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1935年2月末 石川県、粟崎遊園にて

 色鮮やかな衣装をひるがえし、舞台の上で少女たちが華やかに歌い、洗練された踊りを披露している。

 この劇場は、女によって支配されていた。

 男役、女役の別はあれども、踊り手は全て見目麗しい女子で構成され、客もほとんどが女性である。

 厚塗りの化粧で男役が人相自体を変えている様は、千早には狐狸か何かが人を"化かしている"ようにも感じられ、それの何がよいのかよく理解できなかった。

 だが、周りの観客を見るに違和を感じているのは千早だけのようだ。


 女性客は皆、うっとりとした表情で舞台へ熱いまなざしを向けている。

 隣の席に座り、鼻息を荒くしているロッテもまた同様だ。

 何とも場違いなところへ来てしまったものだと、千早は居心地の悪さに身じろぎした。


「お静かに」

 千早の仕草が横目に映ったのか、ロッテがこちらを見ずに注意してくる。

 見るからに真剣な様子だ。そのまなざしの鋭さには戦慄すら抱く。

「すみません」

 とは言え、千早は彼女の表情に先日までの何処か落ち込んだ影がないことを確認すると、内心安堵の息をついた。



 河北潟かほくがたと日本海を望む内灘うちなだの砂丘上に、粟崎遊園あわがさきゆうえんは建てられている。

 かつて地元の実業家が、故郷に第二の宝塚を作りたいと夢見て、この行楽地を作り上げたらしい。

 コドモノクニには数多くの遊具が設置されており、赤い瓦屋根の目立つ洋風の本館では様々な催しが年中開かれていた。

 先頃までロッテと鑑賞していた歌劇もその一つである。

 鑑賞もひと段落つき、館内の洋食場で昼食をとっていると、相席していたロッテが感慨深げに呟いた。


「私……。来日して以来、今が一番感動しているかもしれませんわ」

 手には先ほど上演していた粟崎少女歌劇団のトップスターが撮影されたブロマイドが握られている。

 先ほどの出演者の中では、ミラノ・マリコと壬生京子なる俳優のブロマイドが良く売れていたように見受けられたが、彼女の持っているのは当然の如く男役の壬生だ。

 よほど男装の麗人という生き物がお気に召したらしい。


「欧州にこういったものはないのですか?」

 ポーク・カツレツをナイフで切り分けながら何とはなしに問うてみると、

「当たり前ですわ! オペラの黎明期ならいざ知らず、男は男が、女は女が役を演じるというのが暗黙の約束ごとのようなものですっ」

 予想以上の食いつきように、千早は思わずのけぞった。


「ああ。そうなの、ですか」

 勢いに圧されぱなしではあったが、考えてみれば納得のいく話ではあった。

 キリスト教において、同性愛は禁忌とされている。

 だからこそ、いくら舞台場の疑似恋愛とはいえ、女と女が仲睦まじい姿を演じるというのは西洋でははばかれるものなのであろう。


「ああ、下手物と疑ってかかった先日の私を叱ってやりたい。これは、東洋の神秘なのかもしれません……」

「……まあ、お気に召したのならば誘った甲斐がありましたよ」

 元より目的地が同じ金沢であったための、にわか仕込みの思いつきであった。

 ロッテはかねてより目を付けていた輪島塗の調査に、千早はこの地で会わねばならぬ人物がいるために。

 同行者にはもう一人、ユーリが存在していたのだが、ここ金沢で活動しているという材木商の一族に話があるらしく、今は単独行動をとっていた。

 中島飛行機との提携が功を奏し、昨年より本格的に全金属航空機の研究開発に取り組める環境が整ったのであるが、未だ木製航空機への情熱もまた冷めやらぬようだ。


「それで、この後はどうなさいますか。自分は会わねばならぬ人がいますので、そろそろ待ち合わせの粟崎海岸へ向かいたいと思いますが……」

