1932年3月 中地家別荘にて
要が言うところの未来人――。半狂乱になった男女二人組を何とかなだめて別荘へと帰ってきた翌朝。
千早は昨晩の関係者を集めて、今後の方針を考えることにした。
「昨晩はしっかり眠れたか?」
「あ、はい。その、ありがとうございます。俺らのこと受け入れてくれて」
リビングにてソファに座っている迷い子二人組は、昨日に比べて驚くほど静かにしている。
その表情に明るさは見えなかったが、一晩を経て気持ちの整理でもついたのかもしれなかった。
「帝国臣民を助けるのは軍人の仕事だ。それに礼なら一応家主に言ってくれ。そこで小憎たらしくしている奴な」
言って、家主へ目を向ける。
「良いよ。こんな面白い出会いは前代未聞だからね。むしろ君たちが断ったところで、紐つけてでも連れてきていたところだよ」
「お兄さま……。そう言う言い方は大和様方に失礼です」
「ああ、いや。そうだね。全くもってその通りだ。申し訳ない」
驚くほど素直に妹の諫言は受け入れるものだと呆れもしたが、敢えて口に出すことはしなかった。
敢えて藪をつついて本題をそれることもないだろう。
「しかし、未来人との情報交換か、胸が踊るね」
要は上機嫌そのものといった様子である。
案の定、横道にそれる気満々であるようで、ソファを揺らして会談に臨む様は、お預けを食らった子どものようにも見えた。
この夢想家に場をかき乱されてはたまらない。千早はしかめっ面で釘をさしておくことにする。
「帰り道の分からなくなった彼らを家へ帰してやるための相談だ。夢物語のような雑談なんぞするつもりはないぞ」
「……もしかして、まだ彼らが未来人であることを信じていないのか?」
「色付き写真と奇妙な年号だけで、どうしてそう信じきれる」
あくまでも頑なな千早に、要は呆れたようにため息をつき、いたずらを思いついた小僧の顔で大和たちへと目をやった。
「君たち、何か未来から来た証明になるものはないかね? この石頭を納得させる必要があるだろう」
「あ、それなら……」
大和がポケットから、手鏡大の板を取り出す。
見たことのない材質だ。金属のような輝きを放っているが、見たところ金属ほど堅そうにも見えない。一番近い素材で言えば、樹脂であろうか。
板の全面にはガラスと、ボタンが取り付けられており、何らかの装置であることは想像できる。
「携帯ゲーム機です。これはこの時代にはないでしょ」
そう言いながら、大和が板をガチャリとやると驚くべきことに、板から音声と映像が流れてきた。
「大和君……。何でそこでゲームなの?」
「スマホ、リュックの中だったんだよ」
のどかの呆れた声にも、大和は何処吹く風で対応する。
千早はというと、驚きで声があげられなかった。
席次はともあれ、千早とて兵学校で第一級の教育を受けている人間である。
目の前の携帯ゲーム機とやらが、現在から隔絶した技術のよって作られていることは容易に判別できた。
本当に未来人なのか? まさか。
「面白いね! 紙芝居……。よりはカメラから派生していく技術なのかな? 連動して音楽が自動的に流れるようだけれど、動力は恐らく電気だろう。かなり高性能の電池が収まっているようだね」
彼らが未来人であると信じきっている要は大絶賛で食いついている。
美冬も興味深そうに目をきらきらさせていた。
二人の反応が予想とは違ったのか、大和の表情が困惑に染まる。
「家主さん、何かえらい理解早くないですか?」
「そりゃあ、いつも未来人の到来を心より待っていたからね。僕のことは要で構わない。妹は美冬。そこの石頭は千早だよ」
そんなやりとりを思考停止状態で眺めていた千早であったが、はたと我に返って割り込んだ。
その間、30秒ほど。のどかと美冬は名前の交換を終えるところであった。
「本当に未来人なのか?」
