魔剣の精霊
少し文体を変えてみました。
驚いたことに、夢想空間の道場に忽然と姿を現したその男は人間であった。しかも、
「俺と同じ顔じゃねえかっ?」
とイゾウが驚いたように、その人間は生前のイゾウそっくりの姿形をしていた。申し訳程度に結った頭といい、血の匂いがべっとり臭ってきそうな風体といい、人間時代のイゾウを体現している。現在のように鏡が大量生産されることも無く、当然ビデオのような映像技術も無かった(写真はあった)時代の男であるから、水面に映る顔ぐらいでしか自らの顔など知る由もなかったイゾウである。しかしやっぱり目の前におぼろげに知っていた自分の顔が現れると驚くわけで、夢なのではないかと目を疑った(その通り)。未だイゾウは魔界には慣れきっていないと見える。
イゾウはこの辺り、臨機応変の「り」の字も出てこないほどにてんてこ舞いである。バグや奇奇怪怪(下手したらベクトルも)達のようなサイコパスに遭遇してばかりだからそう見えるのかも知れないが、結局イゾウにはかなり人として抜けたところがあり、純粋戦士殴りこみ稼業以外の才能は無かったのだろう(いわゆる鉄砲玉)。ベクトルは召喚する魂の選択を誤ったかもしれない、と作者は書きながら思った。
しかし安心したまえ諸君。何を隠そう、このドッペルゲンガーこそが、ひよっ子イゾウを叩き直すために現れた魔剣の精霊なのである。
イゾウはそうとは知らずに吠え掛かること狂犬の如し。
「誰だてめえ、また幻術か!」
などと久しぶりに見る人間の面に突っかかってみる(自分の面など見飽きていて怖さは微塵も感じない)イゾウであるが、どうにも生前の自分とは異なる印象を受ける。このあたりに気付けるあたり、イゾウの(野性の)才能は捨てたものではないが、やっぱり品性や知性は無い。
対して、人間姿のイゾウも品は無かったが、不思議なことに威厳があった。このあたり、倒幕組織の幹部達を思い出させた。
『黙れ、このたわけの青瓢箪めが!』
と一喝。自分の姿に怒られたのでイゾウはたじろいでしまった。何か、母親の折檻に近い強制力を持っている気がする。
それをいいことに魔剣の精は、
『貴様は何が悲しくてそんなに弱いのだ青瓢箪。魔剣たるこのわしの名に糞を塗ったくる気か。夢の中で死にそうになった(惨殺されること数億回)くらいで何故本当に死にたがる、この腰抜けのヒヨっこめ!』
と言いたい放題で、魔剣のくせに我が強すぎるらしい。むしろ、これ程の我を持つことは膨大な魔力の証明ともなるわけだが、イゾウにはそんなことが分かる訳も無く、有り難い救援であることに気付くまでに相当の時間を要することになる。今そうして正気を保っていられるのは誰のおかげなのかと諭してあげたくなる。
仮にイゾウに、
(ん、今自分のことを魔剣だと言わなかったか、こいつ?)
と気付くぐらいの洞察力があればもう少しまともな会話にもなったかもしれないが、結局魔剣が事の次第を一から説明するも、イゾウは訳の分からぬまま勢いで会話を続け、自分の言いたいことだけああだこうだ言っていた。馬鹿かこいつは、と誰でも思う光景に違いない。
魔剣の精霊はイゾウの予想以上の唯我独尊ぶりに形相を変え、
「青瓢箪の聞かん坊めがっ!よいか、わしは、お前が身の程知らずにも使いこなしている気で振り回している魔剣(の精霊)だ!。魔剣たる尊き身に在りながら貴様のような死に損ないの凡骨に剣を教えに貴様の夢の中までやってきたのだ。だのに貴様は姿かたち(イゾウの姿)でああだこうだと騒ぎおって、クソのような戯言をタラタラ吐きおってからに!魔界はいつから貴様のような出来損ないばかりになったのかっ……」
と、現代の若者の素行を嘆く大人のようにくどくどと、それでいて激しい愚痴をイゾウに撒き散らし始めた。
実のところ、この魔剣はベクトルの母方の一族の宝物として長年厳重に管理され、ベクトルが魔王候補に選定されたのと同時に正式に継承された実に由緒正しき魔剣であり、少なくとも千年以上の歴史を持つ代物である。魔剣にかかればどんな強者でも軟弱な若者のようにしか見えないらしい。その上剣として想像を絶する退屈な時間を過ごしていたらしく、曲がりなりにも自分を扱うイゾウを言いくるめて、自分の手足の如くに働かせて退屈しのぎ(殺し)をしようという気だったらしい。その都合上、イゾウに元の主並みの魔剣士になってもらわねば面白くないという思いがあり、恩を売るついでにイゾウの夢の中に救援に現れたのである、というのが真実であった。
しかし、そんなことで納得するイゾウではない。
(馬鹿め、説教臭い老人なんぞ、俺とて数十人はとっくにぶち殺してらあ)
などと、筋の通らない対抗意識を燃やしており、殺意を湛えた刃物のような目で精霊を睨みつけていた。
魔剣の精霊は老齢とはいえ所詮は魔剣であり、普通の生命体とは少し精神構造が違う。と言うのも、彼にとっての究極の価値とは戦いであり、戦いにしか自分の価値を見出せないのである。結局力ずくで強くしてやるしかないと、彼の中では最初から結論が弾き出されていたのである。
それはともかくとして、魔剣がついに痺れを切らして言い放つ。
「よし決めた、貴様、ここを死なずに出たければこのわしと勝負だ。もし貴様が負ければ貴様は一生わしの殺人奴隷(意味が違う)だ!」
いつの間にかイゾウと精霊の傍らに竹刀が置いてある(夢の中は便利である)。つまり、自分のことなど理解しなくてもよいから戦え、強くなれ、というオーダーである。魔剣の精霊は、魔剣である自分を使うための技術も戦いにおいてイゾウに教え込む算段のようだ。
「その勝負受けたっ。覚悟しろ説教爺(のようなことを言う自分)!」
と単純なイゾウは二つ返事に竹刀を握り締め、彼独特の殺人剣の構えをとった。
上半身を前にかがめて重心を前へ前へと移し、自ら剣の切っ先と相手の首とを右目からの視線が一直線に貫くように構える、西洋のナイフ使いのような極端な構えであるが、一対一の真剣勝負においてイゾウは必ずこの構えをとる。これは後に魔界の剣士達に中途半端に改良された結果、使用者から多量の死者を輩出することとなり『死神の構え(術者にも相手にも危険)』と呼ばれることになる。
対する精霊は両手で正面に竹刀を構えた。こちらはオーソドックスの王道を行くような構えである。
道場という景観に似つかわしくない馬鹿馬鹿しいほどに戦闘欲で満たされた試合であるが、これこそイゾウの魔剣士としてのスタートに相応しかったのだ、とベクトルは後にこの勝負を苦笑を交えて後に評価している。
ここに、魔剣対剣士の世にも奇妙な勝負が成立したのであった。