 ロッテは口元に指を当て、「そうねえ」としばし思案した後に、

「折角なので、ご一緒してもよろしいかしら。どうせ"造船"のお話なのでしょう? 欧州の見識が役に立つかもしれませんし、私自身は急ぐ旅でもありませんもの」

 今日はあくまでも面通しだけであり、機密の類を話すことも無い。

 それならば、問題なかろうと彼女の提案を快諾し、いつもの如く彼女の手を引いて目的地へと向かうことにする。

 日本男児の矜持だのなんだのは、ここ1年あまりの付き合いですっかり消え失せてしまったことを改めて自覚し、千早は無言でシャンデリアの飾られた天井を仰いだ。


 瀟洒な九谷焼の花瓶に生けられた花の香りが匂うエントランスへに出ると、待ち合わせ用のソファに銀の懐中時計を弄ぶ中年の男性が座っていた。

 千早は彼の姿を認めると、小走りで駆け寄り、姿勢を正して頭を下げる。

「申し訳ございません。お待たせしてしまいましたか」

 銀時計より目を離した男性は、横目で千早を見上げながら口を開く。


「仔細ない。まだ待ち合わせの時間には1時間ほど早いよ。しかしながら、こうして早めに集まることができたのだから、今が時宜じぎと言って良いのかもしれぬ」

 男はそのまままなざしをロッテに向けると、

「そこな彼女は?」

「共和商事の提携相手。シャルロッテ嬢、アウグスト商会の会長です」

「そうか」

 一度男は俯いた後、静かに立ち上がり、ロッテに挨拶をする。


「海軍予備役の堀悌吉ほりていきちと申します。会話は、英語で支障ございませんか」

「あら、ご丁寧にどうも。ドイチュランツベルク・アウグスト商会のシャルロッテと申します。こうしてミスターと知己を得たこと、嬉しく思いますわ」

 ロッテはお辞儀(カーテシー)を返して、千早に問うた。


「この殿方が、ミスター・チハヤの待ち合わせ人かしら」

 この問いかけには、堀が答えをかって出た。

「いや、私は付き添いに過ぎません。総隊の井上に頼まれて、"半病人"への取り次ぎを頼まれたのですよ」

「"半病人"?」

 ロッテは首を傾げる様を見て、掘は「フム」と一寸思案し、

「一刻千金。タイム・イズ・マネー。ここはさくりと会いに行ってしまおう。どうせ、寂れた宿で酒でもかっくらっておるはずだから」

 言ってスタスタと出口へ歩き始めた。

 置いていかれまいと早歩きで千早とロッテもそれに追随していく。


「中々個性的な御仁ですわね」

 こしょりと耳打ちするロッテに、千早は上手い返しができなかった。

 何故なら先を行く彼は、堀悌吉は先頃まで"条約派"の一柱として海軍中将を務めていた程の大人物であったからだ。

 元は同派閥の、一介の航空士が下手なことを言える存在ではなかった。

 千早は、うんとも違うとも言い切れない曖昧な返しでお茶を濁す。


 言葉少なに一行は、冬場の突き刺すような潮風に身を縮ませながら、浅野川電鉄に乗車し、海岸駅まで移動した。

 駅を出ると厚い残雪の反射光が一行の顔を眩しく照らす。

 日本海側の積雪は何処へ行っても厄介な代物であった。

 雪の除けられた砂利道を進み、江戸期の情緒が色濃く残った小さな旅館に辿りつくと、堀は目当ての部屋まで一直線に向かっていき、ガラス戸をノックして呼びかける。

「掘だ。客を連れてきた、入るぞ」

 言って、答えも聞かずに戸を開ける。

 途端に、部屋の外までむせ返るような焼酎の香りが飛び出してきた。


「お酒を嗜んでおられますの……?」

 口元にハンカチを当て、眉根を寄せたロッテが言う。

 部屋の中はひどい状態になっていた。

 折角のしつらえが、ゴミの溜まり場と化してしまっている。


「酒量を控えろと言ったのに、未だに一升瓶を手放せぬのは、最早妄執と言って良いな」