「うーん……。俺らも信じたくないんだけど、別の時代から来たみたいです」
不承不承といったその答えに千早は再び沈黙し、それでもやることは変わらないと思い直した。
彼らの出自がどうであれ、やるべきことに変わりはないからだ。
「分かった、信じよう。それで君たちが帰るためにどうすればいいかだが……」
「いや、何故そこで帰り道云々に戻るんだ。もったいないにも程がある」
「俺は人でなしになるつもりはない」
そうにべもなく返す。
要はふんと鼻息を鳴らした後、ソファに深々と腰掛け、コーヒーカップをかちゃりと鳴らした。
絶対に懲りていない。
千早は頭痛を覚えながらも、二人へ目をやる。大和たちは手伝いの女性に淹れてもらったコーヒーを啜っている最中であった。
「まず、大和君とのどかさんがこの場所へ来る前のことを聞かせてくれ。そこに何やらヒントが隠されているかもしれない」
二人は千早の言葉に頷くと、まずのどかが口を開いた。
「えっと、私たちは学校のフィールドワークで戦争関連の遺跡を見学していたんです」
「学校のフィールドワーク……。野外調査のことだね。だが、戦争関係の遺跡というのはどういうことだろう。軍事施設跡の見学をしていたということかな? だとすると氷室にいた意味が分からないんだが」
「いえ……? 空襲関係がメインです。あそこは防空壕ではなかったのですか?」
こてんとのどかが首を傾げた。
その言葉の意味するところを図りかねた要が千早へと目を向ける。
「千早、ボウクウゴウとは何だ」
「言葉の意味だけを考えるなら、敵の航空攻撃に対応した防御施設と言うことだろう。問題は民間の敷地にそんな代物はないということだな。呉の海軍施設に設置されているのならば、まだ理解できるが……」
「えっと、それは日本がアメリカの空爆を受けていたからです。実際広島もすごい被害を受けましたし」
「未来で、かい?」
「多分……」
随分ふわりとした言い方だが、その内容は到底看過できるものではなかった。
千早は泡を食ったように詰めかかる。
「アメリカ? 何でアメリカが日本を空爆できるんだ。極東の有力な米軍根拠地はハワイのオワフ島基地か、フィリピンだけのはずだ。米軍の太平洋戦力はオワフに集中しているはずだから、航空戦力単体での攻撃はありえない。航空母艦の遠征にしたって内地は遠すぎる。艦隊決戦で負けて、制海権を取られたのか? 奇襲攻撃でも受けたのか?」
「え、えっと……」
「待った。彼女は見るからに軍事の専門家でないのだから、矢継ぎ早の質問はいけないだろう」
言い淀むのどかを、要が擁護する。
そのしたり顔にどの口が言うんだと少々心が苛立ったが、言っていることは間違いなく正論であった。
「そもそも、アメリカは日本にとって貿易のお得意様だろう? 何故、戦争になる」
「それは日本がハル・ノートってのを受けて宣戦布告したからだよな。ちょっと待っててくれ」
言うが早いか、大和がリュックをがさごそとやりはじめ、中からカラフルな表紙の書籍を取り出す。
表紙には『日本史B』と書かれていた。
「大和君……。何でリュックに教科書なんて入れてるの?」
「先生に置き勉怒られちまってなあ。教科書忘れるのもまずいだろ」
「時間割通りの教科書持ってくればいいじゃない」
「省エネだっての。はい、これ」
教科書を手渡された千早は中身をぺらぺらと流し読みする。
どうやら修身科のテクストのようである。
歴史の始まりが何百万年も昔から始まっていることにまず面食らい、神武天皇に関する記述がないことに困惑した。更に、色鮮やかな写真資料に感嘆を覚え、その中の一枚にぎょっとさせられる。
「昭和天皇とマッカーサー会談時の写真」と題されたそれは、千早にとっては到底受け入れがたいものであったのだ。
神聖不可侵である存在が米国人と肩を並べる?
