1935年4月初 秋田県、共和商事本部にて
難産でした。
「お兄さま!」
元気いっぱいに中地要の胸へと飛び込んでいった美冬の背丈は少し伸びたように見受けられた。
栄養状態も良いようだ。痩せこけていた頬が丸みを帯びており、ほんのり林檎色に染まっている。
要は満面の笑みで美冬を受け止め、ひとときのメリーゴーラウンドに徹した後、後生大事に彼女を降ろしては深々と大和たちに頭を下げた。
「本当に、本当にありがとう」
横から見れば、要は涙をこぼしていた。
幼馴染みとして、親友として、千早にも彼の喜びは手に取るように理解できる。
あわや今生の別れかと思われた最愛の妹が、生気を取り戻して帰ってきたのだ。
兄妹が離別していた期間は、2年と少し。
当人たちにとっては決して短い時間ではなかったが、これからの人生を思えば十分に安い買い物であると言えた。
「あ。いや、俺たちも美冬ちゃんは助けたかったんで……」
しかし、大和たちはというと、何処かばつの悪そうな顔をしている。
彼らは人の命を救ったのだから、何も悪いことをしていない。誇るべきところは誇ればいいのに、一体何を気に病んでいるのだろうか。
千早は首を傾げていたが、幸せの絶頂とでも言うべき要は大和たちの態度には欠片も気づかずに、ただただ相好を崩していた。
「美冬も、すっかり綺麗なレディになってしまったね」
「このお洋服は、のどちゃんのご家族が買ってくださったの。私のお気に入りなんですよ」
くるりとその場でスカートを翻しては、要に服を披露する。
未来へ行く前なら「はしたない」と顔を赤らめていそうな所作でも平気でこなしてしまうあたり、現代で過ごした生活の濃密さが窺えた。
そうして幾ばくかの時間を、美冬のファッション・ショーに費やしていると、社長室の扉が叩かれ、秘書より客の到来が告げられる。
「誰だい?」
せっかくの水入らずを邪魔されて、要の機嫌が急速に悪化していく。いつもながらのしかめっ面である。
秘書もいい加減手慣れたもので、
「アウグスト商会の方々です。お通ししますか?」
澄ました声で当たり前のことを聞いてきた。
アウグスト商会は、共和商事にとっては無碍にできぬ相手であると同時に、放っておくと何をしでかすかわからない要監視対象でもあった。
一昨年に大規模な投資が行われた米沢の畜産業はそれなりに好調で、今や北陸に貴重な食用肉を提供する一大拠点になってしまっている。
だが、それと同時にあれもこれもと海外に向けた伝統工芸品の増産に手を出しており、共和商事の列島改造計画に少なからぬ混乱をもたらしてもいたのだ。
ここで捨ておけば、あのお姫様気質の女会長は素知らぬ顔で金子直吉に商売の許可を求めに行き、さらなる混沌をまき散らしていくことだろう。
要もどうやら同じ結論に達したらしく、額に指を当てて、苦々しい顔つきで入室を促すよう秘書に伝えた。
「ごきげんよう。若社長。あら、チハヤもいらしたのね」
「ん、用事があってな」
入室してきたロッテは、最近とみに気に入っているらしい、京扇子を開いては閉じてを繰り返しながら、こちらに微笑みかけてきた。
西洋人にしては、やけに堂に入った扇子の扱い方をしている。
共和商事の人間にでも教わったのだろうか。
西洋人たる彼女の東洋貴族令嬢然とした振る舞いに、大和やのどかも目を白黒させている。
「チハヤ」
「ん」
ロッテはにっこりと笑ったままである。
しばし、何を望んでいるのか考えを巡らせて、
「ああ……、バード女史の旅行記か」
彼女より課せられていた"宿題"の一件を思い出した。
一応本を貸されたからにはと読み進めていたのだが、軍政や各方面との折衝が忙しく、すっかり返信がおざなりになってしまっていたのだ。
「……日本人として思うところのある部分も多々あったが、外国人から見た生の日本という視点は概ね新鮮で、面白く読ませてもらった」
「思うところ、ですの? それは人種差別的な部分かしら」
バードは、例えば文中において日本人のことを「小柄で、醜くて、親切そうで、しなびていて、ガニ股で、猫背で、胸のへこんだ人々」と記している。
千早はそういった差別的な表現については歴史的な問題だと割り切ることができたのだが、感性と、文の形式的な部分で引っかかってしまったのだ。
