1933年2月 秋田県男鹿半島、護民総隊本部にて(2)
あの後、永野らの発案で一同は固めの杯とばかりに車座の酒席を設けることになった。
仮設の建物であるため、豪奢な席は設けられない。板床に敷かれたござの上に年長者である谷口と佐藤が隣合い、それに続いて永野や井上と出向左官たちが向かい合う。
更には総隊若手と出向若手が商船士官を挟んでいるという、何とも車座の意味がない酒席であった。
派閥ごとに固まった気まずい酒をちびちびとやりながら、散々ばら走らされて渇いた喉を潤す。
……空気が重くて仕方ない。
千早は耐えかねて、商船士官との挨拶を個別に済ませておくことにした。
「ちょっと良いですか」
本来ならば、走る時間を彼らとの挨拶に当てていたはずなのだ。
商船士官たちは、千早の声かけに一瞬驚いた後、各々の出自を紹介してくれた。
「航海科の吉野です。そちらは機関科の小林。あっちの石井も同じです。共に佐賀の生まれで神戸の商船学校を出ました」
いずれもまだ20歳にもなっていない若者であったが、その目はぎらぎらと輝いている。恐らくは学校内でも成績上位をひた走っていたのだろう。
負けん気の強い、エリート特有の面構えをしていた。
「自分は宮本です。こうして共に戦えることを嬉しく思います」
ぺこりと頭を下げると、二人はきょとんとした表情を浮かべた。
「何か?」
「いえ、変な海軍士官さんだなあと思いまして」
話を聞いてみると、教官より海軍士官の悪口を散々聞かされてやってきたらしい。
確かに海軍内には商船学校出を予備士官として軽んじる傾向があった。
「それじゃあ、軍人を嫌っていたんですか」
「そこまで過激でもないですけど……。それでも軍艦旗の下で死ぬのは抵抗がありますね。やはり、死ぬなら日の丸の下で死にたいです」
随分とあけすけに物を言うものだと目を丸くしてしまう。それと同時に、彼らの商船出の誇りというものをまざまざと見せられたような気がした。
「たはは、少なくとも総隊組に商船の奴らをバカにする奴はいないぞ」
とコップを片手に赤い顔で割り込んできたのは生田だ。あの気まずい雰囲気の中、平気で酒を呑み進めてきたというのだろうか。
更に渋谷が席をまたいで膝を寄せてきた。
「コラ。総隊だの出向だの、いちいち分けるんじゃない。海を出れば、皆同じだろうが」
渋谷が生田にげんこつを落とす。
「あだっ。すいません、渋谷さん」
笑って生田が渋谷に返す。
二人のウマが合うということもあるのだろうが、恐らくは機を見計らっていたのだ。誰だってこんなまずい酒は呑みたくない。
からかうように再びげんこつを落としながら、渋谷が吉野たちに顔を向ける。
「勿論、商船出の貴様らもだ。俺は貴様らをいっぱしの仲間として扱うから覚悟しろよ」
握り拳に息を吐きつけ、口元を緩めながら言う。
形だけは凄んでいたが、その口調には優しさがこもっている。
「は、はい」
「ん、元気ないな。もう一回返事だ」
「はいっ」
しどろもどろの商船士官たち。
――と、突如渋谷が居住まいを正し、大声で彼らに問いかけた。
「貴様ら、この総隊へは何を志してやってきた!」
それに対して、商船士官たちは一瞬目を見合わせ、揃って口を開いた。
「商船の仲間を守りたいと、志しました!」
若干渋谷に気圧されつつも、潮気のきいた良い返事であった。
渋谷は満足げに頷き、手持ちの一升瓶を突きつける。
「良し、それなら立派な仲間だ! 一杯飲めっ」
「はいっ」
何とも手慣れた人心掌握術だ。千早は内心舌を巻く。
恐らくは現場で何度もはねっかえりたちの手綱を操ってきたのだろう。
他人とうまく引っ張っていける士官は、土壇場に強い。
商船出の彼らと同じ目線で笑う渋谷を見ながら、千早は頼もしさを覚えていた。
それと比べると――。
「……寛容な上官のつもりか」
がやがやとした明るい喧噪の中に紛れた柴田の陰気な呟きに、千早はたまらず表情を歪めた。
