翼竜
昼過ぎまでは執務関係のあれこれ、それ以降は魔術訓練というのが結の最近のスケジュールだった。書類作成などのデスクワークは形式ばっていて肩がこるものだったが、サイやシリルの手ほどきの下で行う訓練は、その苦労を晴らしてくれる良い気分転換になっていた。
「はいはーい、今日は他の属性の魔術に挑戦しますよー」
書庫での出来事以来、サイは結に敬語を使うようになった。結の方は年上に敬語を使う習慣がついているのでそのままだ。サイの場合は認めた相手にしか敬語を使わないとわかっていたので、結はそれを若干嬉しく思っていた。
「今回はとりあえず、僕の属性でもある炎の魔術を試してみましょー。最初なので、簡単なのからいきますねー」
口調の軽さは相変わらずだが説明は上手い。結は一連の説明を受けた後、いよいよ術を使うことになった。
両手を合わせて魔力を集中させる。炎が燃え上がるさまを思い浮かべて手を離すと、手のひらの間にできた火の玉がふよふよと宙に浮きあがった。そこからが本番である。手を突き出して炎を強め、分裂させたりあちこちに移動させたりといろいろ動かして見せた。その後、結は火の玉を一つに集めて火柱を形成させた。そのままごうごうと渦を巻く火柱を蛇が地面を這うように空中で動かすと、最後に地面からまっすぐ火柱を伸ばして一気に消し止めた。
一連の動きを無言でこなした結が、最後の方には飽きているのを感じ、サイは苦笑を禁じ得なかった。普通は火の玉を作るところから苦労する者が出るところを、いとも簡単にこなして見せるのだから。周りからしてみればたまったものではないだろうが、努力では得られないものを結は持っていた。
だがそこで妥協しないのが彼女のいいところだと、少し前にシリルが熱弁していた。結が属性にかかわらず、様々な術を覚えているのはサイも知っていた。あくまで覚えただけだが、結ならはじめてでも十分使いこなせるだろうというのがサイの見解だった。
だがさすがにこれほどまでのコントロール力を見せつけられては、サイもちょっとしたうらやましさを感じていた。炎だけではなく、魔術全般の難しいところは想像力がものをいうところにあった。魔力があれば、強弱のコントロールは難しくはない。しかし、それを動かしたり形を取らせたりするには魔力の形も変える必要があった。それを担うのは、各自の頭である。そのため術の形を見れば性格がわかるとも言われていた。
実際、理論派で堅実なシリルは幾何学的かつ直線的な動きが多い。一方感覚派で天才肌のサイは、不規則的で柔軟な動きが多い。結の場合は魔術に関しては感覚的だが勉学に関しては努力家である。それを反映したのか、段階を踏んだ変化が特徴的だった。そして、結がやって見せた一連の動作は魔術制御の基本の動きである。これだけできれば、後は理論を理解するだけで大抵の術はマスターできる。いちいち教える必要はないかと判断したサイが、好きにやってみるよう告げると結は嬉々として覚えたての術を行使していった。
そうして一通りやって満足したところで、結が何かを感じて空の一点を見上げた。
「どうしたんです?」
「何か来る……呼んで、る?」
ただならぬ様子にサイの纏う空気も引き締まる。依然として一点を見つめていた結は、驚いたようにぽつりとそうつぶやいた。わけがわからずサイが首をかしげていると、城内から緊急の知らせが届いた。翼竜が出た、というものだった。
「翼竜?」
「翼竜は、文字通り翼を持つ龍のことです。でも絶滅したはずなのに……」
首をかしげて復唱する結。翼竜出現の知らせにサイは驚きを隠せないものの、取り敢えず退避を、と結を促した。しかし結は頑として動かない。どうしたのかと聞いても結はそれに答えず、上空に目を向けたままである。
すでにサイにもその存在が分かるほど翼竜は近付いていた。業を煮やしたサイが結の腕をつかんだ瞬間、耳をつんざくような龍の鳴き声が轟いた。金属をこすり合わせたような甲高い音と、大地を震わすような重低音が一帯に響く。そして次の瞬間、強い風を正面から受けてサイの意識は薄れていった。
***
「大丈夫ですか!?」
「うー、ん。何とか……」
ゆっくりと目をあけたサイが見たものは、とても信じがたいものだった。地面に降り立った翼竜を、魔術師たちが離れた位置から取り囲んでいる。翼竜はそれを警戒しているのか時折頭をもたげて鼻を鳴らしている。そして、それをなだめるようにその上半身を丸呑みできそうな大きな頭を撫でているのは、他でもない結だった。
思わず身を起こすと頭に鈍痛が走ったが、それを気にする余裕もなかった。サイは周囲の制止を振り切ると、結と翼竜に近付いていった。
「騎士様ー?」
「大丈夫でした?頭を打っていたみたいでしたけど」
「んー、あんまりよろしくないですねぇ。それよりも」
心配そうに様子をうかがってくる結に、言葉とは裏腹に笑ってみせるとサイは翼竜に目を向けた。翼竜の方もこちらをじっと見つめてくる。しかし、結に頭をゆるゆると撫でられて、心地よさげに目を細めると鼻息を吹いた。
それを見ているうちに警戒するのが馬鹿らしくなってきて、サイは地面に座り込んだ。へらりと笑って手を差し出すと、竜の方から頭を寄せてきた。そのまま顔をすり寄せてくるのがなかなか微笑ましい。
「この翼竜、私の友人なんです」
「え?」
ほのぼのとした状況にふっと笑みが浮かんだところで、結の衝撃的な言葉にサイの手が止まった。翼竜がすぐさま撫でろと言わんばかりに頭を寄せてくるので、サイは呆然としながらもゆるりと撫でてやりながら、結の発言を反芻した。
「今さっきそうなったってわけじゃあないんですね?」
「勿論。あっちにいた時からの仲です」
半信半疑で確認すれば、結の答えははっきりとしたものだった。つまり、この翼竜は結の今までいた世界に居たということになる。そんなことはあり得ない、と思いかけてサイは一つの伝承を思い出して絶句した。困惑のあまり、結と翼竜を交互に見やるサイに、結は複雑そうな笑みを返した。