺の状況がそれを許さなかっただけに過ぎない。
例えばウクライナ・ベラルーシの独立により、ソ連は国力の約20パーセントを喪失していた。
更にウクライナを初めとするW・D諸国との非正規戦闘に備えるため、また国境線をソ連優位に確定するために多数の守備隊を国境付近に配備していたという。その結果としてソ連が対外戦争に動員できる戦力は危機以前の60パーセントにまで低下しており、決して戦争をこなせる状態ではなかったのである。
状況が変わったきっかけは、大東亜連合加盟三国との中立条約締結とW・D諸国のスペイン義勇軍派遣にあった。これらにより周辺の軍事圧力が弱まった結果、ようやくソ連はフィンランドへの進出に乗り出すことができたのだろう。スペイン内戦を収めることのできぬ国連の求心力低下も、偶然ではあるがそれを後押しした。
だが、ソ連のこうした動きは大東亜連合加盟三国にとって願ってもない好機であったようで、シベリア方面の守備が手薄になったことから、三国は玉突きのように中国へ軍事介入を開始する。
恐らくソ連との中立条約はこの介入の布石だったのであろう。中立条約なぞ好きに戦争を始めるための約束手形に過ぎないのだと石原は言っていたが、三国は国連に加盟していないため、パリ不戦条約を遵守する必要がない。彼らの歩みを止められるものはいなかった。
8月31日。この第二次満州事変とも呼ぶべき内戦に我が国は出遅れて「遺憾の意」を表明したが、有形力の行使にまで言及することはなかった。
一応経済的な締め付けには言及していたが、何処まで徹底できるかは疑問である。それほどに大東亜連合加盟国は最早我が国と経済的に強く結びついてしまっているのだ。
連合総会で三国と激論を交わす重光葵外相や、国内で平和的解決の重要さを演説する松岡洋右宣伝相の姿は各国外交官の目に一体どのように映ったのであろうか。
日記を読み進める速度が速まる。
過去と今が混同され、感情と記憶のめまぐるしい追体験が重ねられた。
9月15日。孤立無援で戦っていたスペイン北西部の反乱軍がついに攻撃の限界点に到達する。
満足に動けぬ政府軍を錬度の差で終始押していた彼らであったが、カタルーニャ発の増援部隊出現により、前線から突出した部隊に多数の被害が出てしまったのである。
ここでもオリンピック義勇兵団の騎兵隊が散兵と兵站潰しに活躍したらしく、小隊長"バロン西"の名声がここバルセロナにまでもたらされた。
総隊の発する再三の出国要請を拒否しての活躍であったため、こちらとしては複雑な気分そのものだ。
かくして共和派の大規模な反攻作戦が始まり、北西部を表す地図は一気に赤色へと塗り変えられていった。
その作戦を陰で支えたのが、北大西洋からパリを経由してスペイン北西部にやってきたメキシコ義勇兵の存在である。
数は少ないながらも彼らが反乱軍の後背を突いたからこそ、共和派の攻勢速度は加速したと聞く。
9月18日。この日は合衆国の偵察艦隊がプエルト・デ・バルセロナの沖合いに到着した。
艦隊旗艦はポートランド級重巡洋艦の"インディアナポリス"だ。艦長ヘンリー・ケント・ヒューイット大佐見学の下、合衆国民の輸送は総隊の大発動艇によって行われたが、艇隊長の渋谷曰く「まるで猿回しの猿を見るような目で見られた」という。それが人種差別的なまなざしによるものなのか、それとも大発動艇に向けられたものなのかは分からない。
ジョン・ヘンリー・タワーズという偵察艦隊司令官のもとへは谷口本部長と佐藤司令官が挨拶に向かった。これは総隊設立の経緯説明とスペイン内戦の現状説明を目的としたものであったが、何故か宮本航空参謀が名指しで呼び出される。
どうやら米国軍人の知己経由で呼び出されたようだが、合衆国海軍の航空士に寄ってたかって揉みくちゃにされる羽目になったらしく、帰還した宮本は疲れた表情を浮かべていた。