「いや。我々が美しい、良いと思う部分を駄目だと記し、駄目だと思う部分を素晴らしいと書く辺りがなあ。後、他の英国人よりはマシだが、やはり文章が非常に読みにくかった」
旅中の日記であることが幸いしてか、英国人の文章によくある修飾語過多の傾向が薄い。
それでも、一文一文の長さは日本人の書く紀行文と比べて長大なもので、千早は関係詞や主述をいちいちノートに書き写し、線を引いては和訳しなければならなかった。
はっきり言って、一文を読み進める労力が他の活字の比ではない。
こんな大真面目に英文を読んだのは、兵学校で出された課題文を全訳した時以来であった。
千早の感想が期待通りではなかったのか、ロッテは扇子を閉じて唇を尖らせる。
「それは仕方のないことでしょう。英国人の皮肉と婉曲は、彼らの根幹に根付くものですから。フランス文学を、一語ずつ舐めるように読まなければならないのと同じように、英文学は構えて読まなければならないのですわ」
「そんなものか」
そんなものです、とロッテはぷいと顔をそむけた。
「千早、随分とシャルロッテ嬢と仲良くなったようだが……、一体いつの間に?」
「それは、色々あった」
呆れ顔で発せられた要の問いかけに、千早は生返事をした。
北海道でのあの出来事は、いわゆる機密を多く含んだ内容であったため、親友と言えどもみだりに話すことはできないのだ。
千早は何とはなしに、自らの唇を触ってはしかめっ面を努めて作る。
ロッテもわざわざ言い触らそうというつもりはないらしく、「その通りに、色々ありましたの」とこちらをちらりと見ながら言葉少なに答えた後は、それ以上を語ろうとしなかった。
「フウン」
疑わしげな要のまなざしをロッテは扇子で遮りながら、他の面々へ視線を泳がせ、すぐに困惑の表情を浮かべる。
その眼の先には大和たちがいた。
「そちらの方々は……、ううん? んんう?」
彼らはこの時代で目立たぬようにいくらかの変装を施してはいたが、やはり何処か浮き世離れした雰囲気を隠しきれないでいる。
特に大和の大柄な体躯や、のどかの軽やかな栗色髪は当代の日本人が持ち合わせていないものだ。
当然初めて彼らを見た者は、まず日本人なのかと疑ってしまう。彼らもどう自己紹介をしたものか、後込みしているようであった。
「……ああ、紹介しよう。彼女は僕の妹で、後ろの二人は友人だ。彼らとは紆余曲折あってね。僕らにとって、大恩人でもあるんだ。大和君、のどかさん。彼女、シャルロッテ嬢はオーストリアのご令嬢でね。我が共和商事とは懇意の関係なのだよ」
どうやら、当人たちに満足のいく説明はできないだろうと踏んだらしく、要が仲介を買って出る。
美冬たちの心理的な壁になるように歩み出て、それでいてにこやかな笑みを浮かべて場を取り持とうとするその手管は、企業運営によって培われたものだろう。
彼が象牙の塔から出たことは、絶対的に正解であった。少なくとも千早はそう思っている。
もし、彼が未来人と関わらず、企業も作らず、天文学にのみ勤しんでいたとするならば、彼の偏屈はきっと矯正されることがなかったように思う。
要のような性格は、とかく敵を作りやすい。たとえ実績を残せたとしても、いずれは学内に敵派閥を生み、面倒な事態に巻き込まれていたことは自明の理と言えるだろう。
要にとって、大和たちとの出会いはまさしく天祐であったのだ。
「は、初めまして。美冬と申します。え、英語、少しなら話せます」
いち早く人見知りより脱したのは、意外なことに美冬であった。
何処で習ったのか、たどたどしい英語で話しかける様は何とも初々しさを感じさせてくれる。
「や、大和です」
「……のどかです」
美冬に続いて、大和とのどかも頭を下げた。
「前途有望な若者たちだ。あまり苛めてくれるなよ」
耳打ちした千早の言葉を聞いているのか、いないのか。
ロッテは目を大きく見開いては、美冬とのどかの服装を心ここにあらずと言う風にして凝視していた。
「ノヴィズナ!」
ロシア語で何事かを強く叫ぶ。
つかつかと美冬の傍まで近寄ったかと思えば、ロッテは彼女の手を取って問いつめる。
「斬新にして繊細だわ! そのお洋服はこの国の職人が拵えたものですの?」
「えっ?」
びくりと硬直する美冬に対し、ロッテはさらにまくし立てていく。