渋谷たちが気にも留めていないところを見るに、恐らく今の呟きを聞いてしまったのは千早だけだったのだろう。不幸中の幸いであった。こんな言葉が聞こえでもしたら、折角の雪解けがぶち壊されかねない。
「ちょっと、柴田さん――」
「宮本少尉」
注意しようと立ち上がりかけたところを、永野の隣で一人ちびちびと呑んでいた井上に止められる。
「ちょっと来い」
井上は顎で外を指し示すと、煙草を片手に部屋を出ていく。
一体何の用事であろうか。
彼との面識は今までになかったはずである。
慌ててハンガーのコートを手に取り、急いで彼の後をついていく。
「ここで良いか」
流石に東北の夜は顔がひきつってしまうほど寒い。
引き戸から寒風吹きずさむ外へと出た井上は、薄い木壁にもたれながら、火のついていない煙草を一本くわえた。
マッチを切らしてしまっているのだろうか。
「マッチ、取ってきましょうか」
「要らん。家内が煙を嫌がるんで控えているところだ」
ただ口寂しいだけであったらしい。
「宮本少尉。今年の二月に予備役入りし、護民総隊の発足と同時に現役に復帰。航空畑の"条約派"……。確か、今までに面識はなかったな」
「はあ、確かに今日が初顔合わせであります」
釈然としないまま首を傾げていると、井上は口から煙草を離し、千早と向き合い頭を下げた。
「まずは礼を言いたい。貴様のお陰で、俺の家内が助かった」
何故、初対面の相手に自分は礼を言われているのだろうか。
「……自分のおかげ、でありますか」
心当たりのない千早の顔を見て、井上は苦笑いを浮かべた。
「そうか。普通は思い至らんよな。ならば、お前さんの呼び寄せた未来人の知識と薬が俺の家内を助けたんだ。――こう言えば分かるか?」
肝が冷えた。
未来知識は、竹山様より秘密の厳守を命じられているはずだ。一体何処から漏洩したのであろう。
もし、他方面にも情報が漏れていたら、事である。千早は焦りを覚えながら、何とかごまかせないものかと頭を巡らせた。
「申し訳ありませんが、仰る意味が……」
「いちいちごまかさんでも良い。共和商事の伝手でたまたま治療を引き受けてくれた大和君らの口ぶりから、事情を察することができただけだ。口に戸はかけられん。ましてや素人の秘密なんてな。本当に秘密を守りたいなら、口封じも視野に入れろ」
「そ、そんなことはできません」
むきになって答えると、井上はたまらず吹き出した。
「……分かっている。安心しろ、俺は味方だ。お前たちは、俺と家内の未来を守ってくれた。恩は必ず返そう」
言って、井上は仮説本部内へと目をやる。
「参謀に着任予定の柴田と福永だが、奴らには商船士官を補佐につけて補給へと回す。まともな指導ができるとは思えんから、門前の小僧として商船士官に学ばせよう。いずれ商船の連中が一人立ちできるようになったら、頃合いを見て叩き出すさ」
絶句する千早をしり目に、井上は更に続ける。
「佐藤の爺さんは放っておいたって長くない。新見や渋谷をはじめ、他の出向組はそれなりに使えるから、現場で商船士官どもの見本になってもらう。これもいずれは追い出そう」
「ちょ、ちょっと。いきなり何を言い出すんですか。これから共にやっていく仲間ですよ」
「お前こそ何を言っているんだ」
井上の鋭い眼が、すっと細くなった。
「今回、永野さんらが海軍出向組を受け入れたのはとにもかくにも艦が足らんからだ。逆に言えば、最初の数隻さえ何とかすれば、実績は積めるし、もう奴らは用済みという理屈になる。この総隊には、生え抜き以外必要ない」
冗談を言っている口振りではなかった。
元々、軍や財閥の影響力を排した独立戦力を作ろうというのが総隊の発足目的であったから、彼の目指す先は総隊のそれと重なる。しかし、
「……にしたって、やり方があるでしょう」
出向組を追い出せば角が立つ。
軍の面目をつぶせば、今後は敵対の道しか残されない。
この男は真っ向から海軍と敵対しようとしていた。
