少女の告白
「……何をしているんだ」
目を覚ましたジェラルドが見たのは、ソファーに押し倒されている結と、艶やかな笑みを浮かべて結のスカートを捲り上げる妙齢の美女だった。
「嫌ねぇ、別にあやしいことなんてしてないわよ」
「それのどこがあやしくないと?」
「えー?これはただの確認作業よ」
苦虫を噛み潰したような渋面のジェラルドと、それをからかうように楽しそうに笑う美女を交互に見ながら、結は心の中でため息をついた。
鍵もないのに開くことができなかったドアの前で、男に追い詰められたのは約三時間前。一瞬の隙を作り出すことに成功したジェラルドが開けたドアの向こうは、一度だけ行ったことのある裏道の本屋だった。
ふらりと倒れこんだジェラルドを膝をついて支えた結は、そこの女店主に二階の住居スペースに案内された。客間らしき部屋のベッドにジェラルドを横たえると、結はやっと一息つくことができた。
「あの、いきなり移動してきてすみませんでした」
「いいわよ、有事の際はあのドアを使うように言ったのは私だから」
硬い表情のまま礼を言う結に、気を害した風もなくさらりと返した女店主は、結にティーカップを差し出してソファーを勧めた。
良い香りの茶を含み、ようやく結の口元が緩んだのを視界の端で確認した店主は、伏せていた目をあげて穏やかにほほ笑んだ。
「私はフェイス。この店の主よ。これでもちょっと有名な魔術師なの」
「三門結です」
ユイと呼んでください、と言う結に頷いて、フェイスはベッドに横たわるジェラルドに目をやった。
その視線をたどった結が眉根を寄せたのを微笑ましく思いながら、安心なさいと声をかけた。
「魔力に中てられたんでしょう。強い魔力は術を行使しなくても、十分に人を害することができるから」
少しすれば目を覚ますわ、と言ってカップを傾けるフェイスは落ち着き払っており、それが結を安心させた。
「そうですか」
結の纏う雰囲気が穏やかになったのを感じたフェイスもつられてふっと微笑み、視線を戻した。するとこちらをまっすぐ見つめる黒の双眸とかち合った。
何か言いたげな結を視線で促すと、若干表情を硬くした結はゆっくりと口を開いた。
「この人は……ジェラルドは、私が黒の騎士だと言いました。確かに、私は黒髪ですが、」
結は言葉を切ると、ややうつむきながら続けた。
「私の居た国……別の世界ですが、そこでは黒髪が一般的でした。それと、私には」
「あざがなかった」
結の言おうとしていたことをはっきり言ってしまったフェイスに、言われた本人は思わず肩を跳ねさせた。
ジェラルドの家で説明された時はすんなり受け入れたようにふるまっていた結であったが、実際は確証が持てずに悶々としていたのだ。
それもそのはず、17年間すでに見慣れた自分の体にそんな形のあざは無かった筈だった。しかし気付いたのはこの世界に来て一週間ほどした頃。体を洗いながら、ふと目を落とした左の太ももの外側に、大きめの剣のような形のあざがうっすらとできていた。
そのあざは徐々に色を濃くしてゆき、現在では刺青でも入れたように、黒々とした剣の形がくっきり浮かんでいた。
「だから、思ったんです。適当に黒髪の人間を連れてきて……偽装工作でもしたんじゃないかと」
俯いた結の顔は、その黒髪にさえぎられてフェイスには見えなかったが、なんとなく結の表情が思い浮かべられた。
口を閉じたままのフェイスは気遣わしげな眼差しを結に向けていたが、自分の膝と握りしめられた手を見つめていた結は、それに気付くことなく言葉をつなげた。
「でも、それでは何の説明にもなりませんね。ジェラルドが私を森から連れに来た前の晩に、夢を見ました。誰かが、私の名前を呼んだわけではないけれど、確かに私を呼んでいる夢を。そう確信して、私はその声に答えました」
そうしたら、この人が来て、あの家に拉致されてきました。
そう言ってふっと笑って顔をあげた結は、真剣な表情で話を聞くフェイスに、やっぱりこの人は全部知ってたんだなと思いつつ、そうしてきちんと話を聞いてくれる彼女に好感を抱いた。
「そして私は無意識に魔力を使い、こちらの言語を翻訳していました」
続けて結は、こちらに来てから付き纏っていた疑問や考えていたことをありったけ口に出した。
ジェラルドの家を初めて出た時感じた違和感、フェイスの店に初めて来たときに感じた同じ違和感、肉屋の店主の一瞬の豹変、街角で声をかけてきた男が押し入ってきた時の威圧感、等々。
そうして全部吐き出してから、最後にぽつりと結は言った。
「この世界が現実なら、これらは私が魔力を持っていて、実は黒の騎士だということの証拠でしかないんですね」
あくまでも私の勘が当たっていればの話ですが、と締めた結を、フェイスは思わず抱きしめてやりたくなった。
結は、自分の置かれた状況を受け入れていた。
理解はしていなくても、悟り切っていた。
もう自分は元の世界に戻れないのだと。