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1933年2月 秋田県男鹿半島、護民総隊本部にて(1)

※諸事情から架空の士官が登場します。ご注意ください。

 拝啓 エドワード・ショート殿


 立春の候、いかがお過ごしでしょうか。

 英語での手紙は勝手が分からぬ故、礼を失するかもしれません。ご容赦ください。


 まずは昨年末に開催されたトンプソン・トロフィー・レースのご優勝、心よりお祝い申し上げます。

 貴殿の活躍は我が国の航空雑誌でも取り上げられており、乗機の試製カーチスが、短期間で単葉の低翼機に大改造されていたことに驚きました。

 諸元性能はどれほど変化しているのでしょうか。

 この手紙が届いている頃には、貴方のカーチスも更なる改装が施されているかもしれませんね。

 貴国の工業力にはまこと驚くばかりです。


 こちらはというと、新たな職場での業務がようやく軌道に乗り始めました。

 勅令護民総隊。我が国の天皇陛下が勅せられた国民の安全を守るための通商護衛部隊なのですが、自分はそこの航空隊員として勤務しております。

 人は石垣、人は城という言葉が我が国にはありまして、国家の礎を死守せんとするやりがいのある職場です。


 今は陸上勤務ばかりなのですが、いずれは艦に乗り、北方、南方へも赴くことがあるかもしれません。

 何か物珍しいものを見聞することがあれば、お手紙にてお知らせいたします。

 それではお風邪など召されぬよう、お元気にいて下さい。


 敬具。




 書き物机に筆を置いたところで、赤レンガ積みの壁にはめ込まれた飾り窓から外へと目をやる。

 朝まで降り続けていた白雪に光が反射して、外は目映いばかりであった。

 そんな景色の中に、ネズミ色の人影が一つ。

 千早はここに至って、来訪者が総隊本部の門前に立っていることに気がついた。

「しまった」

 慌てて立ち上がると、詰め所から門前へと急ぎ、男を官舎の中へ招き入れる。


「ありがとうございます。いやあ、外は寒い寒い」

 オーク材でできた洋式扉の向こう側に立っていたのは、厚手のコートを着込んだ背の低い男性であった。

 人を安心させる下がり気味の太い眉毛が印象的な、何とも優しげな小男である。

 千早とは、既に顔見知りの関係であった。


「寒い中、お疲れさまです。取材は終わったんですか? 高橋さん」

 男の名前は高橋亀吉。

 フリーランスのジャーナリストであった。


「ええ、開墾地も新たな造船所もひとしきり写真を撮ってきましたよ。『東洋経済新報』の石橋さんにも良い手土産ができました。本当は直接取材に来たかったそうなんですがね。それにしても……」

 と、高橋は突然思いだしたように吹き出した。


「何かあったのですか?」

「いやあ、インタビュー中に外資企業の……、ドイチュランツベルク・アウグスト商会のお嬢様がですね。共和商事の取締役といきなり喧嘩をはじめてしまいまして」

「……は?」

 思わず耳を疑ってしまう。

 アウグスト商会は、海外より招き入れた技術者の生活物資を一手に賄っているお抱え企業の一つであった。

 社長はイタリアにて出会ったシャルロッテ嬢であり、現在は何が気に入ったのか日本に長逗留している最中である。

 本人曰く、「冒険的な事業はアジアから始めるもの」らしいのだが、彼女の行動はここしばらくを観察してみたところ、多分に思いつきが絡んでいるため予測・理解がしづらいのだ。

 一体、何をやらかしたのだろうか。


「いえ、急に牛や豚が食べたいと仰いまして……」

「はい」

「それで、米沢盆地に大牧場をこしらえたとのだそうです」

「は、えぇ?」

 一瞬、感じた目眩は気のせいではないはずだ。

 あまりにも急すぎる。

 彼女は数日前に米沢旅行から帰ってきたばかりであった。


『世界的な女性旅行家、イザベラ・バードも見聞したと言う、東洋のアルカディアを見てまいりますわ』

 出発前に息巻いていた彼女の様子からは、何かの事業を始めようとする前兆は見られなかった。

 これは十中八九、思い付きの所業である。

 要の怒り顔が目に浮かぶようだ。



「東北・北陸地方の開発は、共和商事が包括的な改造計画を策定中です。勝手なことをされたら、要だって怒りますよ。第一、人員は余っていたとしても土地はどう用意したんです?」