 堀はずかずかと空き瓶を倒しながら部屋に入り込み、床に一升瓶を抱え込んで寝ころんでいた男の背中を思い切り蹴飛ばした。


「ほら、起きろ」

 部屋の窓をがらりと開けながら、堀が言う。

 途端に吹き込んできた冷たい外の空気を疎むようにして、蹴飛ばされた男は火鉢の側へと移動し、こちらを睨んだ。

 微笑ひげを伸ばし放題にした、目に隈の目立つ中年であった。


「……何なんで?」

「以前から貴様に会いたがっている連中がいると手紙で伝えておったろう。連れて来たのだ」

「ほですか」

 目元を細めて凄む中年に対し、千早は直立して挙手礼をとった。


「藤本"元"海軍造船少将とお見受けいたします。小官は勅令護民総隊航空参謀の宮本と申します」

「ほうか」

 で? と機嫌の悪い藤本は、焼酎の空き瓶を乱暴に端へ除けては胡坐をかいて続きを促す。


「年明けから大袈裟おおどに医者まで寄越して、健康だ何だのといじくらしかったんは、貴様等の指図やろ。何でんなことしよったけ」

 不信どころか敵意すら混じった、あからさまに歓迎されていない様子であったが、千早もここで怖気づくわけにはいかなかった。

 戦友たちに少しでも良い環境を提供するためにも、彼の設計思想は必ず役に立つと信じていたからだ。


「……藤本さんには、我々の艦を造っていただきたいのです」




 そもそも「造船士官として藤本喜久雄技術士官を迎え入れるべきだ」という意見は、千早が航空参謀になって最初の定例全体会議で出されたものであった。


「宮本航空士、今年付で護民総隊総司令部付き航空参謀として着任いたします」

 総隊には、護民艦隊士官の上陸期間中に月1で士官全員の集まった全体会議を開く慣習がある。

 この全体会議は、士官の欠員などの緊急を要する機能不全を防ぐことを主目的として掲げており、谷口本部長や佐藤司令官、その他の高級士官から商船学校出の予備士官に至るまでが全て円卓に座り、忌憚のない意見を交わす場として設けられていた。

 実際、小所帯しょうしょたいで「この仕事は"こちら"の領分、あの仕事は"あちら"の領分」などというセクショナリズムがまかり通ってしまえば、いざという時に動きが悪くなってしまいかねない。

 だからこその全体会議であったのだが、そういった主目的とは別に"後進の育成"も狙っていると、以前谷口が語っていた。


「うむ、これから宮本航空参謀には航空機部隊に関わる環境の整備に取り組んでもらう。重要な任務であるため、総隊員諸君は積極的に情報の提供、及び出来得る限りの支援を与えるように」

 谷口の言葉の後、円卓よりパチパチと拍手がわいた。

 ただ、素直に歓迎の意を表しているのは上層部だけで、現場組は元より後方組も何とも言えない複雑な表情を浮かべている。


 例えば、現場の部下たちなどはあからさまな不満の態度を見せていた。

 今も「自分らにはまだミヤ隊長の指導が必要です」と言い張り、新参者の元"鳳翔"搭乗員たちを自分らの上司として仰ぐことに快い感情を持っていないのだ。

 これには、千早が部下の指導をするに当たって、兵学校55期仕込みの理詰め指導をしていたことも裏目に出てしまっていた。

 何せ、元"鳳翔"搭乗員は兵学校で容赦のない鉄拳制裁を経験していた上に、現場でも"まず体罰ありき"の団体統制を是として受け入れていた剛の者たちばかりであったのだ。

 体罰を当然として考えている層と、理詰めで教え覚えることを至上としている層はとにかくウマが合わない。

 結果として、千早の僚機を務めていた藤田などは、元"鳳翔"搭乗員らを「口より先に手が出る考えなし」と馬鹿にしており、元"鳳翔"搭乗員らは「理屈ばかりの頭でっかちども」と総隊航空士の態度に苛立つ関係ができあがってしまった。

