家族
フェイスの語りは続いた。
「当時の私には、手放しに頼れる人間が居なかった。だから、自分がどうなるかわからないというのに、追手が簡単に探し当てることのできるところにあなたたちを送るのは憚られた。だから、異世界という選択肢を選んだの」
冷め切った茶で喉を潤し、フェイスは苦笑を浮かべてカップを置いた。
「あざを隠したのは、異世界で暮らしやすいようにするためと、こちらに戻ってきても、すぐに殺されてしまう確率をわずかでも下げるため。だから、異世界にいた約17年間、あなたの足にあざは浮かび上がらなかった」
あなたに植え付けた私の魔力を核にした術だから、私が死ぬまでそのあざは隠される筈だった、というフェイスの言葉に、結はゆっくりと隣に座る女性に顔を向けた。
「あなたをこちらに連れ戻す際に、あなたは無意識に自分の魔力を使って抵抗したの。それで、到着地点は大幅に狂ったし、かけていた術も解けた。あざがゆっくり浮かび上がったのは、私の魔力がだんだん薄れていったから」
さすがはメルヴィナの娘ね、と笑うフェイスに、結は早く知りたいことを話してくれと催促するような視線を送った。
それをきちんと読み取ったフェイスは笑みを消すと、壁にかかったキャンパスの方に、遠い視線を投げかけた。
「ここまでが、あなたのあざが今までなかったわけ。そして、今あなたが新たに抱いた疑問にも答えてあげるわ」
結は、身を固くしてフェイスの言葉を待った。
ややあって、フェイスは目尻の下がった、泣いているような表情のまま口を開いた。
「私はあなたたちを異世界に送った後、白の王の麾下に拘束されて、白鳥城に連行されたわ。それで、白の王にあなたをどこにやったと詰問された。その途中で、メルヴィナが、自力で戻ってきて、王に言ったのよ。私が黒の騎士を隠した、彼女は赤子の居場所を知らない、と」
思わず結は息をのんだ。その話の先が見えて、鼻の奥がきゅうっと痛んだ。
「それだけ言って私に詫びた後、メルヴィナは静かに息を引き取ったわ。その後ほどなくして、私は解放され、今まで通りの生活に戻った。しばらくして、あなたのお父さんが病気で亡くなったと知らせが入った。持病があったのは知っていたから、殺されたわけではないとは思うけれど」
そう言って息を吐くと、フェイスは茶を淹れなおすと言って、部屋を出ていった。
部屋に残された結は、せめぎあう感情を押さえようと、無意識に両手を握りしめていた。ジェラルドは、ゆっくりとベッドを下りると結の隣に座り、その体をやさしく抱きしめた。
無言で頭をなでるジェラルドのぬくもりに、ついに結の頬を涙が伝い、膝に落ちていった。
***
「あら、眠ってしまったのね」
フェイスが熱い茶とクッキーを手に戻った時には、結はたまった疲れのせいか、泣きながら眠ってしまっていた。
先程まで自分が使っていたベッドに結を寝かせ、頬に残る涙の後をやさしく拭いながら、ジェラルドは振り返らずにフェイスに答えた。
「はい。あまりに静かに泣くものだから、寝入ったのにも気付きませんでした」
あらあら、とよく分からない返答をしたフェイスに訝しげな顔を向けると、ジェラルドは思いがけず、寂しげな、それでいて慈しむような複雑な感情を浮かべた女魔術師の横顔を目に焼き付けることになった。
長くはないが、それほど短くはない時間を共に過ごしはした。しかし、この人を食ったような性格の彼女が、このような表情を浮かべるのを見るのははまれであった。だから、そういうときこそ自分はいつものように振舞うべきだと強く感じていた。
「そういえば、何故こいつのスカートをまくる必要があったんです?」
「え?そんなのただ、あなたがどんな反応をするか見たかったからよ」
「はあ?」
思わず怒りを込めた声をあげたジェラルドに、フェイスはいつも通りのからかうような笑顔を見せた。
「だって、面白そうじゃない。他人に等しいくらい、長らく会っていなかった可愛く成長した妹のあられもないすがたを見たお兄ちゃんが、どんな反応をするかなんて」
「なっ……」
怒鳴りかけ、結が眠っていることを思い出してすんでのところで踏みとどまったジェラルドは、にこにこ笑いながらクッキーをつまむ魔術の師に、苦々しげな視線を送った。
「そういえば、言う気は無いの?」
自分が実の兄だってこと、と軽い口調で言うフェイスに、ジェラルドはしばし押し黙ったのち、ためらいがちに口を開いた。
「こいつにとってはあちらの家族の方が思い入れは強いでしょうし、俺には兄を名乗る資格はありませんから」
言い切ったはいいものの、複雑そうなジェラルドにフェイスはそっと近付いて、ベッドに腰かけながら頭を軽く叩いた。
「誰が何と言おうと、あなたはこの子の兄で、たった一人の肉親なのよ」
俯いたジェラルドの表情は、誰にも見られることはなかった。