1923年1月 広島、比婆山麓にて
「……夜空に瞬く星々の姿は、実のところ何千年も昔の姿なんだそうだ」
突拍子もないことを言い出した親友に、思わず怪訝な目を向ける。
山麓の空気の心地よい中、ようやくピントの合った舶来物の反射式望遠鏡には、横縞模様の天体が映り込んでいた。
この星からの離れること、およそ7億キロメートルの彼方に浮かぶ惑星である。
宝石か、もしくは上等の飴細工。いずれにしたって、生命の息吹が感じられない、無機質な地表面だ。石ころの親玉とでも言い換えられそうな見てくれをしている。
「地球が昔はああだったってことか?」
彼が先日、世紀の大科学者であるアインシュタイン博士をこの目で見たと自慢していたのを思い出した。
イー・イコール・エム・シーじじょうだの何だのと、その"かぶれ"ようには随分と辟易させられたものであったが、今回の説法も大科学者の受け売りだろうか。
「いや、過去の景色という意味でだな。人間の視覚は光に依存している。僕たちは、今過去を観測しているんだ」
まさか、と一笑に付そうとして両親の影が脳裏に浮かぶ。
物心つく前に両親とは生き別れた。顔など分からない。
無論、今は家族代わりの存在も共に馬鹿をやれる友人もいるため、別段寂しいわけではないのだが――。
「もし、空に浮かぶ天体のどれかから地球を観測したとして」
取り留めのないことを思いつく。
「うん」
「俺の両親を観測することは可能なんだろうかな」
もし可能だとして、一体何だというのだ。
ああ、両親はこんな姿形をしていたのか。誰かと話している。喜怒哀楽を示している。で、それで?
こんな自己満足すらおぼつかない、全くもって無意味なたられば話に対して、
「理論上はできるだろうね」
親友は自信に満ち溢れた面持ちで頷きを返した。
「それどころかエーテル……、は既に否定されてしまったか。グラヴィトンや何らかのエネルギイによって光よりも速い速度で移動することができれば、過去に干渉することだってできるかもしれないぜ。まさしく時間旅行の実現だ」
「理論上の話か?」
「うん」
相も変わらず、つらつらと自信に満ち溢れた語りを続けている。自論に瑕疵などあるはずがない、そんな内心が透けて見えるようだった。
思わず笑ってしまう。
「馬鹿、できるもんか」
「何だと!」
抗議の声をバック・ミュージックに天体観測へと戻る。
時間旅行、いかにもジュール・ヴェルヌの冒険小説にありそうな話だ。
こうしたサイエンス・フィクションの類は一応の理論が組み立てられているため、あながち荒唐無稽とは断じがたいが、かと言ってそれを純粋に盲信するというのも夢想家の所行である。
親友のこれからを思えば、妄想と現実の別はつけさせておいた方がいいだろう。
そう思ったが故に、ひとまず釘を差しておくことにした。
「人間が観測できるものは過去だけだとして」
「うん」
「俺らの今を観測できるのは未来の誰かってことだよな。」
望遠鏡のレンズを覗き込みながら、親友を見ずにそう問いかけると、「そりゃあ、そうなる理屈だね」と返ってきた。
にやりと笑う。
「なら、未来人に夢想家扱いされないよう、我が振り直しとけよ」
「何だと!」
親友をあしらいながら、ふと思う。
万が一、いや億が一に時間旅行が可能であるとして。遠い未来を生きる人とこの夢想家が出会ってしまえば、一体いかなる化学反応が起こることだろうか。
やはり暴走してしまうのか。
案外、とりとめもない雑談を交わすだけに終始するかもしれない。あるいは望まぬ未来を聞かされ、落胆してしまう可能性だってあるかもしれない。
むくむくと、興味の虫が目覚め始める。
妄想の中で際限なく展開を始めるサイエンス・フィクションに、「これは自分も人のことは言えないな」と内心苦笑してしまった。