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1933年2月 秋田県男鹿半島、護民総隊本部にて(3)

 幾度もの会議を重ねた末、1933年中にトロール改装護衛艦を3隻建造することが決定された。

 建造開始日は翌年の3月末日。雪解けを待っての工事になる。

 その間、総隊には乗るふねのない状態が続くものの、別段それで手持ち無沙汰になるわけではなかった。

 組織を円滑に運営するため、各隊員に馴染みのある海軍組織に準拠した役割が振り分けられたからだ。


 まず、護民総隊総司令部。

 これは軍令や艦政といった全ての権限を持っており、今まで曖昧に「本部」と称していたものを肉付けしたものである。外部との公的な折衝もここが原則として引き受けることになった。

 本部長は谷口尚真大将。

 次官は永野修身中将。

 参謀長に井上成美大佐。人事・行政・作戦・計画参謀を兼ねる激務部署である。

 井上としては新見政一に職分のいずれかを分掌させたかったようだが、未だ解消しない人手不足によりその願いは叶わなかったらしい。

 後方参謀コサには柴田勝次海軍大尉。

 通信参謀ツサには福永繁良海軍大尉。

 そして参謀補に石井長利(ながとし)予備少尉が任じられる。彼には陸上勤務をひとしきり学んでもらい、次の補充隊員の教育係も兼ねてもらう予定になっているという。


 次に艦政本部。

 これは造艦や各種兵装に関する研究・開発を行う部署であり、海軍の同名部署とさほど違いはない。

 本部長には田村久三海軍少佐が任じられた。これは対潜水艦知識の豊富さを買われた形になる。

 次官には小林数馬(かずま)予備少尉が任じられた。石井も機関科出身であったのだが、小林の第1回会議で見せた造艦計画への積極性が評価され、このような人員配置になったらしい。

 また、海軍における造船士官とは他の部署とは違い、帝大卒の若者が着任することになっている。

 総隊でもこの慣例を踏襲し、九州帝大に熱烈なオファーをかけていた。いずれ補充人員として大学出の秀才が着任することになるかもしれない。


 続いて、実戦部隊としては護民艦隊が編成される。

 総司令官は佐藤鉄太郎海軍中将だ。既に66歳という高齢であり階級に比して総司令官職は役不足のため、本部はあくまでも後方での任務を勧めたのだが、本人のたっての願いで現場での任務に着くことになった。

 1番艦の艦長は新見政一海軍大佐が、2番艦の艦長は渋谷紫郎海軍少佐がこれを務める。

 3番艦は予備艦とすることになった。

 当面は2艦のみで第1小隊を編成し、人員の拡充と4番艦の新造を待つ予定だ。

 1番艦には副官として吉野彰夫予備少尉が、2番艦には大井篤海軍大尉が着任する。

 これは本来大尉級の士官が行う航海参謀コサ通信参謀ツサを兼ねており、ノウハウの分からぬ吉野にとっては荷が勝ちすぎた激務であったが、新見手ずから十分な指導を施すことで耐えてもらうこととした。