 あちらを立てればこちらが立たぬ、とかく頭の痛い問題であったが、千早が参謀入りすることは最早決まったことなのだ。


 円卓の一席につく隻眼の元上司に目をやり、改めて決心を再確認する。


 ――ここで働かせて欲しい。俺たちはまだ飛べる。


 正月の三が日。"玉音事件"で総隊がせわしくなっている時分に、千早のもとへ現れた傷痍軍人たちの姿は今も瞼に焼き付いていた。


 所茂八郎ところもはちろう元海軍大尉。青木武あおきたけし元海軍大尉。青木興あおきおこす元一等水兵。

 彼らは皆、身体のいずれかに欠陥、または障害を患ってしまい、前線を下げられた者たちであった。

 元上司・同僚たちの居場所を作り上げること。

 部下の負担と犠牲を少しでも減らすこと。

 それが今の千早に課せられた使命なのである。


 現場組とは異なり、後方組から感じるまなざしはいわゆるやっかみに属されるものであった。

 参謀職は、軍組織においてはエリートコースの一つだ。

 海軍ふるすでは兵学校の成績順ハンモックナンバーが参謀職に就くための明確な基準として設けられており、任官時の階級も最低で大尉になってからと慣例的に決まっていた。

 ひるがえって、千早の兵学校時の成績は中の下といったところで階級も元小尉に留まっており、参謀職には物足りない。

 当然、エリートコースを歩んできた参謀組の、特に柴田と福永が面白く思うはずがなく、この場でも親の敵のように千早を睨みつけてきている。  自分たちの職分は決して侵させないという拒絶の視線を身に受けながら、千早は今後の機動部隊編成計画について語り始めた。


「……航空母艦の建造、そして航空戦隊編制の件についてですが、これを講じるには当然ながら護民艦隊の主義ドクトリンを明確に定める必要があります」

 言って千早は士官たちに配った書類の確認を求める。


「主義……、とは本隊の小目的である"通商護衛"と"他国との経済的衝突海域の哨戒行動"を全うするための部隊運用法と捉えて良いのだな?」

「はい、仰るとおりです」

 挙手をして見解の共有を図る佐藤に対し、千早は頷いた。


「既に参謀本部より"対潜戦闘"と"防空戦闘"に最適化された艦隊の編成を目指すとの見解が出されたと思うのだが、宮本参謀はこれに異議があると、そういうことか?」

「……はい、仰るとおりです」

 更なる確認の言葉に頷いた途端、柴田と福永からの圧力が強まったよう感じられた。


「面白い。我々の計画書の何処に手落ちがあったか、ご教授願おうか」

 鼻息を荒くして、柴田が吠える。

 これまでの艦隊編成計画は、総司令部と昨年の初めごろまで艦政本部長を務めていた田村、そして後方参謀である柴田が共同で作り上げたものだった。

 旧来の計画書では、技術畑の田村らしく基本的に最新鋭の対潜装備と防空機銃の拡充が掲げられており、北洋の戦闘で猛威をふるった航空部隊についても本格的な整備を要するとされている。

 そこで軍縮条約下にあるとはいえ、いつでも本格的な航空母艦を建造できる環境を作っておこうという思いから、柴田が渋々ながらも海軍ふるすより"鳳翔"の設計図を引っ張ってきたのだ。

 航空母艦は機密の塊と言って良い。

 総隊嫌いの海軍から"虎の子"を引っ張ってきたことから、千早は柴田の手腕についてはかなり高く評価している。

 千早はなるべく柴田を軽んじていないことを主張するようにして、殊更柴田の目を見ながら説明を続けた。


「計画書、実に見事なものであったと思います。しかしながら、小官は附録にあった"理論"により目が奪われたのです」

「"理論"……、水兵や士官より募った懸賞論文のことか? 宮本」

 新見の言葉に、千早は是と答える。


「戦力損耗率の計算方程式。士官の……、本間さんが考案されたものです」

 一同の視線が一斉に円卓に座る補充士官へと向けられる。

 補充士官はぎょっとした後、慌てて直立し挙手礼をとった。


「は、はい! 確かにその方程式は自分が考案したものであります」

 警戒した小動物のように身構えた本間に対し、谷口は座るように指示する。

「挙手礼は要らん。それで、この場にいる者の中には方程式とやらが分からぬ者もいるだろうから、一つ説明を願いたい」

 分かりましたと本間は上ずった声で答え、説明を始めた。

 各要素をいかに計算で導くかに始まり、様々な戦闘状況下においてどのような計算式が適用されるかと、本間の解説は続いていく。

 戦いの結果を数量的に導き出そうとしている本間の狙いは、現場組には退屈に感じられ、参謀組には然りと思わせるものがあるようであった。


「――要するに、かいつまんで申せば両軍が単純な火力投射合戦になった場合に限り、その戦力損耗率は兵員数と武器性能比率から割り出せると言ったものです」

「ありがとう。……それで、宮本はこの方程式の何処が気になったのだ」

 本間に会釈をした後、千早が説明を引き継ぐ。


「ここで大事なことは、海戦においては損耗する被害担当艦を選ぶことが非常に難しいということです。"哨戒行動"ならばまだ良いですが、"通商護衛"中の場合、戦闘時には必ず護衛対象となる輸送船団がいるはずです。そちらに被害が出ないとは言い切れない」

