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1935年7月2日 秋田県男鹿半島、共和商事工場地にて

主に航空機設計の補足と未来人の近況についてです。多分、閑話的な話になります。

「――外で大喧嘩があったみたいですけど、大丈夫だったんですか?」

「まあ……、一応の決着はついた」

 ハンガーを見下ろせる位置に作られた作図スペースでは、ユーリが充血した目をしきりに瞬かせながら、口を尖らせ、航空機の模型をめつすがめつしていた。

 寝癖なのだろうか。猫を思わせる銀髪があちこち乱れている。

 が、よくよく見るとそれは何らかの意図を持って故意に整えられたものであるようだった。

 千早の訝しげな目に気がついたらしいユーリが、模型を机に下ろし、こちらを見る。


「ん、この髪ですか。共和商事の若社長の妹様がやっていかれたんです。元気ですよね、彼女。色は違うけど、ぽったあ? に似ているとかで。髪をいじられました。ぽったあって何です?」

「……それが何なのかは、俺にも分からんな」

 分からないことは確かだが、発想の根拠についてはおおよその見当はつく。

 恐らくは未来世界で得た知識だろう。語感からして海外の俳優か何かだろうが……、70年も時を隔てている以上、今の時代にぽったあなる人物が生まれているということはないはずだ。


「彼女、元気そうだったか?」

 帝都での挨拶周りからこの方、息のつく間もないほどに忙しなかったため、千早は美冬や大和たちの状況を把握できていなかった。

 特に心配なのは大和である。

 どうやら「未来の"時間"が中々合わないから」と、未だこの時代に留まっているようなのだが、以前の彼は歴史の改変事象を全て自分のせいだと思い込み、精神的に追い詰められていた。

 元々、時間の移動は狙った時代に移動できるものでもないらしいが、この追い詰められた精神状態で未来へ帰ることができないというのは……、大和にとってかなりのストレスなのではないだろうか。

 妙な病気でも抱えて身体を壊していないといいんだが……、と心中穏やかでいられない。


 一応、最低限のケアは要がやってくれているとは思うのだが、彼とてそう暇ではないし、任せっきりと言うのも無責任だ。

 親兄弟のいない千早であったが、何故か大和のことは目が離せなかった。

 放っておけない弟がいる気持ちというのは、もしかするとこういうものなのであろうか。

 ユーリは千早のそれとなく発した問いに苦笑いを浮かべつつ、肩をすくめた。


「それはもう。生きるのが楽しくて仕方ないって感じでした。とても良いことだと思います……、あっ、ヤスシ君! 受話器は乱暴に扱わないでっ」

 ユーリが慌てて声をかけた先では、まだおむつが取れて間のない幼児が箱型の機械をおもちゃにしていた。

 研究用の無線電話機である。

 無線電話機をはじめとする通信機の類は千早の提唱するピケット・サークル戦術を実現するためになくてはならないものであった。

 そこで民間のラジオ開発熱に便乗する形で、懸賞金をかけて他社を交えた共同研究を開始したのだ。


 ――95式艦上無線電話機。

 ヤスシなる子供がおもちゃにしているそれは、まさに次世代通信機のプロトタイプとでもいえるべきものであった。

 無論、開発を始めて高々半年足らずで満足のいくものができあがるはずもない。

 例えば、この無線電話機は会話可能な通信限界距離が100kmに届かず、航空機同士の連携には使えても、母艦との通信には不足との評価が出ている。

 さらに地上でのテストでは問題が出なかったというのに、いざ航空機に搭載する段になって、謎のノイズが発生するアクシデントが起きてしまった。


 原因については要自身が"テクスト"を引っ張り出してまで捜査に身を乗り出しているため、じきに究明できることだろう。

 問題はアクシデントによって定着した評判である。

 正直現場の評判は最悪に等しい。

 元からの部下は「ミヤ隊長も生田先任隊長も、以心伝心でやれていたじゃないですか」と不満をあからさまにし、"鳳翔"出身の元同僚たちは、「これは航空士に必要なものなのか。複座にでも取り付けて、専門の通信士でも雇ったほうがいいんじゃないか」と首を傾げる。

