バアキの夜《路地裏》
後書きで次回予告を書く時って凄く楽しいんです。しかし、そのあと続きを書きながら後悔し、果たして全く違う事書いてしまったりします。ですから、当たらない予告は作者の遊びだと思ってください
イゾウが眼を覚ます頃には既に日が落ちていた。電気目玉の明かりに微かに照らされた路地裏のどうという事のない空き地に彼らは居た。
イゾウは用心棒の放った電撃張り手で昏倒し、そのままククリに運ばれて来た。
その前後の記憶は以外にも克明であった。バアキへたどり着いたこと、大黒同盟の館で門番ともめたこと、怒りの余り剣を抜いて暴走したこと、そして、ククリに銃弾で打ち抜かれたことすらも今ははっきりと理解していた。恐らく魔人の脳味噌のたまものだろう。
異様にズキズキと痛む頭を押さえながら周りを見渡すと、横のところにククリが膝を抱えて眠っていた。しかし、その安らかな寝顔が目に入ると安堵どころかかえって肩の傷の痛みが蘇るような気すらした。事実、彼に撃たれたのだ。
だがもちろん、『誰が悪いのか』は火を見るよりも明らかである。イゾウとてきっとわかっている。
しかし、
(こんにゃろうめ……)
イゾウは一瞬だけ銃弾を受けた事への、道理の通らない恨みをムラッと胸の内に宿らせた。ややもすれば眠りこけている戦友を叩き起こしていたかもしれない。イゾウはそれぐらいやりかねない恐ろしい癇癪持ちであった。
何より、ククリと同様彼も消耗しきって錯乱状態であった。肉体的には無傷に近い状態まで回復していたが、対魔力用鏃による精神の消耗は魔力の扱いを会得しきれていないイゾウにはクリティカルヒットしており、人斬り時の様な殺気立った思考と心に支配されていた。
思えば、イゾウのこの道理をかなぐり捨てた粗暴さが彼を死に招いたと言っても過言ではない。そもそも幕府側の捕縛を受けたときだって、彼ほどの力を持った人間が最低限使って上手くやっていれば、誰にも止めることなどできなかったはずなのだ。いくら闇の教育を受けて公の剣術を身に付けようと、どうにもならない野生と我流のひん曲がった一本槍が彼の腹の底を貫いており、イゾウを周りごと破壊的に変貌させるのである。魔界に転生した今とてそれはそう簡単に変わるものではなかった。
「クソガキめ、ぶち殺してやる」
とまで言い放ち、イゾウは早まりかけた。その眼には病的な兆候が大きく見られ、視点も定まっていない。まるで、何かに取りつかれたようである。
イゾウは魔剣に手を掛けた。
が、ここで彼を制止する者があった。
「ボウズを殺るのか? 見損なったぞ我が弟子よ。それは剣士としての道に外るるぞ!」
魔剣の精霊の爺さんである。作者も剣とは道(徳)であると聞いたことがあるが、彼は剣であるからまたそれでもあったのだろう(彼の言う事はやはり常識とか人間味とはかけ離れてはいるのだが、たまに状況とピタリと一致した説教をする妙な良さがある)。説教くさいところはあるが、人斬りイゾウには終ぞや現れなかった精神的拳骨親父である。
「ワシは見ていたぞ。このボウズはあそこで確かにお前を撃ったが、撃ってお前の命を助けたのだ。そうでもしなければお前はあの用心棒に敗れて今頃、こうだ」
精霊はそう言ってイゾウの脳内で自分の首を掻き切る動作を示した。
「ワシの制止も聞かずにあれほどの魔剣士と戦うなどもそもそも有り得ん。相手の力量も読めん若造め、道理と道義を弁えぃ!」
精霊の大喝と共に、脳天に拳骨を喰らったような衝撃がイゾウを襲った。魔剣の精霊はイゾウの感覚に干渉できるほどにまでイゾウとのシンクロを高めていたのである。イゾウは衝撃に耐え切れず膝をついた。