 特に農耕地に関して、共和商事は細心の注意を払っている。

 彼らは新潟県の農事試験場にて水稲農林1号なる寒冷地に適したコメの品種を見つけ出してきては、北陸から東北地方にかけての寒村部を一大水田単作地帯へと改造しようと計画していた。

 現在の日本海側は冬の豪雪に邪魔をされ、満足な農耕もおぼつかない環境下におかれている。

 雪害のたびに人が飢えて死に、生糸値の乱高下に寿命が左右され、食いあぶれた女性が女衒に売られていくのが日常茶飯の出来事なのだ。

 事実、表日本――、いわゆる太平洋側の都市部に生きる下層労働者や娼婦たちには北陸・東北出身者が驚くほど多い。

 財閥がこの辺りの開発を避けて朝鮮やアジアへ逃げたのもこの貧しさが原因で、日本の内需構造を変えるには、まず列島の表裏格差を是正しなければならないだろう。

 そんな失敗の許されない現場に、ぽっと出の思い付きの出る幕はない。

 だが、どうにもロッテ嬢はそんな現場に抜け道を見出したようだ。

 高橋は笑って続ける。


「金子翁が二つ返事で許可を出し、援助を与えたそうなのです」

「んな馬鹿な」

 金子直吉と言えば、要が連れてきた共和商事の現顧問である。

 まさかの身内からの裏切りであった。


「大笑いで受け入れたそうでしてね。『欲しいから品を作る。それが商売の王道です』と」

「身内の手綱くらいしっかり握っておけよ、要……」

 頭の痛い話であった。

 眉をしかめる千早をしり目に、高橋はつぼに入ったかのように笑い転げる。

 しばししてようやく気が済んだのか、眦の涙を拭いながら、千早に万年筆の尻を向けてきた。


「っと、失礼しました。それじゃあ本題の……、臣民の盾となる護民総隊へインタビューと行きましょう。総隊発足より半年が経ちましたので、今に至るまでの苦闘などをお聞かせ下さい」

 高橋と違い、千早はすぐに気持ちを切り替えられるほど要領が良くない。

 彼の急な変容に面食らいながらも、千早は大きくため息をつき、今に至るまでの日々を思い起こし始めた。






 千早が日本へと帰還したのは10月の半ばごろであった。

 ユーリたちお雇い外国人勢は、受け入れ態勢ができるまでは母国で待機してもらう手筈になっており、先発して帰国したのは千早と生田、それに購入した航空機のみである。

 既に共和商事や護民総隊の本部は秋田県の男鹿半島へと移動していた。

 そのため貨物船で直接秋田へと向かっても良かったのだが、道中に未来からやってきた二人組や美冬のことがふと思い浮かぶ。

 彼らは果たして故郷へ帰ることができたのだろうか。美冬の健康は回復したのだろうか。

 一度心配を始めてしまえばきりがなく、千早は用事を見つけては佐世保で"伊太利丸"を下り、一人呉へと帰省することにしたのだった。


「何だ、呉に寄ることにしたのか」

 呉で千早を待っていたのは、意外なことに要であった。

 いつもの傲慢さは鳴りを潜め、目には隈が目立っている。

 寝ていないのかと尋ねてみると、何と未来人や美冬との連絡が取れなくなってしまったとのことであった。


「4月の末日に、彼らは元の時代への帰り道について見つけていたそうでね」

「ならば、元の時代へ帰れたということなのか。そりゃあ良かった」

 この時、千早は心底安堵した。

 寄る辺のない身の上の辛さは千早も良く知るところだったからである。

 だが、千早とは対照的に要の機嫌は悪化の一途を辿っていく。


「少しも良いことなんてあるものか。僕が美冬と会えなくなってしまったんだぞ!」

 どう言うことかと問うてみると、要は事情を語りだした。


「彼らは未来と今を往復する術を見出したそうでね。その一報を聞いたとき、これは未来の有用な情報を過去へ持ち込む好機だと僕も考えたわけだ。それで美冬と彼らに調査をさせてみたところ、どうやら未来と今の時間の進み方がぐちゃぐちゃであることに気がついた。1度目の往復では、こちらの1か月があちらの3分と同様であったらしい。2度目の往復ではあちらの半日がこちらの20年」

