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1933年11月 中千島、新知島にて(4)

 西日が水平線に沈みつつある中、流氷と流氷の合間に何本もの水柱が立つ。

 陸の輸送船団を掩護するため南西へと進路を取っていた護民艦隊は、ソビエト艦隊を相手取った命がけの遅滞戦術をとっていた。


左舷ひだりげん前方、2000メートルに巨大な流氷ッ」

「機関微速前進。進路方向、面舵おもかじいっぱい。敵艦へのけん制射撃も忘れるなよ」

面舵いっぱいハード・ア・スタァボードッ!」

 エンジンテレグラフがジリリとひっきりなしに命令を伝え、"浦島"が右へ左へと蛇行する。

 右に揺れ、左に揺れ、至近弾に肝を冷やし、部下たちを叱咤する。

 一手誤れば即座に命を失ってしまう局面だというのに、新見は内心興奮を隠せなかった。

 それは部下たちの奮戦によるものだ。


 この急ごしらえの軍民混成部隊は、砲術に関しては大いに反省の余地があるものの、その他の動きは生え抜きの士官・水兵と比べても全く遜色がない。

 あのバルチックの生き残り相手に、見事な殿しんがりをこなしてみせているのだ。


 ――兵学校出が何だ。商船出が何だ。士官だから何だ。

 そんな出自・階級の別なく新見は今、運命を共にしている戦友たちにただならぬ愛着を持ち始めていた。

 この心境の変化は、新見だけに起こっているわけではない。


「良いぞっ! 吉野君、見張り員に更なる心眼を心がけよと伝えよッ」

 顔を赤くし、口から泡を飛ばす司令官の佐藤も商船出の副官や水兵たちの奮戦に惜しみないねぎらいを与えている。

 仕込まれた上下関係だけでは到底生まれ得ぬ団結力が、この艦隊に生まれつつあった。


「流氷抜けました。距離4000までは正面を行けます」

「機関全速前進、図体のでかい駆逐艦なぞ引き離してしまえ!」

「宜候ッ」

 グンと加速を感じる中、新見は見張り員の報告を待ちきれずに艦橋の後ろへと張り付く。

 "竜宮"のさらに後方、9000メートル。ソビエト艦隊は数多の流氷に対処しきれず、自慢の速度を発揮しきれずにいた。


「敵艦隊との距離、離れていきますッ」

「うむっ」

 これは別段ソビエトの練度が低いわけではない。護民設計艦と駆逐艦の大きさの違いが問題なのだ。

 こちらの護民設計艦に比べ、あちらのオルフェイ級はおおよそ2倍の大きさをもつ。

 その大きさゆえ、艦体にダメージを与えかねない程の厚みを持った流氷を回避するために、こちらより余計な手間をかける必要がある。

 これが速力で勝りつつも護民艦隊に接近できぬ理由の一つになっていた。

 さらに、二つ目の理由が決定的だ。


「司令官、敵ながら天晴れと言わざるを得ませんね」

 新見はもう一つの理由――、先ほどまで炎上していた駆逐艦へと目を向け、感嘆した。

 どうやら運良く鎮火に成功したようで、艦隊の最後尾を航行している。

 もし、敵の司令官が勝利のみを求める手合いであったのならば、護民艦隊が南西へと退き始めた瞬間、被害艦を切り捨て全速で追跡行動を取ったはずだ。

 最初は駆逐艦と哨戒艇では火力投射量に大きな差があるため、火力投射量を惜しんでの選択かとも思ったのだが、旗艦らしき一隻が被害艦をの負担を減らすため、自ら先頭にて流氷の観測をかって出ている様を見て考えを改めた。

 あれは相当な仁将が率いている。間違いない。


「それも当然あるだろうが……」

 だが、佐藤には他にも何か引っかかるものがあったようで、新見に返す言葉を濁した。

「結局のところ、被害艦をカムチャッカに退避させん理由がようとして分からぬ。名将ほど無謀と勇猛の線引きを弁えておるものだ」

「それは……、独航での帰還に不安が残る、ないしは我が艦隊との戦力比を考慮してのことではありませんか?」

「うむ、そのような消極的理由も十分にありえる。だが、新見君の言った考えの他にもいくつかの線が挙げられるのだ」

 佐藤は自分の考えをまとめるように、ぽつりぽつりと言葉を漏らしていく。


「例えば、我が艦隊に遅滞戦術を強いること自体が目的の可能性。敵の伏兵が行く先に控えていた場合、輸送船団はひとたまりもない」

「我らの茶々入れを防ぐために、敢えて戦力を維持して足止めをしていると?」

 確かにありえそうな話ではある。

 彼らの目標が輸送船団であった場合、無理に被害を増やして護民艦隊と対決する必要はない。伏兵さえいれば、足を引っ張るだけで十分に役割を果たせるのだ。


「まあ、この線は恐らくありえまい。陸軍の動きをどれだけ早く察知していたとしても、あの時化や流氷の中で十分な伏兵を配置することは不可能だ。輸送船団を叩くならば、最低でも小規模艦隊が要る。そんな艦隊の目撃情報は今までになかった」

