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1935年1月7日 枢密院にて

何か抜けてるなと思ったら、正月の政治パートが抜けていましたので補足です。

 この国は大日本帝国憲法発布後、立憲君主制をとっている。

 現憲法下において、天皇はどんな政治的権力も補弼ほひつ機関の協賛を得なければ行使することができない。


 例えば、立法権、毎年の国家予算編成は貴族院と衆議院から成る帝国議会の協賛を経る必要がある。

 例えば、行政権に関しては各国務大臣に補弼ほひつの責任があり、いかなる詔勅も国務大臣の副署を必要とする。

 例えば、司法権については天皇の名において裁判所が行使することになっているため、天皇に恣意的な介入を試みる余地はないのだ。

 昨年に、憲法学者の美濃部辰吉博士が「天皇機関説」なるものを取り上げて、新聞のやり玉に挙げられていたが、現体制を「天皇主権」と捉えようが「天皇機関」と捉えようが、天皇の実権はほぼないに等しいものであると断じて良い。


 天皇は首相や閣僚を辞任させることができるが、後任を選ぶ権限がなかった。

 後任は元老をはじめとした各界の有識者によって選抜される。

 明治期はこれが上手く行った。

 大正期にはこれが上手く行かなかったため、政治家と国民の存在感が高まった。

 そして――、今その在り方が問題となっている。



 勅令護民総隊本部長の谷口は、宮城内桔梗門近くの枢密院にて開かれる"御前会議"に出席するため、他の要人とともに控え室にて開会を待っていた。

 正月中は治安活動のために帝都へ顔を出すことができなかったが、こうして数年ぶりに舞い戻ってみると、国内情勢がかなり変化していることに驚かされる。

 国会議事堂前には今も多数の民衆が詰めかけており、轟々と罵声を投げつけている。


『外地と内地、どちらが大事なのか!』

 "基幹産業特別保護法"によって内地に関税をかけたがゆえの唱和シュプレヒコールである。

 小作人や零細農家を中心とした農業従事者がデモ活動の一角を占めていた。


『満蒙は皇国の生命線』

 満州事変の決着に対する不満を持つがゆえの反対運動であった。

 今の満州には国際連盟の監督のもと、中華民国主権下の自治政府が立てられている。

 しかし、自治政府が日本の権益を国連の要請通りに守っているとは言い難く、また監督官として派遣されたソビエト系官僚によって旧ロシア帝国残党や日本人の追い出し工作が行われているため、急速に日本の影響力が弱まった地域になりつつあった。

 当然、唱和を浴びせかけているのは海外進出した企業の息がかかった活動家や、日本権益の弱体化を嫌う愛国者たちである。


『国連の横暴に屈した臆病者、松岡は国民に謝れ!』

 満州事変を巡る国連の壇上で見事な演説を披露し、昨年の"クリスマス会議"でも各国を唸らせる演説を行った松岡洋右まつおかようすけ外交官であったが、いずれも国連の決議を覆すことができずに散々な結果に終わっている。

 それだけならば、国民を失望させるだけに終わったのだろうが、一度目の挫折の際に外相を務めていた内田康哉うちだこうさいが、


「満州事変の際に余は国民感情を踏まえ、例え国家が焦土と化しても満州権益は譲らない。国連脱退も辞さぬ覚悟であったが、自論の通らぬ松岡大使が一足飛びに宮中へと秘密の連絡を取り、余を外相の席より追い落としたのである。此度はこのような卑劣な搦め手のないよう願いたい」