 陸軍からの出向組も「ざあざあと気が散ってしょうがない」とため息交じりだ。


 芳しくない反応に千早は頭を抱えたが、さりとて通信機の利用を諦めるという選択肢はなかった。

 戦術だ何だのと理屈づけてはいたものの、結局のところ千早が通信機を導入したいという一番の動機は、航空士を取り巻く環境を改善したいからなのだ。


 "新知・択捉の海戦"で新人航空士の一人を戦死させてしまったことは、未だ記憶に新しい。

 例えばあの時……、もし火災を消化する設備が"海猫"に備わっていれば、大事に至らず不時着だけで済んだかもしれない。

 もし、民間で使われ始めているという落下傘なる救命用具を導入していれば、主翼をもぎ取られた時点で脱出し、命を取り留めることができたかもしれない。

 通信機の設置も、こうしたリスク・ヘッジの一環だ。

 ゆえに多少使い勝手が悪くとも、導入を取り止めるという選択肢はない。


 千早は悩んだ結果、あくまでも渋る現場組に対して"活用の努力"を要求した。

 曰く、「聞き取りづらいのは、声が悪いからだ。なるべく明瞭な標準語で会話をしろ」と。

 さらに曰く、「長々と会話するな。短文の符丁で要点のみを伝えろ」と。

 いささか理不尽になってしまったことは否めなかったが、千早はこれらの目標を達成するために、通常の訓練メニューにも手を加えた。

 

 その代表例が"登山発声訓練"である。

 これは週に二、三度、早朝から昼にかけて行われる訓練で、男鹿にそびえる三つの山の頂きを目的地として軍歌を歌いながら走り込みを行い、山頂にて発声訓練を行うというものだ。

「歌手でもあるまいし、何故発声訓練をしなければならないのか」と疑問を唱えた面々に対しては「貴官の赴く戦場は、理不尽のない場所なのか。小官よりも上手くこなせれば、課業の一部を免除してやる」と千早自らが走りこみに参加することで、無理矢理異論を押さえ込んだ。

 さらにチームを三つに分け、最も早く登りきった班と遅かった班の間で食事に差をつけることで、意欲と対抗心を煽った。

 つまり、新技術の導入を単なる現場のしごき(・・・)に落とし込むことで、乗り切ろうとしたわけだ。

 

 結果として、他部署から"こきりこ(・・・・)部隊"なる奇妙な二つ名を頂く羽目にはなったが、この企てはある程度功を奏し、新技術の導入に異論を唱えるものはいなくなった。

 しかし……、その代わりとばかりに深刻化したものが"実力主義"の風潮だ。

 登山訓練の班分けは月ごとに変えることにしているが、勝ち負けは基本的に連帯責任であるから、どうしても"欲しい人間"と"要らない人間"に分かれてしまう。

 先ほどハンガーの外で行われた喧嘩も、そのことが原因でもあった。

 例の如く、"鳳翔"の戦友と部下の藤田が取っ組み合いを始めたのだ。

 事情を聞いてみると、総隊生え抜きの航空士の中でもあまり要領の良くない者が槍玉に挙げられたのだという。

 藤田は総隊の仲間を守るべき宝だと思っている節があって、他所から来た人間には驚くほど冷たくなる反面、身内にはすこぶる甘い顔を見せる。

 これをリーダーシップの発露ととるべきか、ムラ社会的な性根と取るべきかは悩むところだ。

 いっそのこと生え抜きで一部隊、"鳳翔"組で一部隊、出向組で一部隊に分けてしまおうかとも思ったが、藤田の経験不足やセクショナリズムの悪化が懸念されるため、どうしても二の足を踏んでしまう。

