1934年9月 占守海峡にて(1)
吐き気を催す疲労困憊の中、千早は"秋津"一等船室のベッドにどさりと倒れこむ。
順風の波揺れすら、今は忌まわしい。
"竜宮"の吊床が恋しく感じられたが、今はとにかく身体を休めることが先決であった。
何せ千早たち護民艦隊航空機部隊は、今日の日暮れ時に熾烈な航空戦をくぐり抜けたばかりなのだ。
仰向けに寝転がり両のまぶたを腕で覆うと、戦場の空模様が浮かび上がってくる。
夏の蚊柱を彷彿させる、大乱戦であった。
敵は例のガル翼機――、総司令部からの情報によればカモメ型戦闘機というらしい――、が40弱。大編隊と呼んで差し支えない戦力である。
北からやってきたことを考えれば、恐らくは現在の最前線であるカムチャッカの対岸都市、マガダンより飛来してきたのだろう。
これに対し、護民艦隊は九〇式二号水偵30機と"海猫"5機、マッキ5機の計40機で迎え撃った。
上空を取ったチャイカに対し、九〇式二号水偵が必死に追いすがっていく。
水偵は580馬力の最高時速230km程度。複葉といえども"海猫"やマッキと同格のエンジンを積んでいるであろうチャイカを相手取るには荷が重い。
そのため、護民艦隊航空部隊は新知の焼き直しのような苦戦を強いられることになり、護衛船舶への被害こそなかったものの、敵機の被害が5機に対し、こちらの被害が10機と大損害を被ることになった。
これは千早にとっても痛恨の結果だ。戦闘中、味方を助ける余裕がなかった。
まぶたを覆う腕に、拳に自然と力が籠っていく。
疲れてはいるが、どうにも眠れそうにない。
すべては、あの"赤色"の奮闘によるものであった。
"赤色"は、信じがたいことに、更なる新型機に乗り換えていたのだ。
「あいつ……」
寸詰まりなフォルムをした単葉の低翼機であった。
その胴体は"海猫"より大分小さく、その主翼は機体に比して分厚く大きい。
驚くべきことに、機体の下部にはあるべき"主脚"が存在しなかった。恐らくは離陸後に機体の内側へ格納しているのだ。
機体を離陸させるために必要なフロートや主脚といった降着装置は、ひとたび空へ上がってしまえば空気抵抗を増やすだけの無用の長物と化してしまう。
"赤色"の駆る新型はこの航空力学上の問題点を解決した画期的な戦闘機であった。
達人の放つ太刀筋の如くして風を切り裂くあの速度……、最高時速が400km、いや450kmは出ているかもしれない。
そうなると、最高時速が350kmを超える新鋭の海護型2種でも追いつけず、後手に回ったいたちごっこに終止する以外、手がなくなってしまう。
上昇速度、降下速度のいずれも敵が上回っている中で、唯一勝っている部分はマッキの運動性能のみであった。
単騎では分が悪いと判断した生田の提案により、二人がかりで相対してもみたが、それでも敵の注意をこちらに向けさせるだけで精一杯という体たらくだ。
――全く歯が立たなかった。
どう工夫しても勝ち筋が見えず、さながら天に唾するかのような心地すら抱いてしまう。
「宮本さん、まだ起きておられますか……、ってもう仮眠とってんのかな」
まぶたから"赤色"が離れず寝付けないところに、ふと扉がノックされた。
声の主は空で共に機首を並べている陸軍の青年だ。
千早はむくりと上体を起こし、扉へ向かって声をかけた。
「……いや、まだ寝ていませんよ。待っていてください。今開けます」
ふらつきながら扉へと向かい、青年を出迎える。
青年は煎餅や豆菓子の入った盆とガラス瓶を持参していた。
千早は目を丸くして言う。
「篠原さん、それは」
「陸からの差し入れであります。疲れていると思いましたから。加藤隊長も直にいらっしゃると思いますよ。口惜しい話じゃあるんですが、今日も皆さんには助けられましたからね」