タワーズ司令官は南部訛りの強い偉丈夫で、宮本と会うなりこう問いかけたそうだ。
「お前がミヤモトか?」
「その通りであります」
「駆逐艦を艦載の水上機で沈めたってのは本当か?」
「……正確には中破炎上です。しかしながら、航空爆弾をあの時落とせたなら、別のお話ができたのかもしれません」
タワーズは満足げに頷き、こう続けたらしい。
「1から航空部隊を作ってるんだって?」
「それは……、その通りですが」
何故それを? と問おうとしたところで、宮本は満面の笑みを浮かべたタワーズにがばりと抱き締められたという。
「嬉しいじゃないか。サムライの国に同志がいた」
宮本が聞くところによると、タワーズも若い頃には航空部隊を1から作ろうと苦労を重ねてきたのだという。
合衆国の士官曰く、タワーズは航空部隊に理解のある者には滅法優しく、また熟練した技術を持つ航空士にも敬意を払うという。宮本は二重の意味で気に入られたわけだ。
更に宮本が設計に協力したという"竜飛"にも並々ならぬ関心があるようで、しきりに発着艦の模様を見物したがっていた。
意外な縁で繋がった総隊と偵察艦隊は、良い雰囲気を保ったままに国の帰還命令を聞かぬ両国の義勇兵への愚痴や人民政府の無法、ナショナリストへの不信感、今後の展望などについて語り合ったそうだ。
偵察艦隊は翌朝の19日には米本土に向けて出航した。
そして9月20日。北西部の戦況は再び反乱軍の優勢に傾いた。エル・フェロルに到着したドイツ・イタリア義勇兵団が共和派部隊に襲い掛かったのである。
中にはドイツで開発されたカンプフヴァーゲン・アインやイタリアのカルロ・ヴェローチェなる軽戦車が混ざっており、ガリシア地方にまで進出していた共和派部隊は散々に追い回された挙句、脇目も振らずにカンタブリア山脈の山道へと逃げ込んだ。当初は地の利を利用してそこで独伊を迎え撃つつもりであったらしいが、近接支援を行う新型航空機の登場で結局山脈を越えた中央高原にまで後退することになる。
この新型航空機は、どうにも上海で総隊が相見えた正体不明機と酷似した特徴を持っているらしく、先の事変の黒幕はドイツかイタリアなのだろうかと、参謀たちの間で予想が立てられた。
9月22日には、バレンシア、バレアレス諸島間で再び政府軍と反乱軍の艦隊決戦が行われる。この戦いにおいて、政府軍は前回よりも統制の取れた艦隊運用を行っていたが、独伊の航空支援を受けた反乱軍に敗北を喫した。
これでスペイン南東部の制海権は反乱軍の手中に収められたわけだ。
バルセロナ市民らは反乱軍が海上からこちらへ攻め上ってくるのではないかとしきりに心配しており、そんな彼らを慰撫するために総隊員総出で市民を交えた食事会や野球大会を開催することが決定された。
9月23日。所変わって、フィンランドのカレリア地方でフィンランド軍とソ連軍の武力衝突が本格的に始まったらしい。
入手した情報によれば、ソ連側はミハイル・トゥハチェフスキー元帥率いるソ連陸軍精鋭部隊が主力となっており、フィンランド側はヤルマル・シーラスヴォ大佐率いる第9師団が最前線で防衛に努めていると、確認できている。
両者はソ連側が優勢ながらも、互いに尽きぬ砲弾の雨を相手に見舞っているという。
9月26日。スペインの中央高原に独伊の義勇兵団が歩みを進めた。欧州大戦以降の塹壕戦術も彼らの前には効力を発揮せず、共和派の戦力は大きな損耗を強いられることになる。
何よりも致命的なのは空を独伊に占領されていることだ。防御陣地の尽くが潰され、共和派はマドリードの目と鼻の先にあるカスティーリャにまでついには追いやられてしまった。
9月27日。絶体絶命の共和派をW・D諸国が派遣した義勇兵団が救う。