 ――ままならん、と千早はため息をついた。


「うまくいかないものですね……」

 一瞬、心の内を読まれたのかと驚いたが、どうやらユーリも悩み事があったようだ。

「新型機のことか?」

「はい……。逆ガル翼を採用したことにより、水平時の安定性は増しそうなんですが、大仰角時に悪性の失速が起きそうなんです」

 見てください、とユーリは新型機の模型を水槽ほどもある木枠にピアノ線で吊り下げた。

 木枠の外には電気可動式の扇風機が置かれている。

 ユーリはファンの裏側に線香を数本立てると、火をつけてファンを回した。


「まずは水平時の空力特性です」

 煙の織り成す線が、逆ガルの模型を嘗めるようにして伸びていく。

 驚くほどにスムーズな道筋だ。

 主翼の中折れ部にある脚も、引き込み式を採用した上に乱流防止用の覆いまで作られており、気流に大きな乱れは生じていない。

 流石、常日頃から空気抵抗にうるさい男が設計したデザインであった。

 これならばエネルギー保持率も十分に期待できるだろう……、とここで千早は眉根を寄せた。

 機体前面が千早の知る既存の航空機と比べても、細くまとまっている。まとまりすぎているのだ。


「これ、吸気口エア・インテークはどうなっているんだ」

 通常、空冷エンジンならば冷却のために円形の空気取り入れ口を機首ラムまわりに取り付ける必要がある。

 そのため、機体形状が頭でっかちの円錐形に収まるはずなのだ。

 千早の問いにユーリは目を細めて答えた。


「良く見ていますね。吸気口は機種の下部についています」

 よく見てみれば確かにプロペラ軸の下部に、ピラミッド型のまるで顎か口のような取り入れ口が開いている。


「……小さくないか? これで満足のいく冷却ができるとは思えんのだが」

「最近流行っている大出力エンジンならそうでしょうけど、デルタの低出力ならば問題は起きないと思います」

 ユーリは木枠を乗せた机に手をつきながら、解説を始める。


「これからの航空機開発は、"いかに大出力のエンジンを載せるか"という争いになってくると思います。航空機は、エンジンさえ立派ならば空を飛ばすことができますから」

 極論ですけどね、と苦笑いを浮かべて続ける。

「そうなると、最大の敵は冷却効率です。大出力の生み出す熱量を如何に効率よく冷却できるかが鍵になります。それができないと、過熱オーバーヒートによる不調を起こしてしまいエンジンはまともに動いてくれません。ですから、必然的に大出力エンジンは専用の冷却装置を持つ液冷にのみ限られるわけです。でも……」

「……液冷は事故に弱いんだったな」

 アニーが頑なに液冷エンジンを拒んだ理由がそれであった。

 ユーリは「はい」と頷き、続ける。


「ぼくはエンジニアじゃないんで、はっきりとは言えないんですが……、液冷の事故が怖いことは理解できます。冷却機能を専門の装置にだけ頼ると言うことは、装置が故障してしまえば為す術がないということなんです。故障の原因は攻撃によるものの他に、消耗による劣化もあることでしょう。万が一を防ぐため、整備士はこまめに冷却装置を見る必要がある……」