「確かに……」

 少なくとも北海道沿岸から千島列島周辺海域に、身元不明の船舶情報はもたらされていなかった。


「……と、なると理由は戦場にないのやもしれん」

「どういうことですか」

 新見が問うと、佐藤は忌々しげに鼻を鳴らした。

「"政治"が絡んでおるということだ。奴らに帰る場所がないのならば、戦場に踏みとどまって戦うしかない」

「彼らは、何者かに見張られている立場である、と」

 新見の胸の内にたまらぬ不快感がこみ上げてくる。

 あの仲間を見捨てぬ勇敢なる艦隊が、母国で捨て駒扱いをされている可能性があるだなどと、考えただけで胸くその悪い話であった。

 兵士は戦術的・戦略的勝利を勝ち取る為のこまであるが、決していたずらに捨てて良いものではない。

 軍の内側で研究に精を出していた頃には全く知る由もなかった政治の臭みを強く感じる。


「……我々も似たようなものですな」

「現場で戦う名将精兵は、何時だって全力を尽くしている。その足下をすくっていくのが天候・士気・突発的な事故をはじめとする"摩擦"と呼ばれる事象なのだ。政治は、その内で最も唾棄すべきものだな。わしも、此度こたびの件でよくよく分かったわ」

 共感よりも恐怖が勝った。

 自分たちは海軍に失態を望まれ、敵である彼らは何らかの政治的・戦略的目標を達成するため、捨て駒としてこの北洋に投入されている可能性がある。

 たとえ今を生き残れたとして、自分たちや彼らが次も生き残れる保証はあるのか。

 負けろよ死ねよと背中を蹴飛ばされ、果たして仲間たちを守りきることができるのだろうか。


「新見君、これは帰ってからの課題としよう。今は――」

 佐藤が艦の進行方向へと注意を促す。

 いくつもの流氷を越えた先に、炎上した輸送船が必死に浮かぶ姿が見えた。

「目の前の目標を達成することこそが……、軍人の本懐である」

 夜の帳がすぐそこまでやってきている。

 暗くなった北洋の海面と、不気味なほど青白い流氷に囲まれた輸送船から立ち上る炎は、まるで命そのものを燃やしているかのようだと感じられた。




 かくして護民艦隊とソビエト艦隊は国後くなしり島と択捉島を隔てる水道において盛大な砲戦を開始することになった。

 幸か不幸か海域を囲む流氷の内側を航行したため、流氷の外側に立ち往生する輸送船団とは流氷を挟んで8000メートルの距離がある。

 これならば、肉薄さえさせなければ護衛対象を守りきれる算が高い。

 先行していた敵味方の航空機は既に上空を去っていた。

 輸送船団が全滅していないところを見るに、恐らくは味方部隊が撃退したのだろう。その味方はと言うと、燃料の節約からか島の入り江に着水しているようであった。

 となれば、後は純然たる艦隊戦によって敵艦隊を撃退できれば、戦術目標を達成できるという理屈になる。

 戦いの終わりは近い――、そう断言しても過言ではないだろう。


「艦隊回頭。面舵一杯、丁字にて右砲戦」

面舵一杯ハード・ア・スタァボード!」

 佐藤の指揮により、護民艦隊は一斉に転舵。

 これにより側面を向けたこちらと正面を向いた敵艦隊が撃ち合う、丁字有利の形になった。

 歯を食いしばりながら新見が見守る中、艦載砲から次々に砲弾が放たれて、こちらへと直進する敵旗艦へと向かっていく。


 敵は回避行動を取らなかった。

 すぐ傍らに水柱が立つも、なおも速度を緩めない。

 至近弾2、遠弾1。狭叉であり、次は当たる。

 いや、敵旗艦の速力が速い。

 佐藤は両の眼を見開いて、鋭い声で指揮を飛ばした。

「更に面舵、反航にて突撃する。この期の上は、速力と気力によって敵を打倒せん」

「宜候ッ」

 護民艦隊と敵艦隊が斜めにすれ違う形になった。

 距離を詰める度に、互いの間を砲弾の雨が飛び交う。

 両者の距離、7000メートル。6000メートル。5000メートル……。

 4000メートルまで肉薄したところで、両艦隊が反航で並ぶ。


「右砲戦、艦載砲、機銃発砲用意!」

 更なる発砲開始を知らせるブザーが艦内に響き渡り、艦が揺れ、硝煙が吐き出された。

 十秒の後、敵味方共に命中弾。

 尋常でない衝撃に新見は頭をしたたかに打ってしまう。


「被害報告ッ」

 ふらつく頭を押さえながら、新見は怒鳴るようにして現状の把握に努めた。

「機関破損。ボイラーのナットが弾け飛び、蒸気漏れを起こしているとのことです! 機関士に負傷者多数ッ」

「総員で蒸気漏れを防げ、速力を落とすな!」

 更に命中弾が艦を揺らす。

 こちらの攻撃にも有効弾が混じっていたようで、敵の哨戒艇1隻が、艦尾から海中へと没していく。厄介な敵駆逐艦は"竜宮"と砲撃戦を繰り広げていた。

 細やかな操艦が敵の砲弾を至近弾に留め、致命傷を防いでいる。