「それに、このお化粧よ! "まるでお化粧をしていないようにお化粧をする"などというやり方、初めて拝見いたしましたわっ」
「え、美冬は化粧をしていたのかい?」
要が驚きの声を上げる。
千早も美冬については、てっきり少女特有の無垢な"すっぴん"顔なのだろうと思っていたため、要と同様首を傾げた。
白粉も紅も差していないのに、一体何処で化粧をしているというのだろうか。
まじまじと見ても、門外漢の千早にはさっぱり意味が分らない。
どうやら、未来世界は化粧一つとっても今と勝手が違うようだ。
「あ、えええっと……」
あたふたしながら、美冬は助けを求めて大和へ縋るようなまなざしを向けた。
大和とのどかは互いに目配せすると、
「あの、"広島の方"で買ったものなんスよ。それ」
大和が美冬と同じくおぼつかない、それでいて妙にアクセントの強いアメリカ風の英語でこれに答えた。
「広島の方」とは何とも絶妙な言い回しである。彼らが未来の何処で服を買ったのかはわからないが、未来への入り口は広島にあるのだから、嘘をついていることにはならないだろう。
と、感心すると同時に疑問にも思った。
千早の知っている彼ら未来人は、もっと無邪気に未来知識を伝えてくる性分をしていたはずなのだ。
中地家に滞在している間にもその片鱗は見せており、大和は一輪車を制作する際に、ネジやナットの規格がてんでばらばらなことを嘆いていた。千早たちが未来における機械部品の規格が神経質なまでに揃っていることを知ったのは、そのことがきっかけである。
このように、彼らのもたらす不意の言葉は一つ一つが千金に値する価値を持つ。
今上陛下が未来知識の拡散を堅く禁じられたことも、その価値と危険性を知っているが故であった。
子どもから大人に成長した、ということなのであろうか。
彼らも自らの言動に責任を持つ年頃になったのかもしれない。
「あら、貴方は……?」
美冬たちのファッションに目を奪われていたロッテは、大和の顔を見るや否や、解せないという風な表情を浮かべた。
「失礼ですが、貴方日本人ですの?」
ロッテの疑問は千早にも理解できるものであった。
大和は一般的な日本人と比べても背丈が頭抜けて大きく、顔の彫りが深めだ。
ただ、外国人と疑うほどには日本人離れしているわけでもなく、同国人である千早や要は未来人の生活が、頑強な肉体を作り上げているのだろうと結論づけていた。
大和は彼女の問いかけに思い当たる節があったようで、
「あー。混血っす。8分の1は海外の血が混じってるそうなんですが、曾祖母ちゃんと会ったことないんでよく分からないんですよね」
頬をポリポリと掻きつつ、答える。
初耳な事実に千早と要が目を見開いている最中、ロッテは感極まったとばかりに両手を合わせて、驚きの声をあげた。
「そんな昔に海を跨いだロマンスがあったのね、素敵だわ!」
ねえ、そう思うでしょうとばかりにきらきらとした瞳でロッテはこちらに同意を求める。
大和が混血であることには驚かされたが、大体にして彼は未来人である。
"グローバリゼーション"などという単語が"テクスト"には記されていたが、今の時代にそのような価値観はない。
答えに窮した千早は精いっぱいに頭を働かせ、口を開いた。
「……森鴎外という作家が『舞姫』なる作品の中で駐独日本人とドイツ人少女との恋愛を書いていたと記憶している。作品にはモデルがいたそうだから、昔からそういうものがあったというのは、確かだろうな」
「今度読ませて下さいなっ」
天井知らずの上機嫌を見るに、千早の発した答えはロッテの望むものであったようだ。
美冬の両手を握ったまま、ダンスでも踊りかねない調子で続けざまにファッション談義を始めている。
「あの、千早さん。要さん」
そんな騒がしい中で、声を潜めた大和が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「ちょっと、お時間作れませんか。このお姉さんとは別室で……。大事な話があるんです」
何か、切羽詰まったような表情を浮かべている。
千早と要は互いに見合わせて、大和を連れて別室へと向かうことにした。
◇
「……ありがとう、大和君。良く話してくれた」
来客用の個室で大和から語られたこの国の未来は、怖気を催す破滅であった。
