帝国崩壊と自由な放火魔
前に鉄鬼を倒したあたりで「ここまでが第一章ですよ」みたいなことを書きましたが、やっぱりここまでが第一章ということにしておきます。あのころはこんな展開になるとは考えもしていなかったのです。
あ、『第一部完』などと言うと誤解されそうですが、まだまだ続きますよ?
コントンは何食わぬ顔で現れた。まるで自分の家か何かにいるような気持ちだったのかもしれないが、とにかくのっそりのっそりと通路の物陰から歩いて出てきた。妙にだらけた姿勢が休日の日のお父さんのようである。
「だから言ったじゃねえかよ兄弟。周りに気をつけなきゃあ」
と、殺意をギンギンに漲らせているバグを背景か何かのように言いのけている。奇奇怪怪一派は基本的に緊張感が無いが、それはもはや職業病のようなものである。
魔界ではそんな余裕をかます魔物から死んで行く習いであるが、コントンのそんな余裕には理由はちゃんとある(のかもしれない)。
「すまないね爺さん、こんなに散らかして……。ここはあんたの館かい?」
確かに辺りは散らかっていた。奇奇怪怪が散らかした死体が主であるが、半分ほどはバグの蟲である。
このコントンのフレンドリーな口調にいやみったらしさが微塵も感じられないのがむしろ嫌味であり、バグの琴線を荒くなでた。
バグは本日三連戦目に突入しようとしている自分が少し情けなく感じた。若い頃は戦いと聞けば大喜びした血気盛んな部類に属していたが、今日は戦うたびに相手のランクが落ちていっているような気がしてならない(実際はそんなことはないのだが)。一人目からは敗走し、二人目は蜂の巣にしてやった。三人目はいかようにしてくれようかという疲れの混じった怒りがバグを動かしていた。勢いに任せて、
「まったく害虫の多い日だ。殺してやる」
と物騒なことを言い放つ。
この小説は今までずっと命の取り合いばかりだったので勘違いされてしまうだろうこと請け合いであるが、まず、魔界の情勢を乱世の一言で片付けてきたのがまずかった。乱世乱世と分かり切ったことのように言ってはきたが、それは魔王を志す魔物たちが魔王の座を奪い合うための戦いに明け暮れていて統治機構が安定していないという意味であり、国家総動員して上から下までみんなで殺し合いしている訳ではないのである。
魔界にもそこそこイケてる都会はあるし、(戦闘に巻き込まれない限りは)のほほんと平和に魔物たちが暮らす村々もある。魔王が誰であろうと大して影響されない魔物たちの営みというものが確かに魔界には存在しているのである。
この魔界のイメージに一番近いのは三国時代の中国である。力を失った封建権力の復興を大義名分に、屈強な強者達が覇を争う様などはちょうどいい。また、戦場にならない場所では割と平和だったりするが、とばっちりで数十万レベルの命が虐殺されたりもするのイメージに適う。とは言いつつも魔界はユーラシア大陸ほど広くはない上、一勢力の兵力も多くとも一万を超えない。
なんともはっきりとは示せないのであるが、魔界はミニマム三国志とでも言うべき世界観を持っている、と誤解を招くこと承知でここに断言しておく。だが、あくまでこれも隣接する人間界のことを考慮しないで言っていることなので忘れてもらってもかまわない。
そう、忘れてもらってかまわないのだが、蓋し、ファンタジー小説において世界観があーだこーだと作者が言い出すということ自体が描写力不足を表すパロメータともいえるのではないかとふと思った。
そもそもファンタジーにおいて世界観という言葉を語り手が口に出すこと自体がタブーである。ファンタジーという空間においては幻想を大真面目に語らねばならないわけで、
「世界観はこうですよ」
と言ってしまえば舞台装置のボロが見え、全ては台無しである。そういったギャグが好まれるケースもあるようではあるが、ファンタジーでは基本的にご法度なはずである。ちなみに、私はギャグのつもりではなく、大真面目に書いているつもりである。
また、そもそもこの小説はイゾウの語りであるという点からしても作者が何か口出ししていいものではなかったはずなのだ(別に設定を忘れていたわけではなかった)。
架空戦記ファンタジーものを書こうとしたときに世界観を自然に展開できなくてどうする、と自嘲混じりにこうして書いているわけであるが、そもそも小説にはこれだと言う決まりがないというのも真実の一端ではある。その自由ゆえに作者は今困惑している。
結局何が言いたいのかと言うと、この小説は作者にも何の小説か分からなくなってきたということである。読者が作者のメタトークに晒されたりこんな愚痴をこぼされたりするのもこの小説がファンタジーとは少し異なった謎の小説であるからである、ということを一応言っておきたかった。言い訳である。