 と先月、貴族院議会で発言したことが波紋を呼び、売国奴のそしりを受けることとなったのである。


『玉音を強いる奸臣の排除を!』

 先だっての"玉音放送"を巡る反発であった。

 国民は新聞を通して世情を見ているため、今と言う時をソビエト撲滅のまたとない好機と捉えている。

 そのような中で、今上陛下があのような放送を出すわけがない。

 裏で糸を引いている者がいるのだろうという、疑惑から発展した唱和であった。


 内地を重視する派閥からも、外地を重視する派閥からも痛烈な批判を受けている現犬養政権は、最早機能不全に陥っている。

 そのような情勢下において、陛下は御前会議の開会を宣言したのだ。


 控室の空気は異様なほどに緊迫しており、誰もが心穏やかではいられずにいた。

 まず、陛下直々の召集の勅令からしておかしなものであったのだ。


「1月7日。枢密院にて御前会議を開会する。関係諸者には出席の"許可"を与える」

 "命令"ではなく、"許可"である。

 つまり、「来ないのならばそれで良い」と言い換えることもでき、常日頃の"君臨すれども統治せず"を貫いていた陛下の御言葉としては在り得ぬほどに苛烈であった。 

 それに顔ぶれも今までに例のないものになっている。


 元老である西園寺公望や、現犬養政権の閣僚は当然として、政友会系、民政党系の重鎮が揃い踏みしていた。

 枢密院からは議長と枢密顧問官のみが出席を許され、宮内省からは内大臣と秘書官長が、陸・海・護の各軍部からは参謀長と軍令部長などが参加を許されている。

 そして、これら以外が問題であった。

 まず、社会大衆党なる政党から委員長の安部磯雄あべいそお片山哲かたやまてつなる人物が招かれている。

 彼らは、衆議院議員選挙を勝ち抜いた代議士であったが、れっきとした無産政党の重鎮であった。社会主義者シュギシャなのである。

 他にも、最近陛下に臨時御進講ごしんこうをしている人物として、東洋経済新報の石橋湛山いしばしたんざん編集長と、外交関係を論じている吉田茂よしだしげるが並んでいた。

 彼らにはある共通点があった。

 未来からもたらされた"テクスト"において、戦後日本を引っ張っていく人物とされていた者たちばかりなのである。


「何やら尋常でないことが起きる……、そのような予感がしますな」

 と谷口の補佐として同行していた井上が呟いた。

 彼はこの場に並ぶ者たちの共通点について、知る由も無い立場にある。

 佐藤に面と向かって"老害"と吠えたほどにふてぶてしい男が、カミソリのような目を更に細めて、何が起きるのかと警戒していた。


「……この国の未来が、変わるのかもしれませんな」

 その言葉に谷口は思わず井上へと振り返ってしまう。

 井上は、まるでこちらの内心を覗きこもうとでもしているかのようなまなざしを向けてきていた。

 お前は何を知っている。いや、何を知ったのかと問いかけようとして、


「谷口」

 それを遮るようにして、旧知の上司が声をかけてくる。

 海軍の軍令部長を務めあげ、今は陛下の侍従長をしている鈴木貫太郎海軍大将であった。


「お久しぶりです。鈴木さん」

 谷口が頭を下げると、鈴木は重い表情のままくぐもった声で答えた。

「直に御前会議が始まる。……くれぐれも立ち居振る舞いには気をつけろ、谷口。今の陛下は以前と御変りになったぞ」

「御変り……、ですか」

 鈴木は頷き、続ける。


「ほれ、今まで軍事学の御進講をしていた末次の顔を見てみろ。今も顔を青くしておる。……わしとて、陛下が恐ろしい」

 そして、開会の知せが侍従の一人よりもたらされた。

 一同は囚人を思わせる足取りで、枢密院の議場へと向かう。

 陛下は、金地の屏風びょうぶを背にした上座に、既に着席していた。

 一同はざわめき、慌てて席に着いていく。

 陛下は頬杖をつきながら、その様子をつまらなそうに眺めている。

 やがて、一度ため息をついては、


「……それでは、これより我が国の行く末を決める会議を開くとしよう」

 御前会議の開会を宣言した。

 取り付く島のない拒絶を感じる。

 あの"玉音放送"は何だったのかなどと、誰も質問できる雰囲気ではなかった。


「まず次期内閣について」

 これには現閣僚が仰天した。

 現憲法下において、確かに陛下には内閣の解散を命じる権限があるが、その権限が陛下の独断で行使されたことはなかったのだ。


「お待ちくだされ」

 当然ながら、西園寺からこの御発言に待ったがかかる。


「何か、西園寺」

「御存じあそばされる通り、憲政の常道においては、政治の行き詰った時に限り、野党の第一党に組閣の命を下すものにございます。現政権は、今のところこれといった失政を犯してはおりませぬ。立憲政治において、陛下は神聖にして侵すべからざる御方であり、致し方ない調停以外でその影響力を御振る舞いになられるのは――」

「もういい、分かった」

 陛下の御言葉に西園寺は鼻白んだ。


「……朕は、現体制下での政党政治に疑問を抱いておる」

 誰もが言葉を失った。

 国家元首が、国体の否定にかかったのである。


「二大政党体制は、本質的にかならず"ねじれ国会"に陥り、全く機能しておらぬ。更に議員は国利を軽んじ、党利党略に走る。我が国の重大な安全保障問題に関して、超党派協力すらできておらぬ。政友会か、民政党か。どちらにしても、現国民が納得せんではないか。挙句の果てに、統帥権干犯などと……、天皇大権を党利党略に利用するとは――。何故か」