篠原弘道陸軍一等兵。今年所沢の陸軍飛行学校を卒業したばかりの新米航空兵である。
新米ではあるが、千早の部下である藤田信雄三等水兵と比べても劣らぬ働きを見せており、今月に入ってからの実戦で既に敵機を2機撃墜するという大活躍をしてみせていた。
彼の上司、加藤建夫陸軍中尉の腕前も尋常でなく、恐らくは生田に比肩するであろうと千早は見ている。
背中を任せるに値する戦友たちであった。
「サイダーですか」
「日本郵船の奴らが持ちこんだものでありますよ。"空の神様"にお供えすると言ったら、喜んで譲ってくれました」
その軽口に、千早もつられて笑ってしまう。
流石に2か月も共に過ごせば、彼らからの"神様"扱いもすっかり慣れてしまった。
輸送船の護衛任務は失敗の許されぬ、常に気を張る過酷な任務だ。
それこそ軽口でも叩いていなければやっていられない。
例え、実際は力不足でも彼らの気休めになっているのならば何よりであった。
「助かります。ちょっと酒を呑む気分じゃなくて……」
篠原を部屋に迎え入れ、ソファに座る。
"秋津"は元々客船であったらしく、内部構造のあちらこちらにその名残が窺えた。
千早は手刀を切って篠原より瓶を受け取ると、冷えたサイダーをごくりと喉に流し込む。
炭酸の刺激が喉に心地よい。
腕で口を拭っていると、からかうような目で篠原が問いかけてきた。
「体調、大丈夫ですか? ひどい顔しておりますよ」
「分かりますか」
様々なことが重なって、ここしばらくはまともに寝つけていないのだ。
恐らくは目の周りもひどいことになっているだろう。
「そりゃあ、まあ……。理由はあの"化け物エース"でありましょう。陸の中にも、赤い飛行機見ただけで震え上がる奴がいますから。あー、今日から自分も仲間入りです」
と、篠原はわざとらしく身震いをして見せる。
彼は今日の戦いで、あわや"赤色"からの一撃を受けるところだったのだ。顔に出ていない所を見るに、人よりも肝が据わっていることは確かであろう。
「まあ、それもあるんですが……」
それ以上に千早の心を沈ませる種が他にあった。
「他にも何か?」
「沿海州へ向かった戦友たちの安否が」
「あー……」
8月上旬、千早は沿海州方面の速報によって"鳳翔"の爆沈と"加賀"の大破を知るところとなった。
千早直属の上司であった所茂八郎海軍大尉を初めとする搭乗員の安否は現在に至るまで全くの不明だ。
恩顧、旧知の間柄が生きているのかも、死んでいるのかも分からない。
もう1月も経っているというのに、じくじくとした胸の痛みは収まる気配がなかった。
「手ひどくやられたと聞きました。夜襲でありましたか」
「潜水艦による奇襲だと聞きました」
7月の初めごろに開かれた日ソの戦端は、沿海州のウラジオストク沖にて口火が切られた。
戦闘詳報によれば、7月8日の0500時、当初ウラジオストク沖にはオルフェイ級が2隻停泊するのみであったという。
帝国海軍第1遣外艦隊は濃霧の中、敵駆逐艦と沿岸の砲台を攻撃できる位置にまで侵入し、一斉に攻撃を仕掛けたそうだ。
"平戸"や"天龍"の主砲は50口径の14サンチ砲。
これは超弩級戦艦の副砲に匹敵する火力投射能力があり、直撃すれば1000トン級の駆逐艦など一撃で大破させることが可能である。
海軍の錬度は流石なもので、初弾にて停泊中の2隻を爆沈、沿岸の砲台2基を破壊することに成功した。
1300時、ソビエト航空戦力による反撃が始まる。
敵は爆装したチャイカ戦闘機15機で、"加賀"率いる第一航空戦隊はこれを三式艦戦46機で迎え撃った。
性能差はあれども、技量と物量では大幅に勝っている。
一航戦の航空機部隊は2対1で敵と相対する戦い方でチャイカの突撃を全て捌くことに成功し、遠征部隊を守りきってみせた。
誰が見ても文句のない勝ち戦である。
