1935年4月初 北米、ヴァージニア州上空にて
拝啓、エドワード・ショート殿
桜の蕾がほころぶ季節となりました。貴殿におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
まずは、長らくの筆不精を謝罪いたしたく思います。
隣国との紛争が始まり、職務上落ち着いた時間が中々取れなかったことが主な原因でありますが、結局のところは心のゆとりがなかったのかもしれません。
先だってのご質問にお答えいたしますと、桜は日本中の何処を旅しても認められるほどにありふれたものです。
春の代名詞の一つとしても親しまれており、梅、桃、桜の順に花を咲かせることで、我が国民の目を楽しませてくれるのであります。
フクシマのミハル村などは三種の花が同時に咲くことから、三つの春、と名付けられている程でして。それくらいに春と桜は切っても切り離せない関係なのです。
ニルヴァーナ、なるものについては私も良くは存じ上げません。
恐らくは我が国で言う"悟り"のことだとは思われますが、それならば"心の安らぎ"や"平和"とでも訳すことが正しいように思われます。
さて、私の近況を報告させていただきますと、北洋では空より流氷を見下ろすという貴重な体験をいたしました。
まるで卵の殻のように内海を取り囲む様相は、我が目を疑うほど神秘的に感じたものです。
さらに、ソビエトの航空機と戦うことに相成りました。
チャイカ戦闘機に、イシャクと呼ばれる最新鋭試験機。どれもが一筋縄ではいかぬ諸元を備えており、乗り手もまた一流でありました。
特にエース・パイロットと呼ぶにふさわしい青年との戦いでは、私は終始劣勢を強いられることになったのです。
空の世界はかくも広く、残酷であるのか――、と。
傍らで海面へ墜ちていく味方機を見て、私は思いました。
人を率いる立場になって初めて分かったことでありますが、この残酷な空の世界では一介の航空士などちっぽけな存在にすぎません。
一人でただ奮闘するだけでは友や部下、仲間たちを守ることもままならないのです。
もっと、全体を俯瞰する立場に立って、彼らの手助けをする必要があります。
私がそんなことを悩んでいた折、上手い具合に航空参謀にならないかというお誘いを本部より頂きました。
果たしてどうするべきかと、今は進退を決めかねているところであります。
貴殿におかれましてはアメリカ大陸横断往復飛行に挑戦すると伺いました。
北米横断となれば、4000kmはありましょう。それを往復するというのだから、かなりの根比べを強いられるはずです。
どうか、無事に冒険飛行が終わることをお祈り申し上げております。
季節の変わり目ですから、お風邪など召されませぬように。
敬具。
◇
慣れない双発機の操縦であったが、意外と悪くないもんだ――。
全長15メートル弱の巨体を空に浮かべながら、エドワードは各種機器へと目を落とした。
速度計は時速200kmをきっちり維持しており、昇降計も水平を保っている。
羅針盤はしっかりと真西を指し示しており、燃料圧や油圧にも異常は見られない。
後は"客"のリクエストさえ来なければ、双発エンジンの同調だけを気にすれば良い、楽な飛行であった。
カーチス・ライト社製T-32改"チャレンジャー"。
エドワードが駆るこの機体は、ロッキード社の旅客機に対抗するため、姉妹機であるT-32"コンドル2"を基にして、急きょ再設計された旅客機である。
大型の空冷星型エンジン、試製サイクロン・14を2基搭載し、全体が伝統的な羽布張で造られている点に構造上の特徴があるのだが、全金属が流行りつつある今の時世に、敢えて羽布張を採用したことにはいかんともしがたい現実的な理由があった。
そもそもこの機体は女性冒険航空士、アメリア・イアハートの北米大陸横断飛行をサポートするべく用意された機体だ。
北米大陸は東西を最短距離で横断しても4000km以上。
巡航速度を200kmに定めて飛行したとして、片道約20時間も飛行を続ける必要があり、複葉旅客機の"コンドル2"では巡航速度も航続距離も心もとなかったのである。
そこで合衆国民より課せられた任務を達成するために、カーチス・ライト社のスタッフは"コンドル2"に出来得る限りの改装を施した。