「戦闘海域から先行離脱させれば良いんじゃないか?」

 現場組の渋谷から疑問があがるが、千早は首を横に振った。


「離脱した先で襲撃される恐れがあります。かと言って、護衛に艦隊を割く余裕は総隊にないのが現状です」

「そりゃあ、そうか。悪いな、ミヤチ。愚問だった」

「戦闘が起きれば犠牲も出よう。それを現場の奮戦で減らすよう努めるのが軍人の在り方というものじゃないか。貴様は結局、何が言いたい」

 柴田が椅子にふんぞり返って、鼻を鳴らした。


「犠牲をゼロにしたいのです」

「無理だ」

「そのための、主義設定です」

 千早は資料を読みこむようにと、士官たちを促す。

 つまらなそうに目を通していた柴田であったが、やがて呆れたようにぽかんと口を開ける。


監視網(ピケット・サークル)、戦術……?」

「はい」

「これは要するにあれか。三十六計逃げるにしかず。敵を見つけたなら、さっさと逃げろと。そういうことか」

「はい」

「貴様は、軍人の誇りを愚弄するのか!」

 柴田が円卓に拳を叩きつけた。


「やっても見ない内から、敵前逃亡だとっ? そんな戦術を専らにされては、他国から嘲笑を受けかねん!」

「総隊は、護衛艦隊は軍人の矜持をおしとどめる必要があると思うんです。柴田さん」

 会議は千早と柴田との真っ向対立へと発展する。


「護衛空母が常に周辺の哨戒に努め、敵艦を見つけた場合は直ちに船団ごと回避コースをとる。通商護衛で制海権を奪われた海域を航行することはありませんから、海軍の救援が来るまで逃げ回ることさえできれば、我々の勝利です。我々は、護衛対象の無傷を誇れば良いんです」

「無理だ。航空機に遠方との通信機能はない」

 千早が説いて、柴田がそれを突っぱねる。


「はい。だから、今後最優先で作る航空機は"通信機能を要する哨戒機"です。無線でも電信でも良い。何らかの通信機能を有した哨戒機を、です」

「航空機が哨戒と。それなら空母以外の護衛艦は要らんということか」

「いえ、潜水艦はピケット・サークルの内側に潜りこむ可能性がありますから、対潜艦と対潜爆雷搭載航空機は必須です。それに敵航空機部隊に捉えられた場合を考えると、防空機能を有する戦闘艦と艦上戦闘機も絶対に欠かせないと思います」

 粗を探そうとする柴田に対し、千早は温めておいた答えを返す。


 会議の時間は延長され、やがて両者ともに意見反論が出尽くしたところで、激論に対する各員の感想会が始まった。

「かなり、今までと勝手が変わるな」

 と渋面を作ったのは渋谷だ。

「何を迷うことがある? 被害をゼロにする。これぞ護民艦隊のあるべき姿だと俺は思うが」 

 新見は全面的な賛成の立場をとった。

「そういうわけにもいかん。砲術士の育成も高射砲専門に切り替えにゃならんし、ミヤチの提案が通れば、そもそも護衛艦は大規模な通信施設を艦内に設置せにゃならんだろうが。今まで指揮官は艦橋で指揮をとってきた。それすら、通信施設でとった方が合理的になる」

「ピケット・サークル戦術なるものが採用されれば、艦隊の在り方そのものが変わってしまうのは確かでしょうなあ」

 田村は二人とは異なり、自分の出した計画書と矛盾するところがないことを確認してか、中立の立場をとっている。

 千早の出した提案に対し、発展的な応用案を出してきたのは大井であった。


「小官は合理的で良いと考えます。というか、そもそも対潜戦闘も母艦式に切り替えてみたらどうでしょうか」

「どういうことか」

 大井の言葉に佐藤が食いつき、先を促す。

 大井は不敵な笑みをこぼしながら、指を立てて自論を語った。


「つまり、小型の駆潜艇を活用するんですよ。佐藤司令官、シローさん。北洋で良く見かけたアレです」

「あー。貴様が言っているのは、サケ・マス母船のことか?」

 その通り、と大井が指を鳴らした。


 サケ・マス母船とは北洋で一般的に見られる漁船の一つである。

 北洋ではサケ・マスをとる小型漁船と共に、これらを補助する冷蔵施設・缶詰製造設備持ちの母船や運搬船、給油船が航行しており、長期間にわたって小型船が漁場に居座ることのできる環境が整っているのだ。