 更に今次設計艦は水上機母艦としての役割も担っており、熟達した航空士も必要になってくる。

 1番艦には生田乃木次が、2番艦には千早が配属されることになった。

 生田乃木次を先任隊長セタとし、連携時には生田の指示で動くことになる。


 こうして士官の人員配置が決まったわけだが、同時に艦を動かす水兵の募集も進められた。

 艦の運用は、士官だけでは手が足りない。

 海軍ふるすでは艦を動かす人員として、砲術士、水雷士、航海士、機関士、航空士などが集められていた。

 これは護民総隊でも同じで、水雷士を除く全ての人員を集める予定である。

 基本、水兵は志願制で集めることとし、手始めに北陸・東北出身の漁師を当たることにしたようだ。

 いずれは、士官たちによる兵の調練が始まることになるだろう。



 1932年11月より艦ができあがるまでの間、千早の陸上勤務が始まった。

 海の上と違い、陸上勤務中の海軍士官には休日が比較的存在する。

 これが各鎮守府の近辺ならば、休日に仲間を連れて繁華街へと繰り出すこともできたのだが、残念ながら男鹿の周囲に繁華街はない。

 年明けの1933年。雪化粧をした門松が並ぶ三が日に、千早が宿舎にて下宿先より取り寄せた弓道の道具を手入れしていると、参謀長の井上が訪ねてきた。

「いたか、宮本。ちょっくら要人の接待に行って来い」

「へ?」

 つい間抜けな声が声が漏れてしまったが、これには釈明の余地があった。

 何せ、先だって各自の軍務分掌を固めてすぐのことなのだ。

 いきなりの領海侵犯――、規則を守らせることが仕事の総司令部がやることとして、これはいささか外聞が悪い。


「自分がでありますか?」

 要領を得ない千早の態度に、井上は眉根を寄せて口元を歪める。


「人手不足だ。それにお前の顔見知りだと聞いた。適役だろう」

「それは、まあ……。はい、了解しました。それで要人というのは一体どなたのことなのでしょうか?」

「港に行けば分かる」

 井上は不機嫌そのものであった。

 話には聞いていたが、どうやら総司令部は猫の手も借りたいほど忙しいらしい。多忙の苛立ちが彼の表情によく表れていた。

 ……これは大人しく言うことを聞いておいた方がよさそうだ。

 千早は手早く敬礼すると、苛立つ獅子の尾を避けるようにさっさと外へ逃げることにした。


「しっかし……」

 顔見知りとは、一体誰であろうか。

 頭に疑問符を浮かべながら、千早はひなびた男鹿の港へ足早に向かう。

 港には共和商事が工面した川崎財閥系の輸送船と、英国製の商船が停泊していた。

 英国船の形状は優雅な細面で、傾斜したマストや煙突がよく目立つ。

 19世紀に作られた船かもしれない。

 輸送船の方はその下で人足が目まぐるしく動き回っている。総隊本部の建築用資材や、工場設置用の資材を輸送してきたようであった。

 すると、千早の出迎えるべき客人は英国商船の方であろうか。

 傾斜マストを見上げながら客の下船を待っていると、


「あら、出迎えご苦労様」

 甲板より浮桟橋へ降りてきたのは、鮮やかな首巻きスカーフに毛皮のコート、純白のワンピースをひらひらとさせた焦げ茶髪の女性であった。

 イタリアで会った何処ぞの令嬢、シャルロッテだ。


「驚いたわ。日本って本当に寒いのね」

 白い息を吐きながら、そんなことを呟く。

 確かに同じ北緯40度線に位置するイタリアと比べ、北陸の寒さは段違いと言って良い。

 何一つ不自由なく育てられたであろう身の上には堪えるだろう。

 彼女は、共和商事の求めによって来日したらしかった。


「建物の中へ移動しますか? 共和商事の本部ならば、屋内に暖房が利いていると思いますが」

「いえ、良いわ。私、ここの景色が気に入ったもの」

 寒さに文句の一つでも言うのかと思えば、意外なことに猫のような瞳を好奇心に輝かせている。

 ロッテがじっと見つめる先には大雪嶺と化した奥羽の峰々が、まるで空に白砂利の道ができたかのように続いていた。


「気にいりましたか」

 問うてみると、ロッテは微笑む。

「ええ、とてもアジア的ね。ヨーロッパを離れた甲斐があったわ」

 言って、そのまますらりとした手を慎ましやかな胸元に当てる。

 これみよがしな仕草だ。

「私、旅中にイザベラ・バードの旅行記を読破したのよ。このスカーフも彼女の真似をしたの。分かるでしょう?」

 生憎と千早はイザベラなる人物のことを知らなかった。


「申し訳ない。その御仁についてはよく存じ上げていないのです」

「あら、不勉強ね。アジア中を旅した偉大なる女性旅行家の名前よ。覚えておきなさいな」

 後で本を貸してあげると、笑顔の花を咲かせて言うロッテ。

 これは後で感想をせがまれそうだと、内心辟易しながらも「楽しみです」と曖昧な笑みを浮かべて対応した。

 ロッテはうんうんと頷き、再び北陸の景色へと目を向けた。


「話に聞いていた通り、石造りの道路も家もないのね。とてもミスティックだわ。暖炉はないのかしら。ここの住民はどのように冬を過ごしているのかしら?」

 彼女の好奇心は止まることをしらないようだ。

 この手の人間が一度見るべきものを見定めてしまうと、それ以外は全てが路傍の石となってしまう。