だが、問題はここからであった。
7月9日0330時、ウラジオストク沿岸部を制圧した遠征部隊が沖合いに艦隊を停泊させていたところ、潜水艦による奇襲攻撃を受けたのだ。
潜水艦1隻の放った魚雷5本の内、2本が"加賀"に触雷し、1本が"龍驤"にかすったものの不発、1本が"鳳翔"に直撃した。
元は巡洋艦として設計された"加賀"と比べ、本格的な航空機母艦として設計された"鳳翔"、"龍驤"は外部からの火力投射に弱い。
更に航空ガソリンをドラム缶に積み込んでいたことが仇となったようで、"鳳翔"の艦体は瞬く間に炎上。
夜だというのに昼間のごとき明るさで辺りを照らしたという。
「聞いた限りではすこぶる正確に航空機母艦のみを狙い撃っているよう思えます。ソビエトの潜水艦とやらはそれほど高性能なのですか?」
篠原の疑問は尤もなものであった。
夜間攻撃は、昼間の砲撃とは訳が違う。
無差別攻撃ならば、聴音機に頼りきりでも事が足りるかもしれないが、探照灯もない状態で艦種を正確に区別するとなると非常に高い暗視能力が要求されることだろう。
あるいは、事前に入手していた情報の密度次第では可能になるやも知れない。
「恐らくは先発の航空機部隊が偵察任務を兼ねていたのだと思います。位置情報が分かっていれば、あながち不可能な話ではないですから」
千早の推察に成る程と頷く篠原。
「自分は不勉強で航空のことしか分かりませんが、確かに相手の位置が分かっていれば攻撃も容易そうです。情報で、敵に負けていたのですな」
「はい。ただ、敵の技量も侮れません。魚雷というのは他の兵器と勝手が違うので……」
魚雷攻撃は大砲の弾と比べて足が遅い。
敵に着弾するまでに数分のタイムラグがあるため、回避も比較的容易だ。
魚雷の発射指揮官――、水雷士は時計の秒針を睨みつけながら、高度な見越し射撃能力を要求される。
そんな難しい作業を、こちらが夜間に機関出力を落としている状態とはいえ、3隻を見事に狙い撃ったのだ。
敵搭乗員の能力は、帝国海軍の錬度と比べても全く劣ることはないだろう。
「それだけじゃ、ああはならんと思うけどね」
と、扉の方から声が降ってくる。
口上に細い髭を生やした、ぎょろ目の男。加藤建夫陸軍中尉であった。
「遅いっすよ。中尉」
口を尖らせる篠原に対し、加藤は眉をしかめて言い返す。
「阿呆。俺ぁ、貴様と違って仕事があんのです。事務が多けりゃ、当然こうなんの」
加藤の言葉に篠原は舌を出して、「ケツで椅子を温めるくらいなら、出世はしたくねえや」と毒づいた。
「それで、ああはならんってどういうことですか?」
どっかと千早たちの横に座り込んだ加藤に篠原が問う。
すると加藤が肩をすくめ、言った。
「海軍さんだって無能じゃねえってことさ。詳報にある動きを見る限りは敵の接近自体にゃ気がついていたらしい。それでも被害が出たのは、まんまと"釣り野伏せ"に引っかかっちまったからだね」
そうだろう? と水を向けてくる加藤に対し、千早は俯きがちに肯定する。
「……敵は2隻いたんです。接近してきた1隻を迎え撃とうと出撃した駆逐艦隊の穴を穿つように、もう1隻が奇襲を仕掛けてきました。輪形陣が崩れてなければ、ここまで航空母艦にだけ被害が出ることはなかったはずです」
夜間に潜水艦と戦うには、必ず2隻以上で相対する必要がある。
水中聴音機はあくまでも敵のやってくる方向を絞るものであるからだ。
離れた2隻が敵艦の方向を探れば、三角測量で敵位置を割り出すことができる。
この精度は聴音機が増えるほどに増していくため、海軍は確実に敵を沈めようとして、足の速い艦複数隻を動員。そして、その裏をかかれた。
「……おっかないんですね、潜水艦って」
篠原がしみじみと呟いた。
彼の言葉に千早たちも首肯する。