領土の分離独立に、世界規模の大戦争。そして原子爆弾の撃ち合い――。
一体何をどう弄れば、そこまで悪化した世界情勢にまでこじらせてしまうのか全く理解できないほど飛躍した話ばかりである。
だが、時間移動のできる大和がこうして打ち明けた以上、この国が辿る可能性の一つではあることに違いはない。
未来の自分たちは、どこかで歯車を食い違えてしまったのだ。
「確認がてらに一つ、良いかな」
ソファに深く身体を埋めたまま、要が深いため息とともに疑問の声を上げる。
「大和君が見た未来は、"僕らの時間軸"が辿る未来に相違ないのだね?」
その問いかけに、大和は間髪入れずに答えを返してきた。
「……今までに移動した先で、俺たちがその時代に残したものって、以前持ってきた抗生物質を除けば教科書以外にないんですよ。実は2回目の移動で明治時代に飛んだ時、地元の警官に捕まりかけたんです。その時は街中を必死で逃げ回る大事件になって。それでのどかや美冬ちゃんと相談して、氷室に印を置くことにして。印があれば、その時代は俺たちが接触したことのある時間軸だってことになります」
「君たちもうまいことを考えたものだ。……ならば、何がこの国の未来をそこまで悪化させてしまったんだろうか。心当たりはあるかい?」
独り言のような要の疑問にも、大和はすぐさま答えを返す。
恐らくは、相当悩んだ末に千早たちのもとへやってきたのだろう。
「……分かりません。俺達の歴史とこの時代の違いを一つ一つ比較するには対象が広すぎますから」
「それは確かに。成程、科学的な検証で有意値を割り出すことは難しいようだね。それならば、どう未来を修正したものか……」
「あ、あの――ッ」
解決策を探ろうとする要に対し、切羽詰まった表情で大和がテーブルに身を乗り出した。
「教科書、返してはくれませんか?」
「……勿論、返すことはできるよ。何せ元々の所有権は君にあるのだからね」
今から大和に"テクスト"を返したところで、共和商事にデメリットはない。
種々の"テクスト"は既に全て写本を作り終えており、宮中と共和商事に各一冊ずつ完本が保管されていたからだ。
千早もいくつかの抜粋については自前のものを作成して、自室の金庫に保管していた。
「それで、"なかったこと"にさえできれば歴史も元に戻ると思うんです!」
この言葉に、要が表情を歪める。
「"なかったこと"に、かい?」
「はいっ!」
前のめりの言葉をどう捌いたものか、要の表情にはそんな逡巡がよく表れていた。
「非常に心苦しいが……、"なかったこと"にはできないと思うよ」
「何でですか! このままじゃ、この国がヤバいんですって……ッ!」
テーブルを叩く大和をなだめるようにして、要は続ける。
「君はこの時代の新聞を読んだことはあるかい?」
「そんな場合じゃ――」
「勘州事変やクリスマス会議に聞き覚えは?」
大和の声を遮らんばかりの強い口調で、要は問う。
「ウクライナ危機にワルシャワ・ドナウ経済協定を、君は歴史で習ったかい?」
「……何ですか、それ」
大和は何を言われたか分からないという風にして硬直してしまった。
要はため息をつき、眉間を指で揉む。
「全て、この時間軸で起きてしまった重大事件さ。世界地図が既に書き変わってしまっているんだ。これらは例え未来知識の利用を今からやめたところで、元の鞘に収まるとは到底思えない。何と言うべきかな……、賽はもう投げられてしまったんだよ」
「そ、それじゃあ、教科書を渡す瞬間にまで何とか戻ることができれば――」
「この時間軸とは異なる時間軸が生じることになるだろうね。そちらを僕は観測できないから分らないけれども」
大和は口をパクパクとさせていたが、うまく言葉が出てこないようであった。
やがて、口元をぐにゃりと曲げ、泣きそうな顔で俯いてしまう。
「じゃあ……、もう……、この時代をどうにかするのは、無理なんですか」
「そんなことはないと誓って僕は断言できるよ。"テクスト"一つでこれだけ時代が大きく動いたんだ。条件づけを変えるだけで、未来などはいかようにも変えられるはずだろう。少なくとも、たった今に君がもたらしてくれた情報は、確実にこの国を破滅から遠ざけてくれたはずだよ」