 浮桟橋の後続より、視線がこちらに集まってくる。

「何とかしろよ」と彼、彼女らの眼は言いたげであった。


「ロッテ嬢、甲板に後続がつかえているのでそのくらいに……」

 促しつつも甲板へと目をやると、明らかに水夫ではない西洋人が何人も乗り込んでいるのが認められた。

 共和商事が招へいした技術者に、ライセンスを勝ち取った海外企業の従業員たちだ。

 彼らとは、これから同じ釜の飯を食らう同志になる。


「チハヤ、久しぶりね!」

 その中にはポーランド人技術者のユーリに、女性エンジニアのアニー、それと直接話をしたことはないがマリオという男性もいた。

 地中海で人生を過ごしたアニーとマリオに北陸の景色はやはり珍しく映るようだ。

 彼女らの顔は、ロッテと同じく雪が降った後の子犬のようになってしまっている。

 ロッテは赤毛と手を元気よく振り回している後続の存在を思い出すと、


「あら、そうね。丁度良いから、共和商事本部へと案内してくださいな。私、かの商会の社長と面合わせしなければならないの」

 言って、手をすっと差し出してきた。

 エスコートしろ、ということだろうか。

 どうにも彼女と会話していると、その舵取りを握られてしまう感がある。

「……元よりそのつもりです」

 男女席を同じうせずとして育てられてきた日本男児が一体何をほざくのか。

 千早は内心ため息をつきながら、それでも彼女を邪険にはできずにその手を取って共和商事の本部へと向かった。




 共和商事の応接室で、要とロッテが面合わせする。

 要の顔は以前よりも隈が目立っていた。それが激務によるものなのか、妹と離れ離れになった寂しさから来るものなのかはよく分からない。


「ごきげんよう。私はアレキサンドリーネ・シャルロッテ。ドイチュランツベルク・アウグスト商会の経営者でおりますの。この度は共和商事と良い取引ができて、とても嬉しく存じ上げますわ」

「どうも、こちらこそ海外産の工作機械は喉から手が出るほど欲しかったものですから。これで工場が建てられます」

 互いに両手で握手を交わす。

 千早は両者共通の知人として、その場に同席を勧められた。

 ソファに腰を埋めながら二人のやりとりを聞いてみるに、どうやら共和商事はロッテを通して何やら大きな事業に乗り出す腹積もりらしい。


「缶詰を作るつもりのようですが」

「ええ、魚の缶詰ですよ。この国は四方を海に囲まれていますから。近海からオホーツク海にかけて豊富に存在する水産資源を利用しないのは愚か者の所業ですね。無論、国内需要を満たすだけではなく海外への輸出も視野に入れております」

「待て、北洋もか?」

 聞き捨てならない発言であった。

 オホーツク海やベーリング海などといったいわゆる北洋とよばれる地域は、世界有数の好漁場とされている。

 一昔前に世界を席巻していたロシア帝国はオホーツクのラッコを獲ることで財を為してきた面があるし、今現在に至っても三井財閥がニシン漁で莫大な利益を上げていた。

 だが、美味い話には罠があるものでこの北洋漁業とやらにはいくつもの問題が存在する。

 一つ目は高緯度地域特有の荒れた海を航行しなければならないこと。

 高波にさらわれたら、まず生きては帰れない。一度の波で漁師が全滅することだって、ざらにあるほどに危険な海域なのだ。

 そんな環境下におかれた人間は心も荒んでいくようで、プロレタリア文学者の小林多喜二が『蟹工船』という作品において北洋漁師の悲哀を著している。

 そして、二つ目の問題が見過ごせないところであった。


「ソビエトと経済的に衝突する恐れがある。漁場を近海や南洋にはできんのか」

 オホーツク海は、大国ソ連にとっても欠かすことのできない経済水域なのだ。

 一応、ポーツマス条約による経済的利益の住み分けがある上に、安全保障上の障害となる極東艦隊もロシア帝国の消滅と共に壊滅したとはいえ、いたずらに経済的な圧力をかけてしまえば、要らぬ対立を招きかねない。

 千早の苦言に要は口を尖らせた。


「利益を求めるなら北洋の一択なんだよ。今の僕らには何よりも当座の資金が必要なんだ。それに、経済的圧力なら三井が既にかけている。あそこの船はソ連の領海内でまで操業していると聞くぞ」

「漁師は命知らずとは言うものだが、それは蛮勇ってもんだろう……」

 千早は頭を抱えたくなった。

 共和商事の北洋への進出はさておいても、護民総隊の小目的に"他国との経済的衝突海域の哨戒行動"がある以上、艦隊の北洋派遣はほぼ確定的に思える。

 帰ったら、総司令部に問い合わせる必要があるだろう。


「とにかく安全保障に関しては、総隊が考えたまえよ。……それでどうだろうか、シャルロッテ嬢」

「……んん、北洋漁業ですか。アジアの魚をヨーロッパで。売れるものかしら」

 ロッテの探るような物言いに、要は胸を張って答える。


「予想される水産資源としては、ニシン――、西洋ではヘリングと言うのでしたか。それにサーモンキャンサーコッドなどがあります。ラッコは数が少なくなったと聞きますから、まあ無理でしょう。どうです? どれも西洋で日常的に望まれているものだと思いますが」

