召喚と主従
更新は週一となりそうです。
毒酒をあおり、地に伏す以蔵を呼ぶ声がする。
言葉のようで言葉でないような、声のようで音のような、そんな奇妙なものが以蔵の頭の中に延々と響いていた。
(地獄の鬼が歌っているのか……?)
それを理解するすべを持たなかった以蔵はそれを歌と表現するしかなかった。
それは一定のリズムを刻み、とにかく何かを訴えかけてくるようである。
しかし、もはや目は光を映さなくなり、耳は音を伝えず、鼻と舌は酒と毒の味を忘れ、地に付している感覚や苦しみが消え、脳はものを考えられなくなっていた。
ただそれに魅かれるような気持ちを感じながら、以蔵は死に殉じていくのだった。それは、安らか過ぎる物だったかもしれない。
そして意識が途切れた瞬間、そこに繋ぎ合わせたように新しい、新鮮な意識が割り込んできた。
それは死後の世界と人がいうものなのだろうか。突如広がる形を成さない光は、以蔵にとって希望ではなく恐怖の象徴であったことだろう。
そして、広がると同時に形作られていく視界に入ったのは、見たことの無い人工物の群れであった。
「魔人が起きたね」
「そうですね、師匠」
ぼんやりとした視界の中に男が二人、見たことも無いようないでたちで立っている。
以蔵は思った。
(もしかして、本当に鬼か?)
彼らの服装もさながら、片方の男はすらりと背が長く、雪のように白い肌と藍染めにされたような青い髪をもち、もう片方は日の輪のように輝く髪、頭頂には角を生やしている。
物の怪や鬼の類に分類されるものであることは疑いようが無かった。想像していた地獄の鬼ほど醜くもなければ、普通でもない。
とっさに身構えようとした以蔵は新たな異変に気付く。赤ん坊が母の胎内から出でて初めて自分の手足の形を眼で認識するように、まじまじと自分の手を見つめる。
幸い指は五本であったが、おかしいのは色である。常識的な肌色の、土に汚れていたはずの肌が、燃えるような紅い色を帯びている。それはまるで、体を流れている真っ赤な血を自分でそのまま見ているような気分だった。
「大丈夫ですかな?」
青い方の男が話しかけてきた。その柔らかい表情には敵意がないように見受けられたが、後にこの表情は巧妙に作られた作り物だということが分かる。
「あ、ああ……」
何がなんだか分からない。だが以蔵は徐々に冷静を取り戻しつつあった。
やっぱりここは鬼神(死者の霊魂)の世界なのだろう、と腹を半ば括っていた以蔵の元に、先程の角の方が茶のようなものを持ってきた。
「あの、これを、どうぞ」
見た目の派手さとは裏腹にもの静かな声の彼は、人にして十四、五程に見える顔つきである。心なしか以蔵を恐れているように見える。以蔵も、自分の真っ赤な姿が少しばかり怖かった。
以蔵は茶のようなものを手にとって飲んだ。ついさっき毒をあおったばかりにしては間が抜けているとも思える。
これが紅茶という以蔵の世界の西方でも慣れ親しまれたものであったということを、以蔵は知る由がなかったが、その香りは馴染みが無いながらも乾いた以蔵を癒した。
「かたじけない」
イゾウはカップを飲み干すと、金色の少年へと返した。
以蔵がだいぶ落ち着いたのを悟ったのか、青髪の方が口を開く。
「魔人殿、あなたが何も知らないことは承知しています。簡単に説明させてもらってもよろしいですか?」
事の経緯を知っているような口ぶりである。この男が仮に三途の川の舟渡しであったなら、このような説明的せりふを数万回は口にしているのだろう、などと以蔵は思った。だが、よくよく考えてみると億どころの世界では済まないだろう。
以蔵は落ち着いてはいたが、現状についてはもちろん何も理解していない。何故死んだはずの自分がこんなところにいるのか、ここはどこなのか、自分の目の前の二人は一体何者なのか、自分の身に何が起きているのか……。言葉に出来るものだけでも数え切れない。
以蔵は目の前の青髪の話を聴くことにした。
「話してくれ」
「では、自己紹介を簡単にさせていただきましょう。私はベクトル、ベクトル=モリアと申す魔導師です。そして、こちらはククリ。私の弟子で鬼の児です」
さらりと聞き捨てならないことを言われた、と以蔵は思った。
「本当に鬼なのか、こいつは?」
以蔵が指をさすと、鬼の児はとっさに目をそらす。
「ええ、あなたが仰る鬼というものとは多少異なるかもしれませんが、この世界では鬼と呼ばれる種族で間違いありません」
「やはりここは黄泉の国か?」
ここで一転して、ベクトルが聞き返す。
「『黄泉の国』、とは何です?」
「死者のいく所だ」
「あ、成る程成る程。では、失礼かもしれないですが、あなたは一度死んだのですね?」
奇妙な質問だ。以蔵は現状に対応しようと脳を回転させる。
(死ぬと閻魔と押し問答をさせられると聞いたことがあるが、まさかこれのことじゃないだろうな……)
渋々答える。
「死んだ、はず、だ……」
「そうですか、ならばいいんです」
以蔵はどうにも、このベクトルという青髪の話にはついていけないと思った。
「簡単に説明すれば、あなたは生まれ変わったのです。もっと正確に言えば、あなたの幽霊とか魂とか、そういうものがその体に取りついた、というほうが正しいんですがね」
頭の悪い以蔵であるが、なんとなく今のでストンと一つ疑問が落ち着いたように思える。もちろん疑問は未だ山積みなのであるが。
「あなたのその体は、ある目的で私が作った最強の魔人の体なんです。ですが、体だけあってもそれでは生きていることになりません。ですから、死者の魂を呼び寄せて、この体に乗り移ってもらうことにしたんです。そして、たまたま呪文の言葉に呼ばれてきた屈強で新鮮な魂があなたであった訳でして……」
「たまたま」、という言葉が聞こえたが、以蔵は特に気にしなかった。
(確か、術士の中には死者の魂と会話できるものがいると聞いたことがあるな。こいつ、魔導師と称していたが、中々できるらしいな)
以蔵の持つ世界観においては、こういうことが出来るのは仙人か仏ぐらいなものである。そうか、仙人みたいなものか、と、以蔵は魔法という言葉を知らなかったが、こうした虚構のような物事をこの時は難なく受け入れることが出来た。
しかし、以蔵はもう限界であった。
「ですから、あなたは今あなたがいたのとは違う世界にいるわけで、ある意味では死後の世界とも……」
(ええい、まどろっこしいな!)