人間宣言? 何だこれは。
「これは……」
「どうやら、我々はパンドラの箱を開けてしまったようだぞ?」
苦み走った顔で言う千早に、要も流石に追従する。
大和はそんな二人の戦慄が理解できないでいるようで、教科書の該当個所を指し示した。
「ほら、ここ。真珠湾攻撃にミッドウェー、東京大空襲があって……。ああ、これだ。広島の原爆投下」
そこには空に浮かぶキノコ状の雲を撮影した写真が掲載されていた。更に焦土と化した広島市内の様子が続き、千早たちは声を詰まらせる。
「大和様……。この原子爆弾とは何ですの?」
「あー、えっと……。放射能を撒き散らす、すごい爆弾なのは知ってるんだが、のどか。パス」
「昨日、勉強したばかりじゃない……。原子爆弾は、放射性物質の核分裂を爆弾に転用した兵器のこと。街一個を吹き飛ばす破壊力も怖いんだけど、それ以上に大量に撒き散らされた放射線が人体を破壊してしまうのが問題で、現在は世界的に実験や拡散が禁止されているんだよ」
いかにも優等生であるといった風に、のどかが覚えていた知識を諳んじて見せる。
放射能。放射線といった聞き慣れない単語はあったものの、街一個を吹き飛ばす破壊力を持った爆弾が戦争で使用されたという事実に驚きを禁じ得なかった。
「……核分裂については大学で研究している奴もいたな。つまるところ、核エネルギイによる強力な爆発とともに毒ガスをも上回る有害物質を散布する兵器ということか」
「お兄様、怖い……」
美冬はすっかり怯えてしまっているようであった。
無理もない。このテクストに記された年号によれば、13年後には広島の一部が消し飛んでしまうのだから。
何とか、この悲劇を回避できないものか――。帝国軍人として、郷土の人間として当たり前の使命感が湧き上がってくる。
だが、この予知に対応するためには自分が政治、あるいは軍令、軍政に直接携われる立場にないと難しい。
現職の上層部に進上したところで、敵対派閥の若手が言う妄言だと断じられて仕舞いであろう。
千早はあまり向上心のある方ではなかったが、この時ほど自分の地位の低さを呪ったことはなかった。
「要、どうすればいいと思う」
「そうだな……」
助言を求められた要はしばし熟考した後、
「谷口閣下に連絡を取ろう。あのお方ならば、千早の言うことを無碍にはしないだろうし、何か良案を思いつかれるかもしれない」
千早の縁者を頼ることを勧めてきた。
良案であると思う。自分の保護者たる谷口尚真ならば、もっと広い視野でこのテクストの内容を活用できることだろう。
千早は力強く頷き、大和に目を向けた。
「大和君。申し訳ないが、このテクストを預かっても良いだろうか? お見せしたい人がいるんだ」
「それは良いですけど……。何か仮想戦記の出だしみたいだなあ」
そんなやりとりを交わした後、5人は改めて大和たちが過去へ迷い込む直前の話へと戻っていった。
「それで、防空壕へと入ったところで、ぱあっと何かが光ったんですよ。最初はカメラで班員が撮影したのかなって思ったんだけど……。気づいたら、あそこにいて千早さんに取り押さえられてました」
「そうか、事情を知らないとはいえ悪いことをしたな」
「いやー、フホー侵入だったんなら仕方ないでしょ。泥棒かもしれないし」
と双方が非の譲り合いを始めたところで、要が口をはさんだ。
「しかし、光か。僕たちも謎の怪音と発光現象を観測したんだ。これは帰還のヒントになるかもしれないぞ」
「本当ですかっ」
口元に手を当てながら語る要の言葉に、二人が明るい表情でテーブル越しに身を乗り出してくる。
予期せず見えた糸口に期待が膨らんでいるようであった。
二人のその様子に要は大仰に頷いて、さらに続ける。
「美冬、天体の逆転現象と怪音。その発生スパンはどんな感じだったんだい?」
「……大体一月ごとだったと思います。でも、昨晩のような極端な現象は初めてでしたけれども」
「その発生に、何か特殊な条件でもあるのかもしれないね。もしくは大潮のように時期によって減少の程度に差異があるか。いずれにせよ、一月後に再び氷室の中を確認してみよう。そこで昨晩の光る扉が確認できれば、二人の帰還に現実味が出てくる」
「良かったね」と最後に締めくくり、要は二人に笑いかけた。
「……私たち、帰れるの?」
「ったく、どうなることかと思ったけどさ……」
のどかが嬉しさに涙ぐみ、大和はぐたりとテーブルに身体を預けた。
二人の安心した様子に千早の頬が緩む。
帰る場所を二人が失わずに済みそうで本当に良かった。そう、心の底から思った。
「でも、そうなると折角の時間旅行なんだし、色々見て回りたいよなあ」