要があの手この手で慰めの言葉をかけてみるが、さして効果は見られない。
千早には、この少年の苦悩がよく理解できなかった。
破滅的な未来を目の当たりにしてショックを受けたというのは分かる。
だが……、だったらその未来を回避すればいいだけなのではないだろうか。
その結果、破滅する未来と回避した未来の二つがタイムパラドックスとして分離してしまったとしても、破滅する未来について気に病む必要があるとは思えない。
つまるところ、破滅した未来というのは未来知識を下手に用いた連中の、まさに自業自得といえるのだから。
彼が気に病む必要は全くないのだ。
少年のことが分からないままに、時間が無為に過ぎていく。
千早は時計に目をやった。
あまり彼にばかり付き合ってはいられない。陸上勤務になって以来、定期的な休暇を取れるようになったが、それでも時間が余っているわけではないのだ。
要とてそれは同じで、大人としての体裁は保っているものの、あからさまにやきもきしている。
この落ち着かないひとときは、贖罪にも似た大和の呟きによってようやく進展することになった。
「俺が……、何も考えずに教科書なんて出さなければよかったんです」
「何故だい?」
「だって、俺が教科書さえ見せなければ……、歴史だって変わらなかったし、人が何千万人も何億人も死ぬ未来なんて生まれなかったはずじゃないですか!」
ようやく疑問が氷解した。
彼は、すべての歴史改変事象を自分のせいであると勘違いしてしまっているのだ。
気づいた瞬間、千早は唇を噛みしめる。
「歴史が変わったのは、君のせいだって言うのかい?」
あくまでも大人の立ち位置からゆっくりとした口調で問い続ける要を、大和は睨みながら金切り声をあげた。
「それ以外に誰のせいだって言うんですか!」
「お前のせいでないのは間違いなかろう」
きっぱりと大和の目を見据えて、千早は言い切った。
「……お前の考えはいささか自意識が強すぎる。俺たちはお前からもたらされた未来知識を、俺たちの判断で利用したのだ。それで破滅の未来がやってくるというならば、それは俺たちの努力が足りなかった。思慮が足りなかった。俺たち自身が愚かであったということに過ぎない。一体何処にお前の責任が介在する余地がある」
「そんなの、教科書がなければ、歴史が変わる可能性だってなかったじゃないですか……!」
千早は無言で頷き、大和の抗弁を一部認めながらもさらに説く。
「確かに"テクスト"は可能性を確実に生み出した。そしてお前は"テクスト"をこの時代に持ち込んだ。しかし……、そのこと自体は問題にならない」
「何で」
千早は一度言葉を区切り、一呼吸置いてから続けた。
「一つ、たとえ話をするぞ。道に迷った子どもが何処ぞから拳銃かナイフを拾ってきた。大人はそれを見咎めて、子どもから凶器を奪い取った。大人の手に渡った凶器は巡り巡って、周辺のテロリズムに用いられた。……子どもに悲劇の責任を取らねばならない道理があると思うか?」
「それは――」
「子どもに責任などあるわけがない。分別のない大人が悪かったのだ。ここで言う子どもとはお前のことで、大人が俺たちだ。すべての責任は俺たちにある」
言って、千早はソファから立ち上がった。
「要。すまんが、いい加減本部に戻らねばならん」
「だろうね、お疲れ様」
要は苦笑いを浮かべ、すぐさま大和へ向けて微笑んだ。
「この時代に迷い込んできた君が主体的にやったことはね。僕の家に一輪車を残したことと、美冬の命を救ってくれたことだけだよ。それすら"なかったこと"にされては僕が困ってしまう。気に病む必要なんてないんだ。ただ――、可能性を生み出したことを悔いているのなら、これから気をつければいいだけのことだと思うよ、僕は」
去り際に見た大和は身体を震わせ、テーブルに突っ伏して泣いていた。
彼の悲嘆が、千早の心にどうしようもない苛立ちを募せていく。
努力が足りない。思慮が足りない。まったくもって愚かである。
破滅の道を歩んだという未来の自分たちは――、子どもに責任を感じさせるようなことをしでかして、一体何をやっているのか。
未来知識の危険性は、それを知る者全員で共有できていたはずだというのに……。
次回は以前に書いていた陸軍からの補充要員か、新しい航空機と造船のお話です。