しかし、それはイゾウの余りある蒙昧と疲労を吹き払う嵐の一撃であった。電撃による頭痛までもが解消された。
イゾウはハッと我に返りかけ、確認した。確かにその通り、ククリは体を張って自らの暴走を止めてくれた恩人である。頭で、いや、今や心ですら深く分かっている。彼が戦いで失った左目の事も含めて、申し訳なさで涙まであふれようとしていた。
「ククリ、すまん……」
と頭を垂れて嗚咽を挙げた。思い返してみればイゾウは生前、人に心から恩を与えられたことが無い。攘夷組織においてだって『恩』とは上からの評価や統率の現れでしかなく、おおざっぱに言えば本当に人斬り包丁扱いだったのである。感謝するのと同時に、イゾウは自らの浅はかな行いに深く恥じ入った。今思えばどうしてククリが憎いなどと思ったのかわからない。イゾウは正常に戻りかけた。
だが、不幸なことであった。イゾウの中の獣性、そして、死体キメラとしての魔人の体に宿った禁断の凶暴性が、極度の疲労と錯乱をきっかけに目覚めかけたイゾウの心を飲み込まんとしていた。ベクトルの施した異世界召喚兼魔人召喚術は、破綻の色をわずかに含んでいたのだ。
突然、イゾウは笑い出した。
「分かっているとも、ああ、恩人に手を掛けちゃあいけねえなぁ」
イゾウから、いや、イゾウの口から魔剣に対して言葉が返るが、そこには極端な抑揚、わざとらしい語調が盛り込まれていた。そこには、イゾウの魂にリンクした魔剣の精霊でさえ気づかなかった、剛毅で荒々しい戦士の心の裏にあるもう一つの、弱く、脆く、小狡く、他を嫌い妬み、無力感を抱く職業暗殺者の心が糸を引いていて、イゾウの口を借りて言葉を発したのである(ちなみにこの闇の心というのもイゾウ自身ではあるが、魔界に来て本人が気付かず封殺していた心の暗部であった。例え本人の一部であろうと暗部が表に出てくるというのはとても不自然なことで、いわば、剥き出しになったお尻が人目に曝されているのと同じことなのである)
そして魔剣の精霊は、イゾウの心の断裂を見抜くには足りていなかった。
「お前、イゾウなのか?」
と、イゾウらしからぬ様相で身をよじるイゾウの身体に尋ねた。同時に魔剣はイゾウの心の中を鬼の形相で駆け回ってその不純物を取り除こうとした。
主と魔剣との結び付きは強大である。イゾウの裏の心は主の心の一部でありながらも魔剣に粛清されかかって体中を逃げ回り、最期に、
「ああ、そうとも、俺もイゾウだよ、バーカ!」
と答えたのも束の間、イゾウの身体のあらゆる穴から黒い液体となって外へ飛び出し、地面にこぼれて影如く広がって何処かへ逃げ去ろうとした。
魔剣の精霊は呆けているイゾウの身体を操作してその影を追いかけようとしたが、もとより暗い路地裏である。暗闇の中を巧みに逃げ回る影を捉えることは至難であり、影は果たして逃げ去っていってしまった。
これ以上はどうしようもない。精霊はイゾウに体を明渡し、刀身に戻った。
この現象はイゾウの魔人の肉体の素材と死体に籠った怨念とイゾウの心の暗部が共鳴して発生した怨霊体であることが後に解明される。もとより別々の心と体である。我の強すぎる二者の長所が生かし合った魔人の誕生と同時に、負の部分が強め合ってこのような事態が起こるのであろう。
結果、イゾウは魔人の身体と二つ目の命と引き換えに、自分自身との過酷な殺し合いを運命づけられたのである。
次回予告
大黒天と対峙したバテレン。しかし、大黒天はバテレンのスパイ行動や術はおろか、彼が地球人であるという事まで見抜いていた。
大黒天の狙いとは何なのか?
次回『魔王の懐刀』第88回、『バアキの夜《館内》』。来週も見てね!