医者に診察室
診察室で医者と向かい合うように座り、診察を受けている。
とはいうものの、ボクがここに座ってから五分以上経つ。
目の前の医者は机に向かってなにか書き物をしているらしく、こちらを見ようともしない。
机の上はこちらからは見えない。医者が器用に隠しているからだ。
一度覗き込んでみたことがあるが、筆記体のドイツ語らしいもので書いていた。
なので見たところで結局理解することはできないのだ。
そばに立つ看護婦も、顔は前を向いているが視線は天井を向いていた。
看護婦は時々、医者の机をのぞくが、すぐに飽きて天井を見上げる状態に戻るを繰り返している。
「今日はどうしましたか」
看護婦を見ていたボクに医者がいきなり話しかけてきた。
視線を向けると医者と目が合った。
「いえ別に」
「そうですか」
ボクの言葉を聴いて、医者はふたたび机の上の紙になにかを書きはじめる。
医者の筆の音が止まると室内は何の音も無くなった。
ボーっとしていると小さく『パクパク』という音が聞こえる。
静まり返った診察室内で、音の発生源を探ることは簡単だった。
医者の後ろに立っている看護婦のクチが動いている。クチビルの開閉する音だ。
看護婦は、こちらに向かってクチパクで何かを伝えているらしくみえた。
ボクが気づいたのを確信すると、今度は大きな動作でゆっくりとクチを動かす。
『い』『い』『う』『え』
確実にその四文字だ。
なんのことかわからない。
さらに身を乗り出してクチを読もうとするボクに、看護婦はさらにゆっくりとさらに大きな動作でクチを動かす。
数回の後にようやく『み』『ぎ』『う』『で』と言っているのだとわかった。
そうだ、昨日の転んだときにおかしなつきかたをしていたのだ。それからずっと右腕にしびれるような違和感があり動かしづらかった
そのことを告げると医者はボクの右腕を手に取った。
指先から肩先まで観察し、全体を強弱をつけて揉んでくる。
「――なるほど」
そういいながら医者が机へ向かい、ふたたび書き始める。
看護婦がふたたびクチをぱくつかせる。
読み解こうとボクはふたたびそちらを凝視する。
突然医者がこちらを見た。
そして、ボクの視線を追って医者は振り返り看護婦を見る。
看護婦はクチを閉じ目をそらす。
ギリギリのところで医者は気づかなかったようだ。
医者はこちらを向き直る。
「うちじゃ手に負えないのでおっきい病院紹介しますね」
医者がそう言うと、看護婦はボクへ退室を促した。
追い立てられるように部屋を出て、扉が閉められる直前に看護婦がボクへ向けてクチパクをしていることに気が付いた。
読み解こうとしたときにはすでに扉は閉ざされていた。
看護婦はあのときボクになにを伝えたかったのだろう。




