ベクトルと大黒天
もう少しで連載百回です。月日が経つのははやいですね
しばらくの後、大黒天の館ではバテレンを招いての馬鹿騒ぎの熱が冷め、奥の円卓室において粛々と幹部連中によって宴会が開かれていた。しかしこれは普通の宴会とは少し違い、円卓のど真ん中では同時多発大手術が繰り広げられていた。それゆえか、酒や肉の香りをつんざくキツイ薬品の匂いが辺りに立ち込め、何か邪教的な儀式の真っ最中のようにも見えた。事情を知らない者がこの有様を見たら腰を抜かすこと請け合いである。
「ベクトル、もっとマジカルにやれないのか。幹部共にその奥義を見せたったれよぉ」
ヤジを飛ばす大黒天を尻目にベクトル(!?)は、全身に滲む汗を魔法で随時除去しながらの精密作業に従事していた。手術台代わりの円卓に乗っかっているのはイゾウ、ククリ、イゾウに電撃張り手を食らわせた赤い用心棒、そしてネクロである。ククリは左目、イゾウは頭(の中身)、用心棒は心肺、ネクロは全身の傷をそれぞれ治療しているようなのであるが、こんなものを肴にして飲むというのだから大黒同盟というのもやっぱり魔物の群れなのだろうかと思わせられる。趣味が悪い。
「全く、一月も経たん内にこの体たらくとは。先が思いやられるわい」
年甲斐もなく憤慨しているのはバグであった。この数日の間にベクトルの改造手術を受けたらしく、何やらまったく訳の分からない異形の身体となって喚き散らしていた。彼は大黒天とお揃いの車椅子に乗っていた(実は両方ともベクトルの作った物らしい)。
しかし、そもそもどうして同じ魔王候補であるベクトルと大黒天が同じ卓を囲んでいるのか。その事情を説明せんばかりに大黒天は昔を思い出しながら口を開いた。
「でも、お前の家も焼けちゃったか。俺が気楽な身分だった頃はよく遊びに行ったもんだが……」
大黒天は確かに吸血鬼の宗家の児として魔界に生を受けたが、頭角を現し始めたのはここ十年の間の事、さらに魔王のしるしを受けて正式に吸血鬼氏族のトップとなったのは先代魔王の死後、すなわちかなり最近の事である。それまでは吸血鬼のコネで先代魔王軍で研究職をこなしたり修行と称して放浪の旅に出たりしている。ちなみに、ベクトルも大師匠の言いつけでほんの短期間だけ先代魔王軍の魔法道具管理の仕事をしたことがあり、ここで大黒天とのコンタクトがあったようである。
「あの頃は互いに『しるし』が出るなんて思いもしなかったなあ」
と、どこ吹く風で呟く大黒天にベクトルは苦笑しながらも施術を続行した。
吸血鬼の大統領たる大黒天はその肩書に似合わぬ穏やかな表情をしていた。
「悪いな、こんな時に治療を頼んだりして。いや、それにしても奇遇だ、まさかうちのネクロがお前の部下見習いを雇っていたとは……」
幹部連中にその偶然の面白さを訴えるかのように大黒天は語る。もちろん、他の魔王候補を宴会に招き入れる行為をよく思わない幹部がいるためである。いくら旧友とはいえベクトルが変な気を起こして寝首を掻かれでもしたら大黒同盟は終わりなのである。大黒同盟はおおよそ一枚岩であった。
しかし、偶然。ネクロとイゾウ達の事に関しては本当に偶然であったらしい。しかも、商人に扮した実力者ネクロの元に転がり込んだのだから恐ろしい偶然だと思われる。
ただ、そこに今回のように厄介極まりないバテレンや奇奇怪怪の勢力が絡んでくるとなれば笑って済ませられなくなってくる。
「厄介だな、人も魔も」
既に水面下では大戦の前の小競り合いは始まっていたと言えよう。こんなことばかりでは境界線の管理者を自負するエルフの気苦労も知れるというものである(人魔の争いとはあまり関係ないが、森も燃えたし)。
この辺りから二人の会話は思い出話と世間話の間を縫い進んだが、ベクトルの一言から本題に向けて滑り出した。
「で、どうだった。あの邪教の男は?」
とベクトルは不意に大黒天に聞いた。どうやらベクトルは今回のバテレン包囲作戦を知っていたらしい。ベクトルにとってバテレンは大師匠の一件のみならず因縁浅からぬ男である上、今現在勇者を擁している。その周辺に関して、ベクトルは大黒同盟に劣らぬ謎の情報網を持っていたようだ。