彼らはポーランド人を主体とした騎兵隊とBT戦車を伴っており、陸上の戦いはほぼ互角にまで持ち直す。空においては"ドラケン"が投入され、独伊の近接支援機や"フォルゴーレ"と壮絶な空戦が繰り広げられた。どうやら新型機は多目的使用を前提として設計されているらしく、空の革命児とまで謳われた"ドラケン"と相対して一歩も譲らぬと聞く。
かくして最新兵器が惜しみなく投入されたこの戦いで最も存在感を発揮したのは、戦車でも航空機でもなく、まさかの騎兵であった。
といっても騎兵隊が直接敵戦力を粉砕していったわけではない。これはスロバキアとの非正規戦闘時にポーランド軍が偶然編み出した戦術らしいが、騎兵に特製の手榴弾を携行させ、敵戦車の走行装置を破壊するのだ。そして立ち往生を余儀なくされた戦車に歩兵や砲兵が追い討ちをかける――。威力を増した対戦車手榴弾は歩兵が取り扱うには大きな危険が伴うが、騎兵が用いる分には絶大な威力を発揮した。
10月5日。ポーランド人からもたらされた対戦車戦術が戦場の様相を一変させる。
騎兵が戦車を装甲不能にし、その騎兵を機関銃や砲弾から守るために戦車を運用するという不可思議な逆転現象が起き始めたのだ。
特にW・D諸国の運用する快速のBT戦車とポーランド・オリンピック義勇兵団の相性が良く、独伊の戦車が次々に潰されていっているとの知らせがもたらされている。
何故、独伊も同様の戦術を取らないのかと石原に聞いてみると、そもそも戦車の運用思想が違っていたのだと彼は語った。
「我が国もそうだが、そもそも独伊の戦車は歩兵や工兵と随伴させて用いるものだ。それに対してポーランド軍は騎兵と随伴させて戦車を用いるようにしたらしい。自然と連携に差も出てくるだろう。が、直に独伊の連中も学習するだろうな。この戦い、下手をすれば時代錯誤の騎兵戦が発生するかもしれん」
10月10日。石原の予測が的中した。
イタリアからやってきたサヴォイア義勇隊なる騎兵連隊とポーランド・オリンピック義勇騎兵団が中央高原で激突したというのである。
互いの快速戦車に守られた騎兵隊が、業を煮やして守備を抜けての肉薄攻撃を仕掛けたようで、中隊長にまで昇格した"バロン西"と敵連隊長が、あろうことか馬上でサーベルと軍刀の斬り合いを開始。そのあまりのインパクトにバルセロナでは新聞の一面を賑わせた。
10月12日。バルセロナ市民を交えた総隊の催しは好評を博したままに無事終了した。これからは治安維持以外で市民と関わりを持つ機会も増えるかもしれない。
10月13日。ソ連とフィンランドの戦いは未だカレリアにて一進一退の激戦が継続しているようだ。
トゥハチェフスキー元帥は"赤いナポレオン"とまで謳われた名将と聞いていたのだが、格下を相手に何故攻めあぐねているのだろうか。これも門外漢の自分には分かりかねる問題であったので石原大明神に詣でてみると、「格下じゃなかったというだけだろう」と分かりやすい神託を頂けた。
どうやら、フィンランド防衛をになっているシーラスヴォ大佐は相当寡兵の運用に長けているらしい。だが、それだけでこの奮戦は説明ができない。トゥハチェフスキー元帥を悩ませているのは、航空戦力の劣勢であった。
フィンランドの"ドラケン"とソ連の新型航空機が飛び交う空の戦場は、1ヶ月もしない内にフィンランド側の圧倒的優位が確定した。
スペインにおいては精彩を欠く"ドラケン"が何故フィンランドにおいては活躍できているのか。石原神社から宗旨替えをして宮本神社に詣でてみると、どうやら機体性能の問題ではなく、航空士の技量差に問題があるという。航空士は一朝一夕で育つものではないから、これからも空の優勢は揺ぎ無いだろう、とも。
10月20日。地中海でW・D義勇兵団に届ける予定の輸送物資を満載した民間輸送船が正体不明の武装商船に撃沈されたという緊急ニュースが持ち込まれた。