 誰も天皇の剣幕に、顔を上げることができなかった。 

 政友会の代表として出席していた犬養毅に高橋是清、鳩山一郎に鈴木喜三郎すずききさぶろう

 民政党からは若槻礼次郎に幣原喜重郎、安達謙蔵あだちけんぞうに小泉又二郎。

 誰もかれもが顔を青ざめさせている。

 自分たちが今、国政の足を引っ張っているという自覚があったのだ。


 彼らは普通選挙法を実現させ、この国の政治に選挙という洗礼を受けさせることに尽力した者たちであった。

 だが、選挙で選ばれるということは有権者によってかせをはめられるということでもある。

 そのため、彼ら政治家は多くの場合において選挙資金を調達するために財閥の支援を受けていた。

 この国の財閥は、その成立の経緯からして帝国主義の恩恵を受けている。

 当然ながら、彼らが政治家に望むものは拡大財政の推進と、領土拡張の承認で、枷をはめられた政治家たちは、領土の不拡大方針を弱腰と断じ、緊縮財政が行われれば、それを邁進せんとする派閥の醜聞しゅうぶんを公開しては、足を引っ張ることに腐心せざるを得ない仕組みができあがってしまっているのだ。


 統帥権の干犯問題――、つまり政治家が軍縮を決定することは憲法違反であるという批判が、よりによって"政治家の側から発せられたこと"などはその最たるものであった。

 政治家自らが憲法を曲解し、政治の権限を縮小してしまうなど、緩慢な自殺を図っているに等しい所業と言えよう。

 それでも政治家たちは、この国から政党政治が駆逐されてしまうなどとはつゆほどにも考えていなかった。

 明治末期から続く、民権を勝ち取る運動が常に勝利を重ねてきたためである。

 また、例え憲政が時の政府の弾圧によって危機に晒されたとしても、再び国民と共に立ち上がり、圧政を迎え撃てばいいだけであろうと。

 そんな考えを抱いていたはずだ。


 しかし、よりによって憲政の危機をほのめかしたのは、国家元首である天皇陛下ご自身であった。

 まさに冷や水を浴びせられた状態である。

 政党政治の消滅――。

 そんな未来が参加者たちの脳裏で現実味を帯びつつある中で、陛下は更に続けられた。

 

「朕は、皇室予算を用いて東北を飢饉より救ったぞ。『満蒙は日本の生命線』というが、お前たちは内地に対して何をやった」

「か、返す言葉もございません……」

「外地を保持すれば、内地の飢えは凌げたのか」

「陛下の、御親政の賜物にございます」

 陛下は爪で机をこつこつと叩く。

 これほどまでに苛立ちを露わにされるところを谷口は初めて目の当たりにし、背筋が凍りつく思いであった。


「ならば、次は軍部政権にございますか」

 他人事のように身を乗り出した荒木貞夫陸軍大臣に、陛下は冷たい目を向ける。


「論外である。朕は軍部にも疑問を抱いておる」

 皇道派の旗頭である荒木は、何を言われたのか理解できぬという風に口をパクパクさせた。


「そもそも、若手将校の戦争好きを何故取り締まらぬ。朕は、平和を希求するとかねてより何度も言っておるのだぞ」

「それは、その」

「……丁度良い、軍事学の講師にも尋ねた質問をお前たちにも問うてみよう」

 一拍置いて、陛下は問われる。 


「満蒙を巡り、シナと戦争になるとする。欧米がシナへ出来得る限りの最新兵器を支援し、我が国への経済制裁を行った場合、いかんとする」

「み、味方のいない前提にございますか」

「当り前であろう。満蒙問題は、国際世論を無視しているのだぞ。国際連盟を脱退するか。脱退して、遠く離れたドイツとでも手を組むのか」

 陛下は荒木の返事を聞かずに、更に続けられた。


「我が国は戦略物資を海外に頼っておる。となれば、アジア戦線を補うために南洋へ物資を求めて進出することになる。……大角」

「は、はい」

 海軍大臣、大角岑生おおすみみねおは顔を強張らせて返事をした。


「南洋には米国の植民地があるわけだが、米国は海軍にとって仮想敵国であるな。そこで南洋の安全保障を巡って、我が国と戦争になったと想定する。お前はどう動く」

「べ、米国と戦争に、でございますか」

 谷口も経験した困惑であった。

 そもそも、海軍は予算を引き出すために米国を仮想敵国と言っているだけで、実際に敵に回そうとは思っていない。


「仮想敵国ならば、勝つべき方策も考えておるのだろう。それを言えと、言っておる」

 大角はすぐには答えられなかった。

 これに焦った海軍閥は、海軍軍令部次官として出席していた嶋田繁太郎を代表させて答弁する。


「まず、初戦にて大打撃を与え、皇軍侮りがたしと思わせることで講和に臨むべきと考えます」

 その答えを聞いた陛下は、見るからに失望した様子で口を開かれた。


「米国は民主主義の国である。民衆の意思が戦争を継続させるのだ。……戦争になれば、今我が国で起きているような強硬的世論が沸き起こり、米軍も戦果を過大に、被害を過小に国民へ知らせるだろう。たったの一撃で熱狂した米国民を、どうやって講和の席へ誘うのだ。決戦など無理だ。持久戦争で考えよ」