長々と書いたが、そんなことは物語には全く関係ない。
「爺さん、そう怒らないでくれよ。俺は兄弟を迎えに来たんだ。見逃してくれよ」
と、あくまで穏便に済まそうとするコントンを尻目に、物騒なバグは奇奇怪怪の時と同じように蟲をけしかける。
コントンは無防備であった。質素な衣服を除いては何も身に着けていないし、勇者のときのように物理的バリアを張っている様子もない。無抵抗の相手には惨い仕打ちである。
しかし、不思議なことが起こった。蟲たちがコントンに接近した途端に蟲たちの統制が取れなくなり、結果コントンに蟲は寄り付かなかった。バグが自らの手足を動かすように動かせるはず蟲たちがコントンを襲うのを拒むようである。
バグの蟲たちは基本的に死を恐れないように訓練(呪術的洗脳)されているため、殺虫剤はおろか何かしらの罠があろうと臆することなく突っ込んで行き、少なくとも犬死するはずである。だが、コントンは無傷どころか一匹の蟲も殺していない。
バグは蟲たちの王として蟲が文字通り虫けらのように死んでいく事に対しては仕方のないことと心を動かさなかったが、蟲に背かれる事だけは決して許せなかった。そんな蟲は社会不適格者であり、度々遺伝的欠損などで現れては同族によって始末されてきた。専制下の人間社会とそっくりである。
遺伝的欠損ならば不適格者が現れるのも仕方ない。だが、今ここで起こっていることはそれとは違うようなのである。
今度は甲虫弾丸をコントンに向けて放つ。が、当たらない。弾丸の推進力は甲虫の飛行によるものであるから、甲虫に影響が出たのは確かである。だが、蟲の本能としてバグがプログラミングしてきた呪縛がこうも簡単に無力化されてしまうのはおかしい。どうやったのだろう。
コントンはほくそ笑んでいる。驚く暴君の顔が面白かったらしい。
「はあ、無駄だよ爺さん。このコントンの周囲では何者も自由だ。」
戦闘に何ら関係無さそうな言葉が出てきた。
「自由だと?」
「ああ、自由さ。あんたの陰湿な支配からこの虫けらは解放されたのさ」
そう言い放つコントンの足元ではムカデと蜂が無意味に争っており、互いに毒針を相手の体に突き刺したかと思うと、そのままポトリと仲良く死んでしまった。このような事もバグの支配下ではありえない事である。まるで、術として洗練された蟲が、ただの蟲に戻ってしまったようである。
「あんたみたいな奴隷使いの術師はこの『自由結界』でイチコロさ。面白い術だろう?」
どうやらコントンの周囲に球体状の結界が張ってあるようだ。しかも、中に入ってしまったものは自由になってしまうらしい。『自由』という言葉と相まって胡散臭さが際立った術である。
しかし、結界とは空間を抽象的に束縛して一定の意味を与えるものであるから、結界に入ったら自由になるというのは些かおかしい話である。バグは専門外なのでこの謎について深く考えもしなかったが、大師匠のような魔法を哲学して止まないタイプの術師が仮にこの術に出くわせば、戦闘そっちのけで面白がったかもしれない。コントンはこういう変な術を好んで使った(しかも効果的に)。
確かに変な術ではあったが、蟲を封じられたのはバグにとって致命的である。バグにとって蟲とは剣であり盾であり、そして身体そのものなのである。むしろバグにしか効かないような術であるが、コントンはバグの戦い様を覗いていたのだろうか。
「爺さん、まあそんな怖い顔をしないでくれよ。俺は本当にただ、ここに転がっている義兄弟を引き取りに来ただけなんだ」
もはや生物かも分からない姿の奇奇怪怪を指差して大きく欠伸をしているコントンがバグは無性に気に入らなかった。バグは体術の構えをとった。
「生きて帰すと思うか、若造!」
バグの強さは蟲と体術との融合にある。蟲を体術で活かし、体術を蟲で活かす。この戦法が封印されれば戦力は大幅に減殺されるのは承知であったが、それでもコントンが気に入らなかった。殺す。
バグは複雑に関節をしならせ、半ば這うようにコントンへと向かっていく。尺取虫の蠕動のような動きに飛蝗のような跳躍、ゴキブリのような速さを備えたグロテスクな美しさを孕むモーションであった。この超低空姿勢から繰り出される体術は常人の想像を絶するものに違いない。しかしコントンは余裕のだらしなさを崩さなかった。
コントンは余裕である。
「あんた、自分というものが分かっていないねえ」
その言葉の意味はすぐに分かった。コントンはたった一つ張ってあるだけの結界で、バグを封殺するつもりだったのである。
バグは結界の中に入ってしまってからようやく自分のミスに気がついた。頭で考えて気付いたというのもあるが、体の中で起こり始めた変化を知覚したということもあった。その結論はバグにとって最も揺らがないはずのものの崩壊であり、生命の危機でもあった。