千早は何とか変節を促そうと説得を試みる。
「それじゃあいたずらに不和を招きます。互いに歩み寄るべきでは」
「いいや、歩み寄るのはこちらからじゃない。近代総力戦の厳しさを考えれば、そもそも兵站を軽視している今の国防方針が駄目なんだ。石頭どもを更迭し、行く行くは総隊主導の通商護衛を主とした海軍へと作り替える……。それが未来に差し迫る、この国の苦難を回避するための最善策だろう」
「苦難って――」
大和たちは何処まで口に滑らしていたというのだろうか。
井上は構わず更に続ける。
「のどかさんと言ったか。あの少女が家内を安心させるために、予想の体で未来を語ってくれたんだよ。戦争については秘匿していたが、彼女の語る未来の我が国は、今のアメリカそのものだった。そんなもの……、アメリカに負けなきゃ訪れんだろうが」
井上は唾を吐きつけるような表情を浮かべて、遠くを見た。
「近い将来、日本は負ける。それも大きな悲劇を伴ってだ。それを止めようとして何が悪い。俺は、せっかく繋いだ家内の命を再び危険に晒すなんて絶対に御免こうむるぞ」
言い返す言葉が思い浮かばなかった。正しいと思ってしまったからだ。
今まで千早は今後起こる悲劇に対して、民間人戦死者を少しでも少なくするために独立した戦力で守っていけばいいと単純に考えていた。
海軍を潰してしまおうとなんて心にも思っていなかった。
しかし、本当に悲劇を回避するつもりならばそれだけでは足りないのかもしれない。
例えば、陸海軍総出で国土と臣民を守る戦へと切り替えることができたなら?
いや、そもそも戦争を避けることができたのならば――?
千早は悩む。
正論だと理屈では分かっても、共に空を飛んでいた"鳳翔"の仲間たちの笑顔が頭からこびりついて離れないのだ。
人生の半分近くを育んでくれた軍への背信は、生半可な覚悟で決まるものではなかった。
「ともかく、奴らに手柄を立てさせる事態だけは絶対に避けねばならん。出向組とは必要以上に馴れ合うなよ」
井上は言いたいことは言い終えたとばかりに息を吐くと、さっさと室内へ戻ってしまう。
終始、勝手を貫く男であった。
「海軍を造り変える……」
千早は腹に大海原では感じることのない、陰気で鬱屈したものが溜まっていくのを感じた。
ずっしりと重くもたれる。
策を弄する輩を指して「腹が黒い」などと俗に言うが、こんな物を抱えていれば、腹が黒くなるのは当然だろう。
潮気が恋しくてたまらなかった。
◇
翌日。護民総隊の面々は戦力の編成方針を定めるべく、全体会議を設けることにした。
頭が重い。
肉体的な疲労はなかったが、とにかく精神的な疲労が激しかった。
今までの千早には、敵対派閥と折り合いをつけて仕事をするという経験が欠けていたのだ。
新設の総隊を嘲笑う柴田に福永、そして既存の海軍を潰さんとする井上の思惑……、両者の対立は千早の想像を超えていた。
千早は楽観視していたのだ。「あちらはあちら、うちはうち」が通るものだと。
……これから自分はどう動くべきなのだろうか。
井上の言い分はよく分かる。だが、元の仲間へ唾をかける振る舞いも取りたくはない。
暗雲をかきわけるような重い足取りで会議室へ向かう。
そうして部屋に入って見れば、
「遅い」
粗末な椅子に座り、軍刀を杖にした佐藤鉄太郎が不機嫌そうな表情でこちらを睨みつけていた。
時間を間違えたのかと焦って室内を見渡すと、まだ室内には谷口と佐藤しかいない。
壁掛け時計の針は、まだ朝の7時を示していた。
「申し訳ありません!」
直立しながら、ひらに謝る。
しかしながら、その頭の中は解せない気持ちでいっぱいであった。
そも、集合予定時刻午前の8時。まだ1時間以上も残っているのだ。
千早は恐る恐る、会議室の下座へと立つ。
まだ他の隊員はやってこない。
谷口は静かに本日使う予定の資料へと目を通している。
沈黙が恐ろしい。