大黒天は、あまりにも狙い澄ましたタイミングで現れた友人をまじまじと見つめた。その眼が
(何でもお見通しのようだな)
と感心している。
「想像以上だったよ。勇者一行を一纏めにしたかのような男だった。いやぁ、杭を打ち込めて本当によかった。これで叔父も浮かばれるだろう」
大黒天にとってバテレンの去り際に打ち込んだ牙の命中は大変重要なことであった(バテレンにとっても重大なことになった)。吸血鬼にとって、『牙』は吸血のための器官を超えた精神的な要素を含んでいるのである。剣士にとっての剣の様な、そういった内容の。
ベクトルは一瞬手を止めて言葉を返した。
「そうか、あの蟲(=杭=牙)の媒体は叔父さんの……」
「ああ、『無道』叔父さんの遺品(遺骨?)を加工したものだ。君の予想した通り、かつて我が叔父である『無道=アルカルド』に洗脳を掛け魔、王殺しをさせようとしていたのは奴だったようだ。その証拠に憎しみの引力に従って杭はきっちり奴の身体を捉えた。ここまでやれば我が『紅魔術』は奴を決して逃がしたりはしない」
吸血鬼たちは彼らの身体的特徴を生かした独自の術を発展させて栄えてきたが、大黒天はそこにベクトルから学んだとされる黒魔術系統の知識を導入して異端極まる術を開発していた。それが彼の誇る『紅魔術』であった。その真髄は高エネルギーの情念や物質を用いた『活発な黒魔術』とでもいうべき代物であり、怨念の籠った牙を蟲に転換して相手を食い殺させるという荒業をも可能にしていた(カタカナで表現すればバイオハザードの様な魔法と言えばよいだろうか?)。しかし、その反面、高エネルギーに耐えうる吸血鬼の強靭な身体と屈強な精神とを持ち合わせていないと習得不可能というとんでもない制限がある。執念のある者にしかたどり着けぬ禁断の魔法と言ってもいい。その威力はベクトルも認める所であった。
「ならば三年、と言ったところだな」
ベクトルは『紅魔術』の共同開発者に限りなく近い存在であった。術の効力も過不足なく理解している。
「ああ、奴の命は長くとも、三年だ。はてさて、それまでに魔王は決まるかな?」
魔王選定の期間は戦乱の結果次第なので本当にまちまちであり、一年で終わることもあれば三十年以上かかることもざらである。大黒同盟の順調な拡大具合からすればあと三、四年というギリギリの所だろうが、ベクトルは違う目算を持っていた。
「いや、決まる。私の計画では、だが」
「計画? 誰が魔王になる計画だ?」
「もちろん、私」
大真面目にベクトルが答えたので大黒天は噴出した。
「ははは、俺を差し置いて魔王になるのか」
大黒天は馬鹿にこそしなかったが、それは無理だと言わんばかりの顔である。
魔王になるためには少なくとも他の候補たち全てと何らかの決着をつけなければならない。相当出遅れたベクトルがいまさら何をしようとも大黒天に手が届く訳がない。そもそもそんな大口を叩けばこの場で大黒同盟の幹部たちに軽く畳まれてしまうのではないかとも思える。ベクトルの返答を快く思わない表情の者も当然いた。
幹部共は水面下でベクトルの事をきっと睨みつけていたが、ベクトルもそれを察していた。
「まあ見ていたまえ。これで施術も終わりだ」
ベクトルはぶつ切りに会話を切り上げ術を終えると、最後にふぅと一息をついて治療に使用していた幾つかの魔法を解除した。途端に患者たちにかけられていた麻酔の魔法も切れ、彼らの身体にビクンと衝撃が走った。しばらく待つと彼らに正常な呼吸が戻ってきた。
「天(ベクトルが大黒天を呼ぶ愛称)、悪いが近場に宿を手配しておいてくれないか」
「ああ」
大黒天は使いの者に近場の宿を取らせるよう言伝ると、大きくため息を吐いた。二人の間ののほほんとした間柄と、幹部連中の疑念の眼差し、その両方が道理である。ベクトルにここまで言われた以上、けじめというものをつけなければならない。
「なあベクトル。いまだにお互い頼みごとなんてし合うような仲のままだが、これからはそうはいかんという事にしておこう。俺も、魔王にはなりたいからな」