「整備性の低下だな。そして整備を怠れば怠るほど、故障個所が増えていく」

 ユーリの言葉を噛みしめるように反芻し、続く言葉を類推する。


「多分、その悪循環を嫌ったんだと思います。特にマリーオは国際レースの常連エンジニアでしたから、エンジン周りのトラブルについては熟知しているはずです」

「マリオはそんなに有名人だったのか……?」

 それは初耳だった。

 千早にとっての彼は妙に腕の良い、やたら食に情熱を傾け、山盛りの蕎麦を啜る男でしかなかったのだ。

 千早の返答にユーリはきょとんとした表情を浮かべた。

 とんでもない、とでも言わんばかりだ。


「この前、トーキョーの大学で開催した技術交換会だって、彼の講義と実演がメインですよ。日本の技術者はとても運が良いです」

 新たな事実に、千早の中のマリオ像がにわかに後光が差し始めた。

 今度共和商事の招きに応じて日本へ来てくれた礼でも改めて申し上げた方が良いだろうか。

 いや、食事でも奢ってやる方が喜ぶかもしれない。

 頭上のマリオ像が再び蕎麦を啜る――、大食漢のそれに取って代わられる。

 益体もない妄想であった。食事は改めて奢るとして、千早は手で頭上に浮かぶマリオ像をかき消すと、話を本題へ戻す。


「……それで、エンジンの問題がないことも、水平時の空力特性に問題がないことも分かった。次は大仰角時とやらの特性を見せてくれ」

「分かりました」

 ユーリが木枠に取り付けられたピアノ線の巻き付け軸を操作すると、仰角が5度、10度、15度と上がっていく。

 そうして垂直に近い大仰角をとったあたりで、V字型に折れた主翼の付け根に異変が生じた。

 嘗めるように主翼の上を滑っていた煙の線が、まるで岩か何かにでも衝突したかのように一部がはがれ、主流と支流に分かれてしまったのだ。


「気流剥離と呼ばれる現象です。きちんとした装置ではないので実機でも起こるとは限りませんが、もしこれが実機で起こった場合、剥離した過流が水平尾翼に吹き下ろして振動が起きる可能性があります。……上昇時の無駄なエネルギー消耗で済めばいいんですが、最悪の場合は昇降舵エレベータの操作に問題が生じるかもしれません」

 その先は言わずとも分かる。

 安定性を失った機体は失速、たちまちスピンに陥ってしまうことだろう。

 その途中で水平尾翼の揚力が回復するならば良し、できなければ墜落である。

 これは由々しき欠陥といえた。


「……対策はあるのか?」

「一応は。手っ取り早いのは、水平尾翼の位置をずらしてしまうことです。例えば主翼よりも高い位置につける。または、主翼よりも前につける。こうすれば吹き下ろし気流の影響を減らすことができると思います。ただ水平尾翼を動かしたことで起きる、操作性の変化が未知数なんです。……ぼくはパイロットではないので、一番大事な部分を共感することができません」

 だから、とユーリの表情が陰りを見せる。

 問題を洗いざらいにするためにも、テストパイロットがこの試作機と運命を共にして改善に励まねばならない。

 だが、設計段階で大きな欠陥が明らかになったような機体に、一体誰が付き合うというのか。

 航空士とは元来、保守的なものなのだ。

 千早はため息をつき、頭を釣り上げられた模型を見た。


「俺がテストパイロットも兼任する。機体の操作感には言葉に起こせないものもあるだろうから、打ち合わせも無駄に増えると思うが構わないか?」 

「……っ、良いんですか?」

 ユーリが目を丸くする。

 流石に今回ばかりは"再設計"を命じられると思ったのだろう。

 事実、千早の脳裏にもその選択肢がちらついた。

 だが、この試作機の持つ水平時の安定性はやり直しをためらわせるほどに素晴らしいものだったのだ。

 恐らく、この航空機はモノになる。

 こうして模型を見るまでは低出力による加速の悪さばかりが目についてしまったが、そもそも航空機同士の戦闘において、もっとも重要なものはエネルギー保持率だ。

 そしてピケット・サークル戦術においては、加速能力を必要とする緊急の迎撃出動という事態は発生しない。

 そのような事態を起こさないための哨戒戦術なのだから、当たり前と言えるだろう。


 ――"海猫"よりも良い航空機にしてやろうじゃないか。

 千早がウンと頷き、決意を固めると、


「うーん。やっぱり……、敵いませんね。ぼく、ポーランドでは割と先進的な人間だと思っていたんですけど。この国に来てから、自信を喪失しっぱなしです」

 ユーリが頬を掻きながら、俯いて肩を落とす。

 何が原因かはさっぱり分からないが、このポーランド人青年はすっかり参ってしまっているようであった。


「……何かあったのか?」

 千早は面食らって問いかけると、ユーリが落ち込んだ調子で答えた。


「いや、この国に来てから急に時代が加速したような気がしまして。自信を持って送り出した水上機はソビエトの型落ちになっていましたし、皆さんが成果を残している中、ぼくは未だ大した成果を残せていません。結局ぼくは平凡な人間だったんだなあって」