「陸さんが使っているような大発動艇に爆雷を乗っけたものでも良いですし、300トン程度の小型艦でも良い。通信艦と給油艦。駆船艇の役割分担をするんです。正直、対潜戦闘は物量こそが正義だと思うんですよ」

 陸、の言葉に新見が顔をしかめた。


「大発動艇とやらでは爆雷積載能力にも防御能力にも不安がある。それならば、精鋭小型艦と給油艦の組み合わせが妥当だと俺は思うが」

 新見の言葉に、大井が苦笑いを浮かべた。

 最近は新見と接する機会が増えているようで、彼の内心が手に取るように分かったのかもしれない。


 こうして話題は駆潜艇や補助母艦、航空母艦そのものへと切り替わる。

 艦の設計に関して、深く切り込んだ発言をしたのは参謀補の石井長利であった。


「恐らく、復元性が問題になると思います」

「それはトップヘビーとやらの。昨年の、"友鶴事件"を言っておるのか?」

 友鶴事件とは昨年の三月に起きた水雷艇の転覆事件のことである。

 この事件の背景には軍縮条約による大型艦の不足があり、海軍が不足を補うために小型艦艇に重武装を施した結果、トップヘビー――、つまり重心の上昇が起きて"友鶴"なる小型水雷艇が転覆。多数の死者を出してしまったのだ。

 設計責任者の藤本喜久雄少将が軍を追われたことが、総隊にまで噂として伝わっていた。

 佐藤の質問に石井が答える。


「復元力というのは大型船ほど強く持っていて、小型船ほど波に弱いです。通商護衛は今のところ北洋に限られていますが、波の高い荒海で小型艦を運用するのは不安が残ります」

「つまり、設計段階で復元力を強く意識せんといけないわけか。しかし、今の艦政本部には技術士官がおらんぞ」

 腕組みをして呻く佐藤に、石井は更に続けた。


「軍を出た藤本少将を、何とか総隊に呼ぶことはできませんか」

「何を言っておるんだ。彼は"友鶴事件"の責任者じゃないか!」

 佐藤が目を丸くする。

 石井は何と説明したものか分かりかねたのか、頭を掻いて明後日へと目をそらした。


「いや、私も詳しくは分からないのですが……。自分の親戚に石井利雄いしいとしおっていう、来年神戸の商船学校を卒業する奴がおりまして、復元力と"被害管理"の研究なら藤本造船少将の右に出る者はいないって言うんですよ」

「復元力は分かるが、"被害管理"とは何か」

「確か、船内外の火災や破損に対しての処置法のことです」

「そんな研究があるんですか?」

 これには千早と、"鳳翔"の元乗組員が食いついた。

 "鳳翔"は、たった一発の魚雷を受けて爆炎を巻き上げながら海中へと没してしまったのだ。

 あのような悲劇を決して繰り返すことのない、戦友が安心して命を預けることのできる艦が造れるというのならば、藤本なる人物を何としてでも総隊へ引っ張って来なくてはならない。