彼らは昔から一種のライバルではあったが、商売敵であるという認識を本当の意味では未だに持ち合わせていなかった。大黒天はこれからはそれでもあるという事を敢えて強調したのである。
ベクトルもそれを承諾した。この来訪の主とした目的はまさにそれだったためだからである(ついでにイゾウ達の様子見も)。
「そうだな、次に会う時はお互いは友以外の何かだ」
ベクトルが大黒天に背を向け指を鳴らすとイゾウとククリは目を開けた。その場にいる全員が魔力でのごく軽微な打撃によって二人を叩き起こしたのだとすぐにわかった。
「おや、ベクトル殿ぉ、ここはどこでしょう?」
「お師匠様、どうも……」
寝ぼけたことを言いながらバグに後ろから責め立てられ、未熟な旅人達は羊のように館を出て行った。彼らにしてみれば追い返されてへばっていたらいつの間にか館の中に居たという間抜けな現象が起きている訳である。可哀そうに、しっかりしろ。
ベクトル一行の退散の直後、
「大黒天様、あのベクトルとかいう魔導師を殺す気が無いならば、同盟に誘っておくべきだったのでは? あんな無名の弱小勢力、我々ならばいくらでも呑み込めそうなものですが……」
大黒天にそう言って詰め寄ったのは狗公方であった。結局、この一件で直接戦闘をしたのはヘッドレスと大黒天と彼だけである。興奮冷めやらなかったのだろう。珍しく忠誠心の篤い彼までもが大黒天に食って掛かった。
これに対して大黒天は何かをあきらめたような顔で答えた。
「でもなあ」
ベクトルがこのタイミングを狙って現れたという事は、それ自体が一種の宣戦布告なのである。もしかしたらイゾウ達とネクロと出会う要因となった護衛の欠員も、狙ってベクトルが引き起こしたのではないかと今になって割と本気で疑っていた。
「彼は私よりも遥かに強いんだ。彼の勧誘は妖怪の山から君を引き抜いた事の万倍は難しいだろう」
「ははは、まさか」
狗公方は苦笑した。大黒天とは一山をかけて死闘を演じた末初めて互いを認め合い盃をかわしたという経緯がある。それを超える困難などあり得るのか、と、狗公方は半ば嫉妬にも近い気持ちを覚えていた。
大黒天はフォローした。
「それに、彼は魔導師の中では魔界で三本の指にすら入る。我が最大秘術である『紅魔術』も彼無しには完成しなかった代物だ。これのおかげでこんな体の私は今まで戦い抜くことはできたわけだが、今の彼の術は更にその上を行っているはずだ」
大黒天は車椅子に預けた体を巧みに揺すり、マントをめくり上げた。それを見れば彼には腕もなく、足もない。いわゆる五体不満足、首と胴体だけの身体であった。『手足』、バテレンが大黒天を煽るのにこの言葉を強調したのはそう言うわけであった。
大黒天は続けた。
「案ずるな、私にはこの大黒同盟がある。お前たちが、いや、我々こそが今や魔界最強なのだという事を忘れるな、諸君」
「応!」
結果、幹部たちの熱のこもった呼応からも読み取れるように、ベクトルの来訪によって彼らの士気も高まったきらいがある。
「ふふふ」
大黒天は酒が回ったのか大層機嫌がよさそうであったが、その心の内々では例の牙がバテレンの無茶な行為によっておおよそ除去されてしまっていたことを術者被術者間のシンパシーとして強く感じ取っていた。
(これさえも、我が吸血鬼一族の誇る大怨念までもが奴を仕留め損なうとは……)
と、大黒天は地団太を踏むべき悔しさと共にしかし、ベクトルにバテレン、想像をはるかに超えるであろう強敵に最強の軍団と共に立ち回れる事への至上の喜びを感じてもいた。
大黒天は誰に言うでもなく呟いた。
「人魔界の忍びたる強者共よ、この吸血鬼の大統領大黒同盟盟主の大黒天が全身全霊を以て相手する」
これこそが現魔界最大勢力『大黒同盟』であった。
次回予告
バアキのとある宿屋、ベクトル率いるベクトル軍団の幹部たちが勢ぞろいでの大会議が執り行われる。果たして、イゾウ達の旅はどういった展開を見るのか、ベクトルの今後の動きは?
次回『魔王の懐刀』第九十三回、『宿屋のベクトル軍』。来週も見てね!