「20年だと? 勘定が合わないじゃないか」

 今から20年も経ってしまえば、太平洋戦争すら終わってしまう。

 むしろ、彼らの軌跡を今の要が知ることすら不可能なはずだ。


「過去へさかのぼることもあるそうなんだ。明治の世へ跳躍したこともあったらしい」

「ならば、今よりも昔に未来の技術を授けてしまえば、俺たちが苦労する必要もなくなるな」

 当然のごとく導き出された結論に、要は悔しそうに首を横に振った。


「未来人が影響を与えた過去の時代は、今から切り離されてしまうそうなんだ。つまり、我々には全く関係がない。大和君はこの現象を、世界線の分岐。タイム・パラドックスと呼んでいた。彼らが再び我々の時代へ戻ってくるためには、それもう苦労したそうだ。持ち込む物を変えてみたり、時間帯をずらしてみたり、かなりの回数の時間を跳躍したそうだよ」

「そうなのか……。ん? それと美冬ちゃんと会えなくなることと、何処に関係があるんだ?」

 美冬はあくまでもこちらの時代の人間だ。

 大和やのどかの時間を跳躍したところで、美冬と連絡が取れなくなるわけではない。


「そこだよ」

 要は苛立たしげに肘を掻く。

「運良くこの時代へ戻ることのできた彼らは、ありがたいことに労咳に効く抗生物質なるものを持ち込んでくれた。妹の病魔はこれで退治が可能になったわけだ」

「それは良かった」

 しかし、要は唇を尖らせ続ける。


「妹は抗生物質の使用を断った。折角の薬はもっと急を要する患者に使うべきだと主張したんだ」

 見上げた心がけの博愛主義者である。

 これには千早も心から感嘆を覚え、「類を見ない気立ての良さだ」と賛辞した。


「そうだろう。僕の妹は最高だ。それは至極当たり前のことだ。それで、妹は彼らについて未来へと行ってしまった」

「待て、どうしてそうなる」

 話の文脈がめちゃくちゃだ。今の流れならば、直近に来る話はコウセイブッシツとやらに救われた患者の話題に移るべきだ。

 それが何故、竹取物語じみた少女の旅立ちへと繋がるのか。


「急を要する話ではないとは言え、労咳は難病だ。一度、精密検査を受けてくると別荘の書き置きには書いてあった」

「検査か……。病気の治療ならば仕方ないな」

「そのために、僕と美冬が引き離されてもか! 次は何時帰ってくるか分かったものではないんだぞ!」

 ようやく要の不機嫌が、何によるものか理解できた。

 妹の、兄離れが何よりも許せないのだ。この男は。


 千早はため息をつくと、別荘に行く予定を急遽変更し、谷口宅をはじめとした知人の訪問へと向かうことに決める。

「待て、僕の愚痴を聞いていけ」

「嫌だよ。日が暮れる」

 何日後か、何ヶ月後か、何年後かは分からないが、再会の芽が残されているのならば、そう悲観することはないだろう。

 千早は要の雑言を聞き流しながら、比婆山へと目をやり、彼らを想った。




 男鹿半島は、その名の通り日本海へと大きく突き出た鹿角を思わせる形状をした半島だ。

 北陸・東北に数多く見られるがた地形は、外来語では専らラグーンと訳される。

 ラグーンは波の静かな天然の良港として知られており、総隊本部が設けられた八郎潟近辺も、未来の大規模港へと発展する余地を備えていた。


 千早が総隊の本部へ到着したのは11月の初め頃。