まず、巡航速度を上げるために高出力のエンジンに換装し、航続距離を延ばすために翼内に燃料タンクを取り付ける。
木金混合で設計された骨組は、木材の割合を増やすことで軽量化。
結果として、高速飛行時の機体強度に難が生じてしまったが、8000kg弱あった総重量を増やすことなく諸元を向上させて見せたのだから、各スタッフの創意工夫には脱帽せざるを得ないだろう。
ロッキード社への対抗意識からか、複葉から単葉へと主翼の枚数が減らされていた点については御愛嬌ということで目をつぶる。
5回に及ぶ長距離練習飛行によって、エドワードはこの機体の癖を既につかんでいた。
余程のことがなければ、目をつぶりながらでも空を飛ばすことができるはずだ。
気をつけるべきは、眠気だな――、と退屈を紛らわせるため、鼻歌でも歌おうかと思ったところ、乗客である国内各新聞社より派遣された記者たちから、早速のリクエストが降ってきた。
「おい、"ミス・リンディ"の優雅な姿をもっと上から撮影したい。高度を上げてくれ」
「できれば傾きも欲しいところだ。機体をもっと斜めにして飛んでくれ」
まるで御者を顎で扱うような態度であったが、料金は既にもらっている。
「了解」
エドワードはぶっきらぼうに彼らへ返すと、操縦桿を傾けた。
愛着の湧き始めたこの機体であったが、操縦桿の効きは重い上にあまり宜しくない。
試製カーチスの素直さと比べれば、まさに雲泥の差といって良いだろう。
恐らくは巨体と全体の羽布張が影響しているのだろうが、エドワードとしてはもっときびきびと動いてくれた方が好みであった。
「おお、良いぞ。もうちょっと、もうちょっと傾けられるか? 良し、良し、彼女もこちらに手を振っている。ここだ!」
バンク角を保ったまま、エドワードはアメリア・イアハートの乗機であるロッキード・エレクトラと並走する。
何の変哲もない旅客機だ。
腕は並より少し上と言ったところであろうか。
少なくとも、彼女が男であったのならば騒がれるほどの腕前じゃないと、エドワードは思う。
恩師ドーリットルも、日本の知人もあんな風には機体を無様に揺らさない。
ただ、華はあるように思えた。
カメラを向けられ慣れているのか、片手で操縦しながら彼女はこちらを見上げて勝気な笑顔を浮かべている。
正直、チャーミングだとは感じた。
彼女が既婚者でなければ、それなりに心を動かされたかもしれない。
「おい、アンタ。もうちょっと詰めてくれ。同じ料金を支払ってるんだ」
窓に張り付き、絶好の撮影位置を奪い合う記者たちの姿は、まるで獲物を取り囲む肉食獣を思わせる。
一応料金は皆が同額支払っているため、立場上は皆が平等に撮影権を保持しているが、その結果までは譲り合うつもりも無いらしい。
機会均等、結果不均等。まさにアメリカン・スピリッツの体現だ。
エドワードはため息をついて、方向舵を微調整した。
すると、今まで絶好の撮影位置であった場所がそうでなくなり、不遇の席に機会が廻ってくる。
一部から歓喜の声と、傍らから不満の声が上がった。
「おい、勝手に機体を揺らすな。この下手くそパイロット!」
「同じ料金を貰っているんで」
口汚い一人の罵声を口笛を吹きながら受け流す。
風防を開けて、空気の入れ換えを行いたい気分であった。
同乗者の質はため息をつくようなレベルであり、これからの10数時間、彼らと機内で過ごさねばならないかと思うと気が滅入る。
ただ、いくらつまらないからと言って、折角の耐久飛行をただ機械的にこなすだけでは芸がない。
自分は、空の頂に人を待たせているのだ。
この飛行を少しでも自分の糧にして見せよう。
そして、何時か自分も空の頂きへ――。
エドワードは心の中で自分だけの目標を打ち立てて、それを徹することにした。
「しかし、西部開拓もとうの昔。今や飛行機で片道たかだか20時間の小旅行か」
チェサピーク湾を発ったエドワード、アメリアの2機がヴァージニア州に差し掛かった当たりで、記者の一人が感慨深げに呟いた。
シカゴ・トリビューン社のマーク・ゲイン記者だ。
マークは葉巻に火をつけると、窓辺に腕を預けて眼下を覗き見ながら続けた。
「インディアンの姫、ポカホンタスがジョン・スミスを導いたとされる未開の地は、ついに優勢人種が天空をも支配するようになったのである……。一面の書き出しはこんなところかね」