佐藤は表情を歪めたまま、隊員が泊っている仮説宿舎を睨みつけていた。
「……起床ラッパはどうなっとる」
ようやく佐藤の不機嫌に合点がいった。
海軍においては起床も訓練の一環であり、早朝に「総員起こし」のラッパを以て吊床訓練が始められるのだ。
佐藤はラッパが鳴らないことを指して、不満に思っているようであった。
「中将。先日までの人員不足により、まだ役割分担ができておりません」
千早が説明すると、佐藤は普段の態度に似合わぬ、何ともひょうきんな顔でぽかんと口を開けた。
「ん、おお……? 何だ、そこからなのか」
「はい。朝食も共和商事の本部を借用しておりますので、会議が終わったらそちらへ移動しましょう」
「……うむ、分かった」
どうやら理不尽に怒りを見せる手合いではないようであった。
ほっと安堵の息を吐いていると、佐藤が思い出したように問うてくる。
「そう言えば……、今朝方丸太打ちの音が聞こえていたが、お前がやっていたのか」
「はい、日課であります」
先日、総隊本部の敷地内を歩いた際に打ちごろの丸太が立てられていることに気がついた。
千早はこれを幸いとして、鬱憤晴らしも兼ねてイタリアの旅中には叶わなかった木刀による訓練を再開することにしたのだ。
佐藤は成程と頷き、
「打ち筋が甘い。左脇をもっと絞り込んでおれば、あんな音にはならんぞ」
実演とばかりに、手刀をヒュッと切って見せた。
恐らくは何らかの流派の皆伝持ちだ。風を切り裂くような、鋭い面打ちであった。
「分かりました。ご指導ありがとうございます!」
「うむ、それとラッパ手の件だが……。各自の役割が固まるまでは宮本少尉、お前がやれ。日々の訓練課程に関しては小官の方で組んでおく」
「了解しました」
命令を復唱しながら、ふと思い付く。
海軍式の調練を課すならば、後で物が入用になってくるはずだ。
「中将。雑巾や箒、吊床等を発注しておきましょうか」
「本当に1からの出発なのだな……。いや、発注は新任の参謀どもに任せるとしよう。役割分担は大事にせんといかん」
その後も二、三言やりとりを交わした結果、この老参謀は筋金入りの海軍士官であることが良く分かった。
何を考えるのにも純粋なのだ。
もしかしたら、"条約派"だの"艦隊派"だのといった派閥政治のくくりについても、あまり興味はないのかもしれない。
そんなことを考えている内に、室内に続々と隊員が集まってきた。
「それでは本隊にとって第一回となる定例会議を始めたいと思う」
全員が席に着くのを見届けた谷口が、会議の開会を宣言する。
全員に配られた資料には、『第一次護民計画設計艦ノ建造計画ニ就ヒテ』と銘打たれていた。
「まず本隊の大目的は、帝国臣民の安全を脅かす万難を排することにある。それに伴い、第一の小目的を"通商護衛"、第二の小目的を"他国との経済的衝突海域の哨戒行動"と定めることとした。それに伴い、我々が保有する最初の海上戦力は以下の通りになる」
千早は資料に目を落とす。
トロール改装護衛艦"浦島"。
全長、60メートル。
幅、8.5メートル。
総排水量、530トン。
最大速度、15.5ノット。
動力、油式1000馬力ディーゼル。
デリック、1基。
兵装各種は別紙参照。
出向組からため息や失笑が漏れ出でた。
海軍の新設艦と比べて、あまりにも稚拙な性能であったからだ。
例えば、日露戦争後に就役した"神風"型駆逐艦でも総排水量381トンにして、エンジン動力は6000馬力。
最大速力は29ノットと、今回の設計艦を大きく上回った性能を持つ。
彼らからしてみれば、「何故、今更数世代前の小型艦にも劣る艦を造るのか?」と不思議でならないだろう。
「漁船か何かですか、これは」
案の定出た、冷やかすような福永のその一言に、谷口は大真面目に頷いた。
「"漁船か何か"ではなく、"漁船そのもの"だ。昨今流行っている、トロール漁船という奴らしい」
「馬鹿な! 軍人が漁船に乗ってどうするんです!」