「お前が俺を呼んだことは分かった。ならば、俺は何をすればいい?」
「ほう?」
魔人だの、魔法だの、鬼だの魔導師だのというのは関係ない。目の前の男は何を求めて魔人として自分を呼んだのか、そこが以蔵にとっての問題なのだ。以蔵のこの思考は長所であり短所であり、先程命を捨てる羽目になった大原因である。
「お前が誰で、ここがどこであろうと知ったことか。望みを言え。お前が俺を助けたよしみで手伝ってやる。それとも、俺は何の用も無しに呼ばれたのか?」
呆れたものである。かつて生涯を、殺人指令を受け、それを忠実にこなす刺客として生きていた男の言葉であった。以蔵は馬鹿と思えるほどに愚直であった。殺す人間さえ指示されれば人を殺せる、そんな人間を太平の世は愚か者と言い捨てるだろう。その時代の性に以蔵は殺されたのだ。
インテリたる魔術師ならば、こういった粗暴を嫌うだろう。しかし、この以蔵の性格をベクトルは喜んだ。
「フッ、素晴らしい!。」
さて、その言葉にまるで意を得たかのようにベクトルは冷たく表情を変えた。彼は以蔵の直線のような性格を見抜いたのである。
「成る程、我々は思ったよりも面白い魂にめぐり合ったらしい。そういう魔人ならば話が早い」
嘘のような笑顔から、嘘もつかせないような迫力の顔に様変わりした彼をみて、以蔵だけでなく鬼の児の表情も変わった。ベクトルは興奮していた。
そして、先ほどまでの温和な表情からは想像もつかない、刺すような瞳が狂喜の中に安置してある。
「単刀直入に申し上げる。我が魔人よ、私の力、私が魔王となるための力となっていただきたいのだ」
突拍子もない話。だがその時、
「戦乱の世なら、一角の将にもなれたかもしれねえのにな……」
以蔵はハッと今わの際に贈られた(?)言葉を思い出した。
以蔵は何か劇的なものを感じて興奮していた。
(もしかしたら、これは運命か何かかもしれないな……)
今まで考えたこともなかったようなことを以蔵は考え出した。もしも自分が戦乱の世に生まれていたら? もしも自分が暴力を、もっと大きな戦いのために振るえていたら? これは絶好の機会なのではないだろうか……?
以蔵は捨てられてしまった自分の、人を斬ってばかりいた人生のことを思い返す。
(『あの方』は俺をただの人斬り包丁だと言って捨てた。実際、俺はその程度のでくの坊かもしれない。だが、もう一度、暴れてみてもいいんじゃないか?。この、どことも分からないこの世界で……)
目の前の見知らぬ天下人が、自分を戦乱へと誘ってくれている。狂喜が体に満ちてくる。
(やるのだ、やるしかない)
そういう思いがにわかに以蔵を支配した。
ベクトルは続ける。
「私にはあなたのような戦士が必要だ。だからお呼びした。どうか、我が勢力に加わって、この戦乱の魔界を共に戦っていただけないだろうか?」
魔王とは何だ、魔人とは何だ、もはやそんなことはどうでもよくなり、目の前の天下人と新しい世界にただただ心を魅かれる以蔵であった。
死んで生まれ変わったばかりとは思えない、力強いものがこもった眼で以蔵は言う。
「何も分からぬ身であるが、仕えさせていただく。かつての我が名は岡田以蔵。しかし姓などいらんでしょう。イゾウ、とお呼びください」
この時、奇しくも以蔵がこの異世界へと転生してからまだ一刻も経っていない。
この奇跡的なやり取りは後に『一刀の召喚』と呼ばれ、この魔界と呼ばれる世界に長く語り継がれることとなる。
そして、これが以蔵の魔人としての誕生であった。