「そうかしらねえ」

 挑発的な物言いをする。

 これには要の機嫌も徐々に悪化していった。


「……何か問題でも?」

「いえ、輸送費を考えるとですね? それらの食品はどうしても割高になってしまいますもの。缶詰の魚が、地中海の新鮮な海の幸に敵うとはとても思えませんわ。もう一声欲しい所ですわね」

 これには一理あると千早も思った。

 近年、缶詰製品はその保存性と味の良さから、干物などの伝統的保存食品を駆逐しつつある。

 しかしながら、いくら味が良いと言ってもそれは干物や発酵食品と比べてのことであった。

 流石にその日に獲れた海の幸に敵う道理はない。

 味で勝てないのならば安さで勝負するしかないのだが、日本と西欧諸国では物理的な距離が離れすぎていた。

 物の値段は、生産地と消費地の距離に比例して高くなるのだ。

 ロッテはにっこりと微笑み、両手を合わせて続けた。


「それよりも私、この国を廻って自分の眼で様々な商品を見てみたいわ。是非、便の良い地に我が商会の支社を立てることを許可してくださいませんこと?」

 彼女の言い分はつまるところ、共和商事の提案した取引を蹴って自分で取引先を見定めたいと言うことであった。

 この虫の良すぎる話に、要もお決まりのしかめ面になる。


「……商いとは互いの信頼関係が重要であると伺いましたが」

「商売とは互いの需要を満たしてこそ成立するものですわ。私どもの商会はドイツやオーストリアの中古機械を格安で貴方がたに提供できる。これらは貴方がたにとって質の良く、安価な生産手段の獲得に繋がります。つまり、需要を満たした商品ですわ。ですが、対する魚の缶詰は貴方の仰るほど魅力的な商品に思えませんの」