総隊にオーストリアから近辺哨戒の正式な要請も入ってきており、中立的立場を崩すか否かで大激論が交わされる。
石原は中立の立場を保ち、W・Dへの肩入れは断固としてすべきでないと強く主張したが、海軍出身者や商船学校出身者がこの意見に難色を示す。
輸送船が民間のものであった、というのが大きな問題だったのだ。心情的に通商破壊を嫌悪する面々が多く、結局日本政府に判断を委ね、改めて公式なルートで返答すると先方には応えた。
10月21日。政府から哨戒ではなく民間船団護衛の要請が正式にもたらされた。
W・D発輸送船団の護衛には旗艦として"竜飛"、随伴艦として"海彦と"山彦"、"占守"と""国後"、そして"富山"と"秋津"がつくことになる。
スペインのナショナリスト反乱軍や独伊の強烈な反発が予想されるため、その航海は領海と領海の境目を縫うような進路が予定された。
輸送船団の停泊地はユーゴスラビアのスプリトという港だ。
護民艦隊はこの日の内にスプリトへ向けて出航した。
10月25日。特にアクシデントもなく、護民艦隊がスプリトに到着する。が、あまりに順調すぎた影響で輸送品の積み入れが終わっていないらしく、艦隊は2日ほどこの港に待機することになった。
入港から程なくして、W・D諸国の高官から連絡が入る。どうやら、訪問のアポイントメントのようだ。
この急な申し出に総隊員は皆接待の準備で忙殺されることになり、その報酬というわけではないが、高官との面合わせにおいて内戦に関わる新たな情報を得ることもできた。
まず、独伊の用いていた新型の近接支援航空機はイギリスのスーパーマリン社とドイツのメッサーシュミット社が合同で開発した"ユーロファイター"という機体で、上海で猛威を振るった"黒色"もこれの試験機であったらしい。
最高速力は時速にして635km。ドイツのマウザー20mm機関砲2門とブローニング12.7mm機関銃を2門備えた高火力戦闘機で、ガンポットという追加機関砲や航空爆弾を搭載可能な多目的性に特徴がある。
当初はイギリスの次世代主力戦闘機と目されていたが、英グロスター社と独フォッケウルフ社が合同開発した新型機と主力戦闘機の座を巡って争った結果、低速域の運動性能にやや問題があることが判明し、輸出向けの予備機という扱いに収まったようだ。
航空隊の面々は、これほどの高性能で"黒色"が「不合格」を言い渡された欠陥機扱いであることに驚いていたが、宮本は別の点に驚いていたよう見受けられた。
グロスター社とフォッケウルフ社が合同開発したという"ジーク"なる機体を写した写真に目が釘付けになっていたことが印象に残っている。
また、"アトランティス"なる単語に聞き覚えはないかと問いかけられた。無論、聞き覚えはなかったため「知らない」と返答する。
10月26日。ユーゴスラビア共和国の暫定首班であるヨシップ・ブロズ・チトーが"竜飛"にやってきた。威圧的な表情が印象的であったが、国を率いるにはまだ若すぎるように見える。"竜飛"にやってきたのも何か政治的なアピールの一環なのであろうか。特に何かを要求することもなく、ただ航海の無事を祈り、彼は官邸に帰っていった。
10月27日。スプリトを出航。晴天に恵まれ、波も穏やか。特に問題もなく航路を進んでいく。大発動艇隊の渋谷隊長が護衛中、船団の乗組員と嗜好品の交換をしていた。文句を言おうとも思ったが、交換した嗜好品が巡り巡って自分のところにやってくる可能性を鑑みて、大井はご注進を心に押しとどめた。
10月28日。奇妙な商船を発見した。ギリシャ船籍の"ゴルデンフェルス"号だ。電信で互いに航海の無事を祈り、ただすれ違うだけに終わったが、哨戒を行っていた航空士曰く、上部構造物に箱型のアンテナらしきものが確認できたという。