「発言は挙手をもって行ってくれ。一斉に喋られても対応できん」
口々にわめく柴田と福永の文句を永野が制し、そのまま谷口の言葉に付け足した。
「この艦を設計する理由は何よりもその経済性にあるのだ。第一に安い。建造費用が200万とかからないのは魅力的だ。更に燃料は軽油で十分に動き、更には足の遅さを水上機を積むことでカヴァーできる。そして何よりも……、平時は"生産手段"に回すことができる」
「生産……?」
「トロール漁をやって金を稼ぐということだ」
出向組が絶句する。
つまるところ、普段は漁師をやれと言っているのだ。天下の海軍軍人に。
「冗談じゃない……。小官らは網を投げるために軍人になったわけではありませんぞ」
「こちらは本気で言っている。不満があるなら、後方の任に着いておれば良い。他の者はどう思うか?」
少数派を除いて、周りの反応は意外なほどに静かなものであった。
「発言、良いですか?」
渋谷が挙手をして問う。
「驚きはしましたが……、命令とあらば従います。しかしながら、これは漁と併行して通常の軍務もこなすことになるんですかね」
漁に明け暮れて、軍務が疎かになったのでは本末転倒である。
現場を生きる者としては当然の疑問であった。
永野はこれに、「生産活動と併行して軍務にも励むこと」と答える。
「了解しました。……こいつは大変そうですな」
続いて、新見政一が技術方面から意見を具申する。
「トロールというのは詳しく存じないのですが、漁で用いる網自体は工夫次第で海中に設置された機雷等を除去することが可能です。ちなみにこの船には対潜兵器は搭載予定なのですか? あ、搭載予定ですね。申し訳ない」
資料の別紙にまで目が行っていなかったらしい。パラパラとめくって内容を確認している。
新見に対して、その機雷知識を鳴り物入りで総隊に望まれた田村が補足するように付け足した。
「資料にある、英国式の対潜爆雷と投下軌道というのは爆破深度を段階別に調整できる水圧信管の新型ですね。これは羨ましい。軍も研究すべきものですよ、これは」
「ふむふむ、成程……」
手を口元に当てて考え込む様は、まさに研究者その物といった風であった。
続いて生田が挙手をする。
「デリックで水上機を昇降させるんですよね。じゃあ、水上機母艦ってことになりますか。搭載する水上機はマッキですか?」
「その点に関しては、後日宮本少尉が計画を策定、説明することとなっている。だが、大尉も航空士なのだから手伝ってやれ」
「了解しました。おい、マッキは載せるからな。宮本」
更に意見の交換が行われる。
意外なところでは商船学校機関科を出た小林なども意見を出してきた。
「動力機関についてなんですが……、経済性を求めるのなら蒸気タービンも視野に入ると思います」
「ふむ、続けてくれ」
これには谷口も興味を示して先を促す。
一斉に軍人たちの視線が向かう中、小林は手慣れた調子で説明を始めた。
「ディーゼル機関が経済的とされているのは、要するに良質の油でなくとも稼働するからなんです。でしたら、蒸気タービンにも同じことが言えます。蒸気を発生させる熱量さえ確保できれば、燃料は何でも構わないんですから。燃料選択の幅広さを考えれば、むしろ蒸気タービンでしょう」
「肝心の速力はどうなりますか? 軍でも蒸気の本式タービンを動力に使っていますが、そちらは結構な大食いですよ」
大井が口を挟んできた。興味のある分野なのかもしれない。
小林はこれに頷き、心なしか目を輝かせながら続けた。
「それは大出力のタービンだからですよ。細かい出力は分かりませんが、6000か1万馬力はいっているんじゃないですか? そうですね……、3000馬力ならば、燃費を向上させた上で最大速力18ノット。経済速力も10ノットは出せるでしょう」
「……何とか20ノットは出せんものか」
最後に口を開いたのは、佐藤であった。
