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魔王の懐刀  作者: 節兌見一
妖物たちの世界
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魔剣の理学

 結局、奇奇怪怪が立ち去るまでは狸寝入りをするということで話がまとまった。ちょっとやそっとのイメージトレーニングで勝てる相手ではなかったのである、ということにした。その間は魔剣がレーダーとなって奇奇怪怪の魔力やら妖気やら腐臭やらを観察し続ける役目を負った。この魔剣、上手く使えれば大抵の事が出来るコンピュータのような剣であると考えると、気難しい爺を搭載してはいるが、宝剣として伝えられていたのにも肯けるところがある。

 イゾウが倒れてから十分近くが経過していたが、奇奇怪怪は未だに館内を徘徊している事が伺える。ぶっちぎりのサイコパスである奇奇怪怪の行動原理など知ったことではないが、とりあえず止めを刺される心配は無さそうであった。さっさと帰れとは思いつつも、一安心である。

 では、再びイゾウの夢の中の更に夢の中の仮設道場へと話を戻す。

 イゾウは自前の型を中々直せずにおり、隣では精霊が気難しさ半分、気が抜けて半分の何とも言えない顔をして、イゾウに指導を施している。

 ちなみに、夢の中と現実はそれぞれ時間の進みが異なることは前にも述べたが、奇奇怪怪の拷問地獄の四次元的な時間の混沌とは異なり、道場内の時間の流れは現実とは大きく波長がずれてはいるものの、いくらかは周期的であった。

 イゾウは単純であったからこの時、奇奇怪怪の地獄のことは頭の片隅にも置かずに精霊の剣に熱中していたが、それだけでは多大な後遺症を残したまま現実へと戻ることとなる。夢の中の出来事については夢の中でカバーした方が道理に適っている事は言うまでもない。これを踏まえて魔剣の精霊はイゾウの魂の救済措置として、魔剣術を通した軽い人格矯正をもすべきだと考えていた。つまり、根性を叩き直そうということである。

「貴様は剣を振り回す事においては天才だが、魔剣士としてはクズ以下だ。」

 魔剣の精霊が思うに、

『魔剣とは探求也。』

なのである。武骨な武闘派の魔剣が幾多の闘いを通して素朴な哲学である。

 誰も気付いてはいなかったが、他を凌駕し、殺すのみでは辿り着けない極地を求める点において、魔剣士の剣への情熱は魔導師達が有する魔道への感情と一致している。つまり、道を極めた魔剣士は本質的に魔導師と同質のものであり、手に持つ物が杖か剣か、戦いに価値を見出すかどうかと言う点においてしか違わない者達、同じ求道者なのである。

 酒と女と殺しと倒幕のこと以外考えていなかったイゾウは、そんな世界に踏み込もうとしているわけである。だが、人斬りとしての才能と経験は、イゾウの剣術への探究心を曇らせていた。と言うのも、かつてのイゾウはあまりにも簡単に人を斬りすぎたのである。

 人を斬るという仕事は常人には向かない仕事であり、こなすには『何のために殺すのか』、『殺した相手は何者なのか』、『この殺しは正しいのか』等の他への関心を極限まですり減らした『現実的な』思考を持たなければやっていられたものではない。そしてしかし、その先には手段と目的が境界線を亡くして人を飲み込んでしまう闇の領域が口を開けて待っているのである。作者思うに、現代地球で取り沙汰されるようなテロ行為を行うテロリスト達も、この思考に囚われたために道を踏み外したのではないだろうか。

 そして、そんな思考を持ってしまったイゾウにとって剣とは手段としての価値しか持たないのである。斬った相手も手段の領域内である。

 魔剣の精霊は正にその思考をを剣としての直感で見抜き、改善したいと思っている。

 つまり、まずはイゾウを殺人狂から戦闘狂に作り変えるのである。魔法剣を初めて見た時の反応からしてイゾウの中の純粋な強さや技術へと向かう心はまだ萎えきっていないらしいから、望みはあった。

 改めてイゾウの殺人マシーンとしての体さばきを評価しつつ、精霊はほんの少しの光明でも見えたのか、意気込んで伝える。

「イゾウよ、貴様がわしの持ち手となった以上は貴様をまともな魔剣士に叩き直して見せようぞ。魔力の使用は追い追い修練を積むとして、今はわしの剣の一通りの型を真似して覚えるのだ。お前には分からんかもしれんが、動作の一つ一つが魔力の精密操作のために完成された我が剣をとくと見ておれ!」

気合が入ると話が長くなるのは説教だけではないらしいが、少なくとも教育理論としては悪くない方法だった。

 そして、ここから先はひたすら根性の時間である。睡眠学習であると言う点だけはほんの少し現代臭い(抜け道っぽい)が、それを除いては修行僧の苦行を三倍濃くしたような青臭さと血反吐の量と言っても過言ではない。

 疲労の面では奇奇怪怪の地獄を遥かに越えるほどに気を揉まねばならなかった。一つ一つの剣の型を体で覚えるまではいいのだが、その運用の段階に入ってからは魔術理論や現代地球で言う古典力学のような分野の理学までをも総動員して考えながら戦うのである。

 例えば、妖怪を模した『東方妖怪流魔剣法』が魔剣の精霊の元の主の流派なのであるが、その内の『かまいたちの型』基本の六つの型においては、理想的な真空の形を形成するために刀を持った全身の重心を中心に回転するように剣を振らねばならないという鉄の掟がある。そのうえ真空を媒体とした魔法の性質も把握しておかなければならず、それゆえに剣に速さも必要なのである。イゾウはこの六つの型を魔力を使う前の段階まで完成させるだけまでにおよそ八千回の素振りを繰り返した。そりゃ強くなれるわい、と突っ込みたくなってくるが、それでも勝てないのが魔界の恐ろしさである。

 先ほどは苦行と比喩したが、もっと正確に言うと、現代日本の『受験勉強』にも匹敵するような情報量、頭脳労働量だったかもしれない。単純なイゾウにはある意味で最も恐ろしい地獄だった。

 よくよく考えてみれば、江戸時代の鉄砲玉が理学の訓練など受けている訳は無く、そういうことに関してイゾウは先天的にも後天的にも向いていないのである。

 義務教育を受けた現代人にはイメージが難しいかもしれないが、例えば、就職内定が決まっていて意気揚々と大学を卒業した矢先になりたくもないのにやくざの殺し屋をやらされ、意味もなく人を殺し続ける羽目になったとしたらどうだろう。大抵の者は指をつめて勘弁してもらうか、自ら命を絶ってしまうだろう。イゾウにとって理学とはいわば、そんな苦行なのである。

 常識外れの修行であったが、あとは本当に努力と根性の究極の鍛錬であり、書き記すことは何もない。『東方妖怪流魔剣法』についても後に詳しく述べることとし、とりあえずは現実魔界の動きに戻ろうかと思う。

 と、言うのも、意識不明のベクトルを抱えたバグがやっと帰ってきたのである。

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