 両者の間で火花が飛び散る。

 共和商事の今後を思うのならば、ここで両者に自制を促すべきであったのだろう。

 しかし、安全保障上の懸念を抱えてしまった千早は、最早商談などどうでもよくなってしまっていた。

 こんなことにかかずらっている場合ではないとばかりに、差し出口を挟む。


「実際に物を見てみなきゃ、買うに値するか分からんだろう。とりあえず、何か売れそうなものでも見繕ったらどうだ」

「……販売先の事前確保は、今後の方針を決める上で大事なんだよ。そもそも何を売ると言うんだ」

「物持ちの良いものなら何でもいいんだろう? 輪島の漆器でも天童の将棋駒でも、南部の鉄器でも何でも良いじゃないか」


 ロッテがきょとんとした顔になった。

「それは一体、何ですの?」

 日本の伝統工芸品など、西洋人が知る由もないのだから当然の反応といえる。


「工芸品だよ。漆器は漆って樹脂? を塗った食器だ。将棋駒はアジア式チェスで使う奴だな」

「ああっ、そう! そういうものを求めているんですのよ!」

 千早の思い付きは、思っていた以上の食い付きの良さで迎えられた。

 彼女が先ほど女性の冒険旅行家の著作を読んでいたと話していたのを思い出す。

 ひょっとしたら、日本へは西洋で得られぬロマンか何かを求めてやってきたのかもしれない。


「ねえ、他にはどのようなアジア的商品があるのかしら。教えて下さる?」

「他になあ……」

 ロッテの喜びようを見る要の顔は複雑そのものであった。


「どうした」

 千早が問うと、要はため息を吐いて答える。

「……どうしたもこうしたも、職人の囲い込みから始めなければならないと思っただけさ。それに生活品でなくては、安定した需要を見込めない」

「そんなものか」

「そんなものなんだよ。君も少しは勉強したまえ」

 当面の金稼ぎまでなら理解もいくらか及ぶのだが、地域の活性化を視野に入れた経済については門外漢のため、反論のしようがない。

 これは下手を打ったかな、と内心要に謝罪した。




 意気揚々と来日したユーリたち技術者を待ちうけていたのは、雇い主のふところ事情と言う何とも寂しい現実であった。

「え、鋼材が手に入らないんですか?」

 目を白黒させるユーリに対し、共和商事の関係者がすまなそうに頭を下げる。


「国から供給される鋼材は全て、建造予定の護衛艦に回されてしまうんです。ですから、向こう1年は鋼材を使わない飛行機を作ってくれませんか?」

 その言葉にユーリは手に持った航空機設計図を握りつぶしながら、あからさまに肩を落とした。

 彼の落胆は当然と言えよう。何せ、ユーリはライセンス生産を行う航空機の製作監督の他に、新たな日本向け航空機の開発も担当することになっていたのだから。

 彼がPZLの開発担当者であり、金属翼の航空機に並々ならぬ思い入れを抱いているであろうことから察するに、きっと開発予定機も全金属製で設計してきたのであろう。

 一からのやり直しに、千早は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 そもそもユーリは千早とのやりとりを受けて、航空機を設計してきた節があったのだ。

 さぞかし先進的な設計を盛り込んだ機体に違いあるまい。


「すまん、ユーリさん。俺の方からも鋼材を何処からか調達できるよう探してみる。だから、今は耐えてくれないか?」

「……チハヤさん。ええ、大丈夫です。こんなことで挫けたりしません。折角自分が自由に設計できる環境が手に入ったんですから」

 弱々しげに笑う彼から聞くところによると、ポーランドは偉大なる先人、プワフスキのデザインした航空機があまりにも出来が良すぎたため、開発環境に制限が多いのだと言う。

 今回の話を引き受けた理由の一つに、一度制限の無い状態でオリジナルの航空機を製作してみたいという考えがあったらしい。


「まあ、良いじゃないの。しばらくは木製のマッキだけ作ってれば良いでしょうに」

「……アドリアーナは海外製のエンジンを使うんだから、他人事だよね」

 まあね、と口笛を吹くアニー。

 彼女は共和商事の懐事情よりも、異なった人種が働く環境そのものに興味がいっているようであった。


「……今日の食事は何なんだ?」

 聞き慣れぬ声に「おや?」と思う。マリオであった。

 初めて聞いたマリオの声は、驚く程に辺りへ響く。男性声学者だと紹介されれば、信じてしまうかもしれない。


 そんな美声で、開幕の一声がまさかの食事の心配である。職員も驚いた表情を浮かべながらも愛想の良い笑顔でこれに返した。

「和食、洋食。お好きなものを取りそろえておりますよ」

「両方が良いかな。イタリアの味と食べ比べたい」

 このイタリア人兄妹は、随分と太い肝をお持ちのようであった。

 結局、その日は面合わせだけで終わってしまい、場持たせのためにも千早は彼らを連れて散歩をする羽目になる。

 幸いなことに夕食は西洋人の舌にも合ったようで、何事もなく過ごすことができた。



 更に翌日。

 仮組みの整備ハンガーに、年期の入った大工たちが集まってきた。

 藍染のハッピ姿が朝日に眩しい。

「ワオ、アジアの職人ってこういう服を着るのね」

 アニーが興味深々に見つめる彼らは、今からドックを補強すると言っても信じてしまいそうな風体をしていた。


「……ミスター・ロクオカ。彼らがその、飛行機を作るのですか?」

「……ほんますいまへん。手前どもの伝手では航空機の製作経験者ちゅうんを確保できへんかったんですわ。大概が三菱か中島に押さえられてますよって」

 この通りや、とイタリアで同行した六岡が頭を下げる。

 何と、本当にただの大工であったらしい。

 ユーリは最早、顔を引き攣らせることしかできないようであった。


「せやけど、アンタ。このお人らは宮大工や船大工としちゃ、どえらい有名なお人らなんですわ。飛行機といや、空飛ぶ船でっしゃろ。きっと大丈夫やと思います」

 六岡が力説するも、一度気持ちの萎えてしまったユーリには逆効果であったようで、愛想笑いを浮かべたまま最早黙して語らない。

 相も変わらぬテンションなのは、アニーとマリオだけであった。


「チャオ、おじさま方。日本人って本当に背が小さいのね。チハヤを見てたから、本当なのかと疑っていたのよ」

 と英語で話しかけるものだから、職人たちには当然伝わらない。


「なあ、軍人さん。この嬢ちゃんは一体何を話しとるんだ」

「……これから宜しくと言っています」

 今後のことを考えれば、意訳くらいは許されるだろう。

 大工たちをちらりと見る。

 近代技術の申し子たる航空機を、伝統職人がほいほいと作れるものなのだろうか……?