「寡兵で戦況をひっくり返しかねない破壊力を秘めてるって点じゃ、陸の迫撃砲に似たようなとこがあるね。んで、敵さんはそんな切り札を活用できるオツムを持ってると」
「活用ですか」
おうむ返しを続ける篠原を加藤は半眼でねめつけると、
「陸軍士官学校出てなくとも、これくらいは思いつけるよう勉強しとけよ……。つまりは、"何のために航空戦力を狙って潰したのか?"ってことさ」
篠原の「アッ」という声があがった。
「そうか、空から爆弾攻撃し放題なのか」
「その通り。実際、海軍の艦隊は既にウラジオストクから退いてるでしょ。今は足の速い船だけで近海の潜水艦を掃討しているそうだが、要するに掃討が完全に終わるまでは陸との連携が崩されたわけだね。満州・朝鮮経由で補給ができるとはいえ、相手の将軍は相当に采配が上手いよ」
加藤の言う通り、沿海州での戦いは潜水艦の奇襲攻撃によって当初の予定が根幹から狂ってしまっていた。
本来ならば、海軍による支援砲火と兵站を受けながら、陸軍が沿海州のソビエト極東軍を北へ追い出す手はずになっていたのだ。
それが今や純然たる陸対陸の正面対決になってしまっている。
当然味方の被害もこれから加速度的に拡大していくことだろう。
「んでこれは他人事じゃない。敵さんはこっちも……、いやこっちが本命なんだろうしなあ」
喉元に短刀を突き付けられたかのような心地がした。
沿海州での戦いぶりを見る限り、敵がこちらの補給線を遮断せんと動いていることは明らかだ。
陸路が繋がっている沿海州と、海によって隔てられているカムチャッカ。どちらの遮断を優先すべきなのかは子どもでも分かる理屈だろう。
現に護民艦隊はカムチャッカへ向かう護衛任務を2度果たす中で、1度だけソビエトの潜水艦と接触していた。
その時は航空機による早期哨戒が功を奏し、うまく敵艦1隻を沈めることができたのだが、勝利の女神が何度もこちらに微笑むとは限らない。
「何時落ち着くんでしょうね、この輸送。米と弾を運んで国へ帰って。米と弾を運んで国へ帰って……」
きりがありませんや、と篠原が肩を落とす。
「そりゃあ、戦が終わるまででしょ」
加藤の言葉を受けて、千早は頭でそろばんを弾いた。
現在、カムチャッカ半島には陸軍2万と反乱軍2000が留まり、ソビエト軍1万を相手に攻勢を仕掛けている。
友軍1人が近代戦闘に参加するために必要な補給物資を1日6.75kgとすると、全体で1日148.5トン。
1か月で4455トンの補給物資が必要になる。
補給物資は人体でいうところの血液だ。
これを欠かしてしまえば、全体が機能不全を起こして崩壊してしまう。
更に、解放した集落に供給する食料の問題もあった。
どうやら地元の慰撫のため、現地ではかなりの大盤振る舞いをしているらしい。
飢餓状態にあったカムチャッカの民衆は、気前の良い解放軍に好意的な感情を向けているそうだが、輸送する側に立ってみればたまらない話であった。
千早はこめかみを揉み上げつつ、加藤の言葉に付け加える。
「……現在の兵站は輸送船4隻にて賄われています。1隻の総積載量が大体6800トンですから、1回の輸送で約2万7000トンの補給物資を届けているのが現状です。現地の帳簿を確認したわけではないので詳しくは分かりませんが、戦時補給物資を月消費4500トン。現地住民慰撫のための配給食糧が月消費3000トン必要だと仮定して、2ヶ月で1万5000トンの補給が必要でしょう。あくまでも歩兵換算でなら、という話になりますが」
「そのあたりは兵器輸送や、機関銃分隊、砲兵隊などの補給も混じってくるから一概には言えないね」
千早は頷き、続ける。