 そう言って目を見開く千早たちとは異なり、佐藤の興味は石井の親戚へと移っていった。


「その利雄君の目は確かなのか?」

「少なくとも私よりは機関科・造船に通じています。予備生として海軍砲術学校も出ましたし、航空知識も豊富で、商船学校でも毎年主席をとっている麒麟児ですよ」

「むしろ、その利雄君に来てもらう訳にはいかんものかな」

 身を乗り出して佐藤が言う。

 佐藤は経験や情報に基づいて持論を修正する柔軟性を持ち合わせはいたが、根っこの部分では保守的であった。

 どうにも事務方の現状を気にかけつつも、事故を起こした責任者を迎え入れることに抵抗があるらしい。


「それは勿論、来ると思います。私も誘いましたから。ただその際に指導者がいたら良いなあと思いまして」

「次世代の育成に、か」

 佐藤はそう呟くと、谷口へと声をかけた。


「本部長、小官は藤本造船少将の招聘に賛成したく思う」

「フム」

 谷口はゆっくりと考え込むように手を口元に当て、


「あい分かり申した。善は急げとも言いますし、取り急ぎ藤本少将と連絡を取りましょう」

 との結論を下した。

 こうして即日藤本の生家へ人を出したところで、日頃の心労と不摂生から健康を著しく害していることが判明し、急きょ医者を寄こすことになったわけだ。




「……我々の艦、な」

 藤本は千早の言葉を聞いて、冷笑を浮かべた。


「ほんなもん、軍艦を自前で用意できんかったさけ、仕方なしに俺を頼ったんやろ」

「違います」

 彼の藤本の不貞腐れた物言いに、千早は断じて違うときっぱり答える。


「どう違うんが」

 千早は目を閉じ、理想の艦を思い浮かべる。


「しぶとい、艦が欲しいんです」

「……しぶとい?」

 怪訝そうな顔をする藤本に対し、千早は俯き更に続ける。


「不意の荒波や攻撃を受けることがあっても、乗組員を無事に陸まで送り届けてくれるような……、そんな艦が欲しいんです」

 藤本の憎まれ口は返って来なかった。

 隈の目立つ両目を白黒させて、黙り込んでしまっている。 


「――ほんなら、武装は。攻撃能力はどうするんや」

 しばらくして、問いかけてきた藤本の声は少し震えていた。

「二の次で良いです。まず優先させるべきは生存能力。護民艦隊は、敵の矢面に立つ艦隊じゃないんです」

 再び藤本の口が閉ざされる。

 何時まで経っても色好い返事をしようとしない藤本に業を煮やしたのか、堀が呆れ声で横やりを入れる。


「貴様も、何時までもくすぶっているわけにはいかんだろうが。折角貴様を必要としてくれる連中が現れたのだから、力を貸してみたらどうか」

 それでも藤本は答えようとしない。

 一升瓶を手繰り寄せ、後生大事に抱え込んでは俯いてしまう。


「……貴様なあ」

「……申し訳ないとは思っているんや」

 ようやくぽつりとこぼしたその言葉は、何者かへ向けての謝罪であった。


「いくら俺のせいやない思っても、"友鶴"の転覆を防げなかったんは、結局俺の器量が足りんかったからに違いない。平賀さんの言う通り、上が無理を言うても『それは譲れん』と我を通していれば、あんなことにはならんかったんやが。俺は、事故で死んじまった奴らに申し訳ないと思ってる」

 平賀とは藤本の師匠筋に当たる人物であった。

 海軍の艦政本部と折り合いが悪く、予備役へと追いやられていたのだが、"友鶴事件"をきっかけに軍へと復帰していると聞く。

 千早は藤本の葛藤を受けて、思考を深く沈みこませていった。


 軍が技術士官に過大な要求を課すことは、圧倒的な工業技術力を持つ米国を仮想敵国にしているがゆえだ。

 これに対して、護民総隊は明確な仮想敵を定めているわけではなく、ピケット・サークル戦術を当面の艦隊運用方針とする以上、過度な要求を技術士官に課す必要がない。


「……譲れない部分があれば、そこは我々が折れますから。どうか、総隊に来てはくれませんか?」

 藤本が顔をあげた。

「ほんまか、それ」

 藤本の懇願するような問いに、千早は一拍置いて答える。


「何かあれば、小官が上を説得して周ります。小官では力不足に感じるかもしれませんが……、とにかく藤本さんが必要なんです」

「……ほうか」

 藤本は再び黙ってしまった。

 長らく窓を開けっ放しにしていたためか、既に室内の酒気は外へと追い出されてしまっている。

 ひんやりとした部屋に西日が差し込んだ。

 もうすぐ夕餉の時間なのだろう。

 釜で炊いた飯の香りが室内に迷い込む頃合いになり、藤本はようやく膝をゆっくりと上げた。


「……もう一度、やらせてもらえますか。艦造り」

 千早は笑みを綻ばせて、これに返した。


「良かった。仕事、たくさん待っていますよ」

 藤本はそれを聞いて、「大変そうだ」と苦笑いした。


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