コントンは計算通り(何時計算したのかは不明)、
「自由の本質とは何か、それこそ単純明快。支配への『反乱』さ。気付けず入ってきちまったのが運の尽きよ」
としたり顔である。何が起こったか。
と言う程の事でも実はない。バグの身体に潜む数万体、数千種の蟲どもが『自由』になり、バグの体の中で好き勝手始めたのである。バグという蟲のコロニー帝国の崩壊である。
むしろ不思議なのはどうやってコントンがこうも的確にバグに効果的な術である『自由結界』を用いたかということであるが、それをここで解き明かす術はない。
ただ、想像してみても欲しい。生きていく上で当然の働きを持つ要素、例えば内臓器官や筋肉が、身体の主たる頭部に反乱を起こして自分勝手に収縮したり運動を激しくしたり、果てには体の中を這い回ったりしたらどうなるだろうか。
バグは屈辱と苦痛に塗れた。帝国の王たる存在が民衆の反乱ににっちもさっちもいかなくなって地べたを這い蹲っているのである。まるで蟲のように。
コントンは、
「勝手に入ってきたあんたが悪いんだぜ、爺さん」
と、本来は自分たちが侵入者なのに言い放った。「コントンよ、それがお前の言う自由か?」と問い詰めたくなる身勝手である。
バグは苦痛に身を捩じらせ弱弱しい吐息を漏らし、やがて気を失った。意識が途切れたのと同時に体中から蟲が湧き出し、大半はどこかに行ってしまった。バグの体の中でしか生きていけない少数寄生虫を残すのみで、それらによる生命維持に手一杯のようである。下手をすれば植物状態にもなりかねなかった。
それを見ていたコントンが、一瞬だけ侮蔑の表情を見せた。
「ふん、奴隷使いの末路とは浅ましいものよ」
コントンは自由結界によって奇奇怪怪から蟲を取り払った。蟲とは本来何の意味もなく一箇所に群がったりするものではないため、バグの呪縛から自由になった途端に溶けるように飛び去っていってしまった。
そして、恐るべきは奇奇怪怪の生命力である。
『助かったぜ兄弟!』
と、いつの間にか意識を取り戻しては穴だらけの体で騒いでいた。適当な性格の奇奇怪怪のことだから以前にも恐らくこういったことがあったのだろう。コントンは手馴れた様子で奇奇怪怪を担ぎ上げた。奇奇怪怪の体からは体に残留した蟲の卵が粘液と共にだらだらと垂れている。
館には気の狂いそうな静寂が敷かれていた。コントンは少しの間その狂気に酔いしれていたが、やがて
「帰るか、奇の字よ?」
と我に帰った。
そう、このまま帰ってくれるのならばどんなに良かった事か。もし彼らがこのまま帰っていれば互いに痛み分けという形で一応の決着がついたはずだったのだ。
だが、ここで奇奇怪怪は余計なことを言い出した。
『待ってくれ兄弟。火、持ってないか?』
「煙草か?。持ってないぞ」
煙草の煙で体内に残った無視でも燻すのかとコントンは予想した。しかし、奇奇怪怪の思考は常に他の予想の斜め上、あさっての方向を突っ走る。
『馬鹿野郎、館に火ぃつけんだよ』
何故そうなる、とは誰も突っ込まない。
「ん、そうか。それも風情があるかもな」
さすがはサイコパス盗賊。物を取らずに火をつける。たいした嫌がらせ根性である。
この下劣な提案にコントンは何の躊躇も示さなかった。次の瞬間には指先からポッと小さな火の玉を出だし、近くの壁に火をつけていた。そして、当人達は火付け遊びに飽きたらどこからともなく消え去っていってしまった。
炎とは侵略と活力の象徴である。火の手は瞬く間に館に広がり、特殊な防御の生されたベクトルの秘密研究所以外は全焼する他なかった。
ベクトル館はエルフの森の中にあったというのは前述の通りである。幸い森に飛び火して延焼を起こすような事態には至らなかったが、エルフが火を嫌う種族であるのも重なり合ってエルフの里に大打撃を与えることとなる。
そして、何よりも気になるのは館に残されたイゾウ、ククリ、そしてバグ(とベクトル人形)の安否であるが、火事を敏感に察知して殺到したエルフ達が見つけたのは残された館の残骸のみであった。
彼らはどこへ行ったのか。それを説明するのは簡単なことであるがその前に、彼らが新しく行動を起こすまでの世界の動きについて次回からは触れていこうかと思う。
さて、人間界サイドと魔界サイド、思えば定石を無視した無茶な数の登場人物数と相成りましたが、この先もっと増えていくかと思います。それを通じて色々な視点からこの世界を書いてみたいと思っているのでまた大きく文体が変わったりするかも知れませんが、どうかお付き合いください。
これからも『魔王の懐刀』をよろしくお願い致します。