超短波警戒機と同様の電波探知設備のような気もするが、民間船、それもギリシャの船にそんなものがつけられるものだろうか? "ゴルデンフェルス"の名を記憶に留め、船団は目的地へと急いだ。
10月29日。船団が無事にプエルト・デ・バルセロナへと到着する。陸のニュースを漁ってみると、ナショナリスト、共和派の戦闘は中央高原で硬直化していた。
互いに士気を削りあう消耗戦へと移行しているらしく、両者の将軍や義勇兵の代表者が新聞・ラジオを通じて勇ましいコメントを内外に発し続けている。
四六時中ラジオを流しで聴いていると、義勇軍にも様々な出自のものがいるのだと気づかされて興味深い。
イタリアの黒シャツ隊にドイツのコンドル軍団は当然として、オーストリアからの右翼亡命者なんてものもいるのだ。
また、チェコ人聖職者のヨゼフ・ティソ率いる"スロバキア兄弟団"などは、さながら20世紀の十字軍とでも呼ぶべき過激なコメントを発しており、人民政府を「悪魔の手先だ」と公言して憚らない。
最も国民に人気があったのは、サヴォイアの連隊長と共和派の西竹一――、通称"バロン西"であった。
両者は初手の一騎打ちを皮切りにたびたび衝突を繰り返しており、彼らの戦車撃破数と一騎打ちの勝敗は、街中で賭け事の対象にすらなってしまっている始末だ。
このご時勢に一騎打ちなど戦術的には無駄でしかないはずだが、どうやら互いに友軍の士気を高めるために敢えて行っている節があった。
当然ながら、総隊の再三送る帰還の要請に返答はない。
自らの意思で残るというのだから、もう捨て置いて良いんじゃないかと思わないでもなかった。
また、東アジアでも情勢に変化があったようだ。
清国旧臣の独立派と大東亜連合の混成軍が破竹の勢いで満州の東西両端を確保したというニュースがもたらされている。西部は大東亜連合の支援を受けていたために戦力が充実しており、東部では満州族と血縁関係にある土着のモンゴル義勇軍が活躍した。
今では東端の鶏西や佳木斯、中東部の哈爾浜に長春、そして西部の赤峰と海拉爾が完全に独立派の影響下にあり、東北地域を牛耳っていた張学良は残党を率いて北京にまで追いやられてしまったという。
11月4日。満州の長春で、シオンに亡命していたはずの愛新覚羅溥儀が大清国の復興を宣言した。
傀儡でないことを証明するために独自外交を行うと宣言しているが、何処まで信用できるか分かったものではない。
今回の事変に難色を示していた日本は難しい対応を強いられているようだ。
スペイン内戦での国際協調を重んずる対応が隠れ蓑になってはいるものの、東アジア情勢に関する"絵踏み"を世界から強いられる日はそう遠くないだろう。
11月8日。スプリトへ輸送船団を送り届けて帰還した後、北大西洋でドイツ義勇軍にあてた輸送船が正体不明の大型武装船舶に撃沈されたとの報が入った。
総隊の感知できぬところで、独伊とW・D諸国が水面下の戦いを繰り広げているのかもしれない。
11月10日。イタリアの軍高官がプエルト・デ・バルセロナにやってきた。
彼の用件をかいつまんで要約するならば、「これ以上共和派への肩入れは止めろ」となる。
この警告を無視すれば、最悪ドイツやイタリアと戦闘になるかもしれない。
潮時かと思われた。そもそもの話、日本政府の要請がおかしかったのだ。
総隊は戦闘をするために作られた組織ではない。スペインへはあくまでも邦人の救出にやってきただけであり、一部の聞かん坊を除けばその目的は既に達成されている。
これ以上独伊の敵意を無駄に煽る必要はなく、谷口たちもそう判断してか、カタルーニャに一報を入れて帰国することをイタリアの軍高官に伝えた。
その際、"レムリア"なる単語について問い詰められたが、答えられる者はいなかった。W・Dの高官からも同じような質問を受けたが、一体何の話だろうか?