「"海猫"もマッキも良い機体だ。それに、こんな妙ちくりんな(・・・・・・)設計をしておいて、平凡も何もあるものか」

 別段慰めているわけではなく、心の底からそう思う。

 "海猫"は今でも愛着の湧く機体であり、開発予定の新型機も未来性を感じさせてくれる。

 もし、ユーリの力に不満があったのならば、今頃千早たちはもっと国内企業との提携を深めていたはずだ。

 それこそ、対立勢力との融和をこちらから求めてでも。

 しかし、千早の気持は伝わらなかったようで、ユーリは首を振った。


「平凡ですよ。だって、ぼくの発想力は技術者ですらないヤマト君にだって及ばないんですから」

 千早は言葉を失い、事態を正確に理解した。

 恐らく、ユーリは"未来知識"に遭遇してしまったのだ。


「大和が君に何か言ったのか?」

「いえ、彼は妹様やノドカさんと違って口数が少ないですから。ただ、シャルロッテ嬢の支援する学校施設のお手伝いをしていた時に、ちょっと……」




 ユーリは先月に見たことを赤裸々に語ってくれた。

 聞くところによると、彼は5月に入ってから職業訓練学校の教官として秋田市内へ出向くことが増えたらしい。

 ロッテの支援する学校は、市内の楢山ならやまという場所にあった。

 元は明治期に来日した園部ピア――、旧姓ピア=ハイムガルトナーなる修道女が開いた女学園であったが、今は大規模な資本の投入が行われ、大きな学生寮が建設途中だという。

 在学している学生は市内の子女が主であるが、ゆくゆくは近隣県や大陸からも奨学生を募り、幅広い交流をさせていく予定なのだそうだ。


 ある時、女学生への英語の講義を終えたユーリが航空機ハンガーへの帰路についていたところ、

『赤い千代紙、何折りましょう』

 見知った女性の歌声が、学園に面した川辺の野原から聞こえてきた。

 美冬に大和、のどかたちだ。

 よくよく見れば彼女らは幼い子供たちと一緒に遊んでいる。

 恐らくは自分のように、ロッテから女生徒たちの面倒を見るよう頼まれているのであろう。

 彼女らのことはすでに要やロッテから紹介を受けており、「何かあったら、くれぐれもよろしく頼む」と申しつけられていた。


 そのため、ユーリはそれとなく様子を見守りながらでも帰ろうか、と思ったのだが――。

『ああーっ!』

 面倒をみている子供の一人が悲しげな悲鳴をあげた。

 どうやら遊んでいたおもちゃが、川の方へと飛んでいってしまったようだ。

 ユーリが目を細めておもちゃの正体を探ってみると、それは"回転翼"を用いた"空飛ぶおもちゃ"であった。

 おもちゃは規則正しい回転を続けながらも徐々に高度を下げていき、やがて水中に没してしまう。


 当然子どもは悲しんだが、他の子たちはおもちゃを失ってしまった子など知ったことではないという風に、"回転翼"を空へ飛ばすことに夢中になってしまっている。

 無論のこと、ユーリとて目が離せなかった。

 彼女らが遊んでいる代物は、西洋でジャイロコプターなどと呼ばれる航空機と原理を同じくしていたからだ。

 ――材料は木だろうか。竹だろうか。

 翼の形状はどうしているのだろうか。 


 ユーリがまじまじと観察している中で、おもちゃを失った子どもはついに泣き出してしまう。

 彼女をあやしてみせたのが、大和であった。


『ど、どうしよう……。大和君』

『ちょっと待ってて』

 彼は今まで折紙遊びに使っていたであろう和紙を使って、二等辺三角形の翼をもった"何か"を作り上げてしまう。


 ユーリは、まるで鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。

 何故なら、大和が作り上げたものが紛うことなく航空機の模型であったからだ。

 しかし、自分はあんな機体設計の航空機を知らない。

 尾翼の一切ない全翼機を模したグライダーなんて、果たしてまともに飛ぶのだろうか……?