シカゴ・トリビューン社は保守的な論調で知られる新聞社の一つだ。
外交面では孤立主義。経済面では自由主義経済を全面的に支持しており、民主党の面々とは仲が悪い。
特に現大統領であるフランクリン・ルーズベルトとの仲は最悪だ。ルーズベルトはニューディール政策と呼ばれる景気回復策を推進しており、公共事業を通じた経済への積極的な介入を試みていた。
公共事業が増えれば、必然的に市場経済の中で政府の影響力が強まってしまう。
そんな経済の形が、シカゴ・トリビューン社の望む自由主義経済とかけ離れていることは一目瞭然であった。
おまけに、ルーズベルトは新聞の力をあまり当てにしない。
専ら選挙対策として、ラジオを使って国民に直接語りかける作戦をとっているのだ。
味方も多いが、敵も多い。
エドワードが遠目に見た合衆国大統領の印象は、概ねそのようなものであった。
「この冒険飛行に成功すれば、次は太平洋横断かね。そうすれば、彼女の名声は"ミスターの方"を上回るだろうよ。間違いない。うちのカミさんのケツを賭けたって良い」
「はあ、これからは冒険飛行のパイオニアがこう言われることになるんですか。『ああ、彼な。"ミス・リンディ"の男の方ね』って」
同乗者の中から笑い声が沸き上がった。
"ミスターの方"とは1927年に大西洋単独無着陸飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグのことである。
高々、8年前の英雄をもう腐すのかよと、エドワードは眉を思わず顰めた。
単純な実績の面から見て言えば、"ミス・リンディ"とリンドバーグの差は歴然としている。
例えば、"ミス・リンディ"はスポンサーであるロッキード社の民間飛行機を利用しているが、北大西洋を渡った際に乗り回したベガも、今回のエレクトラも民間機の中ではハイエンド級に位置する機体だ。
それに対して、当時無名だったリンドバーグが用意した機体は、ハイエンド級の半額以下で購入したライアンM-2。
安物の機体を創意工夫で改良し、冒険飛行に臨んだのだ。
結果として"ミス・リンディ"が残した業績は、約4000kmを無着陸飛行で、リンドバーグは約6000kmの無着陸飛行。
はたしてどちらが偉大なのかと問われれば、エドワードは迷うことなく後者だと答えるだろう。
そんな誰が見ても明らかな業績の違いを目にして、尚もマークが"ミス・リンディ"を贔屓にしている理由は明白であった。
彼女は、対外的に見て共和党贔屓の英雄なのである。
カルビン・クーリッジにハーバート・フーヴァー。今までに彼女の偉業を歓待した大統領は、その全てが共和党の出自であった。
例え、内心でどう思おうとも彼女の活動が共和党の支持率に影響しているとなれば、国民は彼女を共和党の派閥だと見るだろう。
そして、共和党を支持するシカゴ・トリビューン社が彼女の肩を持つこともまた、当然の帰結といえた。
「まあ、最近のリンドバーグ氏は少々……、政治に偏っている気もしますからね。国民として一意見として、飛行機乗りには飛行機乗りの活躍を望みたいものです」
太鼓持ちの保守系記者に、中道派の記者が同調する。
AP通信社のロバート・セント・ジョン。
"狂騒の20年代"と称されるアメリカの高度経済成長の中、アル・カポネのようなマフィアに対して敢然と立ち向かったジャーナリストであった。
彼の書く記事があまりにカポネ一党の利益を損なうものだから、弟共々マフィアによる暴行を受けたことが広く知られている。
ロバートの言葉にマークが目を丸くした。
「APさんも、氏に一言申し上げたいクチなのかい?」
シカゴ・トリビューンはお世辞に言っても客観的とは言えない記事を書くことで有名だ。
そんな御用新聞社と中立の記事を各新聞社に対して配信・買い取りを行っているAP通信が同調したことが、彼には不思議の思えたのだろう。
ロバートはマークの反応に苦笑いを浮かべ、乗客全員に配給されていたソフトシェル・クラブのサンドイッチを頬張った。
ちなみに帰り道で配給される食事は、西海岸で流行っているホットドッグが予定されている。
"大陸を股に掛けた往復"を食でも表現しているわけだ。
