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魔王の懐刀  作者: 節兌見一
妖物たちの世界
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バテレンの横槍

 淫魔アリスのうねるような淫靡が、ベクトルの理性のバネをきりきりと引き伸ばして、バネとしての働きを失うぎりぎりのところまで力を振るっていた。アリスの段取りでは、後は巧く手を離すだけでバネは復元力によって大きく振動した末に弾け、ベクトルは獣の如くアリスに襲い掛かって全てをアリスに奪い取られてしまうはずであった。

 アリスの魔術はピタリとはまり、ベクトルはまんまと嵌っていたのである。だが、アリスの魔法は1つだけ、たった一つだけ誤算を含んでいた。

 それは、『男女の仲』という原始的な術者と被術者の関係を破壊するもの。つまり、カップルにちょっかいを出す第三者の存在であった。内側からは何をやっても雰囲気を壊せないが、一度劇場の外から邪魔が入れば……。

 その直前、アリスはベクトルという男の品定めを大方終えており、その膨大な魔力が自分のものになるであろうことを歓喜していた。表情には出さずともその快楽は大きい。

 そこには、単に力が得られるのが嬉しいという一面に加えて、

「自分がこれほどの魔力を持つ男を誑し込んで屈服させた」

という悦びがあった。それは武人が強い相手を倒したときに得られる達成感に通ずる自惚れであり、自らを良くも悪くも深化させるものなのである。

 アリスは思った。

(これ程の魔力を持つ男がこんなに簡単に引っかかるなんて……。初めてだったのかしら?。まあいいわ、そんなことよりもこいつの膨大な力よ。この魔力を吸えばあのバテレンにだって勝てる!)

 アリスは垣間見えるベクトルの魔力をかなり評価していたが、あくまでも自分がこの魔力を奪って従えるに足る存在であるという自負を持っていた。この自負を現代風に言えば『女のプライド』とかいうものになるのである。

 アリスはベクトルの魔力を吸収するために力の受け入れ準備を始めていた。それ即ち男性を受け入れる準備である。濡れるべき所ははしたなく濡れに濡れ、胸は高鳴り、気持ちはさらに淫らに。対極に吸い寄せられる磁石のように、自らを盤面の支配者から登場人物へと貶めることで一人の女としてより多くの快楽と力を得るための準備である。

 これはアリスの術の根幹であり、アリスの最も望む瞬間でもあるのだが、同時に最大の隙を生む。下ごしらえを少しでも誤ればかえって自分が相手の性奴隷にされかねない唯一最大の隙である。

 だからこそアリスは入念に魔力を用いるわけであり、実際、この期に及んで盤面をアリスの望まない方向にひっくり返せるほどの理性はベクトルには微塵も残されていなかった。詰め将棋は完成されていた。

「お兄さん、今楽にして差し上げますわ」

 完璧。だからこそ、誤算なのである。

アリスがすべきことは、ベクトルに理不尽に快楽を押し付けている魔力をカットすることだけである。そうすれば後は理性を失ったベクトルが宜しくやってくれることだろう。それに身を委ね、いただくべきところを行為を通していただき尽くせばいいのである。

 アリスは頃合をはかってついに魔力をシャットアウトしようとした。

 だが、ここで全てがひっくり返ってしまった。

 アリスの体は殴打されたかのようにバチンと『何か』に打たれて宙に浮き、壁に叩きつけられてしまった。同時に今まで積み上げてきたいやらしい雰囲気がプツリと切れ、ベクトルは現実の世界へと引き戻された。雰囲気を要素に取り入れる呪術は一旦はまれば強い代わり、少しの横槍でも簡単に崩れてしまう脆さを持っていた。アリスは最後の最後で何者かの横槍を喰らい、全てを台無しにされてしまったようである。

 ベクトルはこの時になって初めて心底アリスという術師の恐ろしさを認識し、また、自らが完全に術にかかっていたという敗北感を噛み締めた。謎の横槍が入らなければ十中八九やられていた(ヤッていた)だろう。