 大和は子どもに航空模型を見せると、手本とばかりにそれを空へと投げ飛ばしてみせた。

 飛んだ! 実際に飛んでしまった!

 ユーリも思わず息を呑む。

 ――何て見事な滑空グライドなんだろうか。

 一片の揺らぎもなく、空を切り裂くようにして進むあの形状は、恐らくは大出力の動力源を手に入れた時に凄まじい威力を発揮するはずだ。

 けれども、動力源は何が適しているのだろうか。

 例えば、レシプロエンジンによるプロペラ飛行では、あの手投げに比類するような急加速は得られないだろう。

 それなら、離陸に火薬式のカタパルトを用いればあるいは――。


 ユーリの思考はくぎ付けになり、紙の模型が飛行する様を只々(ただただ)ずっと眺めていた。




「……そして、ぼくは自分がすごく恥ずかしくなったんです。『航空機はこういう翼でなくては駄目なんだ。尾翼はこうだ。配置はこうだ』なんていう先入観に、何時の間にか僕は支配されてしまっていたんですよ。ライト兄弟に、カプロニ伯爵に謝罪したい。フランシス・ベーコンのいう"洞窟のイドラ"にぼくはまんまと嵌っていたんです!」

「そ、そうか」

 力説するユーリの勢いに押されながらも、千早は頭の中で彼の話を整理していく。

 

 彼は"竹トンボ"を見た後、"トンビ"の飛ぶ姿に驚いたのだろう。

 そのどちらもが古くからこの国にある子どもの遊びだ。

 つまり……、"未来知識"は拡散されていない。

 何だか拍子抜けする思いであったが、大事にならずによかったとも思える。

 

 大和は自らの行動によって、人死にが発生することをひどく恐れているのだ。

 もし、自分のした行動が護民総隊の航空機開発に影響を与えてしまったと知ったら、またぞろ塞ぎ込んでしまうことだろう。

 だが、発想の出所が"未来知識"でないのならば、後でいくらでも言い訳がきく。

 大和を悲しませることもないに違いあるまい。

 千早は内心安堵の息をつき、「そう言えば」と大和の抱える悩みについて、それとなくユーリにも意見を尋ねることにした。


「少し、技術者の観点から意見を聞かせてもらいたいんだが……、やはり自分の作った兵器が人の命を奪うことには抵抗があるのか?」

「……ん、はい?」

 目が点になるユーリを見て、千早は質問相手を間違えたかと後悔する。

 だが、それは考え過ぎであったようで、ユーリはしばらく質問の意味を考え込み、


「まさか軍人のチハヤさんからそんな質問をされるとは思いませんでした。そうですねえ……、それは嫌に決まってますよ」

 当たり前だと言わんばかりの顔で答えを返してくれた。


「嫌なのにこの仕事を続けているのか?」

「だって航空機が好きですから。民間の仕事だけじゃあ、食べていけないです」

 それもそうかと納得する。

 要するにユーリには嫌だと思う気持ちを上回るほどの"目的"があるということなのだろう。

 対する大和にはそれがない。

 当たり前である。元々彼は千早に請われて"未来知識"を提供しただけなのだから。そこに確固たる目的意識などあるはずがないのだ。

 申し訳ないとも当然思うし、何とかしてやりたいとも思う。


「それにしても、何で藪から棒に科学者のジレンマについてなんて質問したんです?」

「……身内に悩んでいるやつがいたんでな」

「軍属にです?」

 ユーリはいまいち合点がいかないようであった。


「いや、民間だよ」

「ナイーブなんですねぇ。それなら、自分がしたことで起きる良い影響を考えると良いですよ。ぼくなら、ごはんがとても美味しくなります」

「成程なあ」

 そこが攻めどころか、と当たりをつける。


「ありがとう、ユーリ。今度時間を作って話し合ってみようと思うよ」

「いえ。新型機のテストをお願いするのですから、これくらいはお安いご用です!」

 しかし、当座の間は手いっぱいということでもある。

 何とも歯がゆい話であった。


仕事と勉強の関係でちょっとお休みします。

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