「ほら、最近の彼は反シオニスト、反ユダヤの布教で駆け回っているじゃありませんか。東欧に誕生したワルシャワ・ドナウ経済協定に対しても、アジアにできた白ロシア・ユダヤ人の自治政府に関しても敵対的で、合衆国はナチス・ドイツや中華民国を支援してでも彼らの動きをけん制すべきであると。……ああいう話は飛行機乗りに出されても、ねえ」
「ああ、"東洋・西洋の番犬"論」
"東洋・西洋の番犬"論とは最近にわかに流行り始めてきた外交姿勢で、混沌の様相を示してきた世界情勢に対し、合衆国が積極的な経済介入をすることで治安の安定化を図ろうとすることに特徴がある。
介入先は特にナチス・ドイツが有力視されていた。
ドイツは国際連盟から脱退しており、国際社会からつまはじきに合う存在であったのだが、今のところアメリカとの関係はそれほど悪いものではなかった。
世界恐慌になるまでドイツ経済を支えていたものが、アメリカによる欧州大戦以降続けられてきた復興支援であったからだ。
国連脱退直後には貿易関係の破たんも危惧されたが、英仏の融和政策が功を奏してか、今のところ米独関係は緩やかに回復傾向にあると言って良い。
しかし、ドイツと比べて東欧との折り合いは思いのほか悪かった。
現在、東欧を取りまとめている国はやたらと喧嘩っ早いことで有名なポーランドと、最近社会民主党が政権を取ったオーストリアである。
特にカール・レンナーという政治家がオーストリアの舵取りするようになってからはこの傾向が顕著になっており、武力のポーランドと外交・経済力のオーストリアという二枚看板が東欧諸国を影響力を発揮するようになっていた。
今は各列強が植民地を囲い込み、保護貿易を採る御時世だ。
当然、大きな経済連合が現れれば、保護貿易に徹するようになる。
それは東欧諸国もご他聞に漏れず、対外的に高い関税をかけるようになったことで、アメリカの利益を大きく損なってしまっていた。
最近では東欧に政治的な圧力をかけるべきだという論調も少数派ではあるが登場してきているようだ。
二度目の世界大戦が近いのかもしれない、とエドワードは口元を歪めた。
「しかし、ドイツは一体どれほど役に立つものなのかね。今、ヨーロッパで一番態度をでかくしているのはイタリアだろう? 彼らは果たしてイタリアに勝てるのか?」
「確かに、エチオピア戦争の結果はあまりにも鮮烈でしたが。どうなんでしょう?」
おい、アンタ。と急にエドワードは声を掛けられた。
「何だ?」
振り返らずにそう返すと、マークが尊大な口調で問うてきた。
「アンタ、元軍人なんだろう? イタリアはどうなんだ? 強いのか」
ジャーナリストにしてはえらく抽象的な質問だった。
エドワードは眉根を寄せながらも、その質問に対して思考を回転させ始める。
彼らの話題の中心になっているものは、今年になって開始されたイタリア王国によるエチオピア侵攻のことであった。
これはエチオピアの皇帝が経済的にイタリアを締め出そうとしたことから始まった戦争で、新聞を流し読みした限りではアジア情勢における満州地域と似たような推移を辿っているらしい。
両軍が衝突した場所は、国境沿いのアクスムという都市であった。
「俺は航空士だから、航空機のことしか分からないが……、それでも良いのか?」
「別に何だって構わんよ。話のネタにさえなりゃあ良いんだ」
エドワードが鬱陶しげにちらりと後ろへ目をやると、驚いたことに記者の全員が興味深げにこちらへと注目していた。
ため息を一つつき、エドワードは続ける。
「エチオピア戦争では、英仏の最新鋭機を支援されたエチオピア軍とイタリアの精鋭部隊が空中戦を繰り広げたらしいな。もしかしたら、義勇兵なんかが混じっていたのかもしれないが、詳しい話は現役にでも聞いてくれ。それで、大事なことは……、"イタリアの航空機が英仏の最新鋭機に勝ってしまった"ことだろう」
「乗り手が土人じゃ、折角の最新鋭機も持ち腐れだっただけなんじゃないか?」
脊髄反射で返してくるマークの言葉に、エドワードは否やと答えた。
「確かにエースパイロットの有無は空中戦において重要な要素だが、機体性能はそれ以上に重要なんだ。英仏の支援したグロスター・グラディエーターもモラーヌ・ソルニエもイタリア空軍が駆る"フォルゴーレ"とかいう新型機の相手にならなかったと聞いているぜ」