「陸さんにおける装備更新の進捗には明るくないのですが、ここは2ヶ月で2万2000トン分の消費がされているとしましょう。単純な引き算で考えるなら……、現在のカムチャッカにおける補給状況は月ごとに5000トンの備蓄増加傾向にあります。初回の持ち込み分と合わせれば……、1ヶ月はゆとりをもって戦える程度の備蓄が現地にはあるんじゃないでしょうか」
篠原が目を見開いて、口笛を吹いた。
「計算早いなあ。兵学校出がインテリゲンチャっていうのは本当だったんですね。とりあえず、順調そうで良かった。この調子なら楽できそうじゃないですか」
「いえ、残念ながら」
気楽な篠原の物言いに、かぶりを振って続ける。
「今回と、後1回の輸送を終えたあたりで3か月は輸送の困難な状況が続くんです」
「そいつは何でですか?」
「流氷ですよ」
千早は昨年の戦いを思い出しながら、答えた。
「流氷が来ると、とくに大陸の沿岸部が分厚い氷に囲まれてしまう。カムチャッカも同様です。だから、11月から最低でも3か月は補給の出来ない状況が続くと覚悟した方が良いです」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
泡を食った篠原が口を挟む。
「それ、ぎりぎりどころか全然補給が追いついていませんよね?」
「そうですね。切り詰めて戦うか、輸送部隊の増員をかけませんと……」
加藤の苦笑いが室内に響く。
「つまりは、うちらの責任、大なりってことだね」
室内の空気がずんと重くなったように感じられた。
千早は小さくため息をつく。
「すいません。"神様"代わりが周囲をプレッシャーかけてちゃ、世話がないですね」
ぱしんと両の頬を叩き、ソファより立ち上がって二人に言う。
「加藤さん、篠原さん。差し入れありがとうございます。大分疲れも取れましたんで、自分は"海猫"の傍に控えています。夜も出番があるかもしれませんし」
「それなら、自分も準備しますよ。アンタだけに任せていちゃ、陸軍飛行隊の名折れだ」
と、篠原が続こうとするも、
「貴様は待機だよ、阿呆」
加藤が強い口調で叱りつける。
「何でですか!」
「俺たちは海上での夜間飛行なんて経験無いでしょ。無理して飛んだところで、護民艦隊さんの邪魔になるだけさ」
口の上では篠原をたしなめているものの、加藤も納得のいっていない表情をしていた。
飛行機乗りには、飛行機乗りにしか分からない誇りがある。
恐らく、北洋での夜間飛行経験が少しでもあれば、意気揚々と千早に続いていたのかもしれない。
千早は笑って、二人に言った。
「夜が明けてからは頼みます」
二人は黙って頷いた。
それから数時間後。
艦隊の外側を微速にて航行中の"山彦"より電信が届けられた。
水中聴音機のレシーバーが2軸スクリューらしき稼働音を拾い取ったのだ。
昨今の軍用艦は速力の関係から基本2軸スクリューを採用している。
近辺の海域に味方が航行しているとの情報はない。
ソビエトの潜水艦が、こちらの輸送船を食らわんと息を殺してやってきたのである。
すぐさま"秋津"にも水上機の発艦後、魚雷回避運動――、通称"之字運動"と呼ばれるジグザグの航行が命じられた。
千早は"海猫"に乗りこむと目を閉じて、発進の時を待つ。
"海猫"は日中の戦闘で酷使したため、機関の調子が良くないようであった。
こうなると、十全に整備をしてくれるあのイタリア人女性がこの場にいないことを口惜しく思ってしまう。
「それでも、やらなくちゃなあ」
と自分に言い聞かせるようにして、独り言を呟く。
潜水艦を野放しにはしておけない。
"鳳翔"の仲間たちの姿が、ふとまぶたに浮かびあがってきた。
デリックによって降された機体が、夜のオホーツクに着水する。
月は半月を形作っており、明かりの乏しい空模様であった。
千早は目を細め、スロットルを開けていく。
加速が十分に乗った後、千早の駆る"海猫"は夜空へと飛び上がった。