「艦の命は速力である。速力さえ出ていれば、いざ敵艦の追跡を避けるにしても、砲弾の雨をかいくぐるにしても容易になるだろう。18では心もとない。20以上というのは譲れん部分だと小官は思う」
「それは……、馬力さえ確保できれば可能だと思いますが」
「ウム。熟考の余地あり、じゃな。君はよく勉強している」
呟きながら、佐藤は資料に朱書きで何やら書きこんでいく。
「それとだな。生産云々については屯田兵の例もある故、特に異論はないのだが……、この艦の兵装についてのみ解せん。イタリア製の20ミリ単装機銃1基だけというのはいささか心もとないのではないか?」
「搭載数を増やすこともできますが」
これには永野が答えるも、
「そういうことではない」
佐藤は不満げに首を振って続ける。
「高価な魚雷は難しいとしても、艦載砲くらいは設置するべきだろう。敵艦隊の奇襲を受けたら何とする。3年式の12サンチ砲は載せられんのか」
「敵艦隊……、ですか」
永野が渋い顔をする。
そもそも、この設計艦は艦隊戦を目的としていないのだ。
あくまでも通商護衛が主であり、敵艦隊と遭遇した場合は逃げの一手を打つより他にない。
そのことを生田も不思議に思ったらしく、千早の腕を小突いて小声で話しかけてきた。
「……実際のところ、火砲って要るのか? 事前に聞いた話じゃあ、敵は潜水艦くらいのはずだったが」
「要らない、とは言い切れません。何せ、経験のないことなので……。ただ、うーん……」
佐藤の言う12サンチ砲とは平射しかできない対水上艦用の火砲だ。
これに対して航空機を迎撃可能な高角度砲は対空砲。銃手が臨機応変に方位角度を調整できる小型火器は機関銃、機関砲などと呼ばれる。
未来人――、大和の言を信じるならば、通商破壊の主役となるのは潜水艦のはずだ。
潜水艦を相手に、小口径の平射砲がどれだけ役に立つものなのか――。
これには千早も首を傾げざるを得なかった。
「仮に砲を搭載するとして……、海軍から購入するという形になりますな」
「購入? 何を言っておるんだ」
永野の言葉に佐藤が目を丸くする。
「同じ海軍なのだから、新造するか老朽艦の砲を流用すればいいじゃないか。何故、購入という話になる」
どうやら根本から思い違いをしているようであった。
「総隊と海軍は別の組織ですよ。中将閣下」
井上が呆れた口調で口を挟む。
「実際のところ、海軍は砲を融通して下さるのか? 柴田大尉」
「海軍に余った砲などあるわけがないでしょう。ただでさえ、軍縮とやらのせいで艦が足らないのですから」
皮肉をたっぷり込めて井上に返した柴田のことを、佐藤が不愉快そうに吠えた。
「何を戯けたことを言っておるんだ、貴様は。戦場に出る士官に満足のいく装備を用立てるのが参謀職であろうが!」
柴田からしてみれば、自派閥の上官に叱責されたことになる。
一瞬たじろぎを見せた後、彼は形ながらの謝罪をして見せた。
「……中将が仰るならば、一応要求書を作成いたしましょう。ですが、今は軍も特型駆逐艦の建造にかかりきりでしょうし、それを受け入れるかは小官には分かりかねますが」
「貴様は――ッ」
あくまでも不承不承の態度を崩さない柴田に、佐藤の癇癪が弾けた。
「もうよい。ワシが直に砲を用立ててくるわい! こんなつまらんことで無駄な時間を費やすな。戯けがッ」
それからの佐藤は止まらなかった。
12サンチ砲は搭載するものとして話を進め、谷口の「一旦議論を重ねましょう」という仲裁にも頷かず、「使うにせよ、使わんにせよ、とにかく用立てておく。然る後に有効的に活用されたし」として意見を全く曲げようとしない。
後日――、佐藤は有言実行とばかりに見事、老朽化した防護巡洋艦の砲3門の融通を取りつけてきた。
この時の千早には、まさかこの小口径砲が存分に役立つ日が来るとは夢にも思わなかったのである。
2分割で終わりませんでした。次、航空機関連やって、ようやく海戦です。