「かの国との持久戦争は、その」

 そんなことは不可能である。国力が違いすぎるのだ。

 軍事の素人でも分かる問いかけであった。

 陛下はため息をつかれ、更に続けられる。


「このように統帥権を預かる陸海両軍からして、今後の展望を甘く見ておるのだ。この国の、天皇大権を預かる輔弼機関が軍・政どちらも明確な国策を統一せぬままに、勝手な振る舞いを見せておる。……はっきりと言う」

 陛下は強烈な意志のこもった瞳で、参加者を睥睨された。



「朕は、お前たちのような奸臣を信用しておらぬ」

 先ほどの、鈴木の言葉が谷口にも痛感できた。

 ――恐ろしい。

 立憲君主の良き模範にして、口さがない不忠者の批判にひたすら耐えてきた陛下が、まるで絶対王政の主へと変貌してしまわれたのである。

 昨年末の"玉音放送"は、自分も含めたこの国の権力者たちを一網打尽にするための布石だったのだ。

 御乱心の一言で片づけることのできぬ説得力を陛下に与えてしまったのは、間違いなく未来からもたらされた"テクスト"であった。

 政治家たちは自らの撒いた種に絶望し、軍人たちは自らの力不足を自覚し、消沈する。

 普段は軍人や財界を擁護する枢密院議長ですら、震え上がってしまっていた。

 

「御言葉ですが――!」

 そんな、ほぼ全員が萎縮する中で、尚も陛下に立ち向かっていけたのは元老西園寺公望ただ一人であった。


「確かにこの者たちの力不足は厳然たる事実にありますれども、さりとてこの国に生まれた立憲政治の萌芽を陛下御自ら摘み取ってはなりませぬ! 一度摘み取った芽が再び生えるまでには長い時間と、犠牲が必要になりますれば。ここは何とぞ御寛恕あそばしますよう――!」

 席を立ち、床に頭をつけての土下座であった。

 その姿に触発されて、参加者が許しを請うて次々に這いつくばる。

 陛下は彼らへあくまでも冷たいまなざしを向けて、言い放った。


「十年間で、国民が心安らかに暮らしていけるような民主国家を必ず作り上げる。お前たちには到底やれぬと思ったから、朕が直接とりかかろうと思ったのだ。お前たちに、それができるのか」

 できます、と皆が口々に叫ぶ。


「……確かに聞いたぞ。ならば勝手にするが良い。この国は政・財・軍のいかなる権門盛家のものではない。それを心するように」

 そう仰ると、陛下は席を立って会場を退出した。

 ふっ、と圧力の消えた会場には腰を抜かした権力者たちが残される。


「……とてつもないことになってしまった」

 "玉音放送"からこの方、時代がすさまじい勢いで加速を始めたように谷口には感じられた。

 それを指し示すかのように、会場は我に返った参加者により、陛下の臨む"民主国家"とはいかなる形で実現されるものなのかを論じる場へとなり変わったのだ。



「政治家が党利党略に囚われるのはなぜか。政権によって変わることのない、長期的な国策はいかなる形で決定すればいいのか。世論に迎合する危険性とは――」

「軍はいかなる形でこの国に在るべきなのか。どのように奉公すれば、陛下に顔向けができるのか――」

「法は――」

「外交は――」

 皮肉なことに、陛下からはっきりとした形で全ての派閥が"見捨てられた"ことで、常日頃いがみ合っていた間柄に、雪解けの兆しが見えるようになった。

 こうして誕生した第三次若槻政権下において、この国は改憲を見据えた急速な改革がおこなわれていくのである。


 まず行われたことは、近衛師団の派兵であった。

 彼らは暴発しかねない"味方"や国民へ銃を向けるために、国内や各占領地へ遣わされたのである。

 まるで内戦のような非常事態に、熱狂していた国民は仰天して水を打ったように静まり返り、周辺各国も困惑を見せた。

 そのような中で、日本が実効支配を始めていた沿海州とカムチャッカ半島では更なる変化が起きようとしていた――。




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