「仮にも列強国同士の技術にそう開きがあるとは思えないんですが……、何でそんなワンサイド・ゲームになってしまったんです?」
今度はロバートより質問が舞い込んできた。
これにも少し考え、自分の見解を披露する。
「基本的には軍用機の次世代化が完了していたかどうか、が問題なんだとは思う。イタリアは一昨年くらい前から他国よりも熱心に研究開発を進めていたから、その蓄積がもろに出たんだろう。あそこは巡洋艦を潰してまで最新鋭の空母を造っちまった空軍王国だから」
「いや、いや、待った。何で英仏が技術競争に負けるんだ。経済力も工業力も比べ物にならないだろう。未だに職人がどうのこうのしている国だぞ」
慌てるマークに対して、エドワードは続ける。
「工業生産力は大事だ。でも、いくら工業力があったって航空機を扱う軍人の意識が最新鋭機を求めてなければ、技術開発は進まない」
空という人間の領域外での活動を強いられるせいか、航空士とは元来頭が固いものなのである。
全幅の信頼を置けなければ、新しい技術を受け入れることはしない。
そして、全幅の信頼とは実績によって築き上げられるものだから、技術の進歩に歯止めがかかってしまうことは仕方のないことではあった。
「要するに英仏の頭が固かっただけってことか」
エドワードの説明を、マークは端的に解釈して呆れ声をあげた。
一面的な見方である。
技術開発で負けた方が必ずしも頭の固いわけではない。
こういうものは、単にきっかけなのだろうとエドワードは考えていた。
そして、イタリアが意識を転換させるきっかけをエドワードは直接この目で見ているのだ。
「……というよりもイタリアが"国内の賭け試合"で、あまりに酷い負け方をしたのが話題になったからだろうな」
「何だ、その賭け試合ってのは」
マークはトレントで開催されていたあの賭け試合について全く知識にないようであった。
それも仕方のないことだ。
あの時、エドワードが優勝していれば少しくらいは合衆国民の記憶に留まったのかもしれないが、残念ながらエキシビジョン・マッチにおいて2位の成績に甘んじている。
話題性のない記事は売れず、人々の記憶に残らない。
トンプソン・トロフィー・レースの優勝者であるエドワードを見て、彼らが大した反応を示さないことがその証明であった。
エドワードは愚痴るようにして、トレントにおける賭け試合の結果を語り始めた。
「はあっ? ジャップが米国機を使って参加者を軒並み薙ぎ倒したって? そんな馬鹿なっ!」
「事実だよ。本来なら、ポーランド製の最新鋭機で出場する予定だったんだが、『勝負にならないから』ってイタリア側の航空士から物言いが入ってな。"型落ち"の米国機で出ることになった」
「合衆国機が"型落ち"だとぉ?」
エドワードの言葉尻を捉えて、マークが声を荒げた。
「ジャップなんて、不正コピー品を安売りして荒稼ぎするだけの猿真似野郎だろ。それが何で西洋人に質で勝てるんだ」
「そういう天才が日本にもいるってことだろう。とにかく、そいつに精鋭航空部隊の一員が負けてしまったことで、イタリア空軍にも焦りが生まれたってわけだ」
「んん……、そうか。あくまでもアメリカの飛行機か。アメリカの飛行機が強くて、イタリアの飛行機が雑魚だったってんなら話は分かる。そのアメリカのよりポーランドの飛行機のがすごいなんてなあ。東欧はやはり、合衆国の脅威になるのかも知れん」
あくまでも日本の知人が成し遂げた業績を認めようとしないマークに対して、エドワードは内心舌打ちした。
舌打ちをして、内心驚く。
自分はどうやら、日本の知人――、チハヤに対してそれなりに友情を感じているらしいということに気がついてしまったからだ。
「パイロットさんは、世界の航空機情勢について随分とお詳しいですな。他の国はどうなっているんです?」
「ん、ああ。ソビエトはイシャク戦闘機というのが強いらしい。英仏両国もイタリアに対抗するため、航空機開発に本腰を上げたと聞いているし、今後は凄まじい開発競争が起こるんじゃないかと思っている」
困惑する中、ロバートから更なる質問が投げかけられて、エドワードは少々声を上ずらせながらも説明に意識を傾けた。
次回は未来人のお話です。