「もうっ、現金なんだから! でも、昔の広島は興味あるよね。東京や京都も。どんなお店とかあるのかな。ねえ、美冬ちゃん。どんな感じなの?」
「あ、え、えっと……」
明るさを取り戻した二人とは対照的に、今度は美冬が沈む番であった。
「わ、私……。労咳を患っていまして、お外へはあまり出ないんです。本当はこの場にいるのも、いけないことなんです。ごめんなさい……」
美冬の懺悔に、二人はきょとんとした様子で返した。
「のどか。労咳って何だっけ」
労咳を知らない――。大和の反応に、千早は釈然としないものを感じた。
それは恐らく、美冬たちも同じのようだ。美冬は目を白黒とさせているし、要はと言えばすっと目を細めて二人の様子を覗っていた。
「今で言う結核のこと。そっか、ごめんなさい。無神経なこと言っちゃったね」
「は、はい。構いませんが……。お二人は、のどかさんは怖くないんですか……?」
恐る恐る美冬が問う。
彼女にとって、二人は恐らく初めてできた同年代の知り合いであろう。自らの病気が原因で、彼らに拒絶されてしまうのが怖くて仕方のないようであった。
だが、対する二人はと言うと、
「伝染んの?」
「小学校でBCG受けたでしょ。あれがワクチンだよ。だから大丈夫」
「んじゃ平気か。流石医者の娘」
「茶化さないの! 昔は大変な病気だったんだから!」
と彼女の不安を意に介さない。二人の言葉に最も大きな反応を返したのは、要であった。
「つまり、君たちの住んでいた未来では、労咳という病気はすでに過去のものとなっているわけだ。ワクチンということは予防接種だね。もしやすると治療法も確立しているのかい? 具体的にはどのような治療法を取るのだろうか」
まくし立てるようにして詰め寄る彼の剣幕に気圧されたのどかは、やや退きながらも質問に答えた。
「ええと……。結核は抗生物質による治療だったと思います」
「抗生物質とは容易に作れるものなのかい?」
「それは、専門家でないと……。ごめんなさい」
「分かる範囲で良い。妹の命がかかっているんだよ!」
必死の形相であった。
その様子を見て、千早は要が何故ことさら未来人にこだわっていたのか、その理由を理解する。
要は、妹の治療も満足にできない現在の医療技術に絶望していたのだ。
彼の熱意にほだされてか、のどかは知恵を絞り出そうと黙想して考え始める。
「素人の誤診は一番やっちゃいけないことなんです。少し、考えさせてください」
「……分かった。何か思いついたら、何でも言ってくれ。君たちの生活は中地家が全て受け持つからね」
その答えに、要は焦れったそうに腕を掻きながら頷いた。
「のどか、とにかく免疫力を高めるとかじゃ駄目なのか?」
大和も同世代の女性が病に苛まれているという事実に思うところがあったようで、自分なりの見解を出してきた。
とはいえ、それは生兵法にあたるものであったようだ。
のどかはため息を伴って答えを返す。
「それは最低限やらなきゃいけないことだよ。結核の場合、あまり悠長にしていられない難病だから、どうしても抗生物質に頼らなきゃならないだろうし……」
「免疫力を高める……? そんなことができるのかい?」
呆然とする要の問いかけが場の空気を一変させた。
のどかが「エッ」という顔をして、補足する。
「免疫力の向上は民間医療の範疇なんですが、栄養失調とかで免疫力が弱まることは確かみたいなんです。だから、栄養失調だけには気をつけないと」
「それだよ!」
要が膝を叩いた。
「妹は一度労咳にかかって生還しているはずなんだよ。もしかして病気が再発したのは免疫力の弱体化に原因があるのではないかね?」
「再発ですか! 美冬ちゃんはお医者さんに先天性免疫不全を疑われたことはありますか? もし無いのなら、食事療法は絶対にやった方がいいです」
「せつ子さん! これからのレシピはのどかさんの指導を受けるように!」
トントン拍子に今後の治療計画ができあがっていく。要の顔が希望で満ち溢れていくのが容易に見て取れた。
「美冬、聞いていたかい? 君はまだ生を諦めるには早すぎるようだよ」
「お兄さま……」
美冬の顔がくしゃっと潰れる。
青白い頬に流れる熱い涙を見て、千早は物思いに耽った。
誰だって自分が"終わる"のは怖いものだ。軍人として戦場と危機を経験した千早だからこそ良く分かる。
千早はテーブルに置いた未来のテクストへ目を落とした。
今から数年もすれば、この国にいる誰もが命の危険にさらされる大戦争が勃発するという。
果たして、自分にできることはあるのか――。
千早は両の拳をぎゅっと握り固めた。