11月11日。総隊撤収の時期について、カタルーニャ自治政府から「州内の防衛体制整備にもう少し時間がかかるため、まだもう少し長く常駐してほしい」との答えが返ってきた。
そこで谷口はようやく所在の掴めた在西日本大使やイタリア大使と連絡を取り、3者を交えて総隊の撤収日の調整を始める。
最終的に、撤収の期限は2ヵ月後の1937年1月10日に決まった。
随分な期間をイタリアから引き出せたものだと大井は舌を巻いたが、その実カタルーニャ自治政府はかなりの譲歩をイタリアに対しさせられたらしい。
例えば、第一にプエルト・デ・バルセロナを共和派の援助目的で利用させないこと。これによって共和派は南東部のバレンシア経由で外部援助を受けなければならなくなったが、バレンシアの沖合いにはナショナリストの根拠地の一つ、バレアレス諸島がある。外部からの補給を絶って、干し殺しをしようというのだろう。
他にもナショナリスト反乱軍が内戦で勝利した暁には、再びのスペイン編入をも認めさせられた。自治権自体はある程度保障されるらしいが、良くこんな舌先三寸の条件を認められたものだと思う。
どうにもこのイタリアの強気とカタルーニャの弱気は、W・D諸国からの支援が滞りつつあることが理由にあるようだ。
「W・D諸国は狸揃いだったな」とは石原の言であった。
彼の分析によると、そもそもW・D諸国が共和派に肩入れしたのは安全保障上問題となる西欧諸国を疲弊させるためであったのだという。
それを証明するように、W・D諸国は決して人民政府より引き出された国庫を上回る支援を遣そうとはしていない。
ただ中立国に民主主義を守る重要さを説き、義勇軍の派遣を促して回るだけで、自らが大損をせぬ最終ラインをきっちり弁えている節があった。
このままでは仮に反乱軍が国家を奪取したとしても、そこに待っているものは空になった国庫と莫大な借金のみだ。
悪辣、という言葉が思い浮かんだが、大井はその言葉を口に出さなかった。国際情勢などという海千山千の連中がひしめいている世界でそのような言葉は褒め言葉にしかならない。
11月13日。バレアレス諸島に停泊中の反乱軍艦隊と航空基地に待機していたイタリア義勇軍攻撃機が夜間に謎の空襲を受け、大きな被害を被った。
共和派の義勇軍が海を隔てたバレンシアから"ドラケン"を飛ばしたのであろうか?
だが宮本が言うには、"ドラケン"の仕業ではないらしい。そもそも"ドラケン"は長距離の夜間運用を意図した設計ではなく、また航空基地を空爆するほどの大規模攻勢なら、反乱軍が気づかぬはずもないと言う。
「……考え得る可能性としては、相当近距離まで航空機母艦ないしは水上機母艦を接近させて、戦略爆撃を行ったのではないかと」
「スペインに空母なんてないだろ?」
「そこが奇妙な話ではあります」
W・D所属の艦であろうか? だが、第三国の軍艦が独伊との開戦というリスクを犯してまで軍艦を運用するとは考えにくい。
考えるば考えるほど、頭を捻るばかりの事件であった。
奇妙といえば、イタリアもそうだ。総隊の上層部は"竜飛"が疑われる可能性を危惧してイタリアに連絡を取ったようだが、彼らは端から総隊を考慮に入れていないらしい。
犯人の目星が突いているのか?