 先ほどまでの優勢が嘘のように、アリスは激しい一撃を喰らったために地に伏している。どこぞの骨が折れたのか、ひどく気だるく悲痛な擦れ声を出すのが関の山だった。

「バテレンっ、何故だ……?」

その声はもはや幼女の苦しむ声ではなく、何か別の、おぞましい何かによる呪いのこもった呪詛の言葉であった。この有様を一度みてしまえば、二度とアリスに欲情することなどありえないような醜態。姿はそのままなのに、幾分かしぼみ老いたような印象を受けた。

 ベクトルは割れそうな頭を抱え、はだけた自らの懐から短剣を取り出した。魔導師が短剣を使うと術師としてチープに見られがちであるが、何かと便利であるから持ち合わせていないわけはない(近年の創作においては、窮した魔導師が人質の首に当てたりする場面などの演出に絶好のアイテムである)。

 ここで殺しておかなければ……。ベクトルはアリスめがけてナイフを構えてよろよろと突進した。

 しかし、声がした。

『待て、娘を殺すな。殺せばお前を殺す』

「殺す」の一言の直後に後ろで何かが弾ける音がした。言う事を聞かなければ次はベクトルが弾けてしまうに違いなかった。

どうやら、アリスを打った何かを通して何者かが語りかけてきているらしい。アリスをぶっ飛ばしておいてどうしてこんな事を言うのかは判然としないが、アリスの術の影響が残っているこのアウェイの中で正体不明の敵と戦うのではあまりにも分が悪い。

 ベクトルは息を切らしながらも冷静に判断し、短剣を横に投げ捨てた。途端にピンと張った空気の中に混じった悪意が少し薄らいだような印象を受けた。

 ベクトルの目から見て、バテレンの術は重力系もしくは念動系の魔法に見えた。分身を通して経験したのとを加えてベクトルは何回もバテレンの術を見ているが、未だに原理を見抜くことは出来ない。そもそも、この術が魔法なのかもよく分からない。大師匠が抵抗できずにやられてしまったのはこの術ゆえかもしれないとふと思った。バテレンの邪悪な『話術』という重要なファクターを見逃してはいたが、半分正解であった。

 そして、術も意図も不明なバテレンに対し、ベクトルはアリスに対するのよりも危険なものを感じていたのである。

 声は響く。

『安心したまえ魔物。アリスにここまでの隙を作ってくれた礼だ。懐に隠し持っている拳銃をおいていくならば命だけは見逃してやる』

つまり、バテレンはただただアリスに嫌がらせをしたかっただけなのか?とも思うが、何か複雑な事情でもあるのだろう。ベクトルはそう納得しつつも、

『嫌だと言ったら?』

 と言い放ったかと思うと分裂した。八つに。

 分裂した瞬間にそれぞれが等身大のベクトルへと変身し、まあまあのスピードで部屋の出口へと殺到した。想像してみるとちょっと面白い構図ではある。

 バテレンもこれには少し驚いたらしい。が、数が増えたところでどうということもないらしく、最初の二、三秒で三人のベクトルは原因不明の突然死を遂げてしまった。残った五人のベクトルは脇目も振らずに走るが、最初のベクトルがドアノブに手をかける頃には彼一人を除いて皆転ぶように地面に伏しては二度と起き上がらなくなり、ドアの外に出たと思った瞬間に最後の一人も声を発することなく事切れた。皆無傷であった。

 新登場、ベクトル八人兄弟は部屋を出るまでのたった数メートルを疾駆してこの世からいなくなった。

 そして同時に、執務室からのろのろと歩いてきたバテレンがアリスの倉庫に向かう廊下の曲がり角を通過して現れた。バテレンははみ出たベクトルの死体をひょいと倉庫の中に蹴り入れ、自身もにやけ面を含みながらその中へと入っていった。

 

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