 鉄と炸薬の塊が飛び交う中で、"竜宮"の佇まいはまこと威風堂々としたものであった。

 門数で圧倒されながらも、"竜宮"の砲撃は狙いどころが良い。

 砲術は頭の回転と、独特の勘が必要になる。指揮官か砲術士に逸材がいると見て間違いないだろう。


金鵄勲章きんしくんしょうものの働きですな、司令官――」

 と佐藤に語りかけようとしたその時、血の臭いを強く感じた。

 自らの頭から血で垂れたのかとも思ったが、違う。

 臭いは新見の傍ら、先ほどまで佐藤が立っていた場所から漂ってきていた。

 ひやりとしたものを感じ、そちらへと振り向く。

 佐藤は、計器にもたれるようにして力なく崩れ落ちていた。


「司令官!」

 慌てて駆け寄り、抱き起こす。

 複数個所の裂傷だけでなく、腕も折っているようであった。衛生兵を呼ぼうとするが、それは佐藤に手で制される。

「……大事ない。艦隊の指揮を続けよ」

 息は荒いが、その顔つきは戦意に満ちていた。

 佐藤を楽な体勢にし、その前で新見は軍帽をかぶり直す。

 敢闘精神には挙手礼でもって応えねばならない。

「指揮権、お預かりします。総員、ここが踏ん張りどころだぞ!」


 やがて、敵味方が完全にすれ違ったところで再び回頭を開始し、反航戦に膠着する。

 まるで野生の獣が取っ組み合うようにして、緩やかな旋回機動を繰り返し、両者の被害が増していった。

 当初は火力投射量に雲泥の差が出ると思われていた砲戦であったが、結果としては驚くほどに拮抗している。

 恐らくは航空機による先制打撃が後を引いているのだ。

 その証拠とばかりに先の被害艦は艦載砲に異常が生じているようで、精彩がない。

 無理筋に思われた護民艦隊の初陣に、勝利と言う名の光が差し込む。

 その後押しをしたのは、"護衛対象"によるまさかの援護射撃であった。


 両者の間に、遠弾ではあったが複数の水柱が同時に打ち立てられる。

「今のは何だ! 敵の増援かッ」

「いえ、あれは……、6時の方向! 輸送船団からの砲撃ですッ!」

 馬鹿な、と新見は後方へと目を走らせた。

 今日び、艦載砲をつけた民間船舶などあるわけがない。当然、8000メートルの距離を挟んでこちらへ援護をする手立てなどありはしないはずなのだ。

 だとすれば一体――。

 新見は後方の窓へ張り付き、手持ちの双眼鏡を覗きこんだ。


「あれは……」

 被害のない輸送船の甲板にもくもくと硝煙が立ち上っていた。

 その中に、5つもの砲身が見え隠れしている。

 車輪のついた細身の大砲――、それは陸軍において三八式野砲などと呼ばれている兵器であった。

 陸軍が、輸送していた野戦砲を甲板にまで持ち出してきたのだ。


「リクサンめ、海上での弾道計算もできないというのに! だが……、助かる!」

 予想外の砲撃に、敵艦隊の足並みが崩れた。

 そこへ護民艦隊の12サンチ砲3門による一斉砲撃が交差し、敵駆逐艦の艦尾を貫いていく。

 被害艦の行き足が完全に止まった。完全大破だ。


「やったぞ、大殊勲だ! どちらの弾がやったッ」

「分かりません!」

 艦橋に歓声が沸き起こる。

 希望は士気の向上に繋がり、艦の細やかな動きにも伝染していく。

 戦に流れと言うものがあるとしたら、恐らくこの士気の変遷を言うのだろう。

 勝利の女神から見放された敵旗艦が完全沈黙に至るまで、さほど時間はかからなかった。


 味方艦隊の被害、"浦島"中破。"竜宮"小破。

 味方輸送船団の被害、1隻が大破。

 敵艦隊の被害、オルフェイ級駆逐艦2隻が大破。哨戒艇2隻が撃沈。

 課題こそ残るが、終わって見れば理想的と言えなくもない勝利であった。

 この戦訓は、生きて帰って必ずや次に活かさねばなるまい。

 ひそかに握り拳を作り、「戦闘終了」を高らかに宣言しようとしたその時、


「よ、4時の方向より雷跡ッ!」

 頭の中が白く塗りつぶされた。

 オルフェイ級は全て潰し、哨戒艇も既にいない。

 四方に敵影がないというのに、こちらへ向かって魚雷がやってくる。

 海面を走る白い筋――。

 戦艦ですら沈めかねない、一撃必殺の死神がこちらの頭を押さえるようにして迫ってきていた。


「面舵、いや取り舵急げッ」

「か、回避しきれません――ッ」

 一体、"浦島"を仕留めんとするこの魚雷は、何処からやってきたのか。

 その疑問が解決することはなかった。

 衝撃とともに悲鳴が上がり、艦が大きく跳ね上がる。

 まるで毬のように弾き飛ばされた新見は、壁に激しく打ちつけられて、敢えなく意識を手放してしまった。


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