11月14日。人民政府の一部が独断で、再び反乱軍のモラ将軍と交渉を持ったようだ。
彼らは激怒したヒラル首相によって銃殺刑を命じられた。最早、この国は敵対する派閥を殲滅するまで止まることはないのであろう。
11月15日。長期化の兆候が見える戦況を憂慮した周辺各国はスペイン情勢を静観することに決めたらしい。
イギリスのチェンバレン首相は「ピレネーより南方に我々は関与しない」と明言し、義勇兵に身を投じているイギリス人に帰還の強制命令を下す。これは命令に反する場合、国籍を抹消するほどの厳しい処置で、西欧諸国はイギリスの決定に倣い、各々が自国民の帰還を促した。
日本もイギリスに便乗して、日本人義勇兵たちに帰国するよう強い調子で要請を送っているが、梨の礫であることは以前と変わらない。
ただ、ようやく一部から返信があった。
『戦地に友あり。我、死して民主主義の礎とならん』
戦地でいかなる心境にあるか、中立地帯に居座っている自分たちには察しようもないことだが、これ以上はもう切り捨てる判断をした方が良いのかもしれない。
さて、西欧の中にあって独伊はというと相も変わらずナショナリスト支持という立場を崩さなかったが、義勇兵の派遣や兵器の輸送頻度については徐々に少なくなっているよう見受けられる。
代わりに増えたものは、投入される兵器のバリエーションであった。
石原はこの点を指摘し、「このまま馬鹿正直に支援をしても、W・D諸国の手のひらで踊り続けるだけで元が取れそうにないと判断した独伊が、イベリア半島を新兵器や新戦術の実験工場にしようとしているのだろう」と考察する。
人の命が散っていく戦場を技術開発の実験工場にするなど、笑えない話であった。
戦争は確かに技術の発展を促すという一面を持つが、こうもこれ見よがしに非人道的な側面をまざまざと見せつけられれば、流石に不快にもなってくる。
11月20日。例年より厳しい冬の到来を覚悟したトゥハチェフスキー元帥が、砲兵師団と戦車隊をカレリアの前線から後退させたらしい。後退際の一当ては鮮やかなもので、反撃の好機と錯覚した一部のフィンランド軍が、伏兵による側面攻撃を受けて壊滅したという。
そのままにらみ合いになるかと思われたが、ここでトゥハチェフスキー元帥がモスクワへと呼び出される。前線の指揮官をモスクワに呼びつけるとは、ソ連の上層部は一体何を考えているのだろうか?
12月1日。ソ連フィンランド解放軍の最高司令官が交代した。後任はクリメント・ヴォロシーロフという将軍のようで、将軍は後退させた戦力を結集させ、再びの大攻勢を準備しているという。
この不可解な動きを石原はこう分析した。
「トゥハチェフスキー元帥はクレムリンの不興を買ったな。恐らくは粛正されたのかもしれん。ただヴォロシーロフ将軍が何処までやれるかわからんが、"赤いナポレオン"の代理としてはちと力不足だろう」
対する宮本は航空戦に着眼点を絞り、チャンスがないわけではないと別観点から分析する。
「極寒の吹雪の中では、低空を飛ぶ近接航空支援は行えません。陸軍の質で、勝っているソ連がフィンランドを上回るには、この機を逃す訳にはいかないのでしょう」
果たして、モスクワの判断は吉とでるか凶とでるか。
門外漢の自分には想像だにもできなかった。
12月10日。ソ連のフィンランド解放軍が一斉に前線を押し上げ、カレリア地方を中程まで占領できたそうだ。
宮本の言う通り、航空支援の期待できなくなったフィンランド軍は聊か防御力に欠けており、ついにはカレリア地峡という川と湖が複雑に入り組んだ天然の要害にまで追いやられてしまう。ここを突破されればカレリア全土の放棄も考慮せねばならぬ危険な状態だ。
フィンランドにとって、この防衛戦はさながら井ケイの戦いのようなものであり、ここが踏ん張りどころであることは間違いあるまい。
12月16日。北大西洋の洋上で、再び独伊の輸送船団に被害が出た。今度は水上機による夜間航空爆撃を受けたようだ。イタリアの護衛艦隊も出張っていたらしいから、今頃艦隊の司令官は顔色を変えているに違いあるまい。だが、正直まったく他人事ではなかった。