 暗雲よ去ってくれと、千早はたまらず空を仰いだ。



 更に翌日。

 片言ながらもユーリと大工たちが木材を前に意見を交わしている。

「飛行機、軽くて丈夫な木材が良いです。西洋ではバルサ、使ってます」

「……軽いってんなら、桐が良いんだろうが大木が中々見つからんな。一応在庫を探してみるか。しかし、丈夫さも兼ね備えるとなるとマサメ以外は使えん。贅沢なもんだ、全く」

「キリ? マサメ? それは一体何ですか?」

 首を傾げるユーリに対し、大工たちが懇切丁寧に説明していく。

 自分の領域で饒舌になるのは、万国の人間に共通するところであった。



 更に翌週。

「……すごいです。設計図通りの曲面です。ダイクの皆さん、本当に航空機作ったことないですか?」

 カンナがけされた木製翼面を見て、ただただ感心するユーリの言葉に大工たちはこそばゆそうな表情を浮かべていた。

「この調子なら、リベット打ちまでは順調にできそうです。本当によかったです」

 屈託なく笑うユーリの言葉に、今度は大工たちが首を傾げた。


「リベット……? って、ああ。釘打ちのことか。組み立てに釘打つのか、これ」

「はい! 両頭を潰して"かしめる"ので、下手をすると空気抵抗が増えるです。すごい難しい部分です」

「接ぎ木じゃいかんのか?」

「ツギキって何ですか? リベットと何が違うですか?」

 首を傾げるユーリに対し、やはり大工たちが懇切丁寧に説明していく。

 傍らで見学していた千早から見ても、彼らは航空機作りを楽しんでいるよう見受けられた。


 その日の会食中。

「チハヤ! ヤポンスキのマイスターは素晴らしい技術を持っているですよ。知っていましたか? ツギキって言います」

「……その場に俺もいたから、そりゃあ当然知っている」

 洋食につけられたライスを口に迎え入れながら、困った顔で答える。

 さっきからずっとこの調子なのだ。

 どうやら、日本の宮大工が会得していた技術に大層感銘を覚えたらしく、料理に手をつけることもせず、延々と語り続けている。

 航空機の製作中、傍らに同席していた千早の存在に気づいていなかったくらいなのだから、これは相当だ。


 まさに天井知らずの上機嫌と言えよう。このままだと、航空機の完成を待たずして空に飛んでしまいかねない。 

 とりあえずは、内心ほっとする。

 彼のお眼鏡にかなったということは、伝統的な大工でも航空機を手掛けることはできるようだ。

 最低限、空を飛べるものさえ作ってもらえれば、後は現場の努力で補えば良い。


「面白そうなことやってるのねえ」

 と蕎麦を"ざる"で食べていたアニーが言う。

 フォークで器用に蕎麦を巻き付けている様を見ていると、まるで蕎麦が洋食のように思えてくるから不思議であった。

 本日の彼女は航空エンジンが届くまでの暇つぶしとばかりに、近所に農家の作業風景を見物しに行っていたようだ。


「ここの人たち、綺麗にロープをっていくのよね。こう、するするするーっと」

「縄、だな。そりゃあ縄ないは百姓にとっちゃ、必須の技術だ。一日に何時間も作業してれば、嫌でも上達するだろうさ」

「それこそ工作機械は使わないの?」

 フォークをひらひらとさせるアニーに対し、行儀が悪いとたしなめる。

 マリオは蕎麦を山盛りにして、黙々と食していた。


「……動力はどうするんだ。詳しくは知らんが、個々の農家に燃料代を賄えるほどの余裕はないはずだ」

 千早が取りに足らぬと切り捨てると、アニーは「ふうん」と気のない返事で蕎麦をつつき始めた。

 何やら思案しているようにも見えるが……。


「ロープは今は良いですよ。それより航空機です。きっと良いのができますよ。ぼくも色々アイディア盛り込んでみます!」

 それよりも上機嫌のユーリであった。

 一応、先進的な技術を受け入れる用意はある。用意はあるのだが……、それは製作環境が整ってからでいいのではないだろうか。


 いくら名うての大工といっても、航空機作りの素人に彼が言うような「フラップを替えてみる」だの「翼面に工夫を施す」だの「風防けを取り付ける」だのというアイデアを盛り込んだ航空機が作れるとは思えない。

 とは言え、日本人の自分が彼らを信用できないと口にしてしまうのも、それはそれで何だか間違っている気がした。

 結局千早は強く言うこともできずに、ただ釘を刺すことしかできなかった。

「……とにかく飛べるものを作ってくれよ」と。


盆休み終わりました。いつも通りの不定期更新に戻ります。

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