 まだ赤レンガ積みの建物も完成しておらず、官舎予定地の隣にこじんまりとした小屋が建っているだけの時分であった。

 コートの恋しい、木枯らしの吹きすさぶ中を早足で抜けて建物内へと足を踏み入れると、まずは懐かしい恩師の笑顔が千早を出迎えてくれる。


「宮本少尉、ただ今帰還いたしました」

「おう。おかえり、千早。地中海はどうだったかね」

「貴重な出会いを、経験いたしました」

 親しげに目を細める永野修身に対して、地中海での経験をかいつまんで説明すると、彼は我がことのように喜んでくれた。


「米国人の人脈は今後のことを考えると、貴重極まりない。是非とも大事にするように」

「了解いたしました。……して、谷口大将はいずこに?」

 千早が問うと、永野は曖昧な表情で笑った。


「総隊の補充人員をお迎えしに行っておられるよ。千早も第一種軍装で待機しておくように」

「は、了解いたしました……?」

 大将自らが補充人員の出迎えに赴くなど、千歳飴の年功序列、鉄壁の上下関係を揺るがす珍事態だ。

 自分のいない間に、総隊で一体何が起こったのだろうか。

 しばし、身の回りの整理や永野との雑談で時間を潰していると、本部の門前に何台もの馬車がやってきた。


「お出ましのようだ。千早、外へ出るぞ」

 一体何事かと永野へ続く。

 門前で永野続いて挙手礼を取ったまま待機していると、馬車より谷口に連れられた軍服姿の老人が降りてくる。

 恐らくは谷口よりも齢を重ねているのであろう。

 軍刀を杖にしながらも、その足取りは確かなもので、背筋もしゃんと通っているのだが……、いかんせん歳を取りすぎている。

 呆気に取られる千早を老人はめざとく見つけ、眉間の皺を寄らせた。


「天下の海軍軍人が間抜け面を晒すな!」

 頬に鈍い痛みが走る。

 手持ちの軍刀で叩かれたのだ。

「申し訳ありません!」

 千早の謝罪に、老人は不快そうな面もちで鼻を鳴らす。


「谷口大将。貴官の指導が足りないのではないかな? 曲がりなりにも加藤友三郎海軍大将の忘れ形見がこれでは、"艦隊派"に笑われますぞ」

「面目の次第もございません」

 先導する谷口の態度を見たところ、ここで反骨心を出すのは愚策だろう。

 老人の叱咤に、千早はただ従順の姿勢をとり続ける。

 それに予備役を半年も続けたせいか、自分の態度に緩みが生じてきた自覚も少しあった。


「畏れ多くもかしこき今上陛下より勅令の栄誉を賜りながら、たるんどるようではいかん。小官が来たからには軍規の緩みはゆるさんからな」

 老人は千早を横目で睨むと、そのまま背を向けた。

 その背に老若の士官たちが続いていく。

 中には千早の知った顔も混ざっていた。

 つまり、彼らは海軍ふるすの人間なのだ。

 更にその後ろを着慣れていない黒い制服に身を包んだ若者が続く。

 この奇妙な行列は一体何なのか。平静を努めながらも、千早は内心混乱していた。


「すまんな、千早。急なことで戸惑ったろう」

「いえ、平気です。あの方たちは……?」

 永野はすまなそうに眉を下げながら言う。


「佐藤鉄太郎予備役中将。あの"ミスター単縦陣"の坪井中将や"船乗り将軍"上村中将のもとで日清・日露を戦い抜いた歴戦の参謀だ。佐藤中将に続いているのが同じく海軍からの出向組。その後ろが高等商船学校の出身者だな。本日より護民総隊員として着任する」