総隊司令部では、イタリアの護衛部隊が何故航空爆撃を察知できなかったのか? 被害を0にする方法はなかったのか? と堂々巡りで議論を続けている。
正直に言ってうんざりであった。イタリアの状況が分からぬのに、仮定に重ねた仮定で議論を続けても意味などあるとは思えない。それでも同僚たちが不毛な議論を続けているのは、何か世の中がとてつもない速度で回転しており、自分たちが取り残されているかのような漠然とした不安感を抱いているからであろう。大井自身もそうした不安を若干抱えていることから、彼らの気持ちは分からないでもなかった。それでも、無駄な議論に賛同する謂れなどないわけであるが。
12月20日。快進撃を続けていたソ連解放軍の歩みがカレリア地峡の麓で止まったとの報が入った。
どうやら地峡のあちらこちらがフィンランド軍によって事前に要塞化されていたらしく、物量に任せた攻撃を全く受け付けぬのだという。
手薄になった箇所を探すべく横に広く展開するソ連解放軍とフィンランド軍との睨み合いが始まり、戦況は再び硬直化の兆しを見せる。
12月24日。まさかと耳を疑ったが、ソ連解放軍が一目散に敗走を始めているらしい。
雪中に孤立したソ連軍部隊をフィンランド軍が次々に確固撃破、包囲殲滅していっているようで、ソ連側の最終的な被害は想像もできぬほどになると予想される。
しかも「捕虜を取った」というニュースがないことも不気味であった。石原が言うには、今後の安全保障問題を鑑みてフィンランド側がソ連人民を出来るだけ"間引き"している可能性すらあるという。
"間引き"という発想に気分が悪くなった。戦略的に有効なことは理解できるが、やるせない。
1937年1月1日。結局、今年も内地で正月を迎えることができなかったと少し残念に思う。
せめて日本情緒を味わおうと総隊員総出で餅つきを行った。これはバルセロナ市民も交えての壮大な催しに発展したが、主計から賄いに出された握り飯にタイ米が混ざっており、しかもそれを自分が食する羽目になったことだけが返す返すも悔やまれる。
悔やんでばかりの正月であったが、良いこともあった。タイ米はスペイン料理の炒め飯にすると案外美味かったのである。
これは是非とも採用すべきと主計に提案しておこうと心に決めた。
1月4日。直に総隊はスペインから離れることになるが、結局日本人義勇兵たちは帰ってこなかった。
本気で祖国の土を踏まぬつもりなのであろうか? あるいは最早この国の土と化してしまったのかもしれない。
戦況は相も変わらず不毛な消耗戦が続いている。睨み合い、砲火から身を隠し、不運を得た者から死んでいく。
互いの憎悪は深まるばかりだ。
先日など、"反コミュニズム連盟"を名乗るドイツ人義勇軍20名がマドリードのマヨール広場で公開処刑された。
反乱軍は処刑された義勇兵のプロフィールを詳細にラジオで発表し、殉教者として取り扱っている。
1月7日。バルセロナ市民が送別の催しを改めて開いてくれた。
赤茶けた髪色の少年少女から花束を渡され、隊員と市民が別れを惜しんで抱きしめ合う。
中東でもそうであったが、大発動艇隊。そして陸戦隊の面々はとにかく涙もろい。バルセロナに作った友人と手紙を交わすことを誓い、何度も何度も抱擁を続けている。
航空隊の"鳳翔"出身者に涙もろい手合いがいたが、こちらは商売女の味が忘れられず、離れたくないと駄々を捏ねているだけのため、この際除外しても構わないだろう。
宴もたけなわになった頃、互いに相手国の歌を歌うことで送別の催しは閉会した。
1月8日。世界地図からバスク人都市のゲルニカが"消滅"した。
そして今日――。過去を追体験する大井の意識が現実へと引き戻される。
石原はこのスペイン内戦をして"永劫に続く怨恨の始まり"とオカルティックに表現していた。
イタリアとの取り決めがある以上、総隊が明日にもこの地を発つことに変わりはない。
大井は明日目にするであろうバルセロナ市民の不安な表情を幻視して、今から憂鬱で致し方なかった。
丁度良い区切りがなかったため、字数が膨らみました。