「"ミスター単縦陣"って……」

 永野は眉間を揉むようにして押さえる。


「"艦隊派"の大御所だよ。すまんな、千早。鋼材を人質に取られてどうしようもなかった」

 どうやら、艦を造るための鋼材の供給量を絞られたために、譲歩案として海軍からの出向を認めざるを得なかったらしい。

 この国において近代工業製品の礎となる鋼材を入手するには、大きく分けて二通りの経路がある。

 一つ目は海外産の鋼材を購入する方法だ。

 これには鈴木商店の盟友――、岩井商店が先鞭をつけており、米国産のスチールならば比較的容易に手に入れることができる。

 ただし、これはかなり割高という欠点があった。

 切迫した財政事情を考えれば、より安価な入手経路を模索したい。


 そこで、二つ目の経路である官営工場の払い下げ品が選択肢に挙がる。

 こちらは安価かつ安定した供給が望めるのだが、致命的な欠陥としてその割り当ての決定権を三井財閥に握られてしまっていた。

 そう、千早たちにとって当面の敵対派閥が鋼材の供給源を支配してしまっているのだ。


 財閥と海軍は蜜月の関係にある。

 今回の出向も、目障りな共和商事と護民総隊を何とか自らの支配下に置いておきたいという策謀の一環なのだろう。

 当然総隊としては海軍主導の出向を断りたいところであったが、一刻も早く艦を手に入れるためにも鋼材は安く手に入れたい――。


 悩みに悩んだ末、今回は財布の大事が勝ったのだ。

 まさに苦渋の決断というわけである。

 イタリアへ行く直前まで書類仕事の手伝いをしていた千早には、永野たちの苦悩が手に取るようにして分かった。

 恨み事を吐く筋合いはない。


「さあ、我々も官舎に入ろう。顔合わせをせにゃならん」

 千早は頷き、永野に続く。

 はたして、彼らと上手くやっていけるのだろうか――。

 頭の片隅に不安がもたげてくる。

 千早はそれを振り払うように、駆け足を速めた。





 官舎内に整列した千早たちは、互いに向かい合って面合わせを始めた。

 出向組から感じるまなざしは興味・敵意こもごもに入り混じったもので、千早は早くも精神的な疲れを覚える。

 隣の生田などは前を見ながらも前を見ていない。きりりとしながらも意識を何処かへと飛ばすという離れ業をやってのけていた。

 一方の商船学校出身者は、このピリピリとした空気が落ち着かないらしい。仲間内で何やら目配せをし合う様が、何とも新卒の初々しさを感じさせる。


「佐藤鉄太郎、本日付で勅令護民総隊に着任いたす。谷口提督。よろしくお願い申し上げる」

「あい宜しくお頼み申し上げる」

 老人の挙手礼に合わせ、千早たちも礼を返す。 

 佐藤はその様子を蛇を思わせる所作をもって見回した後、


「陛下の臣民を思う御心を安んじるためにも、老骨に鞭打ち奮闘する所存である」

 と短く締めくくる。

 どんな罵倒が飛んでくるかと身構えていた千早にとって、この淡白さは意外なものであった。

 危うく驚きを顔に出しかけて、居住まいを正し平静を努める。

 佐藤のような古武士の風情を持つ者にとって、一度叱咤した不手際を繰り返されることは業腹ごうはらだろう。

 千早が趣味で通っていた剣術道場の師範も、弓術の恩師も似たような性格をしていた。こう言う手合いには、真摯に対応するのが一番なのだ。

 佐藤の挨拶がひとしきり終わり、後続の若手へ続いていく。

 カミソリを思わせる、鋭い目をした男であった。


井上成美いのうえしげよし"元"海軍大佐。俺は出向組ではなく、海軍を辞めた身だ。"老害"のいない職場を求めてここへ来たのだから、気楽にやらせてもらう」

 努めていた平静を思わず崩してしまった。

 何たる不躾な物言いか。 

 この男は予備役中将の紹介の後に、一体何を言い出すのだ。

 呆然とする周囲をしり目に、井上はそれっきりとばかりに黙り込んでしまう。

 そして場を取り繕うようにして、挨拶が続けられた。

 

新見政一にいみまさいち海軍大佐。通商・沿岸警備には常々興味がありました。出向を機に、色々と学ばせていただきます」

田村久三たむらきゅうぞう海軍少佐であります。本隊では対潜兵器研究を主とした技術士官として働かせていただきます」

「同じく渋谷紫郎しぶやしろう海軍少佐。現場で総隊の皆さんと臣民を守らせていただきます。ともに頑張りましょう」

 つつがなく挨拶が続けられる。

 新見は恰幅の良い好漢で、田村は研究者肌が目に見えて分かるほど、思慮深そうな面持ちをしていた。

 渋谷はこれぞ現場の海軍軍人、といった典型的な海の男らしい明るさを振りまいている。

 どうやら、この3人に限っては特に護民総隊へ隔意を持っているわけではないようだ。

 物珍しい職場に転勤してきた、という程度の軽い認識なのかもしれない。

 だが、その次の人間からは雲行きが怪しくなっていった。


「柴田勝次海軍大尉。子守り……、いえ、護民総隊とやらのお手並みを拝見させていただこうと思います」

「同じく福永繁良海軍大尉。我々の出向はあくまでも貴隊の監視であることをお忘れなきよう」

 イタチとタヌキを思わせる、対照的な青年であった。

 年齢は生田と同じくらいであろう。

 その両者ともがふてぶてしい面構えでこちらを睨みつけている。

 ちらりと生田を見てみると、やはり知り合いであったようで心なしかげんなりしているよう見受けられた。

 二人の敵意を剥き出しにした態度に、場の空気は再び張り詰めていく。

 困惑している者。

 黙して語らぬ者。

 あからさまに馬鹿にしたよう、冷笑している者。

 我関せずを決め込もうとしている者。

 その中で、総隊の次官である永野が彼らに返す。


「監視と、来たか。しかし任務自体は真面目にやってもらうぞ。総隊への出向は軍令部の意向でもある。ここで汚点を残しては、貴官らの出世に響くと愚考するが」

 その言葉を彼らは鼻で笑い、切り返した。


「ええ、真面目にやらせていただきます。子守りの仕事など、我が国には必要ないことをしっかりと報告にまとめて、軍令部に持ち帰らせてもらいますよ」

「……さっきから、子守り、子守りと何様だ。貴様は! 臣民を守ることの何が悪いのか!」

 生田の堪忍袋の緒がとうとう切れた。

 掴みかからん勢いの生田を永野が手で制す。

 その様を薄笑いを浮かべつつ見ながら、福永がしたり顔で続けた。


「悪いも何も、費用対効果というものがまるで分かっていない所業だろう。我が国に数多ある商船1隻を守るために、貴重な軍用艦を何故使わねばならんのかと。もし、つまらぬ事故で艦が失われたら何とする。艦というのはだな。艦隊決戦と抑止力、この2点にのみ役立てばいいのだ」

 福永の持論はある面においては正論であり、ある面においては暴論であった。

 大概の商船は"太平洋の女王"と呼ばれる豪華客船のような例外を除き、どんなに高価でも500万を超えることはない。

 粗製乱造を許すなら、100万から200万前後に値を抑えることだって可能だろう。

 そんな船を1隻最低1000万近くかかる軍用艦で日々守る必要は果たしてあるのか。燃料代だってばかにならない。

 むしろ、抑止力としてこれを用い、商船が危険にさらされる可能性自体を減らせば安く済むのではないだろうか。

 ……一理ある。

 一理あるのだが、万が一の際に失われる命の値段を考慮に入れない暴論であった。


「情のない論だ」

 生田の罵倒に、海軍側の新見や渋谷が頷いた。

 海軍側も一枚岩というわけではないのだ。

 だが、福永は周りの反応を気にも留めずに生田の反論を笑い飛ばす。


「軍人にそんなものは必要ないだろう」

 生田と福永が睨み合う。

 一触即発の空気漂う中、全くそれを意に介さないとばかりに口を開いたのは、最後に挨拶の残された青年士官であった。


「通商護衛の是非を論じるのは後にしてもらえませんかね。正直、どうでもよろしい」

「なっ」

 目の白黒させる柴田に対して、青年は面倒くさそうに頭を掻きながら答える。

 中肉中背に屁理屈屋の頭が乗っている、見るからに傲岸そうな男であった。


「いや、小官の挨拶が残っているのですよ。やりにくいんで、やめてもらえませんかね?」

 その心底面倒くさそうな物言いに、井上がたまらず噴き出した。


「全くもって貴官の言う通りだ。良し、俺が許す。さっさと挨拶を終えてしまい、後はこいつらだけで勝手にやってもらえ」

「ハッ。大井篤おおいあつし海軍大尉。アメリカ日本大使館附海軍武官府より帰朝し、本隊へ出向することとなりました! 好きなものは意味のあること。嫌いなものは無意味なことです。以後よろしく、お願い申し上げます!」

 模範的な挙手礼に、無礼千万のその態度。

 呆気にとられて静まり返った室内に、ただ井上の笑い声だけが響き渡る。

 ふと嫌な予感のした千早は佐藤を見る。

 佐藤は、爆発寸前であった。


「畏れ多くも!」

 佐藤の怒号に一同、流石に態度を改める。

「かしこき今上陛下の打ちたてた新部隊が、この体たらくはどういうことだ! たるんどるなんてもんじゃない! 尉官ども表へ出ろ! ワシが直々に鍛え直してやる!」

 出向組と総隊組の別なく、若手に容赦ない修正の鉄拳が見舞われる。

 千早も連帯責任として修正を受けた。佐官である渋谷たちが、懐かしそうな、ほっとしたような顔を見せているのが妬ましい。


「ありがとうございます!」

「……ありがとうございます」

「ありがとうございます」

「中将、小官もでありますか!」

 出向組は大井まで含めて驚くほど素直で、生田のみが往生際が悪かった。


「当たり前だ、ばかもんッ!」

 とばっちりだと、生田が悲鳴をあげる。

 だが、本当にとばっちりなのは、沈黙を守っていた千早だ。

 軍刀で尻を叩かれながら、出向組と総隊組は慌てて外へ駈け出していく。

 こうして一同は木枯らし吹きすさぶ本部の外を、褌一丁で延々走らされる羽目になったのであった。


1話で終わらせる予定でしたが、思ったよりも膨らんでしまいました。

多分もう1話で内政パート終わります。

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